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時間とは?

人類にとって、もともとは太陽の動きが時間そのものであった。
アイ・ハヌム(紀元前4世紀~紀元前1世紀の古代都市)で使われていた日時計。人々は日時計の時間で生きていた。
砂時計で砂の流れを利用して時間を計ることも行われるようになった。また砂時計は、現在というものが未来と過去の間にあることを象徴している。くびれた部分(現在)を見つめる。すると時間というのは上(未来)から流れてきて下(過去)へと流れてゆく流れ、と感じられることになる。
スイスベルンツィットグロッゲ。ツィットグロッゲには15世紀に天文時計が設置された。

時間(じかん、: tempus : time)は、出来事変化認識するための基礎的な概念である。芸術哲学自然科学心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった定義がなされる。

今日の日常的な意味での時間

時間 (単位)」および「時間 (クルアーン)」も参照

「時間」という言葉は、以下のような意味で使われている。

  1. 時刻。つまり、時の流れの中の一点のこと。
  2. ある時刻と別のある時刻の間。およびその長さ
  3. 空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの。

時刻という意味で時間という言葉を用いるのは、日常語、ないし俗語とする辞書もある。

1. の意味の時間すなわち時刻は、ある特定の一瞬のことである。別の言い方をするなら、時の流れの中の一点である。これを数的に表す表現には例えば「5時」「2日」「4月」などがある。

2. の意味の時間、すなわち時刻の間およびその長さというのは「この仕事は時間がかかる」とか「待ち合わせ時刻まで喫茶店で時間をつぶす」とかのように用いられている概念である。長さの意味での時間を数で示す表現を日本語および英語で挙げてみると例えば「5時間 (five hours)」「2日(2日間、two days)」「4ヶ月 (four months)」などがある。

3. の意味の時間、すなわち哲学的概念としての時間は、まず第一に人間の認識の成立のための最も基本的で基礎的な形式という位置づけである。カントなどの指摘に基き現在まで用いられ日々用いられるようになっている意味である。

時間というのはあまりに基礎的で、あまりにとらえがたく、人は比喩を用いて“流れ”と表現する。人間にとって理解しやすい川の流れなどに喩えている。人間というのはとらえどころのない対象については比喩を用いて表現し、それを理解のきっかけとして用いようとする。ただし、比喩というのは、異なるものどうしを結びつけて用いるものなのであり、つまり実は本当は、「時間」は「流れ」ではない。時間は本当は"流れ"ではないからこそ、比喩として成立している。時間を「流れ」に譬える比喩としてはたとえば、「過去から未来に絶えず移り流れる」とか「過去・現在・未来と連続して流れ移ってゆく」とか「過去・現在・未来と連続して永久に流れてゆくもの」とか、「過去から未来へと限りなく流れすぎて」とかがある。時間を「流れ」として比喩的にとらえることに関しては、「過去から未来へと流れている」とする時間観と、「未来から過去へ流れている」とする時間観がある。 時間というのは人間にとっては比喩で表現して理解のとりかかりにしようとするくらいがせいぜいであり、正攻法で知的に考察しようとすればするほど困難に突き当たり理解しがたいものなので、時間について考察したアウグスティヌスは「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」と述べた。

長さとしての時

現代の《時の長さ》の単位

《時の長さ》を表すのに用いられていること(ものさし、単位)としては、多くの国や地域において日常的には、 (year)、 (month)、 (day)、そして (hour)、 (minute)、 (second) が用いられており、しばしば (week) も用いられる。また、十年紀 (decade)、世紀 (century)、千年紀 (millennium) なども使われる場合がある。

《時の長さ》を表すもの

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  • 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2017年9月)
  • 独自研究が含まれているおそれがあります。(2017年9月)

人はもともと何かの変化を《時そのもの》として感じていた、何かの変化と時をはっきりと区別していなかった、ということは学者によって指摘されることがある(下の「古ゲルマン」などでも述べる。人々は数学的な意識では生きていなかったのであり、“単位”という概念も意識していなかったということである)。

《時の長さ》そのものと感じられていたことの中では、《》はきわめて一般的であり広くどの文化でも見られると言われている。

》というのは、もともと夜に照明を用いずに生きていた人類にとっては強く意識されていた時間の長さである。

》は神話的・宗教的概念とも深く結び付いていることが指摘されるが(後述)、一方で人類の農耕活動の定着や知的活動の高まりと関連付けられて説明されることのあるものであり、古今東西の文明で広く用いられている。

》というのは7日をひとまとめと見なす人工的な概念・制度(7曜制)であるが、近・現代になるまで万国共通とは言えない状態であった。例えば日本では、平安期に伝わりはしたものの実際上は用いられておらず、生活周期としても日々の意識としても無きにひとしかった。日本人は10日等ごとに何かを行っていた。明治政府が国策として西洋各国に倣い法律で定めたことで日本に広まった。何日かをひとまとまりとして見なす文化・制度としては、例えば5曜制、6曜制もあり、10日、90日などをひとまとまりと見なす文化もある。7日をひとまとまりと見なす文化は、(確かなことは判らない面もあるが)バビロニアが起源だとも言われている。そしてユダヤ人がバビロニアに捕虜として連行された時に(バビロン捕囚)その地でその習慣を取り入れ、ユダヤ教文化からキリスト教文化へと継承され、同文化が広まった結果7曜制も世界に広まったと言われている。キリスト教と一体化していた王権と敵対・打倒し成立した革命政府(たとえばフランス革命政府、ロシア革命政府など)では7曜制を排止して10日や5日を週とする制度を定めた時期もあったという。

》は人工的に作られたものではあるが、一日を12分割したりする発想はかなり古くからあった。

》《》などの単位はかなり人工的に作られてきた概念・単位で、歴史的に見ればかなり新しい。

現在視点で見れば、天体が見せる以下の周期的な現象(現代で言う天体の運動)をもとにして人類は時間の単位を決めてきた、と解釈することも可能ではあるかも知れない。

そしてそれが現在もとして生き続けているのだ、とも解釈できるかもしれない。

機械式時計が制作されるようになると、天体とは切り離された人工的な時間概念が意識されるようになった。時計は、より短い周期で振動するものを採用することで精度を上げる技術革新が続き、そして遂には、原子の発する電磁波周波数によって時間を決定することとなった。これが原子時計である。

現代の国際単位系では時間の基本単位としてを定義しており、2006年現在では、「1秒はセシウム133原子 (Cs) の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射7009919263177000000♠9192631770(約100億)周期にかかる時間」と定義されている。そして国際単位系における基本物理量のひとつとされて世界的に統一された単位が定義され、社会生活や産業活動においてよく使われている。

時刻」も参照

時刻

時刻とは、ある特定の一瞬のことである。別の言い方をするなら、時の流れの中の一点(時点)ということである。

時刻の表し方は、歴史的に見て様々な方法がある。古くは日の動きで決めた。日の出という時刻があり、日没という時刻がある。また日が南中する時刻が正午 (noon) とされた。つまり、時刻は、自然をもとに決められていた。現在のように機械式の時計を基準に定められたりなどしていなかった。

なお、一日のいつを一日の始まりの時刻と見なすかは文化圏によって異なっている。アラブ人ユダヤ人日の入を一日の始まりとしている。またギリシアにある正教会などでも、他の地域の正教会でも、日没の瞬間が一日の始まりだとされている。今日でもそうだとされている。一日はの中で始まり、やがて夜明けを迎え、を迎え、最後に一日の終わりである夕暮れを迎える。同教会の修道士たちは現代でもそうした時刻観にもとづいた時間割で日々の生活を規則正しく送っている。

一方で、日の出の瞬間を一日の始まりだと見なしている文化も多い。バビロニア人エジプト人は日の出を一日の始まりの時刻だとしていた。

時刻」も参照

古代宗教における時間

ここから先は時代に沿って、様々な時間観を見てゆく。

古代宗教における時間については、ミルチア・エリアーデが透徹した解釈を行った。聖なる時間によって俗なる時間は隔てられ、中断される。聖なる時間をその前後の俗なる時間から区別するのは、ヒエロファニー(hierophany、聖なるものの顕現)である。周期的に営まれる祭儀は、本来、俗なる時間を中断してが顕現する聖なる時間なのだという。

バラモン教そしてヒンドゥー教では全てのものは輪廻しているという。写真はチベット仏教の仏画に描かれた六道輪廻の環。

仏教

仏教の時間理解は基本的に現在指向である。それは前世来世も説かなかったブッダの現世指向に起因するものらしい。転生説を容れるとしても、それは円環時間観の存在を示すことにならない。転生が、計測される同一の時間軸の上に起こるものとされていないからである。物事はすべて移ろい行くものであり、不変な存在などない(諸行無常)というのが仏教の根本的な認識である。アビダルマではこれを「すべての存在は極分化された一瞬にのみ存在し、瞬間毎に消滅する」(刹那滅)という思想として展開した。従って、計測される時間の外にある。龍樹に代表される空観における時間もまた、計測時間の外で現在意識を軸に考察されている。

ギリシャ神話

ギリシャ神話には時にまつわるが二柱ある。カイロス (Καιρός, Kairos) は一瞬を表す神であり、もう一柱のクロノス (Χρόνος, Khronos) は連続した時を表す神である。

古代ギリシア

ある哲学者らは、時間をのように回り続けるイメージで捉えた。時間を円と考えると時間に始まりや終わりがあるかないかという面倒な問題が避けられる利点がある。似た考えは、マヤや古代インド文明などにも存在した。

古代ローマ

カルペ・ディエム」の句が上部に掲げられた日時計

古代ローマのホラティウス(紀元前65年 - 紀元前8年)が詩に残したCarpe diemカルペ・ディエムという句は、直訳では「その日を摘め」、つまり「今日という一日を大切にしなさい」「今という時をよく味わいなさい」という意味である。人々がつい忘れがちなことを思い出させてくれる深みのある句として、現在に至るまで繰り返し引用されている。

ユダヤ教・キリスト教

ユダヤ教には円環的な時間観も見られ、その影響がキリスト教にも見られはするが、キリスト教にはそれを超えた反復不可能の一回的な時間観がある。

キリスト教の時間観にとって決定的なことは、神の子の受肉としてのイエス・キリストこの世への到来、その復活という、歴史のただなかへの一度かぎりなされたとされる神の啓示である。これは反復されない、一回的で決定的な出来事とされ、それを唯一の根源としてキリスト教の救済史観が成り立っている。

キリスト教では、神の創造もただ一度で完了した過去の業にすぎないものではなく、それと同時に伝統的に「不断の創造」として現在の事実とされ、R.K.ブルトマンやC.H.ドッドなどは終末についても現在性があると指摘している。

キリストの出来事が歴史の中心とされ、それを通して創造や堕罪、終末再臨が理解される時、これらのことは不可逆的な直線的時間の上に配置され、また現在の事実として主体的に反復される。

アウグスティヌス

時間をめぐる考察が厄介である事を示すためにしばしば引用されるアウグスティヌスの有名な言葉に、「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」というものがある。

アウグスティヌス(354年 - 430年)は時間を内面化して考えた。時間はと無関係に外部で流れているようなものではない。過去、現在、未来と時間3つに分けて考えるのが世の常だが、過去とは《すでにないもの》であり、未来とは《いまだないもの》である。ならば在ると言えるのは現在だけなのか。過去や未来が在るとすれば、それは《過去についての現在》と《未来についての現在》が在る。過去についての現在とは《記憶》であり、未来についての現在とは《期待》、そして現在についての現在は《直観》だとアウグスティヌスは述べる。時間とは、このような心の働きである。「世界創造以前には何をしていたのか?」と問う人がいるが、アウグスティヌスによれば、こうした問いは無意味である。なぜなら、時間そのものが神によって造られたものだから、創造以前には時間はなかった。神は永遠であり、過ぎ去るものは何もなく、全体が現在にある。

古ゲルマン

10世紀以前の古ゲルマン世界での公的生活は、まだ直線時間意識には規定されておらず、円環的な時間意識が支配的であった。ゲルマン人が「timi」(時)と言うと、正確な計測という考え方はみられず、あくまで季節などかなり長い時の経過を意味した。ar(年)というのも、毎年繰り返される収穫の意味であった。まず現実の農耕生活における、具体的な、人間と自然の規則正しい関係があり、それが人間の意識や行動を規定していたのであり、《繰り返し》が時間のあたりまえの姿だった。ゲルマン人の円環的時間意識のもとの死生観では、人間は死後冥界に入るが、この冥界というのはこの世と並行して存在しており、この世と交流可能な世界であり、死者は現世とつながりつつ冥界で生きる、とされた。

11世紀以降のゲルマン世界

11~12世紀以降にキリスト教が公的生活にまで影響を及ぼすようになったが、これは古ゲルマンの意識とは異質なものであり時間意識や死生観は変化してゆくことになった。キリスト教の時間意識は、神を目指すひとつの方向に進む直線的な時間観であったので、《繰り返す時間》の観念は否定されてゆくことになり、終末に向かって進んでゆく時間の変化が意識され、人間は死ねば、煉獄、そして天国地獄へ行き、最後の審判を待つしかない、とされることになった。古ゲルマンと、この世あの世の時間的関係が全く異なる。人々はぬと現生とのきずながたたれる、ということにされた。教会の教えにより、人はただ1度だけ生き、一度だけ死ぬ、ということになった。

またこの時代、キリスト教のほかにも、商人たちが人々の時間意識に影響を及ぼしはじめる。商人たちは日数と費用の計算をするために、計測するものとして時間の観念を使いはじめた。「市民共有の大時計は、自由都市を牛耳る商人たちの、経済的・社会的・政治的支配の道具」となった、とジャック・ル・ゴフは言う。

自然哲学および自然科学での時間

物理学における時間」も参照

ニュートン力学での時間

古典力学
F=ddt(mv){\displaystyle {\boldsymbol {F}}={\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} t}}(m{\boldsymbol {v}})}
運動の第2法則

歴史
分野

静力学 · 動力学 / 物理学における動力学 · 運動学 · 応用力学 · 天体力学 · 連続体力学 · 統計力学


定式化

基本概念

空間 · 時間 · 速度 · 速さ · 質量 · 加速度 · 重力 · · 力積 · トルク / モーメント / 偶力 · 運動量 · 角運動量 · 慣性 · 慣性モーメント · 基準系 · エネルギー · 運動エネルギー · 位置エネルギー · 力学的仕事 · 仮想仕事 · ダランベールの原理


主要項目

剛体 · 運動 · ニュートン力学 · 万有引力 · 運動方程式 · 慣性系 · 非慣性系 · 回転座標系 · 慣性力 · 平面粒子運動力学 · 変位 · 相対速度 · 摩擦 · 単振動 · 調和振動子 · 短周期振動 · 減衰 · 減衰比 · 自転 · 回転運動 · 等速円運動 · 非等速円運動 · 向心力 · 遠心力 · 遠心力 (回転座標系) · 反応遠心力 · コリオリの力 · 振り子 · 回転速度 · 角加速度 · 角速度 · 角周波数 · 偏位角度


科学者

アイザック・ニュートン · エレミア・ホロックス · レオンハルト・オイラー · ジャン・ル・ロン・ダランベール · アレクシス・クレロー · ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ · ピエール=シモン・ラプラス · ウィリアム・ローワン・ハミルトン · シメオン・ドニ・ポアソン




アイザック・ニュートンは、自然哲学ユークリッド幾何学(および他の数学)を大幅に導入した体系を構築、それを『自然哲学の数学的諸原理』(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica, 1687年刊)で発表した。当時知られている幾何学はユークリッド幾何学だけで、ニュートンが用いた幾何学もそれであったので、空間は均一で平坦なユークリッド空間だと暗黙裡に仮定されている。

ニュートンは同著において、時間は過去から未来へとどの場所でも常に等しく進むもので、空間と共に、現象が起きる固定された舞台のように想定し、この固定された舞台を「絶対空間」及び「絶対時間」とも呼んだ(空間#ニュートン力学での時間も参照)。

ニュートン力学では、ガリレイ変換に対して空間座標と時間座標は独立であるため、時間座標(時刻)は空間座標(位置)のパラメータ(parameter, 媒介変数)として扱われる。従って、ニュートン力学の範囲では、時間は空間の一成分としては認識されず、3次元空間上で議論がなされる。

相対性理論での時間

ニュートン力学においては時間は全宇宙で同一とされたが、アルベルト・アインシュタインが発表した相対性理論によって、そうではないことが認識されるようになった。

特殊相対性理論によれば光の速度はどの慣性系に対しても一定である。これを「光速度不変の原理」と呼ぶ。光速度不変の原理から異なる慣性系の間の時空座標の変換式が求められ、それはローレンツ変換となる。このとき、ある慣性系から見て空間上の異なる地点で同時に起きた事象は、異なる慣性系から見ると同時に起きてはいない。これを「同時性の崩れ」という。結果として、観測者に対して相対運動する時計は進み方が遅れて見える。

相対性理論ではローレンツ変換により時間座標と空間座標とが混合するので、両者を完全に独立のパラメータとして扱うことはできない。この事情から、この4次元空間を時間と空間が一体化した時空 (spacetime) だとする考えが生まれ、さらにこの考えが、重力は4次元時空の曲がりに相当するとする一般相対性理論の発想につながった。この考え方によれば、時間は「経過」ではなく空間と質的に等しい「拡がり」を表すものとみなされる。

一般相対性理論では、重力加速度は等価とされ(等価原理)、これらは空間と共に時間をも歪める。「一般に重力ポテンシャルの低い位置での時間の進み方は、高い位置よりも遅れる」とされる。例えば「惑星や恒星の表面では宇宙空間よりも時間の進み方が遅い」とされる。非常に重力の強いブラックホール中性子星ではこの効果が顕著であるとされる。

相対性理論後

時間
time
【量記号】
t
次元
T
【種類】
スカラー
SI単位
(s)
CGS単位
秒 (s)
FPS単位
秒 (s)
プランク単位
プランク時間

物体の運動については、よほど光速に近い速度でない限り、相対論からの近似により、ニュートン力学の枠組みで十分な精度で計算できることが保証されているので、相対性理論が登場した後でも、大半の場合は基本的にニュートン力学の枠組みのままで時間概念を取り扱うことは多い。

現代の物理学の体系において、時間は物理量のひとつとして扱われている。

特筆すべきことのひとつに、「プランク時間」の概念の登場がある。物理学において、いくつかの物理定数を用いて、「長さ(時間)」「エネルギー」「温度」などの単位を構成しようという考え方があり、このような単位の組(単位系)を自然単位系と呼ぶ。プランク時間は自然単位系のひとつであるプランク単位系の時間の単位である。プランク時間は、物理的に興味のある最も短い時間であり、しばしば「時間の最小単位」であると云われる。このことはしかし、物理学における時間の概念が離散的なものであることを意味しない。

量子力学での時間

量子力学の世界では、時間の概念が一般的なそれとは異なっており、時間が逆方向にも流れているとされている。

ニュートン以降の哲学における時間

ニュートン力学の登場以降も、その理論の成功や、それが人々の時間概念に与えた影響を意識しつつ、哲学的な考察は続けられていた。

カント

イマヌエル・カント(1724年 — 1804年)は、ニュートンの後の時代の人で、ニュートンの体系も学び大学で講義した人物である。彼は時間、空間の直観形式でもって、人間は様々な現象認識すると考えた。カントにおいて経験的な認識は、現象からの刺激をまず外官(外的なものからの刺激を受け取る感覚器官)によって空間的に、内官(内的なものの感じをうけとる感覚器官)によって時間的に受け取り、それに純粋悟性概念を適用することによって成立する。空間は外官によって直観され、時間は内官によって直観される。この場合、時間は空間のメタファーとして捉える見方もあるが、それは『純粋理性批判』解釈の大変難しい課題である。時間、空間の一体どちらが根源的な認識様式であるかという問いに関しては、どちらかといえば時間であるという見解も純粋理性批判には

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出典:wikipedia
2020/04/07 19:43

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