東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)(The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒に、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した大地震である。
地震の規模はマグニチュード (Mw) 9.0で、日本の観測史上最大規模だった。また宮城県栗原市で最大震度7が観測された。気象庁により震度7が記録されたのは、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、2004年の新潟県中越地震以来、観測史上3回目である。
この地震による災害(震災)は総称して「東日本大震災」と呼ばれる。本震の地震動とそれに伴う津波、およびその後の余震は東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらし、日本において第二次世界大戦後最悪の自然災害とも言われている。また、国際原子力事象評価尺度で最も深刻なレベル7と評価された福島第一原子力発電所事故も併せて発生した。
この地震は、2011年3月11日14時46分18.1秒、牡鹿半島の東南東約130 kmの太平洋(三陸沖)の海底(北緯38度06.2分、東経142度51.6分)、深さ約24 kmを震源として発生した。太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域(日本海溝付近)における海溝型地震で、震源域は岩手県沖から茨城県沖にかけての南北約500 km、東西約200 km、およそ10万平方キロの広範囲にわたった。地震の規模を示すマグニチュードはMw9.0(アメリカ地質調査所によればMw9.1。Mj8.4)で、大正関東地震(1923年)のMj7.9, Mw8.2を上回る日本観測史上最大であるとともに、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな超巨大地震であった。
地震によって大規模な津波が発生した。最大で海岸から6 km内陸まで浸水、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8 - 9 mに達し、明治三陸地震(1896年)の津波を上回る最大溯上高40.1 m(岩手県大船渡市)を記録するなど、震源域に近い東北地方の太平洋岸では、その急峻な地形もあいまって高い津波が甚大な被害をもたらした。津波は関東地方の太平洋岸でも被害をもたらしたほか、環太平洋地域を中心に世界の海岸に達した。また、宮城県北部で最大震度7、岩手県から千葉県にかけて震度6弱以上を観測するなど広範囲で強い揺れとなり、関東地方の埋立地で大規模な液状化現象が発生した。一方東北太平洋岸では、地盤沈下により浸水被害が長期的に続いている。余震も過去例に無いペースで発生したうえ、通常の余震域外でも地震活動が活発化している。
津波、液状化、建造物倒壊など、東北の岩手県、宮城県、福島県の3県、関東の茨城県、千葉県の2県を中心とした被害は大きく、この地震による死者・行方不明者計約1万8,500人の大半は東北の3県が占めた。また、発電施設被害による大規模停電や一連の震災により、日本全国および世界に経済的な二次被害がもたらされた。
一方、地震と津波を要因とする人災により福島第一原子力発電所事故が発生し、10万人を超える被災者が屋内退避や警戒区域外への避難を余儀なくされた。警戒区域外でも、放射性物質漏れによる汚染が起きているほか、日本の原子力発電所の再稼働問題、電力危機なども発生した。
本地震の特徴として、いくつかが挙げられる。
地震が発生した3月11日、気象庁はこの地震の現象を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名した。
英文による名称として
などがある。
地震発生後、しばらくの間は各メディアや組織・団体において震災としての名称は統一されておらず、「東日本大震災」や「東北関東大震災」などの呼称が用いられていたが、日本政府は2011年4月1日の持ち回り閣議で、この地震による災害およびこれに伴う原子力発電所事故による災害を「東日本大震災」とすることを了解、発表し、それ以降は各メディアでの呼称も「東日本大震災」に収束した。なお、気象庁は、地震現象の名称と地震災害の名称との違いに注意を喚起している。(震災#地震現象の命名と震災の命名を参照)
その後、略称として月日より取られた「3.11」という記述(読みはさんてんいちいち、もしくはさんいちいち)も、メディアではしばしば見られる。なお、「3.11」は2011年新語・流行語大賞トップテンに選出された。
気象庁や防災科学技術研究所などによると、この地震の要素は以下の通り。なお、発生時刻や震源は既知の地下構造モデルによって算出された理論上の精密値であり、実際の要素と多少のずれが生じている可能性がある。
この地震により震度6弱以上を観測した地域は以下の通り(震度5弱以上を観測した地域の一覧は東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録#本震を参照)。3月30日と6月23日に一部の震度データが修正されている。この地震では発生から約3分後(14時49分)の震度速報で震度7が発表された。速報の段階で震度7が発表されたのはこの地震が初めてである。ちなみにこの地震における計測震度6.67は観測当時、史上最大のものである。また、仙台市で震度6強を観測したが、政令指定都市で震度6弱以上の揺れを観測したのは2005年の福岡県西方沖地震以来6年ぶりである。
宮城県栗原市で最大震度7を観測し、激しい揺れは2分間続いた。震度7を観測したのは、2004年の新潟県中越地震以来7年ぶり、観測史上3回目。仙台では震度6強を観測した。このほかにも宮城県、福島県、茨城県、栃木県の一部で震度6強を観測するなど、震源域が広かったことから強震が広範囲にわたった。
また、気象庁の推計震度分布図によると、福島県いわき市で局地的に震度7相当の揺れがあったほか、防災科学技術研究所の強震観測網によると、栃木県芳賀町にある観測点で震度7相当の揺れ(計測震度6.51)を観測していたことも分かっている。ただし前者は震度計による観測ではなく、後者も気象庁の震度発表対象の震度計ではないため、いずれも観測点の震度には反映されていない。
このほかに、北海道・東北・関東・東海・甲信越で震度4、北海道・東北・関東・東海・甲信越・近畿では震度3を観測した。遠く ・・・・・・・・・・・・・・・・・・