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松坂屋とは?

株式会社松坂屋
Matsuzakaya Co.,Ltd.

本社がある松坂屋名古屋本店南館(2015年10月)

種類
株式会社
【市場情報】
非上場(以下は過去のデータ)
東証1部 8235
1949年5月16日 - 2006年8月28日
大証1部(廃止) 8235
1949年5月14日 - 2003年11月
名証1部 8235
2006年8月28日上場廃止

【略称】
マツザカヤ
【本社所在地】
日本
460-8430
愛知県名古屋市中区三丁目16番1号
北緯35度9分55秒
東経136度54分28.4秒
座標: 北緯35度9分55秒 東経136度54分28.4秒
【設立】
1910年(明治43年)2月1日
(株式会社いとう呉服店)
業種
小売業
【事業内容】
百貨店
【代表者】
岡田 邦彦(代表取締役会長)
茶村 俊一(代表取締役社長)
【資本金】
97億6,500万円
【売上高】
連結:3,439億3,600万円
単独:3,001億円
【総資産】
連結:2,176億4,200万円
単独:2,029億円
【従業員数】
連結:4,004名
単独:2,959名
【決算期】
2月末日
【主要株主】
J.フロント リテイリング(株) 100%
【主要子会社】
(株)松坂屋ストア 100%
【外部リンク】
http://www.matsuzakaya.co.jp/
特記事項:1611年創業。各種経営指標は2008年2月期のもの。2010年3月1日付で株式会社大丸と合併。

松坂屋(まつざかや、英称:Matsuzakaya)は、J.フロント リテイリング傘下の株式会社大丸松坂屋百貨店が運営する百貨店屋号である。

現在の運営会社である大丸松坂屋百貨店は、2010年3月1日に株式会社松坂屋が株式会社大丸吸収合併して発足したもの。

「松屋」は誤表記(屋号について参照)。

目次

  • 1 概要
  • 2 沿革
  • 3 屋号について
    • 3.1 松坂屋お家騒動
  • 4 松坂屋ホールディングス設立〜経営統合
  • 5 店舗
  • 6 過去に存在した店舗
    • 6.1 直営店
    • 6.2 提携店
    • 6.3 海外店舗
  • 7 松坂屋美術館
  • 8 参考文献
  • 9 関連項目
  • 10 提供番組
  • 11 脚注
    • 11.1 注釈
    • 11.2 出典
  • 12 外部リンク

概要[ソースを編集]

東海地方を本拠点とし、とりわけ地元である名古屋市など中京圏では今なお最有力の百貨店である。イメージフラワーはカトレヤで、キャッチフレーズは「生活と文化を結ぶマツザカヤ」である。

三越高島屋などを凌ぎ日本一の売上を誇る百貨店であった時期も存在する。現在の三菱UFJ銀行(旧東海銀行)の前身の一つである伊藤銀行や「名古屋の帝国ホテル」と呼ばれた名古屋観光ホテル、名古屋商工会議所など各企業・団体の設立にも関連した、近代の名古屋における有名企業である。

業界他社に先駆けてエレベーターガール、制服の完全洋装化を採り入れた。

地元市民の高齢層では松坂屋のことを「伊藤様」と呼ぶ人もいるほど、愛知県では他店よりも松坂屋が格上の百貨店であるという認識が非常に強く、松坂屋の外商部と取引があることが一種のステイタスとみなされる場合もある。

2010年に百貨店開業から数えて100周年、2011年に「いとう呉服店」創業から数えて400周年を迎えた。

沿革[ソースを編集]

祐道はのち大坂夏の陣豊臣方について戦死し、呉服店は一旦閉店となる。
松坂屋東京上野古絵葉書
松坂屋CMソング「振り向けば松坂屋」誕生(作詞 永六輔、作曲 中村八大)。
以降はJ.フロント リテイリングを参照

屋号について[ソースを編集]

三重県にある「松阪市」と混同して、しばしば松阪屋と誤表記される(の違い)。また、マークが松阪商人三井家の家紋と酷似していることも一因である。

もともとこの百貨店の屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋であった。この伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたとされる。「いとう丸」と呼ばれるマークは、丸の中に「井桁」と「藤」を描いたもので、「井」+「藤」で「いとう」を表している。

「松坂屋」のそもそもの由来は、1707年に伊勢松坂(現・松阪市)出身の商人・太田利兵衛が今日の上野店の前身となる呉服店を開業、自分の出身地名から松坂屋と名付けたことによるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地で、呉服の原料として縁があった訳である。

1767年、いとう屋が松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用したが、全店舗で屋号を統一する事となった際に全国チェーンを睨んだ結果、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。

松坂屋お家騒動[ソースを編集]

第二次世界大戦後会社の命運を分ける二つのお家騒動が勃発した。

最初のお家騒動は1980年に当時社長であった伊藤鈴三郎が兄に当たる16代伊藤次郎左衞門会長と鈴木正雄の共謀により解任させられた宮廷革命と称されるものである。

これは伊藤鈴三郎体制下による拡大路線の反動で発生した札幌松坂屋の失敗や業績が芳しくなかった横浜野沢屋の救済で本体の悪影響を及ぼしたという点が表向きの理由ではあるが、16代次郎佐衛門会長が息子の伊藤洋太郎にいち早く後継者としたい意図に鈴木正雄が乗ったことが定説である。

第二のお家騒動は宮廷革命と同様に鈴木正雄によるものであった。1985年4月、名古屋の松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で、16代伊藤次郎左衞門会長の死去によりわずか3カ月前に副社長から会長に就任したばかりの鈴木正雄が社長に収まり、松坂屋創業以来370年余りの歴史の中で起こりえなかった創業家の伊藤洋太郎(17代伊藤次郎左衞門)社長が代表権のない会長に棚上げされる人事が電撃的に決まる。鈴木本人は「私は工作などしていない。皆に推された」と否定したが、腹心の役員らと連携し自らが実権を握る事実上のクーデターであり、松坂屋のお家騒動として全国的に注目された。その後も1991年に再度会長就任、1993年から相談役と鈴木は実権を握り続けるが、1997年11月総会屋への利益供与事件で辞任する 。

松坂屋ホールディングス設立〜経営統合[ソースを編集]

2005年から2006年にかけて、優良資産に目を付けた村上ファンドが松坂屋の大株主となり、一時経営を揺さぶられた。そのため、機動的かつ柔軟な経営判断ができる体制を構築するとともに、グループ各社の採算性と事業責任の明確化を図ることを目的として、株式移転により「株式会社松坂屋ホールディングス」(松坂屋HD)を設立し、純粋持株会社体制へ移行した。

しかし、移行してから1年も経たないうちに大丸との経営統合を発表。そして松坂屋HD発足からちょうど1年後の2007年に共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」 (JFR) が設立されると、松坂屋HDはJFRに吸収合併され、役目を終えることとなった。

店舗[ソースを編集]

名古屋店 北館 GENTAリニューアル前
名古屋店 本館 大津通側から
名古屋店 南館
名古屋店 新・南館
ヨドバシカメラのロゴも併記
名古屋店
1611年「いとう呉服店」創業(本町)。
1659年 呉服小間物問屋を開業(茶屋町 中区丸の内二丁目5番10号 現.アイリス愛知)。
1910年「株式会社いとう呉服店」を創立。栄町に進出(中区栄三丁目4番5号 現.スカイルの位置)。ルネサンス風の3階建て洋館。
1925年 名古屋 南大津町(現在地)へ移転。
1945年 名古屋大空襲による戦災で、四階以上内部を焼失。
名古屋市中区三丁目16番1号

(名古屋市営地下鉄名城線矢場町駅5・6番出口)

店舗面積86,758m。
本店。松坂屋の旗艦店で、大丸との経営統合後は「本店」の呼称は使われなくなった(ただし大丸との経営統合後も常連の買い物客からは、以前同様に「本店」と呼ばれる)。本館・南館・北館の3館で構成され、北館はかつて阪急東宝グループの映画館エンゼル東宝が入っていた共同ビルのため、現在でも店舗設置者に阪急阪神東宝グループが含まれる。
2003年の南館増床以降は、2014年近鉄百貨店あべのハルカス本店(100,000m)が開店するまで店舗面積が日本一であった。
2011年春から大規模改装工事が行われ、翌2012年4月28日に第1期分が完了した。南館では2011年9月14日、4階に「松坂屋写真室」がオープンし、証明写真や出張撮影を含む各種記念写真を取り扱っている。さらに、翌2012年3月2日に、銀座店と大丸各店で展開されているヤングレディスファッション売場「ufufu girls(うふふガールズ)」を2階に開設、また4月21日にH&Mが「国内最大の店舗面積」を唱って、1階と地下1階に出店した。なお、本館・南館・北館の外観はそれぞれ異なっており、南館はさらに、先にオープンした久屋大通沿いと、増床による大津通沿い(新・南館)で外観が全く異なっている(新・南館の外観は本館・大津通沿いの外観に似せてデザインされた)。
2013年3月20日にはオアシス21にあったポケモンセンターが本館5階に移転オープンしている。
名古屋市内の主要百貨店として、名鉄百貨店本店・丸栄名古屋三越(栄店、星ヶ丘店)・ジェイアール名古屋タカシマヤと共に4M1Tと並び称される。長年にわたって市内の百貨店で最も売上の多い店舗として君臨したが、2011年3月の月間売上高において初めてJR名古屋髙島屋に逆転を許すとともに、さらに、2015年2月期における年間の売上高も約4億円の差を付けられて、後塵を拝することになった。
名古屋パルコが隣接しており、パルコがJ.フロント リテイリングの子会社となって以降は、名古屋パルコとクリアランスセールのコラボレーションを全国に先行して行っている。
ヨドバシカメラが南館4~6階に出店することが発表され、2015年10月29日にオープンした。
北館は紳士服・紳士用品フロアを集約し、2016年4月21日に「GENTA(ジェンタ)」にリニューアルした。
ギフトショップ
安城ギフトショップ 安城市三河安城本町一丁目29番地
半田ギフトショップ 半田市山代町一丁目106番地1
豊田店(愛知県豊田市)
豊田店
2001年開店:愛知県豊田市西町六丁目85-1 T-FACE

(名鉄三河線豊田市駅・愛知環状鉄道新豊田駅間)店舗面積18,220m。

豊田そごうの後継として開業。
上野店(東京都台東区)
上野店
1768年 松坂屋買収。「いとう松坂屋」

東京都台東区上野三丁目29番5号

東京において江戸時代から現在まで同一の場所で続く百貨店は、日本橋三越と当店のみである。

また、大丸松坂屋百貨店の直営店舗も、東京且つ関東地区では現在、当店と大丸東京店の2店のみとなっている。

1830年 「東都名所上野広小路之図」に記載される。
1855年 安政の大地震 直ちに再建。
1868年 彰義隊官軍による上野戦争 官軍の本営になった。
1907年 上野店を「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改組。座売りを陳列式建売りに改め、呉服に加え、雑貨、家庭用品なども扱い始めた。
1917年 新本館(6,600m)完成。
1923年 関東大震災により全焼。1か月後に仮営業所、2か月後には仮店舗を立ち上げた。
1929年 本館再建。エレベーター10基設置。日本初のエレベーターガールを配置。民間初の自動交換式電話を設置。
1930年1月1日 地下鉄広小路駅と地下売場が直結。
1931年 お子様ランチが登場。
1957年 南館(地下3階、地上7階)を増築。売場面積は本館と合わせて、35,213mに達した。
2014年3月11日 南館の営業終了。南館は取り壊した上で23階建の複合ビルに建て替え、メインテナントとしてパルコTOHOシネマズが入居。
2017年11月4日 新南館「上野フロンティアタワー」開業。上野店は地下1階のみ入居。
静岡店(静岡県静岡市葵区)
静岡店
1932年開店:静岡市葵区御幸町10番地の2
JR静岡駅前 静岡駅北口から横断地下道で直結
店舗面積25,452m。本館と北館で構成。
1971年 本館全面建替え完成
1996年9月には北館が完成し、同市最大の百貨店になった。売上高は1997年度は、347億円を計上したが、近年は長引く消費不振により減少傾向にあり、2011年度は229億円まで落ち込んでいる。
ギフトショップ
富士ギフトショップ 富士市永田町二丁目51番地の2
高槻店(大阪府高槻市)
高槻店
1979年開店:大阪府高槻市紺屋町2番1号
JR京都線高槻駅より徒歩1分
店舗面積20,642m。運営上は大丸京都店の分店。高槻駅を挟んで向かい側には西武高槻店アル・プラザ高槻がある。

過去に存在した店舗[ソースを編集]

直営店[ソースを編集]

銀座店(2007年9月)。向かって右側に、大丸との経営統合を知らせる懸垂幕が懸けられた
1924年開店。2013年6月30日閉店。
東京都中央区銀座6-10-1 店舗面積25,352m。本館と別館で構成。
銀座地区最古参で、初めて土足入店を試みた百貨店だった。
「J.フロント リテイリング」の登記上の本店だが、事務所は八重洲二丁目。
閉店理由は建物の老朽化による建て替え(赤字閉店ではない)で、隣接するビルなどと一緒に再開発を実施。地上13階、地下6階建てのオフィスと商業施設が入居する複合ビルを開発する事になり、2014年4月2日に工事着工した。商業エリアについては、土地を森ビル住友商事に売却し、専門店を主体とする施設を運営させるとしている。竣工は2016年11月の予定。
公式ホームページでは「一旦営業を終了しました」と記載されており、あくまでも完全閉店ではなく、テナントとして再出店する予定だった。しかし、2015年にJ.フロント リテイリングは新商業施設に百貨店の直営売場は設けない方針である事を正式に決定したため「松坂屋 銀座店」として復活することは無くなった。
2017年(平成29年)4月20日に、GINZA SIXとして開業。
1977年 開店。1999年8月22日 閉店。
千葉県市川市市川1-5-17 道口ビル(JR総武線市川駅北口 千葉街道沿い)
同ビルには2000年3月1日 オリンピック市川店が開店。
閉店後隣地の市川グランドホテルに「市川ギフトショップ」を開設するも2008年閉店。現在は「外商市川出張所」及び「市川学生服プラザ」として営業。
市川市市川1-3-18 明治安田生命市川ビル2階。
名古屋駅店(現在は解体)
1974年 開店。2010年8月29日 閉店。
名古屋市中村区名駅1-1-2 名古屋ターミナルビル。店舗面積16,521m。
呼称は「ナゴヤエキ店」。地元では「駅店」「名駅店」とも呼ばれた。
JR東海による同ビル建替え構想の浮上に伴い、新ビルへの再出店に向けJR東海と交渉を続けたものの売り場面積などの条件が折り合わず、ターミナルビル解体工事の着手に合わせるため、2010年に撤退した。当初、新ビルが開業する2017年前後の経営環境によっては再出店の可能性も残すとしていたが、バブル崩壊後のJRセントラルタワーズ百貨店誘致問題をめぐりJR東海との間に軋轢が生じた経緯もあるためか、最終的に今回も両者が手を組むことはなかった。同時に、同地区への再出店もしないことを正式に決定した。
なお、松坂屋の再出店計画の断念を受けて、新ビルの百貨店部分としてジェイアール名古屋タカシマヤが増床オープンされた。詳細はJRゲートタワーを参照の事。
岡崎店(現在は解体)
1971年4月10日 開店-2010年1月31日 閉店。
愛知県岡崎市康生通西3-15-4 岡崎ショッピングセンター クレオ
跡地は、アオキスーパー岡崎康生店が2015年4月21日にオープンした。
1991年 開店-2001年5月31日 閉店。
三重県四日市市安島1-3-31 アムスクエア 近鉄四日市駅西口。
松坂屋撤退後暫くアムスクエア単独で営業していたが、2002年7月-2004年11月は空きビルとなっていた。
2005年3月12日 三井不動産グループにより「ララスクエア四日市」が開業。アピタ四日市店、109シネマズなどが入居。
高島屋東別館
(松坂屋大阪店~1966)
京阪シティモール
(松坂屋大阪店~2004)
1875年 第1大区高麗橋1丁目(現・中央区高麗橋1丁目)の呉服店「恵比須屋」を買収の上、第3大区新町通3丁目(現・西区新町3丁目)に「ゑびす屋いとう呉服店」設置。
1909年 「ゑびす屋いとう呉服店」を閉鎖。
1923年 南区日本橋筋3丁目(現・浪速区日本橋3丁目)に「松坂屋いとう呉服店大阪店」を開店。
1938年 大阪店増改築工事竣工(現・高島屋東別館)。
1960年代前半、市電の廃止と引き換えに地下鉄整備が進むようになったものの、堺筋の市電路線が廃止されたことに加え近辺に地下鉄駅も開設されないなど大阪店周辺の交通環境の悪化で業績を好転させるのは不可能と判断。新大阪店の候補地を大阪城の北西部に当たる京阪天満橋駅の地下化および駅ビル建設に伴う鉄道利用客の需要を見込み、移転することとした。
1964年4月 京阪電鉄、松坂屋、竹中工務店の3社の出資による京阪ビル(株)を設立、京阪天満橋駅の上部と隣接地に地下4階、地上8階の京阪ビルディングの建設を発表。
1966年10月1日、東区京橋2丁目(現・中央区天満橋京町)に移転。「桜の通り抜け」や天神祭でも有名な大川沿いに位置し、ガラス張りの休憩室や飲食店からの展望を売りとし、結婚式場をはじめ海外旅行サロン・文化催事場・スポーツ用品センターなどを導入しながら他店との差別化を図った。
しかし梅田を中心とするキタ、心斎橋・なんばを中心としたミナミの大阪市内二大商業地域に人口が集中していた上、天満橋周辺が商業地域というよりもオフィス街という性格上、周辺に人をよびこむことができなかった。総面積も市内の主要百貨店と比べ狭く、川沿いの立地が災いし売場の増床も事実上不可能だった。
1973年、1976年にそれぞれ、ファッション部門を強化。1986年から1988年にかけても全館を改装、食品フロア「グルメ館」として再編。。
1996年、長堀鶴見緑地線京橋 - 心斎橋間の開通により、多くの人が心斎橋に流れた。
1997年から1999年にかけ食料品フロアを「食彩館」として展開。全館のうち5フロアを女性ファッションフロアに特化して改装、1998年4月8日に新装開店。若者向けの改装のほか人気テナントの導入や業態転換などの方針がとられたが、失敗に終わったとされる。
以前より松坂屋より京阪側に撤退を含めて検討したいとの要望が出されていたのをきっかけに、岡田邦彦社長(当時)が「競合店が次々とでき、今後、商圏を大きく奪われる。投資しても回収が見込めない状況だ」と述べ、閉店が正式に決定。
2004年5月5日 閉店。移転後ただの一度も黒字化を果たせない店舗となった。移転後には幾多の改装などを行うなどの努力をしてきたにも関わらず、実を結ぶことはできなかった。
閉店後、この京阪ビルディングのうち松坂屋が所有している土地、建物を京阪側に売却。京阪による大規模な改装工事が行われたのち、2004年11月25日に地下2階の食品売り場である「デリスタ」が先行オープンし、その後2005年5月27日に「京阪シティモール」がオープンした。
1974年 開店-2004年3月31日 閉店。
大阪府枚方市楠葉花園町15-1 くずはモール街。モール街のオープン(1972年)より2年遅れて開店した。
閉店後、建物はくずはモール西館となっていたが、くずはモールの増床リニューアルに伴い2012年6月末で閉鎖され、解体された。
松坂屋京都仕入店(現在は解体)
1745年室町姉小路に開設。1749年、現在の新町六角通下ル(京都市中京区)に移転。この界隈が呉服の問屋街であることから、呉服を仕入れるために設けられた店舗であるといえる。1902年に建てられた建物は、昔ながらのたたずまいを見ることができた。染織デザインの研究所(京都事業所)となった後2010年8月末で閉鎖され、2012年に解体。
跡地には三井ガーデンホテル京都新町 別邸2014年3月25日にオープンした。このホテルでは京都仕入店のファサードイメージを再生させたデザインを外観に、旧建物の梁を内装に、それぞれ取り入れている。

提携店[ソースを編集]

札幌市の歓楽街であるすすき野の市街地再開発ビルに、工事を請け負った竹中工務店の誘致を受けて、同社と松坂屋が折半出資で1972年(昭和47年)1月11日に設立。
1974年(昭和49年)]]6月8日開店。札幌市中央区南4条西4丁目1。
アカシアの花白くいま開く松坂屋というキャッチフレーズのもと、道内一の歓楽街すすきのに出店し、すすきのを夜の街から昼の街へと変えるとして話題となったが目論見ははずれ大幅な赤字が続いた。
1978年(昭和53年)9月にイトーヨーカ堂と提携して再建を図ることになり、1979年(昭和54年)2月1日に閉店して札幌松坂屋としての営業を終了した。1979年(昭和54年)4月28日にイトーヨーカ堂と合弁により「ヨークマツザカヤ」として開店。
1994年(平成6年)3月からは「ロビンソン百貨店」札幌店となって、完全に松坂屋グループを離脱してイトーヨーカ堂グループの傘下に完全に移行。
2009年(平成21年)3月26日に全館ファッションビル「ススキノラフィラ」として新装開店し、イトーヨーカ堂が地下1-2階部分に出店している。
1956年2月、地元商店街の共同組合方式で「丸久」として開業。山形市七日町2-7-2(現:セブンプラザ。同施設は再開発によって解体を予定)
1971年1月、松坂屋と業務提携を締結。
1973年1月、「丸久松坂屋」に商号を変更。同年3月、隣地(山形市七日町2-7-10)へ移転。
当時のイメージキャラクター江原真二郎中原ひとみ一家。山形市内では江原ファミリーの印刷されたはがきが販促品として配布された。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/10/24 14:13

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