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杉山光平とは?
【基本情報】
【国籍】
日本
【出身地】
静岡県静岡市
【生年月日】
(1927-08-07) 1927年8月7日(92歳)
【身長
体重】
173 cm
70 kg
【選手情報】
【投球・打席】
左投左打
【ポジション】
一塁手、
外野手
【プロ入り】
1952年
【初出場】
1952年3月21日
【最終出場】
1966年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
| 選手歴
コーチ歴
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。シーズン154試合出場は飯田徳治、佐々木信也と共に日本タイ記録。
経歴
プロ入り前
静岡商業から静岡師範、専修大を経て、1952年に近鉄パールスに入団。本格的に野球を始めたのは専修大に入ってからで、それまではテニスをしていたという変わり種である。
現役時代
近鉄時代は芥田武夫監督と確執があり不遇をかこった。打撃理論が合わず、キャンプ中に論争した挙句、荷物をまとめて家に帰ってしまったという。
しかし、山本一人がその素材に惚れ込み、1954年オフに南海への移籍を打診。近鉄は、同じく大阪の球団である南海への直接の移籍には難色を示したが、いったん高橋ユニオンズへ移籍し、高橋から南海へ譲ってもらう形で南海へ移籍した。いわゆる「三角トレード」である。
1955年、新天地の南海で、杉山は打率.278(リーグ19位)、16本塁打、90打点をマークし、チーム最高打点を挙げた。この年は、一塁手として、ベストナインも獲得した。
翌1956年からは、外野手としてプレー。同年には打率.303(リーグ4位)、93打点をマークし、この年もベストナインを獲得。1958年は打率.299(リーグ5位)。1959年には、打率.323をマークし、首位打者に輝き、2年連続4回目のベストナインも受賞する。
1961年も打率.321(リーグ4位)と好成績を残すが、同年オフに阪急ブレーブスへ移籍。当時の南海は、ベテランを他球団にトレードすることがよく行われていたが、これは、ベテランが衰える前に年俸が上がるようにとの温情で資金豊富な球団に放出したものともされている。尚、鶴岡一人は杉山の移籍について「(1961年に)チームは(公式戦には)勝つことは勝ったけれども、チームは改造をほどこすべき時期にきている。世間から批判を受けた杉山君などのトレードも、こうした構想にもとづいてなされたものであった」と語っている。
阪急時代は成績は低迷し、1964年に南海へ復帰。阪急でユニフォームを脱ぐ決意をしていたのを、鶴岡監督と、南海ファンの作家・藤沢桓夫がヒザづめで口説き落としたという。打撃コーチ兼任となった1966年に引退し、翌1967年までコーチを務めた。
引退後
京都市内で鳥料理店「すぎ春」を経営していたが、現在は閉店されている。
選手としての特徴・逸話
打撃
打席で、ゴルフの様にバットのヘッドを地面に向けて垂らした構えで立ち、そこから投球に合わせて通常の打撃フォームに戻し、さらにゆらりと前後に何度か動かしてタイミングを取る独特の打法で、当時流行の時代劇「眠狂四郎」の「円月殺法」にちなんで「円月打法」と呼ばれ、ファンからも人気を博した。
首位打者を獲得した1959年の夏、北海道遠征のとき、杉浦忠の友人が経営するスポーツ用具店に出向いたとき、店内の商品ではなく、倉庫の片隅にあった1本の古いバットを手にすると、「気に入った、ゆずってくれ」と持ち帰った。その後、試合で安打を量産する杉山のバットをチームメイトが確かめたところ、なんと曲がっていたという。
広瀬叔功は、「とにかくチャンスに強かった。好機に打順が回るとノムやん(野村克也)より凄みのあるバッティングをした」と述懐している。
南海とパ・リーグの覇を争った西鉄ライオンズの中軸で同期入団の中西太は、杉山について、「職人芸のバッター」「勝負師」「しのぎを削ったバッターの中では秀逸な、特異な存在だった」と語っている。
その他
水島新司の漫画「あぶさん」では、福岡ダイエーホークスに所属する同名の架空選手が、景浦安武の後輩として登場している。
詳細情報
年度別打撃成績
【年
度】
【球
団】
【試
合】
【打
席】
【打
数】
【得
点】
【安
打】
【二
塁
打】
【三
塁
打】
【本
塁
打】
【塁
打】
【打
点】
【盗
塁】
【盗
塁
死】
【犠
打】
【犠
飛】
【四
球】
【敬
遠】
【死
球】
【三
振】
【併
殺
打】
【打
率】
【出
塁
率】
【長
打
率】
O P S
|
1952 | 近鉄 | 53 | 182 | 174 | 24 | 51 | 8 | 5 | 3 | 78 | 17 | 0 | 2 | 1 | -- | 5 | -- | 2 | 24 | 4 | .293 | .320 | .448 | .769
1953 | 93 | 319 | 301 | 24 | 74 | 6 | 5 | 5 | 105 | 31 | 5 | 6 | 3 | -- | 12 | -- | 3 | 25 | 3 | .246 | .282 | .349 | .630
1954 | 8 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000
1955 | 南海 | 140 | 554 | 521 | 70 | 145 | 22 | 5 | 16 | 225 | 90 | 15 | 10 | 3 | 4 | 23 | 1 | 3 | 33 | 7 | .278 | .313 | .432 | .744
1956 | 154 | 617 | 564 | 72 | 171 | 28 | 5 | 12 | 245 | 93 | 14 | 5 | 1 | 8 | 40 | 10 | 4 | 42 | 8 | .303 | .354 | .434 | .788
1957 | 84 | 278 | 255 | 30 | 69 | 9 | 0 | 0 | 78 | 19 | 6 | 2 | 1 | 2 | 20 | 0 | 0 | 28 | 2 | .271 | .324 | .306 | .630
1958 | 125 | 502 | 451 | 56 | 135 | 19 | 3 | 4 | 172 | 54 | 8 | 2 | 11 | 2 | 34 | 2 | 4 | 45 | 7 | .299 | .354 | .381 | .735
1959 | 115 | 451 | 418 | 67 | 135 | 20 | 7 | 9 | 196 | 67 | 5 | 2 | 4 | 3 | 25 | 3 | 1 | 38 | 3 | .323 | .363 | .469 | .832
1960 | 106 | 367 | 337 | 28 | 83 | 14 | 0 | 4 | 109 | 40 | 3 | 1 | 4 | 4 | 20 | 1 | 2 | 28 | 6 | .246 | .292 | .323 | .616
1961 | 130 | 475 | 421 | 66 | 135 | 21 | 4 | 15 | 209 | 76 | 1 | 5 | 3 | 3 | 43 | 2 | 5 | 37 | 11 | .321 | .390 | .496 | .887
1962 | 阪急 | 122 | 456 | 412 | 36 | 105 | 17 | 1 | 3 | 133 | 62 | 9 | 3 | 1 | 9 | 32 | 9 | 2 | 31 | 10 | .255 | .312 | .323 | .634
1963 | 113 | 296 | 263 | 19 | 63 | 11 | 2 | 6 | 96 | 47 | 0 | 4 | 0 | 2 | 26 | 2 | 5 | 26 | 9 | .240 | .320 | .365 | .685
1964 | 南海 | 120 | 358 | 314 | 35 | 82 | 9 | 2 | 4 | 107 | 41 | 1 | 0 | 3 | 4 | 32 | 2 | 5 | 10 | 9 | .261 | .339 | .341 | .680
1965 | 48 | 100 | 95 | 5 | 18 | 2 | 0 | 2 | 26 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 7 | 3 | .189 | .230 | .274 | .504
1966 | 74 | 154 | 146 | 15 | 39 | 5 | 0 | 5 | 59 | 22 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6 | 1 | 0 | 13 | 4 | .267 | .296 | .404 | .700
通算:15年
|
1485 | 5117 | 4680 | 547 | 1305 | 191 | 39 | 88 | 1838 | 675 | 67 | 42 | 36 | 42 | 322 | 34 | 37 | 387 | 87 | .279 | .330 | .393 | .723
- 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高
タイトル
表彰
記録
- 節目の記録
- 1000試合出場:1961年9月27日 ※史上66人目
- その他の記録
背番号
-
2 (1952年 - 1954年)
-
29 (1955年 - 1961年、1964年 - 1966年)
-
25 (1962年 - 1963年)
-
65 (1967年)
脚注
- ^ 「南海ホークス栄光の歴史 1938-1988年」ベースボールマガジン社 2012年
-
^ 日本野球機構 |歴代最高記録
- ^ 広瀬叔功「南海ホークス ナンバ 栄光と哀しみの故郷」ベースボールマガジン社 2014年
-
^ 「南海ホークス40年史」株式会社南海ホークス 1978年
- ^ 鶴岡一人「鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史」恒文社 1977年
- ^ 「日本プロ野球偉人伝5 1959-1964 「長嶋時代」の74人」ベースボールマガジン社 2013年
- ^ 「さらば!南海ホークス」ベースボールマガジン社 1988年
-
^ HAWKS the 70th―ホークス栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2008年、P88
-
^ 「南海ホークス50年 栄光の歴史」
-
^ 日外アソシエイツ刊「日本スポーツ事典トピックス1964-2005」333ページ
関連項目
外部リンク
業績
|
日本シリーズ優秀選手 |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
1980年代 | 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
1990年代 | 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
2000年代 | 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
2010年代 | 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濱口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
パシフィック・リーグ首位打者 |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
1980年代 |
1990年代 |
2000年代 |
2010年代 |
パシフィック・リーグ ベストナイン(一塁手) |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
1980年代 |
1990年代 |
2000年代 |
2010年代 |
パシフィック・リーグ ベストナイン(外野手) |
1950年代 |
出典:wikipedia
2019/12/02 19:44
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