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明石家さんまとは?

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明石家さんま

笑福亭一門定紋である「五枚笹」

【本名】
杉本 高文
(すぎもと たかふみ)
【ニックネーム】
さんまさん
さんちゃん
お笑い怪獣
ミスター27時間テレビ
【別名義】
笑福亭さんま(旧名)
【生年月日】
(1955-07-01) 1955年7月1日(64歳)
【出身地】
日本和歌山県東牟婁郡古座町
【血液型】
B型
【身長】
172 cm
【言語】
日本語
【方言】
関西弁
【最終学歴】
奈良県立奈良商業高等学校
(現・奈良県立奈良朱雀高等学校)
【師匠】
2代目笑福亭松之助
【事務所】
吉本興業(マネジメント)
オフィス事務所(個人事務所)
【活動時期】
1974年 -
【同期】
島田紳助
関根勤
オール阪神・巨人
桂小枝
桂千朝
桂吉朝
【現在の代表番組】
レギュラー番組
痛快!明石家電視台
踊る!さんま御殿!!
ホンマでっか!?TV
さんまのお笑い向上委員会
ほか
スペシャル番組
さんまのまんま
FNS27時間テレビ
明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー
さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル
さんタク
さんま&くりぃむの芸能界㊙︎個人情報グランプリ
さんまのホントの恋のかま騒ぎ
明石家さんまのコンプレッくすっ杯
明石家さんまの転職DE天職
さんまの東大方程式
さんま&女芸人お泊まり会
ほか
【過去の代表番組】
オレたちひょうきん族
笑っていいとも!
明石家さんちゃんねる
あっぱれさんま大先生
明石家マンション物語
恋のから騒ぎ
さんまのSUPERからくりTV
ほか
【配偶者】
大竹しのぶ(1988年 - 1992年)
【親族】
IMALU(実娘)
【受賞歴】


明石家 さんま(あかしや さんま、1955年7月1日 - )は、日本お笑いタレント司会者ラジオパーソナリティー俳優落語家である。企画等のクレジットでは本名名義も多い。吉本興業所属。

和歌山県東牟婁郡古座町(現・東牟婁郡串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。 元々は落語家を志して2代目笑福亭松之助の弟子となり「笑福亭さんま」という芸名でデビューするが、師匠の推薦でお笑いタレントに転向した。1970年代後半から現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている国民的お笑いスターの1人であり、ビートたけしタモリと並び日本のお笑いBIG3の1人に称される。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 弟子入り
    • 1.2 関西ローカル時代
    • 1.3 1980年代
    • 1.4 1990年代
    • 1.5 2000年代
    • 1.6 2010年代
  • 2 人物
    • 2.1 芸風
    • 2.2 芸名・愛称
    • 2.3 身体的特徴
    • 2.4 スポーツ
      • 2.4.1 サッカー
      • 2.4.2 競馬
    • 2.5 芸能関係者との関係
    • 2.6 仕事
      • 2.6.1 NHK
      • 2.6.2 テレビ朝日
      • 2.6.3 毎日放送
      • 2.6.4 TBS
      • 2.6.5 日本テレビ
      • 2.6.6 テレビ東京
      • 2.6.7 独立局
    • 2.7 私生活
      • 2.7.1 映画
    • 2.8 家族
  • 3 人気番組でのエピソード
    • 3.1 オレたちひょうきん族
    • 3.2 笑っていいとも!
  • 4 評価
  • 5 受賞歴
  • 6 演じた俳優
  • 7 テレビ番組
  • 8 出演作品
    • 8.1 テレビドラマ
    • 8.2 映画
    • 8.3 舞台
    • 8.4 テレビアニメ
    • 8.5 ゲーム
    • 8.6 CM
  • 9 ラジオ番組
    • 9.1 TBSラジオ
    • 9.2 朝日放送
    • 9.3 エフエム東京
    • 9.4 ニッポン放送
    • 9.5 毎日放送
    • 9.6 ラジオ大阪
  • 10 著書
  • 11 ディスコグラフィー
    • 11.1 シングル
    • 11.2 コラボシングル
    • 11.3 アルバム
      • 11.3.1 オリジナルアルバム
      • 11.3.2 ベストアルバム
    • 11.4 その他
    • 11.5 タイアップ一覧
  • 12 関連人物
  • 13 脚注
    • 13.1 注釈
    • 13.2 出典
  • 14 外部リンク

来歴

出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時に捕まえたムササビが展示されている。また当時は「ムササビを捕まえた少年」として話題になった。奈良県中学生相撲大会で2位になったことがある。一方、中学時代に相撲部に入部していた期間は「1週間程度」とさんま本人が後年テレビ番組で話している。 奈良商業高校時代は授業を抜け出してパチンコに興じ、得た収入を仲間に分配していた事を後にラジオで告白している。

弟子入り

1974年2月、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入り。入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだという。初めて顔を合わせた際、松之助に「なぜ僕を選んだのか」と入門の理由を問われた杉本は「センスがよろしいから」と、素直な気持ちを伝えたつもりで、非常に失礼な発言をした。これに対し松之助は「そら、おおきに」と礼を言った。この日すぐ、松之助は杉本を自身の仕事先であるラジオ局に連れて行った。高校卒業後の3月に、正式に内弟子修行を開始。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。下積み時代は兵庫県西宮市今津久寿川町「第一久寿川荘」に在住。当初の芸名は前述の通り「笑福亭さんま」。「さんま」の由来は杉本の実家がさんまの水産加工業を営んでいたため。

さんまは、入門して半年もしないうちに初舞台を踏んだ。場所は京都花月。『西の旅』と総称される古典落語のうち『播州めぐり』を10日間ほど口演した。本人いわく「初舞台では緊張で頭が真っ白になって、ネタをやり直した」という。「15分ぐらいのところで頭が真っ白になり始めからやり直した、そしたら所要時間が45分にもなった」ともされる。「この後二人は横山エンタツ花菱アチャコとなり漫才を始めました」と言ってサゲたという。4代目林家染丸も、この頃に自身が主宰した落語会で『播州めぐり』に真剣に取り組むさんまを目の当たりにしている。

さんまは入門直後、内弟子修行を放り出して、交際していた女性と共に上京し、東京で一旗揚げようと試みた(いわゆる「さんま駆け落ち事件」)。松之助は入門当初よりも痩せていくさんまを見て、「女ができたな」と理解し、「若い時にはいろいろある」として、さんまの思うままにさせた。しかし、東京での生活はうまくいかず、さんまは一時帰阪した際、松之助から借りていた本を返すという口実で、松之助宅をたずねた。松之助は、さんまを一切叱ることなく、明るい声でさんまを元気づけた。このときは正式な弟子復帰に至らなかったが、松之助は「さんまが帰ってくるから、よろしゅう頼むわなぁ」と上方落語界や吉本興業への根回しをしていた。さんまと交際していた女性は別の男性と結婚し、さんまは内弟子修行に戻ることを決意して、なんば花月の松之助の楽屋をたずねた。松之助は「何もいうな、ついてこい!」と、師弟で初めて食事に行ったラーメン店にさんまを連れ出した。

なお、現在の松之助一門ではさんまの兄弟子2人は移門したり既に鬼籍に入ったりしているので、さんまが総領弟子(一番弟子)となっている。

関西ローカル時代

当時、吉本の若手タレントのマネージャー的存在だった吉本興業社員・佐敷愼次は、当時のさんまに「口数が少なくて人見知りするタイプ。ところが、人と交わると別人のように変わって輝く」という印象を持っていた。佐敷はさんまに「ミラーボール」というあだ名をつけ、タレント的才能があると注目した。また同時に、さんまの演じる古典落語を「あんまりおもろない」と感じていた。そこで佐敷は、松之助に「さんまを立たせたい」と打診。これはさんまに落語をやめさせ、漫談家やテレビ司会者として育成したいという意味であった。松之助は「好きにせぇや」と答えた。

さんまは1976年1月、テレビデビューを果たす。「11PM」の読売テレビ制作担当日(大阪イレブン)にて放送された「落語家の成人式(20歳を迎える上方落語家をゲスト出演させる)」という企画で、さんまはそれまで名乗っていた笑福亭の屋号ではなく、「明石家さんま」名義で、同期の桂小枝らと出演することになった。松之助は、「人と同じことして売れるはずがない」として、着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と指示した。番組内では、進行役の海原千里(上沼恵美子)から、「性の四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問・フリに対し、さんまだけが手を挙げ「逆さ十文字落としでぇーす」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一に、「さんまかいわしか知らんけどな、テレビで言うてええことと悪いことがあんねや。それぐらい覚えて出て来い!」と本番放送中にも関わらず叱責される。しかし、番組に出演していた横山やすしに「飲みに行こ!」と気に入られ、その後やすしに朝まで付き合わされ、その後やすしの家に招待されて朝の5時に競艇(ボート)のエンジン音のメーカー別の暗記と、30分後にテストをさせられたというが、翌日やすしは吉本興業の社員に対し「さんまは面白い」と売り込んでくれたと言う。この放送を見ていた松之助は、のちにさんまを大いに絶賛している。松之助曰く、出演者の多くが着物姿の中、忠告に従って営業用の赤いブレザーを着用して放送に臨み、またよくしゃべったさんまは目立ったという。

笑福亭から明石家に屋号を変え、落語家から漫談家に転身した格好となったさんまは、うめだ花月の前座で披露していた小林繁(阪神タイガース投手)の投球フォームなどの形態模写で知られるようになった。初めてのレギュラー番組は、1978年の毎日放送「ふれあい広場決定版」。

1976年、毎日放送の人気番組「ヤングおー!おー!」に初出演。司会の桂三枝の目に留まり、1978年頃からレギュラー出演を果たす。三枝の愛称「サニー」にあやかって「チャッピー」と愛称を付けられ、三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。4代目林家小染月亭八方桂きん枝桂文珍の番組内ユニット「ザ・パンダ」を改編して、さんまを加入させた「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる。やがて、関西を中心にアイドル的な人気となり、1981年4月より、三枝からの指名によって後継司会者に就任し、番組終了時まで2年9か月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。

1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組「誰がカバやねんロックンロールショー」で初の司会役に抜擢。フジテレビ系の「裸の大将放浪記」で、和菓子屋の番頭としてゲスト出演。

1980年代

1985年、第1回東京国際映画祭において、タモリとともに司会を務める。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソー知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。

1985年8月12日、「MBSヤングタウン」レギュラー出演のため、伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定だったが、直前の仕事である「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)の収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたため、日本航空123便墜落事故を免れた。同日の「ヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショックを隠せず、この経験を機に、東京―大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。また、この経験から生まれたさんまの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」であり、娘IMALUの名前の由来になっている。この当時1年3ヶ月「同棲」関係のあった「東京の愛人」とのツーショット写真が掲載されるも明るく陽気に笑い飛ばし、大きなスキャンダルになることもなかった。

1987年、ナムコ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)がファミリーコンピュータ用ソフト「さんまの名探偵」を発売する、しかし吉本興業が水面下で本人の許可を取らずにメーカーに制作・発売を許可した為、事実を知ったのは発売後であった。

同年の7月18日 - 7月19日にかけて生放送された『第1回FNS27時間テレビFNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』の総合司会をタモリと共に担当。

2年後の1989年にも『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89』の総合司会を再びタモリと共に担当した。

1990年代

「ひょうきん族」が放送終了し、またダウンタウンウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇、5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』でトップ陥落するなど一時的に人気に陰りが見えたこともあったが、1995年には6年ぶりに1位を記録、1998年以降は再び5年連続して1位になるなど返り咲いている。

1995年、「ヤングタウン土曜日」1月14日放送分のエンディングにて、放送区域である関西地区の聴取者に向けて、地震の際の心構えと対処の方法を講義した。これは当時さんまが関東で頻繁に地震に遭遇していたことを受けてのものだったが、この3日後には阪神・淡路大震災が発生しており、先んじて注意を促す結果となった。

1995年の夏、前年にバイク事故で怪我をしたビートたけしを助ける為に『第9回FNSの日・FNSの日 1億2500万人の超夢列島 そのうちなんとか…23時間』に出演。ほぼ、たけしと共に総合司会の役割を果たした。

1995年9月29日、11年半レギュラーだった「笑っていいとも!」(フジテレビ)を卒業。

1996年、フジテレビの人気刑事ドラマ「古畑任三郎」シーズン2の初回スペシャルに犯人役でゲスト出演。古畑の部下である今泉巡査の知り合いでやり手の弁護士・小清水潔を演じる。当初は売れないロックシンガー役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。自らも法廷モノが好きな三谷は快諾し脚本を書くが、あまりにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。しかし、その直後に田村自身が「古畑任三郎」の中では初めてとなるNGを出してしまい、さんまが「あんた、これ貸しな。これでおあいこや」と田村に発言した。スタッフ一同は凍りついたが無事に撮影は終了、さんまは今泉役の西村雅彦に別室に呼び出され、「あれはダメなの」と叱られたという。

同年の7月に放送された「FNSの日・FNSの日 十周年記念 1億2500万人の超夢リンピック」において実行副委員長として出演。ビートたけし笑福亭鶴瓶所ジョージ田代まさし、そして番組パーソナリティーであったSMAPと共に27時間テレビ最長の29時間30分の長丁場を乗り切った。

2000年代

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この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2016年11月)

2010年代

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この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2016年11月)

人物

所属事務所吉本興業。節税と自身のマネージメントを目的とした個人事務所「オフィス事務所」も設けており、仕事やギャランティー管理はこちらで行っている。オフィス事務所には、ラサール石井村上ショージ松尾伴内らも所属していると報道されたが、オフィス事務所主催の舞台に出演した際のギャラを支払ったのみで、所属はしていない。

師匠は落語家の2代目笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名から貰い受けている(後述)。

松之助の兄弟子にあたる6代目笑福亭松鶴の弟子の笑福亭仁鶴笑福亭鶴光笑福亭鶴瓶などは従兄弟弟子にあたる。

若手の頃、兄弟子の五所の家小禄と漫才、コントのコンビを組んだり、花月の舞台ではB&B(島田洋七・洋八)、西川のりお・上方よしおザ・ぼんち(ぼんちおさむ里見まさと)らと、「ビールス7」というコントユニットを組んでいた時期もあった。「アトムスリム」と言う漫才コンビを組んでいた時期もある。

芸風

1980年代頃からは司会業が中心(トークのテンポを崩されると、すかさずツッコミボケを入れ、それすら笑いに変える)。張り芸(声を張って笑いをとる芸)を得意としている。同期で盟友の島田紳助をはじめ、中居正広笑福亭鶴瓶所ジョージ中村勘三郎桑田佳祐マツコ・デラックス・元妻の大竹しのぶ・娘のIMALUたちから「話を盛る」「話していることの九割は嘘」「どうしてそんなに嘘がつけるの?」などと辛辣な発言をされる(それすらお約束の流れになりつつある)。

デビュー当初は菅原文太桜田淳子ものまねや、当時人気だったプロ野球阪神タイガース小林繁形態模写漫談が主であったが、周囲からは「似てない」と酷評され、名前が売れるようになってからはこの2人の物真似を人前ですることはほとんどない。ピンで演じることもあったが、兄弟子の明石家小禄(後に五所の家小禄と改名)とのコンビで、コントスタイルで演じることもあった。ただし、最初は巨人の小林として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神へ移籍した際にこの芸を封印したが、トレード直後の阪神での小林の活躍に伴い、関西地区で小林の形態模写を熱望されるようになり、渋々再開したところ、小林と相乗効果で人気を集めるようになった。

芸名・愛称

笑福亭松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。「さんま」という芸名は、奈良のさんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名された。19歳の時に師匠・松之助の助言により亭号を改め、「明石家さんま」を名乗る。「明石家」は松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた(「明石屋さんま」は誤字)。松之助はのちに、長男に明石家のんき、次男にパーポ明石と芸名を付けている。

松之助は、弟子の家業から名前を考案することが多く、さんまの兄弟弟子には、自転車店出身の明石家サドル、下着店出身の明石家パンツ、美容室出身の明石家パーマなどがいたという。命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現:今日喜多代)に芸名を「紳助」と決められた時、さんまは「その名前やったら絶対売れへん」とからかい、紳助は落ち込んだが、そのすぐ後に「さんま」という芸名を貰った話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に大笑いされたというものがある。

愛称は「さんちゃん」(所ジョージなど同年代の親しい人物が使用)。紳助は愛称だけでなく「杉本」と本名で呼ぶことがあった。BIG3

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出典:wikipedia
2019/12/13 22:10

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