東京都(とうきょうと、英語:Tokyo Metropolis)は、日本の首都であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部と西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つ。東京都庁所在地は新宿区(後述のように特別区であるため単に東京と表記する場合もある)。
東京都が管轄する領域は東京都区部(東京23区)、多摩地域(26市と西多摩郡3町1村)および東京都島嶼部(大島・三宅・八丈・小笠原)の4支庁(2町7村)から成っている。東京都区部(東京23区)は、一つの都市として「東京」とも呼ばれる。沖ノ鳥島・南鳥島を含む小笠原諸島を含むため、日本最南端および最東端に位置する都道府県でもある。都公認の「東京都」の英語表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他には Tokyo Prefecture と Tokyo Metropolitan Prefecture がある。
人口は13,843,403人(2018年10月1日現在)。これは日本の都道府県の中では人口が最も多く、日本の人口の10%以上を占める。
人口密度も日本の都道府県のなかで最も大きい。東京を中心とする首都圏は人口3700万を超える世界最大の都市圏である。日本の人口の34%が首都圏に集中し、首都圏人口だけで、ポーランド、アルジェリア、カナダのそれぞれの国全体の人口に匹敵する。第2位のムンバイ都市圏に1000万以上もの差を付けている。将来的にはインドの都市圏に人口規模において追い抜かれるものと見られている。
行政機関の集合体も「東京都」と言う。
「東京都」は、旧東京府と旧東京市を廃止し、それらを統合する形で設置された行政機関である。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日、首都の行政機能を強化する目的から東京都制が施行された。終戦後の1947年(昭和22年)の地方自治法施行に伴い、1943年以来の東京都制は廃止されたが、「東京都」の名称と行政区域は変更していない。すなわち、東京都制によって、東京都の直轄とされた、旧東京市内に設置されていた区は、地方自治法施行によって特別地方公共団体たる特別区という名前を与えられて、市に準ずる権限を与えられたものの、一部の事務や徴税権は、東京都に引き続き留保された。このため東京都庁は、今なお「23区を包括する市役所としての機能」と「県庁としての機能」とを併せ持っている。
東京都の首長は、東京都知事である。(略す場合は「都知事」と言う。)その権能や任期については地方自治法において定められており、任期は4年。東京都知事選挙が行われ、東京都民が候補者の中から投票で決めている。副知事(東京都副知事)も置かれ、その定員は4名と定められている。
2017年4月時点、現在、東京都の職員数(いわゆる「都の職員」)は、知事部局等の一般行政職員が約2万5千人、公営企業部門(交通・上水道・下水道)が約1万3千人。これに東京消防庁および警視庁の職員、東京都内の公立学校の教職員を加えると総計約16万8千人もの職員を抱える巨大な組織である。
東京都庁舎(本庁舎)は長年、千代田区有楽町にあった。1991年(平成3年)4月1日に新宿区の西新宿へ移転した。移転に伴い、地方自治法に従って都条例も改正され、同時期以降、都庁所在地は新宿区となった。都知事の執務室もそこにある。
「東京都庁の位置を定める条例」では都庁所在地を東京都新宿区西新宿二丁目と定めている。
東京都の都庁所在地たる都市については特別区単体を市町村と同等とみなし「新宿区」とする見方と、特別区部全体を1つの都市とみなし「東京」とする見方がある。国土地理院によると、東京以外の道府県庁の所在地は市の名称を用いるのに対し、東京都の場合は、実際の所在地である新宿区を含めた23区をまとめて「東京」と表記する。教科書でも国土地理院と同じく「東京」としているものが多い。「新宿区」ではなく「東京」とする理由として、特別区が市町村でないことに加え、消防など、市町村が持つ業務の権限の一部を持たないこと、特別区部がかつて東京市という1つの市であったことなどがあると言われる。
都市というのは、都市としての発展の力学・ダイナミズムがあり、それは行政区分や行政機関とは合致しない形で起きることもある。東京都を語る上ではそこにある東京という巨大都市のことは無視できないので、ここで(地方自治体としての東京都ではなく)「都市や場所としての東京」にも一応触れる。都市としての東京は元々、江戸幕府が置かれた江戸であり、徳川家康の都市計画によって築かれ、大いに発展した。幕末の動乱を経て、明治元年の文書から「東京」と表記されるようになった。(江戸時代後期の佐藤信淵著『混同秘策』に既に書かれていた、江戸を「東京」と改称する案を、大久保利通は読んで知っており、明治の新政府発足の折にその案を採用し、提案したことでその名になった。)しかし、日本の行政区画上「東京」と言う自治体は現在は存在しない。
東京には日本の首都機能が集中している。よって、多くの資料・統計などでは、日本の首都は「東京」とされているものが多い。この「東京」には、「東京都」の意味を含む場合もある。
日本の民間研究所が2016年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、ロンドンとニューヨークに次ぐ世界3位と評価された。グローバル情報誌の「MONOCLE」による「世界で最も住みやすい25の都市ランキング」では、デンマークのコペンハーゲンに次いで2位に選ばれている。 また、世界で最も大きな経済圏を持つ都市であり、しかも第2位のニューヨーク大都市圏の1.4倍の経済規模をもつ。エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが発表している2017年度の「安全な都市指数」では、100点満点の89.80点となり、世界トップとなった。
東京都心であった、かつての江戸は、江戸幕府成立以来、日本の政治・行政の実質的な中心であった。慶応4年/明治元年(1868年)に平安京から江戸に皇居や太政官などの首都機能が移ってきたとされ(東京奠都)、その後江戸を東京府と改称、名目的にも首都となった。大日本帝国期には帝都とも呼ばれる。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に東京府と東京市が統合されて、あらためて東京都が首都となった。戦後1950年(昭和25年)に東京都を日本の首都として、十分にその機能を発揮し得るよう首都建設法が施行されたが、同法は1956年(昭和31年)首都圏整備法の施行に伴い廃止された。このように首都建設法の廃止により東京都は、法的には日本の首都である根拠を欠くが、日本国政府の公式見解や公文書上は首都とされており、東京都に日本の中枢機能が存在する。また、首都圏整備法では、東京都は首都圏の一部とされており、東京都自身も東京都立大学を首都大学東京に改組・改称するなど(2020年に再び東京都立大学に改称する予定)、自ら「首都」を名乗っている。東京都の公式英語表記「Tokyo Metropolis」の metropolis は、「大都市、大都市圏」の他に「首都」の意味合いもある。
前述の通り、東京都を首都と直接規定するものは日本国憲法及び日本の法律にはないものの、首都としてその中心部(特に東京23区)に、日本国政府の国会議事堂、内閣総理大臣官邸と主要省庁、最高裁判所を始めとした三権の中枢機関が置かれる。この他にも、法律によってその機関を東京都に置くと定められているものもある。
東京都の主要部分は、関東平野に位置し、東京湾に面している。このほかに、伊豆諸島・小笠原諸島の島嶼部も行政区域とする。この島嶼部には日本の最南端である沖ノ鳥島と、日本の最東端である南鳥島も含まれる。日本の最南端と最東端を行政区域に含むという意味では、日本最南端・日本最東端の都道府県となっている。ただし、最北端が東京都の最北端より南側にある府県や、最西端が東京都の最西端より東側にある府県はある。
歴史を踏まえると、令制国の武蔵国の一部(概ね隅田川以西)、下総国の一部(概ね隅田川以東)、伊豆国の一部であった伊豆諸島を併せたものが、現在の東京都の範囲に相当する。
いわゆる県境(都道府県境)に着目すると、神奈川県、埼玉県、千葉県と隣り合い、奥多摩の山岳地帯で山梨県とも接している。また、海上を隔ててではあるが、伊豆諸島が静岡県の伊豆半島と向かい合う。陸地で境界を接するのは以下のとおりである。
東京都の区域内には、基礎自治体として以下の23区・26市・5町・8村の区市町村がある。町は全て「まち」、村は全て「むら」と読む。
東京都区部 | 足立区、荒川区、板橋区、江戸川区、大田区、葛飾区、北区、江東区、品川区、渋谷区、新宿区、杉並区、墨田区、世田谷区、台東区、中央区、千代田区、豊島区、中野区、練馬区、文京区、港区、目黒区東京都は一般に、「区部」(東京23区、旧東京市)、「多摩地域(多摩26市3町1村)」、「島嶼部」(伊豆諸島・小笠原諸島)の3地域に分けられることが多い。
区部では、旧江戸城(皇居)を基準として「城北」「城東」「城南」「城西」と呼び分けることがある。区部の西側は武蔵野台地の末端部であることから「山の手」とも呼ばれる。区部の中心部には都市機能が集積しており「都心」と呼ばれる。「都心」の範囲は、統一された定義はないが、最も狭い意味では千代田区、中央区、港区の「都心3区」を指すことが多く、広い意味では区部全体が「都心」と呼ばれることもある(「都心#都心と中心部」も参照)。東京都庁では各種の都市計画において副都心を策定しており、今日では新宿副都心、池袋副都心、渋谷副都心、上野・浅草副都心、錦糸町・亀戸副都心、大崎・品川副都心、東京臨海副都心の7箇所を「副都心」と呼ぶことがある。
多摩地域は、かつての令制国の多摩郡の名残りから、特別区部に含まれる東多摩郡以外の南多摩郡、北多摩郡、西多摩郡の総称として「三多摩」と呼ぶこともある。これらの多摩地域は「都下」とも呼ばれる。これは、「県内」と「県下」が同義であることを考えるとおかしな表現であるが、かつて「東京市内」「東京府下」とされた呼称が、都制施行時に「東京都内」「東京都下」に呼び変えられたことで起こった慣習的な表現だと言われている。なお多摩地域のみではなく多摩地域と島嶼部を併せて「都下」と呼ぶこともあるが、島嶼部のみを指して「都下」と呼ぶことは普通ない。かつて「都下」という呼び方は「都下スポーツ大会」のように公的にも使われていたこともあるが、郊外地域や周辺離島を見下しているとも取れる表現であるため、現在では使われることは少ない。しかし通俗的な用法として、都道府県としての東京都ではなく東京23区の地域を指して「都内」と呼ぶことはある。
一方、島嶼部は、「大島支庁」「三宅支庁」「八丈支庁」「小笠原支庁」に区分されることもあるが、これは東京都庁の支庁の事務的な管轄範囲で区分するものであり、区域内の町村が支庁に属するわけではない。例えば、小笠原村の住所は「東京都小笠原村」であり、「東京都小笠原支庁小笠原村」ではない。
区部の東部には、隅田川、荒川、江戸川、中川などの河口部に沖積平野が広がっている。地盤は軟弱であり、海抜ゼロメートル地帯も少なくない。南部の多摩川沿いの地域も低地となっている。区部の西部は武蔵野台地の末端部であり、いくつもの舌状台地が伸び、台地と低地が入り組んだ高低差のある地形となっている。臨海部は埋立地となっている。埋立は徳川家康の時代から始まったもので、現在は主に新海面処分場において廃棄物や建設残土の埋め立てが行われている。
多摩地域では、多摩川沿いの低地を中心として、北側は武蔵野台地、南側は多摩丘陵となっている。多摩西部には関東山地に含まれる山地がある。埼玉県の入間郡から青梅市、立川市、府中市の方向には立川断層の存在が確認されている。立川断層は日本の活断層の中でも地震の発生確率が比較的高いと見られている。これ以外にも江戸~東京は相模トラフ巨大地震など度々の大地震(元禄地震や安政江戸地震、関東大震災)で被害を受けている。
島嶼部には伊豆諸島と小笠原諸島が含まれる。いずれも火山活動によって形成された火山島である。伊豆諸島には活火山が多く、三宅島の雄山は2000年以降火山活動中である。また伊豆大島の三原山でも1986年に大規模な噴火活動が見られた。小笠原諸島の西之島も火山噴出物により島の面積が拡大している。
小笠原諸島は特有の生態系を持ち、「東洋のガラパゴス」と呼ばれる程貴重な動植物が多く、世界自然遺産に登録されている。