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村田真一とは?


コーチ歴

  • 読売ジャイアンツ (2002 - 2003, 2006 - 2018)

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


村田 真一(むらた しんいち、1963年12月5日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ

愛称は「チュウ」(練習で泥だらけになった姿から「ドブネズミ」と呼ばれ、そこからネズミの鳴き声である「チュウ」となった)「カルビ」(ズムサタのコーナーで度々カルビと連呼していたことからファンからカルビと呼ばれるようになった)。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 現役時代
    • 1.3 引退後
  • 2 詳細情報
    • 2.1 年度別打撃成績
    • 2.2 年度別守備成績
    • 2.3 表彰
    • 2.4 記録
    • 2.5 背番号
  • 3 脚注
  • 4 参考文献
  • 5 関連項目
  • 6 外部リンク

経歴

プロ入り前

小学5年から野球を始める。本人は嫌がったが6年から中学、高校でも捕手を任され、滝川高校では強打の捕手として知られる。高校時代、遠征試合で後にチームメイトとなる川相昌弘と顔を合わせている。

1981年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから5位指名を受けて入団。同期入団選手には槙原寛己山本幸二吉村禎章がおり、「この3人には負けたくない」と思っていたという。

現役時代

1年目の1982年、一軍の捕手が病気になったため村田が代わりに昇格するが、当時は山倉和博が全盛期だったことと、基本的に二軍の正捕手を上げると試合が成り立たないという理由から出番に恵まれなかった。3年目の1984年に一軍で初出場するが、右肩を痛めたこともあり、一軍と二軍を往復した。この間、有田修三中尾孝義といった他球団から実績のあるベテラン捕手が入団したこともあり、出番は少なかった。一時は一塁手に転向するという話も出たが、捕手に拘りたいとの理由で断った。4年目の1985年、肩の痛みが限界に達し各地の医者を訪ねるが原因が判らず野球を辞めようと思っていた頃、二軍監督だった須藤豊の勧めでアメリカに渡り手術を受ける。

1990年に正捕手の座を掴みチームの連覇に貢献し、ベストナインを獲得する活躍を見せた。特にこの頃は左投手と「甲子園の阪神戦」に強く、1990~1992年の3年間、33本塁打のうち24本塁打を左投手から放ち、阪神甲子園球場での阪神戦では72打数27安打、打率.375 6本塁打と打ちまくった(なお、東京ドームでの阪神戦は62打数16安打、打率.258 3本塁打)。1992年はシーズン途中に中尾との交換トレード西武ライオンズから移籍してきた大久保博元に正捕手の座を奪われ、34試合出場に留まった。1993年は正捕手の座に返り咲くことに成功。1994年5月18日の対広島戦では槙原とのバッテリーで完全試合を達成。6回あたりから誰も槙原に声をかけなくなったが、仲の良かった村田は無理だと思いつつ「狙ってみろよ」と言っていたという。

1991年8月13日の対大洋戦で1試合8盗塁を許すなど肩は弱かった。また、例えリード通りの球が来なくて打たれても、投手の責任にせず「私の責任です」と常に言う捕手であった。宮本和知の著書である『プロ野球超プレイ笑プレイ』ではその人柄を絶賛され、「当時のエース達もここぞという試合では、信頼できる村田さんを女房役に指名することが多かった」と語られている。

一方で、死球を受けて負傷する事も非常に多かった。1994年5月11日のヤクルト戦で西村龍次から頭部へ死球を受け、激昂し西村へ詰め寄ろうとしたが数歩歩いた所で倒れ込み、担架で退場、そのまま病院へ送られる。この後西村への報復死球、ダン・グラッデンへのビーンボールなどでたて続けに大乱闘が起こり、この事が危険球退場ルールが作られるきっかけとなったと言われている。

1999年4月9日には、斎藤隆(当時・横浜)から顔面に死球を受け、横浜の捕手のポジションについていた谷繁元信によると、倒れた村田は「シゲ、信じているからな」と言ったという。顔面骨折で入院した村田は早く治すために、リスクは少ないが全快には時間がかかる全身麻酔をかけて形成手術まで施すことではなく、激痛が伴う局部麻酔で骨折治療のみの手術を行うことを選択した。この時は「おれ、顔は売り物じゃないから」と語ったが、さすがに顔の骨をドリルで削る音や局部麻酔の効き目を超えた激痛には耐えられず、のちに「(今度やるなら)全身麻酔にしてもらう」と語っている。なお、この後遺症で村田は顔面付近の筋肉の一部を自分の意志で動かすことができなくなったという。

2000年にはリーグ優勝への貢献のみならず、日本シリーズでも優秀選手賞を受賞する活躍を見せて攻守でチームの日本一に大きく貢献したが、2001年には即戦力ルーキーとして阿部慎之助が入団。実質的に阿部の「教育係」となり、出番は激減。同年、斎藤雅樹・槙原とともに現役を引退。

スター選手の多い巨人では地味な存在で、通算11年間正捕手を務めながら、前述の有田・中尾・大久保の移籍組のほか、吉原孝介村田善則杉山直輝といった生え抜きのライバルが多く、規定打席に到達したことは1回もなかった。しかし投手陣からの絶大な信頼、安定したリード、打率こそ低いもののパンチの効いた打撃を武器に2000年までマスクを被り、第2次長嶋政権の中心となった。この間チームは1994年、1996年、2000年の3回リーグ優勝し、1994年、2000年は日本一になった。2000年の日本シリーズでは優秀選手にも選出されている。日本プロ野球史上、規定打席に到達せずに年俸1億円プレイヤーとなった野手の第1号である。捕手としての出場試合数「1087」は森祇晶、阿部慎之助、山倉和博に続く歴代4位の球団記録である。

引退後

2002年から2003年まではバッテリーコーチを務めた後、2004年からはテレビ朝日スポーツ報知の解説者を務めた。テレビ朝日では主にバックネット裏からの解説を担当し、関西の系列局朝日放送(ABCテレビ)における全国ネットの阪神タイガース対巨人戦中継でも、基本的に自社の解説者しか使わない方針であるが、巨人OBで関西人ということが買われて解説に起用されることがあった。

2006年から2007年までは再びバッテリーコーチを務めた。2008年からは、もともと打撃優先型捕手だった経験を買われ、打撃コーチを務め、2011年は再度バッテリーコーチへ就任した。バッテリーコーチとしては、投手をリードするにあたって必要以上に裏をかくようなことはせず、投手の特性を把握・依存し、長所を最大限に生かすリードを教えていた。2012年からは再び打撃コーチを務める。2014年5月20日の埼玉西武ライオンズ戦からバッテリーコーチの役割を兼任する。監督の原辰徳は「コーチそのものは全く変わっていない。チームが勝つためという中で、配置を変えたところがあるということ」と説明した。2015年は一軍総合コーチ、2016年シーズンより監督が高橋由伸に替わり、同年から2017年までは一軍ヘッドコーチ。2018年は一軍ヘッド兼バッテリーコーチ。2018年10月22日、高橋監督の辞任の後を追う形でコーチ退任が発表された。

コーチとしての能力を疑問視する声は少なくなく、巨人OBの黒江透修は村田のコーチとしての能力を酷評したことがあるほか、角盈男も疑問視する発言をしている。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1984 | 巨人 | 17 | 41 | 40 | 7 | 9 | 3 | 1 | 2 | 20 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | .225 | .220 | .500 | .720
1988 | 25 | 34 | 33 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 2 | .152 | .152 | .182 | .333
1989 | 12 | 31 | 29 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 7 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 10 | 1 | .138 | .167 | .241 | .408
1990 | 84 | 243 | 209 | 23 | 57 | 15 | 1 | 13 | 113 | 44 | 0 | 1 | 0 | 4 | 29 | 5 | 1 | 63 | 5 | .273 | .358 | .541 | .899
1991 | 111 | 369 | 320 | 43 | 79 | 18 | 0 | 17 | 148 | 42 | 1 | 0 | 3 | 3 | 40 | 8 | 3 | 88 | 14 | .247 | .333 | .463 | .796
1992 | 34 | 92 | 86 | 9 | 20 | 6 | 0 | 3 | 35 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 28 | 0 | .233 | .283 | .407 | .690
1993 | 88 | 283 | 258 | 23 | 61 | 13 | 0 | 6 | 92 | 28 | 0 | 3 | 2 | 0 | 21 | 6 | 2 | 61 | 10 | .236 | .299 | .357 | .656
1994 | 120 | 380 | 330 | 29 | 82 | 12 | 0 | 10 | 124 | 41 | 1 | 1 | 5 | 3 | 36 | 2 | 6 | 88 | 5 | .248 | .331 | .376 | .706
1995 | 116 | 387 | 339 | 29 | 90 | 16 | 0 | 13 | 145 | 38 | 0 | 0 | 6 | 1 | 38 | 7 | 3 | 77 | 12 | .265 | .344 | .428 | .772
1996 | 99 | 305 | 265 | 15 | 55 | 14 | 2 | 5 | 88 | 26 | 0 | 0 | 9 | 2 | 26 | 5 | 3 | 62 | 8 | .208 | .284 | .332 | .616
1997 | 75 | 148 | 128 | 9 | 21 | 5 | 0 | 1 | 29 | 6 | 0 | 0 | 1 | 0 | 17 | 4 | 2 | 32 | 4 | .164 | .272 | .227 | .499
1998 | 107 | 339 | 298 | 26 | 80 | 9 | 1 | 7 | 112 | 47 | 0 | 0 | 5 | 5 | 29 | 8 | 2 | 60 | 11 | .268 | .332 | .376 | .708
1999 | 91 | 277 | 237 | 23 | 49 | 5 | 0 | 9 | 81 | 28 | 0 | 0 | 7 | 5 | 24 | 1 | 4 | 53 | 6 | .207 | .285 | .342 | .627
2000 | 101 | 252 | 225 | 17 | 46 | 7 | 0 | 7 | 74 | 34 | 0 | 0 | 9 | 1 | 15 | 2 | 2 | 65 | 5 | .204 | .259 | .329 | .588
2001 | 54 | 96 | 84 | 6 | 15 | 2 | 0 | 4 | 29 | 14 | 0 | 0 | 2 | 1 | 9 | 2 | 0 | 30 | 1 | .179 | .255 | .345 | .601
NPB:15年 1134 | 3277 | 2881 | 260 | 673 | 126 | 5 | 98 | 1103 | 367 | 2 | 6 | 51 | 26 | 290 | 50 | 29 | 737 | 84 | .234 | .308 | .383 | .690

年度別守備成績

【年度】
【試合】
【企図数】
【許盗塁】
【盗塁刺】
阻止率
1984 | 17 | 16 | 14 | 2 | .125
1988 | 20 | 3 | 3 | 0 | .000
1989 | 11 | 12 | 8 | 4 | .333
1990 | 82 | 36 | 25 | 11 | .306
1991 | 110 | 68 | 57 | 11 | .162
1992 | 27 | 23 | 17 | 6 | .261
1993 | 82 | 52 | 36 | 16 | .308
1994 | 119 | 52 | 34 | 18 | .346
1995 | 115 | 91 | 65 | 26 | .286
1996 | 95 | 54 | 38 | 16 | .296
1997 | 73 | 36 | 27 | 9 | .250
1998 | 106 | 63 | 43 | 20 | .317
1999 | 91 | 55 | 44 | 11 | .200
2000 | 98 | 51 | 38 | 13 | .255
2001 | 41 | 32 | 23 | 9 | .281
通算 1087 | 644 | 472 | 172 | .267

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

脚注

  1. ^ 赤坂英一 (2009), キャッチャーという人生, 講談社 p.13
  2. ^ 『巨人の魂 ジャイアンツOBからの提言』
  3. ^ 赤坂英一 (2009), キャッチャーという人生, 講談社 p.177 - 180
  4. ^ 赤坂英一 (2009), キャッチャーという人生, 講談社 p.6,14,195 - 200,254
  5. ^ https://taishu.jp/articles/-/56594?page=2
  6. ^ https://www.asagei.com/excerpt/82605
  7. ^ https://taishu.jp/articles/-/56040?page=1
  8. ^ https://www.asagei.com/excerpt/82996

参考文献

関連項目

外部リンク

業績
日本シリーズ優秀選手
1950年代 | 

1960年代 | 
  • 1960 近藤和彦
  • 1961 塩原明
  • 1962 岩下光一
  • 1963 王貞治
  • 1964 K.ハドリ
  • 1965 林俊彦
  • 1966 長嶋茂雄
  • 1967 D.スペンサー
  • 1968 柴田勲
  • 1969 足立光宏

  • 1970年代 | 
  • 1970 黒江透修
  • 1971 黒江透修
  • 1972 長嶋茂雄
  • 1973 高田繁
  • 1974 山崎裕之
  • 1975 中沢伸二, 外木場義郎
  • 1976 B.ウイリアムス
  • 1977 福本豊
  • 1978 若松勉
  • 1979 水谷実雄

  • 1980年代 | 
  • 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
  • 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
  • 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
  • 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
  • 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
  • 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
  • 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
  • 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
  • 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
  • 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

  • 1990年代 | 
  • 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
  • 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
  • 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
  • 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
  • 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
  • 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
  • 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
  • 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
  • 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
  • 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

  • 2000年代 | 
  • 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
  • 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
  • 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
  • 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
  • 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
  • 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
  • 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
  • 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
  • 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
  • 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

  • 2010年代 | 
  • 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
  • 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
  • 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
  • 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
  • 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
  • 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
  • 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
  • 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濱口遥大
  • 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃


  • セントラル・リーグ ベストナイン(捕手)
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 土井淳
  • 1961 森昌彦
  • 1962 森昌彦
  • 1963 森昌彦
  • 1964 森昌彦
  • 1965 森昌彦
  • 1966 森昌彦
  • 1967 森昌彦
  • 1968 森昌彦
  • 1969 木俣達彦

  • 1970年代 | 
  • 1970 木俣達彦
  • 1971 木俣達彦
  • 1972 田淵幸一
  • 1973 田淵幸一
  • 1974 田淵幸一
  • 1975 田淵幸一
  • 1976 田淵幸一
  • 1977 木俣達彦
  • 1978 大矢明彦
  • 1979 木俣達彦

  • 1980年代 | 
  • 1980 大矢明彦
  • 1981 山倉和博
  • 1982 中尾孝義
  • 1983 山倉和博
  • 1984 達川光男
  • 1985 八重樫幸雄
  • 1986 達川光男
  • 1987 山倉和博
  • 1988 達川光男
  • 1989 中尾孝義

  • 1990年代 | 
  • 1990 村田真一
  • 1991 古田敦也
  • 1992 古田敦也
  • 1993 古田敦也
  • 1994 西山秀二
  • 1995 古田敦也
  • 1996 西山秀二
  • 1997 古田敦也
  • 1998 谷繁元信
  • 1999 古田敦也

  • 2000年代 | 
  • 2000 古田敦也
  • 2001 古田敦也
  • 2002 阿部慎之助
  • 2003 矢野輝弘
  • 2004 古田敦也
  • 2005 矢野輝弘
  • 2006 矢野輝弘
  • 2007 阿部慎之助
  • 2008 阿部慎之助
  • 2009 阿部慎之助

  • 2010年代 | 
  • 2010 阿部慎之助
  • 2011 阿部慎之助
  • 2012 阿部慎之助
  • 2013 阿部慎之助
  • 2014 阿部慎之助
  • 2015 中村悠平
  • 2016 石原慶幸
  • 2017 會澤翼


  • セントラル・リーグ 最優秀バッテリー賞
    1990年代 | 
    出典:wikipedia
    2018/11/14 20:08

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