東洋大学(とうようだいがく、英語: Toyo University)は、東京都文京区白山5-28-20に本部を置く日本の私立大学である。1928年に設置された。大学の略称は東洋、東洋大。一部では洋大も使用されている。
東洋大学は、1887年に井上円了により創設された哲学の専修学校である私立哲学館が前身となって設立された大学で、仏教系ではないが、歴史的に仏教教育と関係の深い大学である。現在正式な略称は「東洋大」となっているが、かつては「洋大」という略称が正式なものであった。この略称は70年安保紛争時に学生運動勢力が多用したため、現在ではあまり使用されていない。また、2017年度の志願者数は101,180人で国内の大学全体で第6位であり、「生徒に人気の大学」ランキングでは第9位である。
「諸学の基礎は哲学にあり」「独立自活」「知徳兼全」を掲げる。
「諸学の基礎は哲学にあり」は創設者・井上円了の言葉を典拠としたものである。哲学と言うと、カントやヘーゲルといった哲学者たちの思想を知識として学ぶイメージがあるが、いわゆる哲学者の養成ではなく「『哲学すること』=先入観や偏見にとらわれず物事の本質に迫って、自らの問題として深く考える事」ととらえ、その営みの下で主体的に社会の課題に取り組む人財の育成に取り組む、としている。
前身の哲学館は「余資なく優暇なき者」(資産や時間に余裕がない人々)に哲学を学べる場をという趣旨で設立された。そのため、日本の大学で唯一、都心キャンパスに設置した主要学部に夜間学部を設置しており、さらに他大学が夜間学部を閉鎖する中、21世紀に入っても新規設置を続けており、教育格差の是正に貢献している。
都心から郊外へ移転した日本の大学としては日本初の全面都心回帰を実施、主要学部の教育および研究は都心で実施されている。さらに現在でも都心回帰を進めている。
哲学に関する私塾を母体に哲学専門の旧制専門学校を設立し、その後に哲学を中心とする旧制大学へと発展してきたことから哲学に関する学科が多く設置されており、特にインド哲学科と中国哲学文学科は日本の大学では唯一の学科である。さらにサステイナビリティ学連携研究機構において共生哲学分野の研究を担うなど、哲学研究においては日本有数の実績を持っている。
また、国際地域学部に設置されている国際観光学科は、日本で最初に開設された「観光」に関する専門学科である短期大学部観光学科(1963年設置)が改組したものである。
入試ガイドにアニメキャラクターであるムーミンを使用する、日本の大学が主催して行う児童・生徒・学生を対象とした各種イベントの先駆けとなった現代学生百人一首を開催する、毎年新入生に同内容のアンケートを行って継続発表をするなど、ほかの大学が実施していないことを先駆けて実施することが多い。
大学令による旧制大学昇格が遅れた理由については境野事件も参照。
1887年に井上円了により哲学館が創設された。その後専門学校令による哲学館大学となり、井上引退後の1906年に東洋大学と改称した。1918年に大学令が公布されると東洋大学もいち早く昇格運動に取り組んだものの、資金不足と学校騒動に悩まされて大学昇格は大幅に遅れた。第二次世界大戦後は仏教団体や経済界からの支援を受けて拡張を続け、現在は5キャンパスに11学部11研究科を設置している。
1896年(明治29年)、哲学館は小松宮彰仁親王から「護国愛理」の扁額を賜り、これを講堂入口に掲げた。この時をもって「護国愛理」は哲学館の学是になった、と東洋大学の正史は書いている。「護国愛理」は井上円了が『仏教活論序論』(1887年)ではじめて用いた言葉である。その中で「護国愛理」は「国家を思うこと」と「真理を愛すること」が「一にして二ならず」であることを表す言葉として用いられており、哲学館の教育方針に関する文書にもこの言葉が存在する。
1927年(昭和2年)11月の創立40周年記念式において東洋大学の建学精神は「護国愛理」であるとの見解が中島徳蔵学長によって再確認され、大倉邦彦(大倉精神文化研究所創設者)が学長に迎えられた1937年(昭和12年)以降は戦時下の時代性を反映して「護国愛理」を重視する傾向がさらに強まった。
戦後も東洋大学の建学精神や教育理念を表す言葉として「護国愛理」が引き続いて用いられた。
“愛理”は共通性で、どこの学園においても等しく志すところであるけれども、国の学問を護る護国こそは、哲学館の生命の独自性の存するところであり、最大の特色でなければならぬ。したがってこの線を強く出してゆくことが、哲学館の存在理由となり、世界の文化に貢献するゆえんもそこにある。ゆえにこの護国の意義がうすれて、他の一般学園なみに平均化されてゆけば、哲学館は特色を失い存在理由もなくなって、ただ形骸ばかりの存在に化してしまう。 — 『東洋大学八十年史』 1967年、116-117頁
しかし、1970年代以降は入試案内などで「護国愛理」を用いることはなくなった。
現在では上記の通り、『建学の精神』として、「諸学の基礎は哲学にあり」「独立自活」「知徳兼全」を掲げる。
なお、日本私立大学連盟が1984年(昭和59年)に刊行した『建学の精神』という文献では「護国愛理」と「諸学の源は哲学に在り」が紹介されており、新旧2つの建学精神が並存していた時期のあったことがわかる。
スクールカラーは鉄紺だが、1994年に設定されたコミュニケーションマークは青を基本色、赤を補助色として定めている。鉄紺はスポーツ関係で使用することが多い。また、コミュニケーションマークは学章に変わってさまざまな場面で使用されている。
東洋大学短期大学は1950年に夜間帯に講義を行う東洋大学短期大学部として設置された。1963年には1部を設置、1966年には東洋大学短期大学と改称した。 しかし、短期大学を志望する受験生の減少や白山キャンパスの効率利用の観点からまず2001年に観光学科を国際地域学部国際観光学科として改組、2002年には英文学科を文学部英語コミュニケーション学科として、日本文学科を文学部国文学科と統合して文学部日本文学文化学科として、それぞれ改組した。これをもって短期大学は廃止となり、現在東洋大学には短期大学部は設置されていない。
かつて大学附置研究所と言う名称であったが、現在は附属研究所・センターと呼んでいる。
21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。
文部科学省よりそれぞれの事業分野に関して以下のセンターが採択を受けて研究が行われている。
学園祭は各キャンパスごとに実施されている。白山祭は、学生運動、ロックアウト等で中断したため、工学祭→こもれび祭より開催回数は少ない。また、文系5学部が都心回帰する前は朝霞祭という名称で白山祭と同時開催であった。