このキーワード
友達に教える
URLをコピー

李萬洙とは?

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2018年12月)
李 萬洙 (イ・マンス)
Lee, Man-Soo
【基本情報】

【国籍】
大韓民国
【出身地】
江原道鉄原郡
【生年月日】
(1958-09-19) 1958年9月19日(61歳)
【身長
体重】
175 cm
82 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
捕手
【プロ入り】
1982年
【初出場】
1982年3月27日
【最終出場】
1997年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴


この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


【イ・マンス】

【各種表記】

ハングル: 이만수
漢字: 李萬洙
【発音:】
イマンス
英語表記: Lee Man-Soo

李 萬洙(イ・マンス、朝鮮語: 이만수1958年9月19日 - )は、大韓民国の元プロ野球選手、プロ野球指導者。

韓国プロ野球の草創期にサムスン・ライオンズの主力打者として活躍。また1984年には韓国球界初の三冠王を達成した。

経歴・選手としての特徴

軍人だった父が江原道に赴任中に鉄原郡で生まれ、大邱市で育った。大邱商業高校、漢陽大学校を経て1982年に三星ライオンズに入団。

プロ入り後は個々の選手にプロとしての意識が確立されなかった草創期の韓国プロ野球で、徹底的な自己管理で大卒でありながら現役生活を三星一筋で16年続け、通算252本塁打、861打点を記録した。 チームと地元大邱を代表する看板選手として、多大な功績により選手時代の背番号22番が三星ライオンズの永久欠番となっている。正式に永久欠番が決定される前も準永久欠番となっており、引退後もその背番号を引き継ぐ選手はなく、三星ライオンズの歴史で22番をつけた選手は彼だけである。

本塁打記録は1999年に張鍾勲に破られるまで韓国記録として残り、「韓国のベーブ・ルース」とも呼ばれた。韓国プロ野球最初の公式戦の1回表には3ラン本塁打を放ち、韓国プロ野球公式戦第1号本塁打、第1号打点も記録した。1983年には、最多本塁打のタイトルでKBOのシーズンMVPを受賞。 その翌年の1984年には打率.340、23本塁打、80打点を記録し、打撃三冠王となった。しかし、この年のMVP投票では、三星が韓国シリーズでロッテ・ジャイアンツとの対戦するために直接対戦で勝たせ試合と疑われる拙戦を繰り広げたことと、タイトルを取らせるために当時首位打者を争っていたロッテの洪文宗を味方投手陣が9打席連続で歩かせるなどをしたことが加わり、チーム全体として投票する記者に悪い印象を与えた。さらに、当の韓国シリーズでも、チームがロッテのエース、崔東原の力投の前に敗れた。結果、その年のシーズンMVPは公式戦27勝、シリーズ4勝の崔東源が獲得した。この打撃三冠のタイトルは2006年、ロッテ・ジャイアンツの李大浩が達成するまで韓国プロ野球史上唯一の記録であった。

攻撃では主軸打者として多大な貢献を重ねたが、守備では捕手として、やや重いフットワークと送球の悪さで、盗塁阻止は上手い方ではなかった。このため、1980年代の韓国シリーズで足でかき回す相手の戦略を防げることができず、毎度敗退する原因の一つとしてあげられ、批判が噴出した。 なお、ゴールデングラブ賞は5度受賞しているが、韓国におけるゴールデングラブ賞はメジャーリーグベースボールシルバースラッガー賞日本プロ野球ベストナインに近い扱いであるため、攻撃面での活躍を評価されたものである。

引退後

1997年に引退して渡米、クリーブランド・インディアンスのマイナーリーグのシングルAチームキンストン・インディアンスのコーチを歴任したのちに、シカゴ・ホワイトソックス傘下のAAAチームのシャーロット・ナイツを経て、2000年から2006年までMLB シカゴ・ホワイトソックスのブルペンキャッチャーを務めた。2005年にホワイトソックスはワールドシリーズを制覇しているが、この際にコーチング・スタッフとしてチャンピオンリングを受け取っている。

2007年からは韓国に帰国し、 SKワイバーンズのヘッドコーチに就任した。2007年シーズン途中、チームが快進撃を繰り広げているにも、中々スタンドが満員にならないことを嘆いて(SKワイバーンズのホームである文鶴野球場の受容人員は30,480人)、「これからホームで開かれる10試合で1試合でも球場が満員になったらパンツ一枚の裸でグラウンドを一周する」と公言。その10試合目で、満員が記録されると約束どおりパンツ一枚の姿でグラウンドを一周するパフォーマンスを披露して話題を呼んだ。

2010年シーズン、一時期1軍ヘッドコーチから2軍監督に配置転換された。2011年シーズンは当初1軍ヘッドコーチだったが、開幕後2軍監督にまた配置転換され、8月18日金星根監督の解任により、1軍監督代行に就任した。公式戦は3位で終えたが、ポストシーズンの準プレーオフで起亜、プレーオフでロッテをやぶり、韓国シリーズまで進出した手腕を評価され、シーズン終了後の11月1日、SKの第4代監督に就任した。2012年は韓国シリーズに出場したが、2013年6位、2014年5位と上位に進出できなかったため、契約期間3年が終了した2014年シーズン限りで退任となった。退任後はラオスでの野球普及などの慈善事業に携わり、2015年より韓国でプロ野球中継のゲスト解説として出演しつつ、KBOリーグ育成委員会副委員長を務めている。

サムスンでの背番号22はチームの永久欠番となっている。チームを去って10年以上経った現在も地元大邱を代表するスター選手として、人気は未だ衰えることがない。宣銅烈がサムスンの監督に就任し、2010年末に辞任するまでに韓国シリーズで2度の優勝と結果を出したが、それでも李萬洙が監督としてサムスンに復帰することを望む地元ファンの数も少なくなかった。

詳細情報

年度別打撃成績





|























































O
P
S

1982 | サムスン | 78 | 270 | 46 | 78 | 16 | 1 | 13 | 51 | 6 | 2 | 46 | 4 | 27 | 13 | 5 | .289 | .500 | .400 | .900
1983 | 98 | 357 | 53 | 105 | 12 | 0 | 27 | 74 | 0 | 3 | 41 | 8 | 51 | 11 | 9 | .294 | .555 | .379 | .934
1984 | 89 | 300 | 45 | 102 | 17 | 1 | 23 | 80 | 3 | 8 | 26 | 12 | 37 | 10 | 1 | .340 | .633 | .398 | 1.031
1985 | 103 | 357 | 63 | 115 | 19 | 2 | 22 | 87 | 7 | 9 | 42 | 14 | 37 | 13 | 7 | .322 | .571 | .414 | .985
1986 | 59 | 212 | 31 | 68 | 8 | 0 | 16 | 39 | 1 | 0 | 21 | 6 | 20 | 7 | 5 | .321 | .585 | .397 | .982
1987 | 85 | 299 | 56 | 103 | 14 | 1 | 18 | 76 | 6 | 2 | 47 | 4 | 23 | 16 | 3 | .344 | .579 | .440 | 1.019
1988 | 86 | 285 | 47 | 92 | 13 | 0 | 18 | 58 | 6 | 3 | 41 | 7 | 22 | 8 | 2 | .323 | .558 | .450 | 1.008
1989 | 110 | 359 | 55 | 102 | 11 | 0 | 20 | 64 | 4 | 5 | 42 | 10 | 48 | 12 | 5 | .284 | .482 | .341 | .823
1990 | 110 | 359 | 50 | 103 | 13 | 0 | 26 | 57 | 3 | 4 | 54 | 5 | 37 | 16 | 6 | .272 | .540 | .388 | .928
1991 | 118 | 378 | 51 | 120 | 18 | 0 | 17 | 74 | 6 | 2 | 56 | 8 | 27 | 7 | 4 | .317 | .500 | .416 | .916
1992 | 93 | 305 | 50 | 88 | 11 | 0 | 22 | 70 | 7 | 3 | 48 | 12 | 41 | 8 | 9 | .289 | .541 | .405 | .946
1993 | 78 | 193 | 21 | 40 | 3 | 1 | 5 | 20 | 0 | 2 | 21 | 3 | 23 | 8 | 2 | .207 | .311 | .295 | .606
1994 | 109 | 233 | 24 | 59 | 14 | 0 | 12 | 37 | 0 | 2 | 28 | 5 | 42 | 5 | 2 | .253 | .468 | .346 | .814
1995 | 97 | 158 | 17 | 34 | 10 | 0 | 5 | 27 | 1 | 0 | 24 | 8 | 20 | 1 | 1 | .215 | .373 | .347 | .720
1996 | 97 | 193 | 14 | 55 | 12 | 1 | 6 | 38 | 2 | 2 | 14 | 10 | 25 | 5 | 0 | .285 | .451 | .364 | .815
1997 | 39 | 52 | 2 | 12 | 2 | 0 | 2 | 9 | 0 | 0 | 3 | 2 | 10 | 0 | 0 | .231 | .385 | .298 | .683
通算:16年 1449 | 4310 | 625 | 1276 | 193 | 7 | 252 | 861 | 52 | 47 | 554 | 118 | 490 | 140 | 61 | .296 | .519 | .391 | .910

獲得タイトル・受賞経歴

サムスン・ライオンズ永久欠番である李萬洙の背番号22

背番号

脚注

注釈

  1. ^ なお、1982年に始まった韓国プロ野球創設時の選手の中で最後まで現役を続けた。

出典

外部リンク

シカゴ・ホワイトソックス 2005年のワールドシリーズ ロースター
 | 

選手
01 ウィリー・ハリス
05 フアン・ウリーベ
07 ティモ・ペレス
08 カール・エバレット
12 A.J.ピアジンスキー
14 ポール・コネルコ
15 井口資仁
18 クリフ・ポリート
20 ジョン・ガーランド
22 スコット・ポドセドニック
23 ジャーメイン・ダイ(シリーズMVP)
24 ジョー・クリーディ

 | 

26 オーランド・ヘルナンデス
27 ジェフ・ブラム
32 ダスティン・ハーマンソン
33 アーロン・ローワンド
34 フレディ・ガルシア
36 クリス・ウィジャー
38 パブロ・オズーナ
43 ダマソ・マルテ
45 ボビー・ジェンクス
46 ニール・コッツ
51 ルイス・ビスカイーノ
52 ホセ・コントレラス
56 マーク・バーリー

 | 

監督
13 オジー・ギーエン

コーチ
03 ハロルド・ベインズ(ベンチ)
21 ドン・クーパー(投手)
28 ジョーイ・コーラ(三塁)
29 グレッグ・ウォーカー(打撃)
30 ティム・レインズ(一塁)
53 アート・カッシュナー(ブルペン)




SKワイバーンズ監督 2012-2014(2011途中から終了まで代行)


業績
韓国野球委員会MVP
【1980年代】

【1990年代】

【2000年代】

【2010年代】


韓国野球委員会ゴールデングラブ(捕手)
【1980年代】

【1990年代】
  • 90 金東洙
  • 91 張彩根
  • 92 張彩根
  • 93 金東洙
  • 94 金東洙
  • 95 金東洙
  • 96 朴勍完
  • 97 金東洙
  • 98 朴勍完
  • 99 金東洙

【2000年代】

【2010年代】


韓国野球委員会首位打者
【1980年代】

【1990年代】

【2000年代】

【2010年代】


韓国野球委員会本塁打王
【1980年代】

【1990年代】

【2000年代】

【2010年代】


韓国野球委員会打点王
【1980年代】

【1990年代】

【2000年代】

【2010年代】



・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/08/14 05:31

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「李萬洙」の意味を投稿しよう
「李萬洙」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

李萬洙スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「李萬洙」のスレッドを作成する
李萬洙の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail