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朱鎔基とは?

朱鎔基
朱镕基
Zhu Rongji
朱鎔基(2001年9月11日)

【生年月日】
(1928-10-01) 1928年10月1日(89歳)
【出生地】
中華民国湖南省長沙
【出身校】
清華大学電機製造学科
【所属政党】
中国共産党
【配偶者】
労安
第5代国務院総理

【内閣】
朱鎔基内閣
【在任期間】
1998年3月17日 - 2003年3月16日
国家主席
江沢民
国務院常務副総理

【内閣】
李鵬内閣
【在任期間】
1993年3月29日 - 1998年3月17日
国家主席
江沢民
国務院副総理

【内閣】
李鵬内閣
【在任期間】
1991年4月8日 - 1993年3月29日
国家主席
楊尚昆
【朱鎔基】

【各種表記】

繁体字: 朱鎔基
簡体字: 朱镕基
拼音: Zhū Róngjī
【和名表記:】
しゅ ようき
【発音転記:】
ヂュー・ロンチー
中華人民共和国


中華人民共和国の歴史
【組織集団】

中国共産党中国人民解放軍
【主な出来事】

日中戦争国共内戦
チベット侵攻ウイグル侵攻
朝鮮戦争
中ソ対立
大躍進政策
中印戦争
文化大革命
国家主席の廃止林彪事件
四五天安門事件
中越戦争中越国境紛争
改革開放
一人っ子政策
六四天安門事件
香港返還
2008年北京オリンピック
上海万博

【指導者】

毛沢東周恩来劉少奇朱徳
華国鋒林彪江青
鄧小平胡耀邦趙紫陽
江沢民李鵬朱鎔基
胡錦濤温家宝
習近平李克強
【理念】

マルクス・レーニン主義
毛沢東思想鄧小平理論
4つの基本原則3つの代表
一つの中国科学的発展観
九段線一帯一路
習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想
【統治機構】

中国共産党中央委員会
中央委員会総書記
中国共産党中央政治局
中央政治局常務委員会
中国共産党中央書記処
中央軍事委員会
中央規律検査委員会
【国家機構】

全国人民代表大会
常務委員会
中華人民共和国国務院
中央軍事委員会
中国人民政治協商会議
最高人民法院
最高人民検察院
【地域】

中国華北東北
華東華中華南
西南西北
香港澳門
中華人民共和国の行政区分

朱 鎔基(しゅ ようき、ヂュー・ロンチー、1928年10月1日 - )は中華人民共和国の政治家。第5代国務院総理(首相)、第14期・第15期中国共産党中央政治局常務委員清華大学経済管理学院院長(初代)などを務めた。

目次

  • 1 経歴
  • 2 評価
  • 3 エピソード
  • 4 脚注
  • 5 関連項目

経歴

湖南省長沙市に生まれる。明王朝の開祖朱元璋19世の子孫(朱元璋の十八男、朱楩の末裔とされる)で堂坡朱氏。父親は朱鎔基が生まれる前に他界し、母親も早くに病没した。そのために苦学して優秀な学業成績から奨学金を得て、1947年清華大学電機製造学科に入学。在学中、学生会の主席を務める。中華人民共和国が建国された1949年10月に中国共産党へ入党する。

1951年、大学を卒業してテクノクラートとして東北人民政府に入り、工業部生産計画室に配属される。その後、同室の副主任となる。翌1952年11月、ソ連方式の計画経済を主導する機関として国家計画委員会が新設され、中央人民政府副主席兼東北人民政府主席の高崗が同委員会主席に就任した。高崗の北京入りにともない、翌月、朱鎔基も中央に呼び寄せられて、同委員会の動燃局に所属し、組長となった。1953年には同委員会総合局に転属し、組長となる。1954年、「高崗・饒漱石事件」が起こり、高崗が失脚したが、朱に累が及ぶことはなかった。1958年には国家計画委員会主任弁公室副処長となったが、毛沢東が発動した大躍進政策を批判したことで、右派の烙印を押されて失脚、国家計画委員会付属学校の教員に左遷された。大躍進政策の破綻を受け、劉少奇鄧小平らが実権を握り、実務官僚を重用して経済再建に乗り出していくと、朱も1962年に「赦免」され、国家計画委員会国民経済総合局の工程師として復帰する。しかし、文化大革命において再び粛清され、1970年に下放、五七幹部学校で労働改造を受ける。

1975年に復帰し、石油化学工業部に配属される。1978年に鄧小平(同年、華国鋒から主導権を奪い、事実上の最高指導者となった)が経済改革を始めると、朱鎔基は名誉回復されて党籍を回復し、中国社会科学院の工業経済研究所に入った。1979年、国家経済委員会に移り、動燃局処長に就任。翌1980年には副局長となっている。1982年5月24日、国家経済委員会委員兼技術改革局長に任命され、1983年8月、国家経済委員会副主任(次官)に昇進。1984年5月、母校の清華大学で新設された経済管理学院の初代院長兼教授となる。同年9月、国家経済委員会党組副書記。

1987年10月、第13期党中央委員会候補委員に選出される。12月に上海市党委員会副書記に任命され、中央から上海へ移る。上海では市党委書記兼市長の江沢民を補佐。江が市党委書記に専念するにともない、1988年4月25日、江の後任として上海市長に就任。当時、党総書記だった趙紫陽が後に口述したところによると、これらの人事は趙の後押しによってなされたという。

1989年6月4日第二次天安門事件が勃発。朱鎔基は、党総書記候補として北京にいた江沢民に代わって上海市を取り仕切り、「中共上海市委員会、上海市人民政府の全市共産党員、市民に告げる書」から反革命動乱という表現を削除させ、市民の正常な生活と労働の権利を守るとした。8日、テレビ演説で「歴史的事実は誰も隠せない。事実の真相はやがて明らかになるだろう」と宣言、上海市を流血事件から回避させた。8月、江沢民の後任の上海市党委書記に昇進し、浦東新区の発展や外資導入と汚職の取り締まりに辣腕を振るう。

鄧小平は朱鎔基の行政能力と実行力を評価し、1991年4月8日の第7期全国人民代表大会第4回会議で国務院副総理に、1992年の第14回党大会において三階級特進で中央政治局常務委員に抜擢した。

1993年3月29日李鵬に代わって総理就任が予想されるなか、序列1位の国務院副総理(第一副首相)に任命され、経済を担当した。朱鎔基の経済政策に期待されたことは改革開放の推進と経済の高成長の持続であったが、一方でこの頃から顕著になってきた「経済過熱」を冷却し、物価上昇の抑制を図ることも求められた。朱は経済成長を維持するために外資導入を奨励し、健全な国債を大量に発行する一方、地方が乱発する不良債権の抑制・整理に着手、地方政府や国有企業に対して投資を控えさせた。さらに銀行改革にも乗り出し、7月2日、李貴鮮中国人民銀行行長を解任して自ら兼務し、乱発される債券の発行、無担保の銀行融資などを強く取り締まって、「過熱経済」の軟着陸を図った。

1997年9月の第15期党中央委員会第1回全体会議(第15期1中全会)で政治局常務委員に再任され、1998年3月17日、国務院総理に就任した。朱鎔基は前年の全国金融工作会議と中央経済工作会議で表明した国有企業改革・金融改革・政府機構改革を、「2000年までに実現すべき三大改革」と位置づけて、経済改革と国務院改革に着手した。朱は経済の開放政策をさらに加速させることで外資を取り込み、また「外圧」を利用して改革を推進しようと考えた。2001年11月には、中国の世界貿易機関加盟を実現させた。同年3月の全人代において朱は政府報告を行い、「国有企業改革の達成目標は基本的に実現し、金融改革の歩調は速まっている」と改革の成果を主張している。ただし、国有企業改革で多くの失業者を出したことなどについては批判も多かった。一方の政府機構改革では、国務院の省庁再編を行うとともに、汚職に対して厳しく臨んだ。遠華密輸事件はその内の1つである。

2002年11月に中央委員から退き、翌年3月には国務院総理を退任して政界から引退し、母校の清華大学で経済管理学院顧問委員会の名誉主席などを務めている。

評価

朱鎔基は清廉で決断力と指導力に富む政治家であり、その大胆な経済改革は国内外から高く評価されている。その豪腕と中国王朝の皇帝の後裔という出自から「経済沙皇」(英語: Economic Czar)とメディアから呼ばれた。直截的な発言家で、形式主義を嫌い、政敵を作ってでも必要な経済改革を推進するという強い意志の持ち主であり、中国国内では畏敬の念を持たれ「朱鎔基が怖れるのは妻の労安さんだけ」といわれた。「中国のゴルバチョフ」とも評される一方で政治面では共産党の独裁を堅持する保守派としての顔も世界に見せ、民主活動家から批判を受けた。

「当代中国きっての高官」と謳われ、「中国経済改革の旗手」を自他ともに任じた朱鎔基ではあるが、彼を「中国国内で蔓延する腐敗と汚職・環境破壊を招いた張本人」と否定的に評価する論者もいる。朱鎔基は総理就任の際、「赤字国有企業問題を3年以内に解決する」と表明し、鉄道や基幹産業以外の国有企業の大部分を民間に払い下げたが、その売却先は、共産党幹部の縁故者のみに限定され、太子党の有力幹部の子弟たちには破格の安値で払い下げられた。中国の国民の共有の財産であった国有企業が、ごく一部の人間に二束三文で売り払われ、中華人民共和国建国時の理念から大きく逸脱したことになる。その代償として、労働者4000万人が突如解雇され、補償も与えられず、さらに国有企業がなくなったことで、医療保険、住宅手当、その他福利厚生の一切合財が消滅した。さらに民間への払い下げの促進のため、朱鎔基は国有企業に38パーセントという法外な税率を課し、外資を呼び込むために外国との合弁企業には税金を免除した。さらに金融・通信・鉄道などの基幹産業企業以外には一切の融資を禁止したことで国有企業は次々に経営不振となり、民間に払い下げられた。こうして出てきたのが、中国で栄華の限りを尽くす「新富人」と4000万人の中高年失業者であり、朱鎔基の政策が中国の貧富の格差と失業者問題を引き起こしたとする見解もある。

エピソード

脚注

  1. ^ 乃朱元璋后裔 (组图)【19】&news_url=/n/2012/0720/c1053-18564246.html 揭朱镕基传奇身世之谜:乱世孤儿 乃朱元璋后裔
  2. ^ 天児慧『巨龍の胎動 毛沢東VS鄧小平』<中国の歴史11>(講談社、2004年)、306ページ。
  3. ^ 朱鎔基は1987年10月の第13回党大会で中央候補委員に選ばれた。当時の中央委員は175人、中央候補委員は110人で、序列91位の候補委員(得票順)である朱鎔基は中央委員会全体の序列では266位。1991年に副総理に、1992年の第14回党大会で中央委員に選出され、その直後の第14期1中全会で政治局常務委員に就任し、三階級特進を果たした。曽慶紅が政治局候補委員(第15期)から政治局常務委員(第16期)に二段跳びしたことはあるが、三段跳びは珍しい。
  4. ^ http://www.npc.gov.cn/wxzl/gongbao/2000-12/28/content_5002917.htm 中華人民共和国主席令(八届第2号)(中国語)
  5. ^ 天児慧、前掲書、309ページ。
  6. ^ 天児慧、前掲書、311ページ。
  7. ^ 天児慧、前掲書、316ページ。
  8. ^ 清华大学经济管理学院-顾问委员会名单”. 清華大学経済管理学院. 2017年11月24日閲覧。
  9. ^ “(2)朱镕基:我不喜欢"沙皇"这个词 我的职务叫"副总理" (6)”. 人民網. (2009年9月3日). http://book.people.com.cn/GB/108221/9981849.html 2018年3月13日閲覧。
  10. ^ “China's economic czar heads to Africa”. UPI. (2009年9月3日). https://www.upi.com/Archives/1995/07/17/Chinas-economic-czar-heads-to-Africa/4759805953600/ 2018年3月13日閲覧。
  11. ^ 陳惠運・野村旗守共著『中国は崩壊しない ― 毛沢東(ビッグブラザー)が生きている限り ― 』(文藝春秋社、2010年)、156ページ。
  12. ^ 陳惠運・野村旗守、前掲書、156 - 158ページ。
  13. ^ “朱鎔基中国国務院総理夫妻訪日日程”. 外務省. (2000年10月17日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_00/c_shu_gh.html 2017年10月15日閲覧。
  14. ^ 清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』(文藝春秋社〈文春新書〉)

関連項目

中華人民共和国
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【典拠管理】

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出典:wikipedia
2018/06/22 21:51

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