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東亜国内航空とは?

(東亜国内航空から転送)
種類
株式会社
【市場情報】
東証JQ 9203
2002年9月24日上場廃止

【略称】
JAS
【本社所在地】
日本
144-0041
東京都大田区羽田空港三丁目5番1号
【設立】
1964年4月15日
業種
空運業
【事業内容】
定期航空運送事業・不定期航空運送事業
航空機・付属品の売買・修理・賃貸業
【代表者】
代表取締役社長 森川實(2003年6月 - 2004年3月)
【資本金】
約615億円(2004年4月1日まで)
【従業員数】
約6,000人(うち乗務員約2,000人/2004年3月31日まで)
【決算期】
3月
【主要株主】
東京急行電鉄株式会社
日本航空株式会社
近畿日本鉄道株式会社
※いずれも2002年10月の日本航空との経営統合以前。
【主要子会社】
日本エアコミューター株式会社
株式会社北海道エアシステム
株式会社ハーレクィンエア
【外部リンク】
日本エアシステム(インターネットアーカイブ)

株式会社日本エアシステム(にほんエアシステム、英語: JAPAN AIR SYSTEM CO.,LTDJAS)は、1971年から2004年まで存在した、日本航空会社である。

会社概要

日本エアシステム本社があった羽田M1ビルおよび整備場(1998年 - 2006年)

日本航空(JAL)全日本空輸(全日空、ANA)と共に、かつての日本の三大航空の一翼を担っていた。1988年までの商号は東亜国内航空(とうあこくないこうくう、英語: Toa Domestic Airlines:TDA)。航空会社コードJAS/JDコールサインはエアシステム (Air System) 。なお、東亜国内航空時代の航空会社コードは TDA/JD、コールサインはトーアドメス (Toa Domes) だった。

2004年4月1日に株式会社日本航空ジャパン(にほんこうくうジャパン)に商号変更し、日本航空ブランドの国内航路会社に転換され、事実上消滅した。そして日本航空ジャパンは2006年10月1日に、株式会社日本航空インターナショナル(現商号は日本航空株式会社)に吸収合併され、名実ともに消滅した。なお、旧日本国内航空の英語名に由来する2レターの航空会社コード「JD」は、中国の新興航空会社、金鹿航空(現・北京首都航空)に転用されている。

日本国内航空時代のロゴ

歴史(日本航空との経営統合以前)

TDA東亜国内航空時代のシンボルマーク「ブラストフラワー」。デザイナーの亀倉雄策が「大空を飛ぶ」イメージからデザインした。 日本エアシステムに商号変更した際には廃止こそされなかったが、虹のロゴマークが中心になり使用されなくなった。

東亜国内航空

東亜国内航空 (Toa Domestic Airlines/TDA) は、東京羽田空港を拠点に幹線と準幹線、ローカル線を運航していた日本国内航空 (JDA) と広島に本社を置き大阪伊丹空港を拠点にローカル線を中心に運航していた東亜航空 (TAW) の2つの航空会社の合併によって1971年5月15日に発足した。存続会社は日本国内航空。

なお、日本国内航空自体も、日東航空(1952年7月4日設立)と富士航空(1952年9月13日設立)、北日本航空(1953年6月30日設立)という地域内ローカル線を中心に運航していた3社が、運輸省(現・国土交通省)の指導による合併の結果1964年4月15日に設立されたものだった。同社は幹線を運航していたこともあり、大型ジェット機のコンベア880ボーイング727を導入するなど積極的な動きを見せていたものの、日本航空と全日本空輸という大手2社に阻まれ苦戦し経営不振に陥っていた。

一方、政府は1964年の新幹線開業1966年航空事故多発による航空需要の落ち込みを背景に、1966年5月20日の閣議了解により、将来の統合を前提に日本航空と日本国内航空の提携を進めた。この過程において、日本国内航空は幹線から撤退し、同時にコンベア880やボーイング727も日本航空にリースされた。ところが、1967年以降状況は好転し、1969年度にはローカル路線を主に運航する日本国内航空と東亜航空がともに黒字を計上することとなったこともあり、1970年に先の閣議了解が変更され両社の合併が決まった。この合併により、国内航空会社は日本航空、全日本空輸と東亜国内航空の三大航空会社体制になり、1972年にはこの3社に対して運輸省より事業(路線)割り当て(いわゆる45/47体制)が行われ、東亜国内航空は主に国内準幹線とローカル線の運航が割り当てられることになった。

商号変更

日本エアシステムの旧本社(1990年 - 1998年)- 虎ノ門37森ビル
統合後の二代目本社 - 羽田空港JALメンテナンスセンター

その後も日本の航空業界では45/47体制が続いていたが、1985年にこれが廃止されることになり、東亜国内航空も国際線や国内幹線への就航が可能になった。なお、国内幹線に関しては、便数は希少ながら1975年以降、段階的に3路線の定期運航に参入していたが、本格的参入はこれ以降である。翌1986年にはこれを受けて国際チャーター便の運航を開始したものの、その後アジア諸国への国際線定期就航をする際に、商号の「東亜」という単語が太平洋戦争時に使用した「大東亜共栄圏」・「大東亜戦争」をイメージさせるとして、また国際定期便を運航するにあたり「国内」という名称がそぐわなくなることから、東京 - ソウル線就航に先立つ1988年4月に日本エアシステムへと商号を変更した。

なお、英語商号表記の略称「JAS」の読みは当初は「ジェイエイエス」だった。これは、日本農林規格との混用を避ける意味であえてそう読んでいたと推測される。しかし1990年代後半頃からは「ジャス」に変更されている。中国語商号表記は「日本佳速航空」で、「佳速」は「ジャス」の当て字である。この「佳速」から発展してコーポレートスローガン「GOOD SPEED ALWAYS」が生まれた。

日本航空と経営統合の経緯

経営難により最初は全日本空輸に買収が打診されたが同社は買収を拒否し、その後運輸省から日本航空に買収が打診されたが同社も難色を示したため、交渉は難航した。しかし下記の様に日本航空との経営統合が決まった。

運航機材

日本エアシステムのA300-600R型機(鹿児島空港、2004年10月)
経営統合中のJAL・JASハイブリッド塗装(A300-600R型機)
ダグラスDC-9-40型
ハーレクインエアでも使用されたダグラスDC-10-30(JAS・HLQのハイブリッド塗装)
左よりMD90、MD87、MD81(大阪国際空港、2002年12月撮影)
MD-90型機の1号機と4号機(鹿児島空港、2005年8月)
みちのく北方漁船博物館のYS-11型機(2008年9月)
別角度からの上記機(みちのく北方漁船博物館、2008年9月)
カート内部に残るJASのロゴマーク
日本エアシステムのA300-600Rと日本エアコミューターのYS-11(大阪国際空港、2002年12月撮影)
デハビランドDH114・タウロン
老朽化し引き取り手を待つデハビランドDH114・タウロン
会社名と機体記号を消され、アメリカへのフェリーを待つエアバスA300型機(羽田空港、2006年5月)
日本航空の「太陽のアーク」塗装になった元日本エアシステムのエアバスA300-600R
日本航空の「太陽のアーク」塗装になった元日本エアシステムのマクドネル・ダグラスMD-81型機

日本エアシステム時代

契約のみ未導入

東亜国内航空時代およびそれ以前

固定翼機

NAL日東航空
FAL富士航空
NJA北日本航空
TAW東亜航空
JDA日本国内航空
TDA東亜国内航空

回転翼機(NAL・FAL・NJA・TAW・JDA・TDA)

最優秀オペレーター賞

日本エアシステムは、エアバス機を特に安全に運航・整備しているとして、エアバス・インダストリー社より

を受賞した。

保存機・展示機

以下は各地に展示されている、または近年まで展示されていた日本エアシステム関連の保存機である。

YS-11

DH104 ダヴ

DH114 ヘロン・タウロン

CV-240

塗装

東亜国内航空(初代)塗装
大阪国際空港、1987年8月。YS-11とかち
「レッド&グリーン」塗装(大阪国際空港、1990年頃)
すれ違う日本エアシステム機(大阪国際空港、2002年12月)
離陸するマクドネル・ダグラスMD-90とタキシング中のボーイング777(羽田空港、2005年5月)
レインボーカラーに準じた塗装のトーイングカー(北九州空港、2004年3月)

日本エアシステム運航機は塗装の多様さで有名であり、デザインの多くはをイメージしたもので「レインボー・デザイン」と呼ばれた。

アドカラー

日本エアシステムは、本格的なアドカラーを国内航空会社としては初めて導入し1997年から1998年にかけて、大塚製薬ポカリスエットをイメージした塗装のエアバスA300「JAS・ポカリスエット号」を運航していた。また機内においても、関連会社の大塚ベバレジの製品であるジャワティの他にポカリスエットを提供していた。

その他

アルカディア号
漫画『宇宙海賊キャプテンハーロック』に登場する宇宙戦艦「アルカディア号」にちなんでDC-9型機に「アルカディア号」と塗装し、「当日にならなければ行き先がわからない。行き先不明の旅。」というミステリーフライトのキャンペーンを展開していた。
ピーターパンフライト
近畿日本ツーリストとの共同企画による国際プログラム・チャーター。DC-10-30 (JA8551) にダイアナ妃が名誉総裁を務める「ピーターパンこども基金」と協賛しピーターパン塗装を施した。ピーターパンの周囲にあった星屑についてはステッカーで対応したため、飛行の度に剥がれることが多く、その都度修復する必要から当時の整備ハンガーには星のステッカーが多量にあったと言われている。
フレンドリーバード
機材としては経年機となっていたエアバスA300 (JA8472) に施された創立30周年と日中国交正常化30年を記念した塗装。日本の小学生の一般公募と中国陝西省洋県の小学校1校の生徒1,500名対象の応募による「鳥の絵コンテスト」から胴体左舷側に日本・右舷側に中国から5点ずつの優秀作、コンテストの審査員を務めた松本零士が描いた鳥を両舷の胴体前方・地球を垂直尾翼にあしらった。
人気者でいこう!
1998年5月19日放送の「爆裂カラオケ企業バトル」企画にJASが参戦してレギュラー陣に敗れたため、そのペナルティとしてボーイング777-200 (JA007D) に番組ロゴステッカーが短期間貼付けられた。


就航路線

日本エアシステムの就航路線も参照。

国内線

三沢空港のJAS向け搭乗口
新千歳空港の自動チェックイン機
自動改札機導入後の搭乗券
自動改札機導入前の搭乗券

東亜国内航空時代は45/47体制の下で、運輸省の指導の下ローカル線や国内準幹線を中心として運航していた。45/47体制の撤廃後は国内線幹線や近距離国際線にも進出したものの、依然としてその多くは採算が取りにくい国内準幹線やローカル線が中心だった。1980年代以降はエアバスA300を幹線や準幹線を中心に、マクドネル・ダグラスDC-9シリーズを準幹線やジェット機乗り入れが可能なローカル線を中心に、日本航空機製造YS-11型機をプロペラ機専用空港発着のローカル線を中心に運航していた。

また、一部離島路線や地方発着ローカル線の一部は、日本エアコミューターなどの子会社がYS-11型機やサーブ 340型機を使って運航していた。

主な就航先

太字はハブ空港 斜字は拠点空港

出典:wikipedia
2020/04/02 06:33

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