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東北大学とは?

【東北大学】


川内北キャンパス

【大学設置/創立】
1907年
【学校種別】
国立
【設置者】
国立大学法人東北大学
【本部所在地】
宮城県仙台市青葉区片平二丁目1番1号
北緯38度15分15秒 東経140度52分25秒 / 北緯38.25417度 東経140.87361度 / 38.25417; 140.87361座標: 北緯38度15分15秒 東経140度52分25秒 / 北緯38.25417度 東経140.87361度 / 38.25417; 140.87361
【学生数】
17,831
【キャンパス】
片平(宮城県仙台市青葉区)
川内(宮城県仙台市青葉区)
星陵(宮城県仙台市青葉区)
青葉山(宮城県仙台市青葉区)
【学部】
文学部
教育学部
法学部
経済学部
理学部
医学部
歯学部
薬学部
工学部
農学部
【研究科】
文学研究科
教育学研究科
法学研究科
経済学研究科
理学研究科
医学系研究科
歯学研究科
薬学研究科
工学研究科
農学研究科
国際文化研究科
情報科学研究科
生命科学研究科
環境科学研究科
医工学研究科
教育情報学教育部
教育情報学研究部
【ウェブサイト】
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/

東北大学(とうほくだいがく、英語: Tohoku University)は、宮城県仙台市青葉区片平二丁目1番1号に本部を置く日本国立大学である。1907年に設置された。大学の略称は特になく、東北大と呼ばれるが、地元では「とんぺー」の愛称で親しまれている。

概観

大学全体

国内で3番目の帝国大学として1907年(明治40年)に創設され、仙台においては1911年(明治44年)に開学した東北帝国大学理科大学を源流とする大学である。大学全体としては、帝国大学令に基づく大学として創設された1907年を創立年としており、2007年(平成19年)には東北大学創立100周年を祝う様々な記念行事が行われた。

東北帝国大学創立期の大学の文書記号は、東京帝国大学のそれが「東大」であったため「北大」とされた。後に東北帝国大学から分立した北海道帝国大学は「海大」とされた。ただし、現在では「北大」は北海道大学の略称として用いられることが多く、東北大学の略称は「東北大」が用いられる。2017年6月、指定国立大学法人に指定される。

大学理念

東北大学では、「研究第一主義」「門戸開放」「実学尊重」の3つを大学理念としている。

研究第一主義
「研究第一主義」の標語は、1911年(明治44年)の入学式における式辞で、「…大学の主とするところは研究第一であって…」と初代総長・澤柳政太郎が発言したことに由来している。先行した東京帝国大学が「官僚養成」を、京都帝国大学が「学問」を標榜したことから、第三の帝大である東北帝国大学は「研究」を標榜したものと考えられる。こうした研究第一主義の現れとして、全国の国立大学附置研究所の中で最も古い歴史を有する附置研究所の一つである金属材料研究所(設置当時の研究所名は臨時理化学研究所第2部)を擁すること、第二次世界大戦時には附置研究所の数が10を数えた時期があること等が挙げられる。なお、1998年(平成10年)-2008年(平成20年)の論文の被引用数では日本国内で第4位(世界第64位)、2005年度の主要研究経費は約260億円で、日本国内で第2位となっている。
門戸開放
東北帝国大学理科大学創設当初、既設の帝国大学旧制高等学校出身者にのみ入学を認め、東北帝国大学農科大学が札幌農学校予修科の流れを汲む同農科大学予科出身者からの受け入れを主体としていたのに対して、理科大学は旧制高等学校、大学予科以外の教育機関出身者にも入学を認めた(傍系入学)。また、1913年(大正2年)には3人の女性(黒田チカ丹下ウメ牧田らく)に対して入学を許可した。これは帝国大学としては初めての女性に対する入学許可であった。さらに、日本における外国人留学生博士号取得第一号(陈建功)と第二号(苏步青)を輩出するなど、東北帝国大学時代より外国人留学生が数多く本学で学んできた。このような経緯のもとに、現在では「門戸開放」のフレーズは、「学生・教員・職員を問わず真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の方針を一言で表すための標語となっている。また、男女雇用機会均等法の改正を受け、杜の都女性科学者ハードリング支援事業やサイエンスエンジェル制度も導入されている。2014年には、男女共同参画社会を目指す活発な取組の一助となるよう、澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞(通称:澤柳記念賞)が創設された。現在の学部学生は、東北地方以外の出身者が過半数を占めており、旧帝国大学の中では地元以外からの入学者比率が高い方である(参照)。
実学尊重
東北大学では創設以来、社会で実用される研究が奨励されてきたことに加え、大学での研究に端を発した企業が複数設立されてきたなど、実学が大変重視されている。その伝統は、2007年(平成19年)の大学別特許公開件数で日本国内1位であるところにも現れており、これは、自然科学のみならず、人文科学および社会科学の学問分野においても根付いている。

教育および研究

QS世界大学ランキング2020(2019年)では、第82位、アジア第23位、国内第5位である。また、英タイムズ紙系の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』によるTHE世界大学ランキング2020(2019年)では、第251-300位、アジア第28位、国内第3位である(THE世界大学ランキング日本版2020では1位)。

沿革

東北帝国大学設置に至る過程については「帝国大学」を参照

略歴

東北帝国大学
1913年(大正2年)撮影
【画像外部リンク】

東北大学史料館
理学部赤レンガ館の「理科大学」の篆刻、および、その上の古河家の紋章:時期不明
理科大学 講堂・本館遠景:1911年(明治44年)頃
東北帝国大学専門部附属病院:1913年(大正2年)頃
東北帝国大学工学専門部正門および校舎:大正期前半

東北大学は、東北帝国大学の設立の勅令(第236号)が官報に掲載された1907年(明治40年)6月22日を創立記念日と位置付けている。

1900年(明治33年)1月29日、第14回帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が採択され、議会として東北地方に帝国大学を設置する正式な要望が政府に表明された。しかし、政府の資金難により設置が進まず、1902年(明治35年)にも「東北帝国大学設立建議案」が再度採択された。

1906年(明治39年)、札幌農学校を帝国大学農科大学に昇格させ、新設予定の理工科大学と大学予科と併せて北海道帝国大学とする案が浮上するも、東北選出の代議士が反発。その結果、新設予定の理科大学を仙台に置く折衷案を政府に要求することとなった。

1907年(明治40年)9月1日には勅令236号が施行されたが、この時点では札幌農学校を東北帝国大学農科大学(札幌区)へと改組するのみに留まった。札幌農学校は開学当初より学士号の授与が認められており、帝国大学とならぶ高等教育機関であった。このため、前身をもたない理科大学の建設が完了するまで、札幌の農科大学のみで運営することを前提とした東北帝国大学農科大学官制が施行され、東北帝国大学総長の職務は農科大学学長(佐藤昌介)が代行することになった。

理科大学の建設資金には、日露戦争の好景気で財を成した古河財閥(現・古河グループ)や宮城県による寄付金等が用いられ、校舎の建設や実験機器・専門書の輸入などの準備がなされた。理科大学の教授候補として内定した者たちは、理科大学完成までの間、ヨーロッパ各地に留学し、留学中にフランスの首都パリに集まって教授会も開催した。

準備も整った1911年(明治44年)1月に理科大学が設置された(同月、九州帝国大学も創設)。開学式は1913年(大正2年)9月22日に挙行された。この他、1912年(明治45年)に仙台医学専門学校を包摂して医学専門部を設置。また、仙台高等工業学校を包摂して工学専門部を設置した。

仙台医学専門学校は、1872年(明治5年)設立の宮城県立医学所を母体とするものであり、東北大学医学部ならびに艮陵(ごんりょう)同窓会では、1872年(明治5年)を医学部開設年(母校創立の日)と定めている。かつては「明倫養賢堂」から仙台藩医学校が分離された1817年を医学部創立の起点とする主張もあったが、今日では、医学系部局に関しては1872年を創立の起点として位置づけるのが一般的である。

1915年(大正4年)、医学専門部は生徒募集を停止し、東北帝国大学医科大学が設置された。新入生は医科大学、以前からの在校生は医学専門部のままという状態であったが、施設は双方とも仙台医学専門学校以来の施設を流用した。ただし、医科大学には新たに先行帝国大学の東京帝国大学卒・京都帝国大学卒の人材を教授として招聘した。1918年に医学専門部の最後の学年が卒業すると医学専門部は廃止された。そのため、医学専門部の一部の教授らは異動を余儀なくされ、他都市の医学専門学校へと移っていった。

大学令公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、仙台市(理大・医大・工専)と札幌区(農大)に分かれている東北帝国大学の分科大学および専門部を各都市毎に分立させることになり、1918年、北海道帝国大学新設と同時に農科大学を移管した。

1919年(大正8年)、学部制に改組すると同時に東北帝国大学工学部が設置された(この時の学部構成は理学部、医学部、工学部、工学専門部)。工学専門部では、医学専門部と同様に廃止されるとの危惧から存続運動が起こった。結果的に工学専門部は、仙台高等工業学校以来の建物等を東北帝国大学工学部に譲り、別の土地に建物を新設して、元の仙台高等工業学校との名称で分離独立した(後に仙台工業専門学校と改称)。

1922年(大正11年)、法文学部が設置された。同学部は帝国大学の文系学部としては東京・京都に次いで3番目の設置であり、現在の文系4学部の礎をなす学部である。ちなみに、第二次世界大戦前の帝国大学では、北海道・大阪名古屋以外の6大学(東京・京都・東北・九州京城台北)に文系学部が設置されていた。ただし、戦前に法学部、文学部、経済学部の分立設置が認められたのは東京・京都のみで、他の大学は法文学部(東北・九州・京城)や文政学部(台北)などの学際学部であった。

1947年(昭和22年)に東北帝国大学は「東北大学」に改称。1949年(昭和24年)に実施された学制改革に伴い、仙台市所在の官立学校(旧制第二高等学校、仙台工業専門学校、宮城師範学校宮城青年師範学校)を統合。旧制宮城県女子専門学校を包括したうえで新制大学へと改組された。これら高等教育機関は、旧制第二高等学校が教養部へ、仙台工業専門学校が工学部と合流、両師範学校は教育学部へ、宮城県女子専門学校は農学部家政学科へとなった。家政学科は生活科学科と改称後、1960年(昭和35年)に廃止された。

1965年(昭和40年)、国立学校設置法改正を期に、師範学校の流れを汲む教育学部の教員養成系統が分立し、宮城教育大学が設置された。1967年(昭和42年)には、東北大学教育学部附属中学校小学校および幼稚園を宮城教育大学に移管した。

1994年(平成6年)からは大学院重点化を開始した。また、2004年(平成16年)の国立大学法人化を期に、法科大学院公共政策大学院会計大学院の3つの専門職大学院を設置した。現在は青葉山新キャンパスの具体化やその他の改革を行っている。

創立以前

東北帝国大学時代

1922年(大正11年)11月、
東北帝国大学を訪問したアルベルト・アインシュタイン。左から本多光太郎、アインシュタイン、愛知敬一日下部四郎太

東北大学時代

東日本大震災の影響

青葉山キャンパスを中心に合計28棟が使用不能となり損失額は440億円に及ぶ見込みとなっている。

2012年(平成24年)4月1日に、総合的な災害研究を目的とした附置研究所、「災害科学国際研究所(IRIDeS イリディス)」を設置。自然科学系だけでなく、人文科学系・社会科学系の研究者も在籍している。

基礎データ

所在地

  • 川内キャンパス(仙台市青葉区川内)
  • 片平キャンパス(仙台市青葉区片平)
  • 星陵キャンパス(仙台市青葉区星陵町)
  • 青葉山キャンパス(仙台市青葉区荒巻字青葉)

象徴

ロゴマーク・スクールカラー

"creativity" "global" "tradition" をキーコンセプトに、昔から宮城野や仙台を象徴する植物とされてきた、本学の種々のマークに用いられた「萩」をモチーフにし、品格をもって、世界に大きく広がっていく動きを表現している。また萩はロゴマーク以外にも学友会の名前などに使われている。

公式カラーは「紫色」と「黒色」であり、「紫」は知性と想像力を、「黒」は勤勉と実践力を表している。特に「紫色」は本学のスクールカラーでもある。

学生歌・校友歌

東北大学には正式な校歌・学歌が存在せず、代わりに学生歌と校友歌が制定されている。

新制第1回卒業生が社会人になった1953年(昭和28年)、学生部の公募により、まず歌詞を募集し、入選歌詞3編に対して作曲を募集する手順で作られた中の第1位である。現在でも歌われているのは本曲のみである。
作詞した野田は卒業後に牧師となり、作曲した阿座上(工学部)は、東北大の教授を経て埼玉工業大学の教授となっている。
2011年(平成23年)、東日本大震災の復興に尽力する同窓生、在学生、教職員らを元気付けたいという思いから、卒業生である小田が総長の里見進から依頼を受け作成した。大学の公式サイトでは歌詞・楽譜の閲覧が可能となっているほか、一時小田のバージョンもダウンロードできるようになっていた。

組織

学部

2010Happy Mail