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松田聖子とは?

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松田聖子

【出生名】
蒲池 法子
(かまち のりこ)
【生誕】
(1962-03-10) 1962年3月10日(55歳)
【出身地】
日本 福岡県久留米市荒木町
【学歴】
堀越高等学校卒業
【ジャンル】
アイドル歌謡曲
ポップ・ミュージック
ジャズ
【職業】
アイドル
歌手
女優
シンガーソングライター
【活動期間】
1979年 -
【レーベル】
CBS・ソニー→ソニーレコード
(1980年 - 1995年)
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント→キティMME
(1996年 - 2001年)
ソニー・ミュージックレコーズ
(2002年 - 2008年)
ユニバーサルシグマ
(2009年 - 2014年)
EMI RECORDS
(2015年 - )
【事務所】
サンミュージックプロダクション
ファンティック
グリーンパークミュージック→
ファンティック→
felicia club(フェリシアクラブ)
【共同作業者】
小倉良(1992年 - 2015年)
原田真二(2000年 - 2004年)
【公式サイト】
松田聖子オフィシャルサイト

松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日 - )は、日本歌手女優。80年代トップアイドル

福岡県久留米市荒木町出身。所属事務所はfelicia club(フェリシアクラブ)。身長160cm、体重42kg(身長、体重は公式サイト2008年12月25日のデータより)。血液型A型

目次

  • 1 特徴
    • 1.1 1980年代を代表するアイドル
    • 1.2 アイドル歌手としての松田聖子
    • 1.3 音楽家としての松田聖子
    • 1.4 松田聖子的生き方
  • 2 略歴
    • 2.1 1970年代まで
    • 2.2 1980年代
    • 2.3 1990年代
    • 2.4 2000年代
    • 2.5 2010年代
  • 3 エピソード
    • 3.1 デビュー前後〜アイドル最盛期
    • 3.2 結婚・出産以降
    • 3.3 交友
  • 4 エピソード2
  • 5 作品
    • 5.1 シングル
      • 5.1.1 プロモ盤
    • 5.2 オリジナル・アルバム
    • 5.3 ベスト・アルバム
    • 5.4 リミックス・アルバム
    • 5.5 企画アルバム
    • 5.6 オリジナル・サウンドトラック
    • 5.7 トリビュート・アルバム
    • 5.8 映像
    • 5.9 楽曲提供
  • 6 記録
    • 6.1 シングル
    • 6.2 アルバム
    • 6.3 ザ・ベストテンでの記録
    • 6.4 その他の記録
  • 7 出演
    • 7.1 テレビドラマ
    • 7.2 バラエティ
    • 7.3 テレビアニメ
    • 7.4 ドキュメンタリー
    • 7.5 映画
    • 7.6 ラジオ
    • 7.7 CM
    • 7.8 NHK紅白歌合戦出場歴
  • 8 受賞歴
  • 9 書籍
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 参考文献
  • 12 関連項目
    • 12.1 関連人物
  • 13 外部リンク

特徴

1980年代を代表するアイドル

1980年代を代表するアイドル歌手である。1970年代を代表するアイドル山口百恵が引退する年の1980年4月に、「裸足の季節」でレコードデビュー。デビュー曲はCMタイアップで火が付き、その伸びのある透明感のある歌声で注目され、その後も続けざまにヒット曲を連発。「ぶりっ子」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿と高い歌唱力が人気となり、トレードマークであったヘアスタイルの「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集めた。大宅壮一文庫創設以来の人名索引総合ランキングでは「松田聖子」が1位(2015年2月)となっており、2位の小沢一郎らを抑えて「日本の雑誌にもっとも頻繁に登場した著名人」とされている。

アイドル歌手としての松田聖子

歌手としては1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位を獲得。デビュー初期の曲は、三浦徳子の作詞、小田裕一郎の作曲が主だった。

楽曲の制作には2年目の6枚目シングル「白いパラソル」以降、作詞に松本隆が起用され、この後作曲家の選択も含め彼のプロデュース色が濃くなるが、編曲は初期からの大村雅朗が続けた。作曲家は財津和夫、「呉田軽穂」名義の松任谷由実をはじめ、細野晴臣などニューミュージック系の作家が多い。

1980年代のアイドル歌手としては突出した歌唱力を持っていたとする但馬オサムの評価があり、歌唱力の欠けたアイドルでも通用した「可愛い子ちゃん歌手」の時代から転換したことの象徴とされている。CBS・ソニーの当時のプロデューサーである若松宗雄は、聖子の魅力について第一に声質を挙げ、透明感と強さ、その中に娯楽性とある種の知性を感じたと語っている。

絶頂期は多忙なスケジュールから曲のレッスンを受ける時間は無く、レコーディングの当日に楽曲を聞いて即収録に挑んでいた。プロデューサーからもとにかく勘が良いと言われており、2~3回デモを聞いただけで曲調を覚えて歌えるようになっていたという。

当時の人気の高さを端的に示す言葉としては「聖子ちゃんカット」と「ぶりっ子」が挙げられる。聖子ちゃんカットとはその名の通り、デビュー当時からしていた彼女の髪型のことである。当時の若い女性の間でこれを模倣した髪型が大流行し、街中に溢れかえっていた。そしてその聖子ちゃんカットも聖子本人が1981年の年末にバッサリ切ってショートヘアにすると、今度はまたそれを真似たショートヘアが流行りだした。

「ぶりっ子」とは、当時の人気漫才コンビ春やすこ・けいこ山田邦子が、聖子が意識的に自分を可愛く見せようとしている様子をからかった言葉であり、当時の流行語にまでなった。一方で、ある新人賞を受賞した際に故郷の母親と電話でやり取りをする場面で、泣き声を上げながらも涙が明確に見えなかった様子から「うそ泣き聖子」と呼ばれ、「年上や男性、大衆に媚びるのが上手いしたたかな女」と、当時の女性の反感を買っていた面もある。当時の事務所の社長であった相澤秀禎は、ファンが欲しているものをその場で判断して、それにあった雰囲気作りをする聖子の頭の回転の速さと行動力を評価しており、持ち前の声の良さとプロ根性と共にその「巧妙な自己演出」が松田聖子という歌手を完成させたと語っている。

1985年6月に俳優神田正輝と結婚。妊娠中に芸能活動を休業するが間もなく復帰し、主に歌手としての活動を続けた。神田正輝との間に生まれた長女はSAYAKA名義で2002年に歌手デビューし、その後は本名の神田沙也加名義で、ミュージカルや舞台女優・タレントとして活動する。

趣向として、天使の持つ無垢性・純粋さを好み、コンサートなどでは天使の羽根のついたコスチュームをすることも多い。

音楽家としての松田聖子

1990年代に入ると、作詞、作曲やアルバムのプロデュースにも自ら取り組むようになり、アイドル歌手ではなく、いわゆる「アーティスト」、あるいはシンガーソングライターとしての活動を展開していく。作詞、作曲に関してはアイドル時代から手がけており、アルバム『ユートピア』では「小さなラブソング」を作詞、アルバム『Canary』で同名曲を作曲したのをはじめ、「とんがり屋根の花屋さん」(アルバム『SEIKO・TOWN』)、「時間旅行」(アルバム『SUPREME』)「シェルブールは霧雨」」(アルバム『Strawberry Time』)などの曲を作曲している。

1990年代のアルバム『1992 Nouvelle Vague』から『FOREVER』までの6枚はセルフ・プロデュース、全曲作詞作曲(作曲の多くは小倉良の共作)が基本となり、シングル曲でも「きっと、また逢える…」「大切なあなた」「輝いた季節へ旅立とう」「さよならの瞬間」などをヒットさせる。特に、1996年発表の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は、オリコンチャートで自身シングル初のミリオンセラー(100万枚突破)を記録し最大のヒット曲(2016年現在)となった。また、この時期には「私だけの天使〜Angel〜/あなたのその胸に」(1997年)など、長女への母性愛をテーマとした楽曲もいくつか発表した。

作詞家としては極めて個人的な感情を赤裸々にさらけ出す歌詞、あるいは非常に前向きな歌詞を書くことが多い。作曲家としては長調の曲を好む傾向がある。また、最大のヒット曲「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が典型であるが、同主調平行調、あるいは属調下属調などの近親調転調することをアクセントに使うことが多い。これは共作者である小倉良の特徴でもある。

ディナーショーの女王」として知られ、1992年より毎年行われるそのショーは高い人気を誇っている。チケット代は日本の全タレントの中で最も高い部類に入るが、常に即日完売となり入手が困難だと言われている。グランドプリンスホテル新高輪ウェスティンナゴヤキャッスルのS席は49,500円と高額で、ヒルトン名古屋では4人セットで220,000円という価格のものも存在していた。

松田聖子的生き方

デビューから35年以上が過ぎ、結婚、出産、2度に亘る離婚、過激なスキャンダル報道などを経てもなお「アイドル」と呼ばれ続けている。近年はその活動に敬意を表して「永遠のアイドル」と称されることがある。

2007年4月9日、「松田聖子的生き方」とそれに共感する同世代の女性たちに焦点を当てたドキュメンタリー番組、NHKスペシャル『松田聖子 女性の時代の物語』が放送され、放送後も『朝日新聞』の天声人語(4月15日付)にも取り上げられるなど話題を呼んだ。

90年代、2000年代に渉って『女性自身』や『婦人公論』その他の雑誌、TVなどのメディアにおいて「生き方に憧れる女性有名人」「輝いている女性有名人」「スターだと思う有名人」「永遠のアイドルだと思う有名人」などの好感度アンケートでは常に上位にランクインし続けた。その一方では、過剰な不倫スキャンダル報道などの影響から、嫌いな女性著名人のアンケートで上位になることも多かった。週刊誌SPA!』では「1998年度の男が許せない女」1位、『週刊女性』では「2000年度の読者が選ぶ嫌いな女」5位、『週刊文春』では「2005年度の女が選ぶ嫌いな女」5位になった。

略歴

1970年代まで

1962年

1977年

  • 福岡県立の進学校八女高校を受験するが不合格となり、4月8日カトリック系の久留米信愛女学院高等学校に入学する。志望校ではなかったものの、ジャンパースカートとボレロの制服に憧れ、父親も娘を淑やかなお嬢さんに育てたいという方針でこの高校に決まった。キリスト教研究部に入部し、聖書の勉強に勤しむ。
  • 行事の度に皆の前で聖書を読む「女神」という役職(各学年で1人ずつ)に選出される。大ファンの郷ひろみのコンサートが福岡で行われる度に観に行き、歌手に憧れるようになる。
  • 高校入学まもない春、福岡開催のテイチク新人歌手オーディションに応募し、桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を歌うが二次審査で落選。8月には第二回ホリプロタレントスカウトキャラバン九州大会にも応募するが書類選考の第一次審査で落選。この時一緒に応募した友人は一次審査に合格したものの大会直前に扁桃腺手術をして歌えなくなったため、法子(聖子)がフォロー役で急遽ピンクレディーの曲でコンビを組み出場した。2人は最終審査の5組に残ったが優勝できなかった。

1978年

  • CBSソニー集英社が主催する『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を録音したテープを送り合格し、4月に福岡市民会館で行われた九州地区大会で優勝。全国大会は父親の承諾を得られず辞退するが、九州地区で優勝した法子の歌声を聴いて「この子は絶対に売れる」と確信したCBSソニー制作部・若松宗雄によってスカウトされる。若松の紹介で東京音楽学院九州校(渡辺プロ系列)に通う。渡辺プロの九州支部長の説得により父親が承諾するが、渡辺プロ本社は送られたデモテープをあまり重視せず、スタイルの悪いO脚の法子の写真を見て不採用となる。

1979年

  • 5月、若松がサンミュージックプロダクション相澤秀禎に直訴するも相澤は一旦保留。6月に法子が上京し面接となり直接歌唱を聞いた幹部社員らに注目され、同プロダクションと契約の運びとなる(来年3月の卒業後に来るように告げられる)。
  • 7月、卒業を待たずに高校を中退し歌手デビューのため単身上京。その行動力と熱意に押された相澤は法子を寮に住まわせ堀越高等学校に転入させる。プロダクションが用意した「新田明子」と「松田聖子」という芸名から、法子は「松田聖子」を選ぶ。「新田明子」という名は同プロ所属の中山圭子のため考えられてボツになったものだった(そのことを中山圭子は法子には言わなかったという)。
  • 12月、日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に出演。法子は「松田聖子」という芸名を役名にしてもらう。この時の役名が親しみやすいとしてその後の芸名になったという説もある。
  • 11月、ニッポン放送ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のパーソナリティ「パンチ・ガール」のオーディションに合格し、翌年1月からレギュラー出演開始。
  • 12月、資生堂の洗顔クリーム「エクボ」のCMモデルのオーディションを受け、一次審査の面接、二次審査の水着での踊りに合格するが、最終審査のテスト撮影でどうしてもエクボが出なかったため不合格となる(選ばれたのは山田由紀子)。

1980年代

1980年

  • 2月、サンミュージックの相澤社長の陳情で洗顔クリーム「エクボ」のCMのイメージソングの歌唱起用が決定する。
  • 4月1日、「エクボ」のCMイメージソング「裸足の季節」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「抱きしめたい! ミス・ソニー」。テレビCMで流れる聖子の歌声を初めて耳にした松本隆(のちに聖子の歌う楽曲の作詞を手掛けることになる作詞家)は直感的に、「彼女の声の質感と自分の言葉がすごく合うような気がした」という。ジャケット写真で、歌っているのがCMの山田由紀子ではないと分かっても、その声量のある魅力的な声でレコードは売れ始める。
  • 4月13日、NHK総合レッツゴーヤング』にサンデーズのメンバーとしてレギュラー出演開始。
  • 4月28日、「裸足の季節」で、フジテレビ夜のヒットスタジオ』に初登場。
  • 7月、デビュー3か月でファンクラブ発足 発会式には5,000人が集まる。
  • 7月、よみうりランドグリーンステージで『さわやかコンサート』を開き、8,000人のファンを動員する。
  • 7月3日、「裸足の季節」で、TBSザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナーに初登場(11位)。
  • 8月14日、「青い珊瑚礁」で、TBS『ザ・ベストテン』に初ランクイン(8位)。
  • 9月18日、「青い珊瑚礁」で、TBS『ザ・ベストテン』の第1位を初めて獲得。
  • 9月25日、この日の『ザ・ベストテン』で「青い珊瑚礁」が2週連続第1位となり、「さよならの向う側」で10位にランクインした山口百恵と初共演。同番組では70年代80年代の歌姫の最初で最後の共演となった。
  • 9月、日本青年館ファーストコンサート『First Kiss』開催。
  • 10月 3枚目のシングル「風は秋色」で初のヒットチャート第1位獲得。
  • 8月 - 12月、「青い珊瑚礁」で第22回日本レコード大賞新人賞をはじめ、10もの大きな音楽祭の賞を獲得。第31回NHK紅白歌合戦に初出場した。「聖子ちゃんカット」と呼ばれる独特のヘアスタイルが全国の女の子の間で大流行し、「ブロマイド」の年間売り上げでトップに輝く。

1981年

  • 1月、イタリアサンレモ音楽祭に出場。
  • 3月、「青い珊瑚礁」が1981年春の選抜高校野球大会の入場行進曲になる。
  • 4月、初の全国横断コンサート(6か所8公演)の締めくくりに日比谷野外音楽堂で『'81聖子ビックコンサート in TOKYO』を開く。
  • 7月、6枚目のシングル「白いパラソル」発表。
  • 7月 - 9月、コンサートツアー『Nice Summer Seiko』
  • 8月8日、初主演映画『野菊の墓』公開。
  • 8月13日、「白いパラソル」が、TBS『ザ・ベストテン』で番組史上初となる「初登場第1位」を獲得(9072点)。
  • 12月、「聖子ちゃんカット」をバッサリ切り、ショートカットになる。
  • この年の暮れから、父親の定年退職を機に両親を九州から呼んで共に暮らすようになる。のち神田正輝と結婚するまでは東京都目黒区東が丘の一軒家で、この家の門は、代表作「青い珊瑚礁」のサビ部分「あ〜私の恋は〜」の五線譜で飾られていた。

1982年

1983年

  • 2月、12枚目のシングル「秘密の花園」が10曲連続シングルチャート1位 9曲連続のピンク・レディーの記録を破る。
  • 2月、大阪厚生年金会館で『Seiko New Year Concert』開催。
  • 3月28日、沖縄の市営体育館でのコンサートにて、「渚のバルコニー」の歌唱中に観客席から男が乱入し、工事用のプラスチックパイプで聖子の頭部を目掛けて数回殴打するという事件が発生。男は傷害の現行犯ですぐに逮捕されたが、聖子は右頭部と右手に全治約1週間の軽傷を負い恐怖で失神し、その日のコンサートは中止となった。この様子は日本テレビがザ・トップテンの放送のために撮影をしていたため、ワイドショー等で頻繁に放送された。その後、4月5日の熊本コンサートから復帰を果たした。
  • 7月、コンサートツアー『アン・ドゥ・トロワ』開催。主演映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』公開(主題歌は13枚目のシングル「天国のキッス」)。
  • 8月、「SWEET MEMORIES」がサントリー生ビールのCMソングに。ジャケット写真は最初のものと後に発売された両A面版と2パターンある。
  • 11月17日、「SWEET MEMORIES」(9位、6796点)と「瞳はダイアモンド」(2位、8199点)が、TBS『ザ・ベストテン』で番組史上初となる「2曲同時初登場」を記録。
  • 12月、日本武道館でコンサート『SEIKO LAND』開催。伊集院静が舞台演出。

1984年

  • 1月 - 4月、コンサートツアー『JEWELS』開催(15か所16公演)。
  • 4月 - 6月、コンサートツアー『FANTASTIC FLY』開催。日本武道館では香水をまく演出が話題に。伊集院静が舞台演出。
  • 7月、ハワイ大学へ短期留学。主演映画『夏服のイヴ』公開。
  • 7月 - 11月、コンサートツアー『Magical Trump』開催。伊集院静が舞台演出。
  • 12月、コンサートツアー『GOLDEN JUKE』開催
  • 『ドレミファドン』のアンケートで、若い男性にとっては「結婚したい女性」のNo.1となる。

1985年

  • 1月23日、交際を公にしていた歌手・郷ひろみと破局。東宝スタジオの食堂にて涙の破局会見を行い、聖子は「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と語ったが、後に郷は「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定した。
  • 2月、ハワイから帰国した神田正輝が記者会見で松田聖子との交際を認める。
  • 4月9日、神田正輝と松田聖子が婚約発表。
  • 4月13日、神田正輝との主演映画『カリブ・愛のシンフォニー』(メキシコロケ)公開。
  • 4月 - 5月、コンサートツアー『SEIKO PRISM AGENCY』開催(5か所8公演)。
  • 6月、フィル・ラモーンプロデュースでシングル「DANCING SHOES」リリース。
  • 6月24日、神田正輝と東京都目黒区サレジオ教会で結婚。2人の結婚は、世紀の結婚をもじって「聖輝の結婚」と呼ばれた。結婚式披露宴の独占放送権を獲得したテレビ朝日は、約10時間に亘りこの模様を放送。ゴールデンタイムの平均視聴率は34.9%(ビデオリサーチ・関東地区)を記録した。司会を務めたのは当時日本テレビアナウンサー徳光和夫
  • 8月、初の英語版アルバム『SOUND OF MY HEART』をリリース。
  • 11月、翻訳した絵本『ベビー・ディヴァインの冒険』の発売。
  • 12月、『紅白歌合戦』の出演以降、出産準備のため、約1年間テレビ出演などの主だった芸能活動を休止する。

1986年

  • 1月、神田法子名義で自叙伝『聖子』出版。
  • 6月1日、産休中にレコーディングを行ったアルバム『SUPREME』リリース。
  • 10月1日、長女・神田沙也加を東京飯田橋東京逓信病院で出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「ママドル」と呼ばれる。
  • 12月、日本レコード大賞で、アルバム『SUPREME』がアルバム賞を受賞。1年ぶりにステージに立ち、アルバムから3曲をメドレーで歌唱し、『紅白歌合戦』にも出場。

1987年

  • 4月、約2年ぶりのシングル「Strawberry Time」リリース。
  • 4月、写真集『Five Seasons』(篠山紀信/撮影)出版。
  • 4月23日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後のスポットライトを獲得(2年ぶりの出演)。ランクインは次々週まで待つことになる。
  • 6月4日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後の1位を獲得。
  • 5月 - 6月、コンサートツアー『SEIKO SUPER DIAMOND REVOLUTION』開催(8か所15公演)。
  • 9月、TBS特別企画ドラマ『スイート・メモリーズ』主演。
  • 12月、NHK紅白歌合戦に「Strawberry Time」で出場(8回目)。

1988年

  • 2月14日、東京都目黒区の自由が丘に現在も営業中のブティック「フローレス・セイコ」(Flawless Seiko)をオープン。「フローレス (Flawless)」とは "(宝石が) 傷のない、完璧な" という意味で、ダイアモンドの最高級を表す。(※2014年11月1日に「felicia club by Seiko Matsuda」に店名を改名しリニューアルオープン)
  • 3月、CBSソニー・ゴールドディスク大賞受賞。
  • 4月、アルバム『Citron』をデイヴィット・フォスターーがプロデュース。
  • 4月28日、「Marrakech〜マラケッシュ〜」でTBS『ザ・ベストテン』最後の出演。
  • 5月 - 9月、コンサートツアー『Sweet Spark Stream』開催 (19か所25公演)映画監督・根岸吉太郎が演出を手がける。
  • 9月、26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」で24曲連続チャート1位獲得。
  • 10月27日、「旅立ちはフリージア」でTBS『ザ・ベストテン』最後のランクイン(10位)。
  • 12月、NHK紅白歌合戦に「Marrakech〜マラケッシュ〜」で9年連続出場。

1989年

1990年代

1990年

  • 5月、シングル「THE RIGHT COMBINATION」(USA)で、「New Kids On The Block」のDonnie Wahlbergとデュエット。
  • 6月、アルバム『Seiko』で全米デビュー、アメリカでは『USマガジン』や『インターセクト』で特集される。またイギリスのTV-amの朝のワイドショー番組『Good Morning Britain』(1990年8月)、BBCテレビにも出演し、世界中のメディアに登場。

1992年

  • 2月、ブティック「フローレス・セイコ」が4周年を迎え、記念イベントが行われ2,000人のファンが詰めかける。
  • 3月25日、初の聖子自身による全曲作詞作曲プロデュースアルバム『1992 Nouvelle Vague』発売。先行シングルは、自身初の主演連続ドラマTBS『おとなの選択』の主題歌「きっと、また逢える…」。この年から本人による作詞作曲プロデュースによる楽曲発表が主体となっていく。
  • 6月 - 7月、コンサートツアー『1992 NouvelleVague』開催(10か所16公演)。
  • 12月、初のクリスマスディナーショー(4か所8公演)を開く。

1993年

  • 6月 - 7月、コンサートツアー『Diamond Expression』開催(16か所24公演)。
  • 12月、クリスマスディナーショー開催(全国13か所21公演)。

1994年

  • たかの友梨ビューティークリニックのイメージキャラクターに選ばれ、「ヌーディッシュ宣言」と題した本人の巨大広告やTVCMが話題となり、ワイドショーやマスコミなどで「第2次聖子ブーム」と騒がれる。
  • 6月 - 8月、コンサートツアー『Glorious Revolution』開催(19か所28公演)。
  • 12月、クリスマスディナーショー開催(10か所21公演)。

1995年

  • 6月 - 8月、コンサートツアー『It's Style '95』開催(23か所33公演)。
  • 12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。

1996年

1997年

  • 1月、神田正輝と離婚。離婚のニュースは、芸能報道の枠を超えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、号外が出された。神田との離婚後も、学業半ばの娘の姓が変わらないようにするため婚氏続称を選び、民法上は神田姓であった。
  • 6月 - 7月、コンサートツアー『My Story』開催 (13か所26公演)。
  • 12月、クリスマスディナーショー開催 (全国8か所22公演)。

1998年

  • 5月、6歳年下の歯科医師・波多野浩之と交際2か月で結婚。会った瞬間「ビビビッと来た」というコメントが流行語になる。
  • 6月 - 11月、コンサートツアー『Forever』開催(全国8か所22公演)(広島及び福岡公演は急病のため延期となった)。
  • 12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。

1999年

  • マネージメント事務所を「ファンティック」から元ソニーのプロデューサーだった若松宗雄が代表を務める「グリーンパークミュージック」に移籍。
  • 10月、事務所移籍の諸事情で武道館他全国アリーナ会場の使用予約をとることが出来なかったため、初のライブハウス・ツアー『Zepp Tour』開催(4か所9公演)。
  • ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/02/20 07:08

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