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東広島市とは?

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ひがしひろしまし
東広島市
酒蔵通り

東広島市旗


【国】
日本
【地方】
中国地方山陽地方
中国・四国地方
【都道府県】
広島県
団体コード
34212-2
法人番号
2000020342122
【面積】
635.16km

【総人口】
193,879[編集]
(推計人口、2018年4月1日)
人口密度
305人/km
【隣接自治体】
広島市竹原市安芸高田市
三次市呉市三原市
安芸郡熊野町世羅郡世羅町
豊田郡大崎上島町
【市の木】
マツ
【市の花】
ツツジ
【東広島市役所】

【市長】
高垣広徳
【所在地】
739-8601
広島県東広島市西条栄町8番29号
北緯34度25分36.2秒東経132度44分37.3秒座標: 北緯34度25分36.2秒 東経132度44分37.3秒

【外部リンク】
東広島市

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町



ウィキプロジェクト

東広島市(ひがしひろしまし)は、広島県の中央部に位置する

目次

  • 1 概要
    • 1.1 賀茂学園都市
  • 2 地理
    • 2.1 気候
    • 2.2 隣接している自治体・行政区
  • 3 歴史
    • 3.1 前史
    • 3.2 沿革
  • 4 行政
    • 4.1 市長
  • 5 経済
    • 5.1 産業
    • 5.2 主な企業
  • 6 工業団地
  • 7 軍事施設
  • 8 姉妹都市・提携都市
    • 8.1 国内
    • 8.2 海外
  • 9 地域
    • 9.1 人口
    • 9.2 医療
    • 9.3 教育・大学
      • 9.3.1 幼稚園
      • 9.3.2 小学校
      • 9.3.3 中学校
      • 9.3.4 高等学校
      • 9.3.5 大学・短期大学
    • 9.4 教育施設以外の学校
  • 10 交通
    • 10.1 鉄道
    • 10.2 道路
    • 10.3 船舶
    • 10.4 バス
  • 11 マスメディア
    • 11.1 ケーブルテレビ
    • 11.2 コミュニティFM局
    • 11.3 新聞
  • 12 施設
    • 12.1 図書館
    • 12.2 美術館
    • 12.3 ホール
  • 13 観光・文化・催事・名産品
    • 13.1 名所・旧跡・観光スポット
    • 13.2 レジャー
    • 13.3 祭り
    • 13.4 特産物・名物
  • 14 スポーツチーム
  • 15 その他
  • 16 東広島市出身の有名人
  • 17 脚注
    • 17.1 出典
  • 18 外部リンク

概要

酒都(西条酒)・吟醸酒発祥の地(安芸津の酒)と2つの歴史的な酒処がある日本有数の日本酒の産地。西条・伏見で日本三大酒処として知られる。狭い地域に多くの酒蔵が軒を連ねて並ぶ「酒蔵通り」には、白壁やなまこ壁赤煉瓦煙突など独特な建物が並んでいる。毎年10月には「酒まつり」が催され、多くの観光客が訪れる。1995年より国税庁醸造研究所(現・独立行政法人酒類総合研究所)が東京より移転して来た(2015年までは規模を縮小した事務所や全国新酒鑑評会が東京に残されていた)。

東広島の景観における赤瓦は特筆すべきものであり、行政の指導ではなく自生的に保持されてきたものである。盆地の周囲を囲む山々や里山のアカマツ林を背景に、赤瓦と白壁の建物が点在し、その手前に水田が広がるという典型景観をなしている。

旧市役所庁舎

賀茂学園都市

広島大学を中心とした学園都市づくりがなされている。広島大学は1973年にキャンパスの統合移転を決定し、大学が移転する地域は旧賀茂郡を対象として地域計画の検討を大学側から広島県に要請され、これを受けて統合移転地の検討を県と旧建設省とで開始された。

1974年に「賀茂学園都市建設基本構想」を発表、翌年1975年に「賀茂学園都市建設基本計画」が策定された。『広島大学統合移転記念誌』では県内十数カ所の候補地について検討を行っており、広島市可部地区、佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)の他に現在の東広島市となる賀茂郡西条町が取り上げられ、移転が決定し、都市開発が行われることになった。その後、広島中央テクノポリスの指定を受けたことによって高度産業の集積が進んでおり、広島中央サイエンスパークが建設される。また、広島市に隣接しており、ベッドタウンとしての性格も持っている。こうした性格から広島県の中では人口増加率が高く、大学教員留学生、研修生等の外国人も増加している。外国人推計人口は4,695人(2009年12月末)であり、人口の約2.6%を占める。賀茂学園都市で地域振興整備公団が担当した「地方都市開発事業」の事業採択面積は500ヘクタールであり、広島大学のキャンパスが約300ヘクタールで、更に約200ヘクタールの整備区域を必要としたため、高屋地区の丘陵部が開発され、高美が丘(東広島ニュータウン)が生み出されている。都市計画道路西条駅大学線地区(通称ブールバール)は、沿道は公共施設の建設に赤瓦などを用いた点が評価され、1997年に都市景観大賞に選定されている。

地理

市域は瀬戸内海沿岸から中山間部にまでわたり標高差が大きい。県で最も広い盆地である西条盆地を中心にその周辺に点在する小盆地から構成される。東へは沼田川、南へは黒瀬川、西へは瀬野川と、各河川本流の源流となっている。さらに太田川芦田川江の川の支流もあり、北部では中央分水界がかすめている。盆地であるため、で寒暖の差が大きい。その気候が、酒造りには適しているといわれる。一方、市の中心部との間を蚊無峠(かなしとうげ)で隔てられた安芸津町は瀬戸内海に面しており、比較的温暖である。

市の中央を山陽本線山陽新幹線山陽自動車道が東西に横断している。また、南部の安芸津町には呉線が通っている。

東広島市の中心部、西条町。
西条町
西条本町・栄町・朝日町・昭和町・御条地区
市役所10階から眺めた西条駅前。中央上に西条駅があり、その右横に酒蔵が立ち並んでいる。
市の中心部にあたり、市役所ビジネスホテルショッピングセンター農業協同組合本部(JA広島中央)があり、ブールバール沿いでは銀行・信用金庫の支店や、証券・生命保険会社などが並ぶオフィス街になっている。都市開発も段階的に行われており、西条駅前も2006年4月整備が終了した。しかし、郊外の各所に大型商業施設が出来たため、駅前商店街に往年の活気は無い。また、以前は中心部に在った家電量販店などが相次いで郊外の御薗宇バイパス沿いに移転するなど、中心部の位置付けも以前と変わっている。
現在の駅前商店街・中央通りは、スナック、居酒屋などが並び、商店街から歓楽街へと変化している。
中心部は市政の中心を担っている。西側には山陽自動車道西条ICや吉行工業団地があり、流通・工業地域の顔がある。
また、日本の酒どころの町でもあり、酒蔵が多い。
西条中央地区
中心部より南側に位置している。ブールバールと呼ばれる大通り沿いには小学校が2校、ファミリーレストランや分譲マンションが立地しているほか、多くの団地が造成され、住宅が立ち並ぶ。また、国道375号旧道も通っており、スーパーマーケットホームセンターが入った複合施設や自動車用品店や自動車学校が立ち並ぶ。
鏡山・下見・田口地区
広島大学や広島中央サイエンスパークなどの学術研究施設が集積、大型ショッピングセンターや金融機関も多数立地している。学生アパートを中心とした建物も多い。一方、人口が密集している割に若い世代の世帯が少ないため、子どもの数も少ない。鏡山地区には鏡山城跡があり、鏡山公園が整備されている。また、その麓の南側には広島中央サイエンスパークや県内でも広い敷地面積を持つ広島県立西条農業高等学校がある。
田口地区には東広島運動公園があり、1994年アジア競技大会レスリング競技、ひろしま国体ウエイトリフティング競技の会場に使用された体育館や日本陸上競技連盟第2種公認の陸上競技場や野球場、サッカーなどができる多目的広場やテニスコートなどがあり、各種公認の大会が行われているほか、遊具がある広場があり、休日には親子連れで楽しめる場所となっている。
三永地区
新幹線東広島駅があるが、他の公共交通機関との接続が悪い。ひかり号の停車も決まり、利用者増が期待されている。主に県外からの利用客が東広島に入る際の玄関口となっている。駅周辺の造成は段階的に進んでおり、ビジネスホテルや住宅コンビニエンスストアパチンコ店などが立ち並ぶ。西条駅、西条中央、下見地区などに次ぐ市街化地域となった。
郷曽・馬木・森近地区
西条町の南側に位置する。国道375号が通っているが、周りには田畑が広がっている。東広島呉自動車道馬木ICが2007年より開通し、2010年には山陽自動車道へ連絡することから、山陽道へのアクセスが良くなり、2015年3月の全線開通により呉市へのアクセスも改善された。また、県道67号線の起点部分であり、沿線には自動車学校やアパートが立地している。この地区が旧東広島市と黒瀬町との境界である。
土与丸・助実・御薗宇地区
国道375号御薗宇バイパスが通っており、このバイパスの開通以降ロードサイド型の店舗や家電量販店、大型ショッピングモール(フジグラン東広島)が相次いで開業や中心部から移転している。2011年12月暮れに東広島市消防局も土与丸の隣に位置する西条上市町から御薗宇バイパス沿線に移設し、ますます発展しつつある。以前はバイパスが暫定2車線なために渋滞問題も発生していたが、2014年に御薗宇交差点まで完成4車線化し、慢性的な渋滞は解消しつつある。
土与丸地区を通っている国道375号旧道沿いにもゆめタウン東広島があり、休日には多くの買い物客で周辺は渋滞も起きる。
寺家地区
西条地区東部の東西南北に広がる大きな地区である。もともとは畑が多く、西条中央に比べても閑静な地区であったが、2000年代以降はマックスバリュラ・ムーなどの中規模スーパー、カーディーラーカラオケ店や、ダイソーファストフード店などが国道486号(旧2号)沿いに立ち並ぶようになり、変化してきている。また、山陽本線寺家駅を設置することをJRと合意し2017年3月に開業した。それにあわせて、再開発が行われ駅周辺には病院やコンビニや住宅が立ち並びつつある。南には国道2号西条バイパスが通っており、上下分離ランプがある。
八本松町
磯松・正力・篠地区
八本松地区の北部。磯松工業団地(磯松地区)や八本松工業団地(篠地区)など工場が多数立地している。また、正力・篠地区では田畑も広がっている。
下組・向原・宗吉地区
八本松地区の中部。国道486号や国道2号(西条バイパス)、山陽本線が通っている。八本松駅があり、駅周辺にはコンビニやショッピングセンターがあるほか、銀行や信用金庫が支店を置いている。1990年代以降団地造成が行われ、多くの住宅が立ち並ぶ。国道486号沿いには飲食店やカーディーラーなどのロードサイド型の店舗が多く立ち並んでおり、西条に次いで多い。
原・吉川地区
八本松地区の南部。田畑が広がっており、とても閑静な場所だが、吉川工業団地が造成されて以降多くの工業施設が立地している。原地区は広島大学にも近いことから、多くの学生用アパートや自動車学校がある。
志和町
広島県道33号瀬野川福富本郷線が志和堀から西志和地区にかけて横断しており、旧福富町地区や広島市安芸区に繋がっている。
広島県道46号東広島白木線が志和東から志和堀にかけて縦断しており、八本松地区や広島市安佐北区に繋がっている。
志和堀地区
旧志和町の中心部で商店街や主要県道が交差している。清冽な環境で、蛍の里として有名になり、志和堀小学校の行事であったホタルまつりは、いまや観光の目玉にもなっている。半川(はんかわ)沿いの千代乃春酒造(寛延2年(1749年)志賀屋 森格兵衛創業。明治初年、姓を森から竹尾と改める)周辺には、6月初旬にホタルが乱舞する。覚醒の鐘とも鐘撞堂とも呼ばれた「時報塔」(国の登録有形文化財)があり、教会式の鐘が取り付けられている珍しい建物である。
東志和地区
並滝寺と呼ばれる寺院があり、その近くには温泉施設があるため、温泉客が多く来る。周りには田畑が多い。工業団地もあり、西志和と同じく工業も盛ん。
別府・西志和地区
山陽自動車道志和ICがあるという地理条件から、流通団地が造成されたり、地元の清涼飲料製造会社の工場や在阪企業の自動車部品工場があるため、工業が盛んである。
高屋町
現在は西条の次に人口が多い地区となっている。
西高屋・中島・高美が丘・高屋東地区
西高屋駅があり、駅前には銀行・信用金庫の支店や大型書店がある。マツダが大規模な社宅(マツダタウン高屋)を建設してから人口が急激に増加した。その後、マツダタウンは取り壊されたが、東広島ニュータウン(高美が丘)などの住宅団地が開発されたり、近畿大学広島キャンパスができるなど、現在では人口が増加しているため、ニュータウン入口にはショッピングセンターが建設され、利便性が以前よりも良くなりつつある。また、駅前には県立の中高一貫校があり、ニュータウン付近には近畿大学工学部や付属の中高一貫校があり教育施設も多くある。そのため、駅の利用者は年々増加している。2010年3月には東広島呉自動車道山陽自動車道と接続する東広島高田道路が高屋東付近まで部分開通し、山陽道や呉方面へのアクセスが良くなった。
白市・小谷地区
白市駅があるが、西高屋駅に比べて周辺は閑散としている。白市駅からは広島空港に連絡するバスがある。当初は白市駅から広島空港へ連絡する鉄道が計画されていたが、断念している。小谷地区にはおおぞら台団地が造成されており、多くの家が立ち並んでいる。その裏には山陽自動車道小谷SAがある。
黒瀬町
市の南西部にあたり、広島市に近いことからベッドタウンとしての性格も持つ。
業者ブランド「黒瀬牛」の生産地である。
呉市との結びつきも強い。東広島呉自動車道の黒瀬IC - 阿賀IC間が2012年に開通し、呉へのアクセスが以前より改善されたほか、供用区間の現道の混み具合が改善された。2015年3月に残りの馬木IC - 黒瀬IC間が完成し東広島中心部へのアクセスも改善された。
国道375号が町内を縦断している。道幅が狭く交通量が多いため、朝と夕方には呉 - 東広島を行き来する車で混雑するが、2015年3月の東広島呉自動車道全線開通で改善されることが期待される。
福富町
市の北部に位置する。田畑が多く人口は少ない。
久芳地区には、沼田川総合開発の一環で洪水調節、既得取水の安定化、河川環境の保全等および水道用水の供給を目的とした、福富ダムが2009年に竣工し、多くの家屋や田畑が水没し、様変わりが激しい。
福富ダム竣工に伴い、国道375号福富豊栄バイパスが一部供用開始し、2008年道の駅湖畔の里福富がオープン。休憩所や物産施設だけでなく、子供が遊べる遊具やダムが一望できる公園があるなど、市内外からここを目的として訪れる。
国道375号が町内を縦断している他、広島県道33号が志和地区から通っており、三原市本郷地区へと繋がっている。33号沿いには、上記の道の駅が設置される前より物産施設などが軒を連ねている。
賀茂郡時代は、豊栄町と広島県の中央(へそ)争いをしていた。
豊栄町
市の最北部に位置する。人口は少ない。
賀茂郡時代は、福富町と広島県の中央(へそ)争いをしていた。
地区の中に旧備後国であった地域が含まれている。
江の川水源の魚ヶ筒石神社がある。
ライトプレーン専用飛行場(豊栄飛行場)がある。
河内町
市の最東部に位置する。広島空港に近いことや、山陽自動車道河内ICがあることから、物流地域の顔を持つ。
住宅団地「グリューネン入野」の整備が1990年代後半から行われている。
安芸津地区
市の最南部に位置する。漁業造船業が盛んである。安芸津の名の由来は、かつて安芸の国の表玄関の港であったことに因る。西条にはこの安芸国の国府があったと言われ、現在も国分寺などが残っている。国府の近くには、1日の行程の所に港(津)が定められていたようで、古代から重要な関係にあった。また、吟醸酒の産みの親である三浦仙三郎は安芸津出身であり、酒造の盛んな地域(安芸津の酒)として知られている。酒どころ西条とは明治以降も縁が深い。東広島市が誕生して以降は市や議会、民間レベルでの交流も盛んで、安芸津が東広島市と結びついたのは、単なる平成の大合併の思い付きであったとは言えない。元々、安芸津は豊田郡となる前は古来より賀茂郡だったので、古からの結び付きも強い。
呉線沿線の竹原市や呉市との結びつきも強い。
侵食などにより消滅寸前の小島、ホボロ島がある。
木谷の赤崎地区は名の示す通り、真っ赤な赤土の大地の岬で、ホボロ島と同じ岩石で出来ている。火山灰と噴石が固まって出来たもので、含まれる鉄分で真っ赤な色となる。しかし比較的水はけもよく、程よい保湿力もあり、赤碕のジャガイモはとてもよい出来で、特産ブランドとして出荷されている。
赤土の大地から流れ積もった堆積物から、安芸津の赤レンガは造られており、全国のシェアの50%を占める生産量となっている。

気候

瀬戸内海式気候であるが、内陸部に位置しているため寒暖の差が激しい。冬は晴れる日が多く、放射冷却がよく効いた日は最低気温が-5℃以下まで下がることがある。 2011年1月31日には観測史上最低気温となる-12.6℃を記録した。

東広島(旧西条町)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 18.3
(64.9) | 20.7
(69.3) | 23.4
(74.1) | 29.2
(84.6) | 31.2
(88.2) | 34.0
(93.2) | 37.0
(98.6) | 36.7
(98.1) | 35.5
(95.9) | 29.9
(85.8) | 24.0
(75.2) | 18.7
(65.7) | 37.0
(98.6)
平均最高気温 °C (°F) 7.5
(45.5) | 8.5
(47.3) | 12.3
(54.1) | 18.6
(65.5) | 23.2
(73.8) | 26.4
(79.5) | 29.8
(85.6) | 31.3
(88.3) | 27.2
(81) | 21.6
(70.9) | 15.7
(60.3) | 10.3
(50.5) | 19.37
(66.86)
日平均気温 °C (°F) 2.1
(35.8) | 2.9
(37.2) | 6.2
(43.2) | 11.9
(53.4) | 16.9
(62.4) | 21.0
(69.8) | 24.8
(76.6) | 25.6
(78.1) | 21.6
(70.9) | 15.1
(59.2) | 9.2
(48.6) | 4.2
(39.6) | 13.5
(56.3)
平均最低気温 °C (°F) -2.9
(26.8) | -2.4
(27.7) | 0.3
(32.5) | 5.2
(41.4) | 10.8
(51.4) | 16.3
(61.3) | 20.7
(69.3) | 21.1
(70) | 16.9
(62.4) | 9.5
(49.1) | 3.5
(38.3) | -1.1
(30) | 8.16
(46.68)
最低気温記録 °C (°F) -12.6
(9.3) | -11.9
(10.6) | -7.3
(18.9) | -3.8
(25.2) | -0.3
(31.5) | 7.9
(46.2) | 12.7
(54.9) | 13.4
(56.1) | 4.5
(40.1) | -0.8
(30.6) | -4.3
(24.3) | -8.7
(16.3) | -12.6
(9.3)
降水量 mm (inch) 45.6
(1.795) | 62.0
(2.441) | 108.6
(4.276) | 125.0
(4.921) | 158.3
(6.232) | 219.7
(8.65) | 236.8
(9.323) | 124.6
(4.906) | 165.4
(6.512) | 90.6
(3.567) | 67.8
(2.669) | 41.4
(1.63) | 1,445.8
(56.922)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 6.6 | 7.5 | 10.6 | 10.0 | 10.3 | 11.1 | 10.5 | 7.8 | 9.9 | 7.1 | 6.7 | 5.8 | 103.9
平均月間日照時間 123.3 | 130.9 | 161.1 | 186.9 | 196.5 | 150.5 | 167.0 | 192.6 | 154.2 | 170.7 | 144.1 | 136.3 | 1,914.1
出典: 気象庁

隣接している自治体・行政区

冬の東広島市市街地

歴史

都市としての東広島市の歴史は浅い。1973年に広島大学の統合移転先が旧西条町に決定したことを受け、大学を中心とした学園都市建設の機運が高まり、1974年に西条町他周辺3町が合併して東広島市となった。市名は広島市の東側に位置することに由来する。

前史

広島大学の敷地内に旧石器時代縄文時代の遺跡が重なる地域があり、最古のものでは2万2千年前の住居跡が複数見つかっている。これは旧石器時代の人々が岩陰に住んでいたという定説を覆す重要な発見だったが、遺跡地としての整備は行われていない。広島大学移転開始当時は遺跡を省みることなく建設が進められたが、職員からの異論もあり積極的に発掘を行ったところ重要な遺跡が数多く発見された。

西条盆地は弥生時代にムラが爆発的に増加。西本遺跡群や東広島ニュータウン地内遺跡群など県内でも最大規模を誇る遺跡が多く存在する。西条町西東子遺跡からは弥生時代中期の大分県産の土器も出土しており、広く他地域との交流があったものと思われる。

5世紀には前方後円墳としては県内一の規模である「三ツ城古墳」が造成された。被葬者はこの地域を支配していた国造級の豪族だと考えられている。同古墳からは小型のや鉄剣、人骨などが出土しており、昭和57年1982年に国の史跡に指定され、史跡公園として復元整備されている。また高屋町宮領の南にそびえる御山(白鳥山)の白鳥古墳より日本製と考えられる三角縁神獣鏡が出土している。これらの遺物は県内でほかに出土例がなく貴重である。いずれの鏡も、現在、三ッ城古墳横の中央図書館内のガイダンスコーナーに展示されている。

奈良時代には安芸国分寺が建立され、安芸国府がこの地に置かれていたといわれている。現在の西条駅北側には、古代山陽道(太宰府と都を結ぶ重要な道)があり、御建(みたてと読む、国府の建物を尊んで呼んだミタチが変化したものか)の地にはかつて国府の中に祀ることが命じられた祇園社がある。周囲には大蔵、大地面(おおじめ)などの国府の存在を感じさせるような地名が多く残っている。近年、大地面で国府附属施設の特徴を持った建物跡が検出されており、今後の発掘と調査・分析が期待されている。安芸国分寺跡を整備(昭和11年に塔跡が国史跡に指定、昭和57年に主要伽藍部分が、平成7年に西側部分が追加指定、現在に至る。)安芸国分寺歴史公園として整備された。

国府があったと思われる区域には条里制が施行され、半尾川を境に東条郷と西条郷に分けられ区画された。いずれにしてもこの時代、西条盆地に有力な政治勢力が存在していたことは事実のようである。東條郷と西條郷はやがて東西条(とうさいじょう)の名前に一括され、東西条は旧東広島地域に福富・熊野・広・三津までを含めた呼称となる。

和名類聚抄によれば、東広島市内には賀茂、志芳、造果、高屋、入農、訓養、香津、木綿、大弓の9つの郷があったことがわかる。賀茂とは西条地区、志芳とは志和地区、造果とは造賀地区、入農とは入野地区、訓養は「やなくに」と読んで黒瀬地区の柳国、香津は三永地区、木綿は「ゆう」と読み寺家地区、大弓は大山の誤りで八本松地区である。

また、古代山陽道が整備され、延喜式によれば、鹿附、木綿、大山の3駅が置かれた。鹿附がどこにあたるのかは不明瞭であるが、「広島県史」は高屋付近を推定している。

平安時代前期、当地にも本格的な律令支配が及び、その後、現在の安芸郡府中町に国府が移ったとされる。当市域の大部分は安芸国の賀茂郡、豊田郡に属したが、一部(現在の豊栄町飯田、豊栄町吉原)は備後国世羅郡に属した。

以後、賀茂郡と豊田郡の境界は幾度か変更されているが、現在の市域は(備後国に属した地区も含めて)すべて賀茂郡に属した期間を有する。平安時代から鎌倉時代にかけては東西条は国衙領であったが、仁治3年(1242年)宣陽門院下文をもって東寺に寄付され東寺の経営となる。また、造賀、志和、高屋などにも荘園が形成され、鎌倉幕府の誕生、承久の乱を経て東国の武士たちがこれらの荘園の地頭に任命された。高屋の地頭となり土着して白山城を居城とし造賀にまで勢力を伸ばした平賀氏、志和の地頭となり土着した天野氏などが知られる。東西条は守護領となったようで、地頭は置かれなかった。

南北朝の争乱がおこると、観応3年(1350年)に山口の大内弘世が安芸国退治と称し、東寺の国衙分者らを糾合して東西条を押領する。貞治3年(1364年)に幕府と和解するが、守護人や国人の反乱に手をやいた幕府は大内弘世に応安元年(1368年)に東寺雑掌の沙汰で御教書を出し東西条の平定を命じ、これを口実に大内弘世が東西条を制圧する。大内氏は安芸国支配の拠点として西条御薗宇に鏡山城を築城し、西条と瀬戸内海を結ぶ黒瀬川沿いに連絡道と城塞網を築きあげた。大内氏の東西条支配は200年余りに及んだが、戦国期に台頭した毛利元就によりこの地は毛利氏が支配する地となる。毛利氏が関ヶ原の戦い後に防長二国に移された後は、福島正則、そして浅野家の領地となった。

江戸時代になると東西条は西国街道の宿場町として栄え、四日市宿の本陣は藩内最大の規模を誇った。東は古川、西は半尾川に挟まれた範囲を西條四日市宿という。西条の酒造が始まったのもこのころだが、この時期には全国的に名が知られたわけではなかった。


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沿革

行政

市長

【代】
【氏名】
【就任年月日】
【退任年月日】
備考
初代 | 武則一水 | 1974年5月 | 1978年5月 | 
2-6代 | 讃岐照夫 | 1978年5月 | 1998年5月 | 
7-8代 | 上田博之 | 1998年5月 | 2006年4月27日 | 直腸がんのため死去
9-11代 | 蔵田義雄 | 2006年4月28日 | 2017年12月21日 | 交通事故による体調不良により辞職
職務代理者 | 槇原晃二 | 2017年12月22日 | 2018年2月4日 | 副市長
12代 | 高垣広徳 | 2018年2月4日 | 現職 | 

経済

産業

主な企業

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