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松田聖子とは?

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松田 聖子

【出生名】
蒲池 法子
(かまち のりこ)
【生誕】
(1962-03-10) 1962年3月10日(56歳)
【出身地】
日本 福岡県久留米市荒木町
【学歴】
堀越高等学校卒業
【ジャンル】
アイドル歌謡曲
ポップ・ミュージック
ジャズ
【職業】
アイドル
歌手
女優
シンガーソングライター
【活動期間】
1979年 -
【レーベル】
CBS・ソニー→ソニーレコード
(1980年 - 1995年)
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント→キティMME
(1996年 - 2001年)
ソニー・ミュージックレコーズ
(2002年 - 2008年)
ユニバーサルシグマ
(2009年 - 2014年)
EMI RECORDS
(2015年 - )
【事務所】
サンミュージックプロダクション
ファンティック
グリーンパークミュージック→
ファンティック→
felicia club(フェリシアクラブ)
【共同作業者】
大村雅朗(1980年 - 1989年)
小倉良(1992年 - 1998年2000年2002年2005年 - 2015年)
原田真二(2000年 - 2004年)
【公式サイト】
松田聖子オフィシャルサイト

松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日 - )は、日本歌手女優1980年代トップアイドル。娘は女優の神田沙也加

福岡県久留米市荒木町出身。所属事務所はfelicia club(フェリシアクラブ)。身長160cm、体重42kg(身長、体重は公式サイト2008年12月25日のデータより)。血液型A型

目次

  • 1 特徴
    • 1.1 1980年代を代表するアイドル
    • 1.2 アイドル歌手としての松田聖子
    • 1.3 音楽家としての松田聖子
    • 1.4 松田聖子的生き方
  • 2 略歴
    • 2.1 1970年代まで
    • 2.2 1980年代
    • 2.3 1990年代
    • 2.4 2000年代
    • 2.5 2010年代
  • 3 エピソード
    • 3.1 デビュー前後〜アイドル最盛期
    • 3.2 結婚・出産以降
    • 3.3 交友
  • 4 エピソード2
  • 5 作品
    • 5.1 シングル
      • 5.1.1 プロモ盤
    • 5.2 オリジナル・アルバム
    • 5.3 ベスト・アルバム
    • 5.4 リミックス・アルバム
    • 5.5 企画アルバム
    • 5.6 オリジナル・サウンドトラック
    • 5.7 トリビュート・アルバム
    • 5.8 映像
    • 5.9 楽曲提供
  • 6 記録
    • 6.1 シングル
    • 6.2 アルバム
    • 6.3 ザ・ベストテンでの記録
    • 6.4 その他の記録
  • 7 出演
    • 7.1 テレビドラマ
    • 7.2 バラエティ
    • 7.3 テレビアニメ
    • 7.4 ドキュメンタリー
    • 7.5 映画
    • 7.6 ラジオ
    • 7.7 CM
    • 7.8 NHK紅白歌合戦出場歴
  • 8 受賞歴
  • 9 著書
  • 10 書籍
  • 11 脚注
    • 11.1 注釈
    • 11.2 出典
  • 12 参考文献
  • 13 関連項目
    • 13.1 関連人物
  • 14 外部リンク

特徴

1980年代を代表するアイドル

1980年代を代表するアイドル歌手である。1970年代を代表するアイドル山口百恵が引退する年の1980年4月に、「裸足の季節」でレコードデビュー。デビュー曲はCMタイアップで火が付き、その伸びのある透明感のある歌声で注目され、その後も続けざまにヒット曲を連発。「ぶりっ子」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿と高い歌唱力が人気となり、トレードマークであったヘアスタイルの「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集めた。大宅壮一文庫創設以来の人名索引総合ランキングでは「松田聖子」が1位(2015年2月)となっており、2位の小沢一郎らを抑えて「日本の雑誌にもっとも頻繁に登場した著名人」とされている。

アイドル歌手としての松田聖子

歌手としては1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位を獲得。デビュー初期の曲は、三浦徳子の作詞、小田裕一郎の作曲が主だった。

楽曲の制作には2年目の6枚目シングル「白いパラソル」以降、作詞に松本隆が起用され、この後作曲家の選択も含め彼のプロデュース色が濃くなるが、編曲は2枚目シングル「青い珊瑚礁」からの大村雅朗が続けた。作曲家は財津和夫、「呉田軽穂」名義の松任谷由実をはじめ、細野晴臣などニューミュージック系の作家が多い。

1980年代のアイドル歌手としては突出した歌唱力を持っていたとする但馬オサムの評価があり、歌唱力の欠けたアイドルでも通用した「可愛い子ちゃん歌手」の時代から転換したことの象徴とされている。CBS・ソニーの当時のプロデューサーである若松宗雄は、聖子の魅力について第一に声質を挙げ、透明感と強さ、その中に娯楽性とある種の知性を感じたと語っている。

絶頂期は多忙なスケジュールから曲のレッスンを受ける時間は無く、レコーディングの当日に楽曲を聞いて即収録に挑んでいた。プロデューサーからもとにかく勘が良いと言われており、2-3回デモを聞いただけで曲調を覚えて歌えるようになっていたという。

当時の人気の高さを端的に示す言葉としては「聖子ちゃんカット」と「ぶりっ子」が挙げられる。聖子ちゃんカットとはその名の通り、デビュー当時からしていた彼女の髪型のことである。当時の若い女性の間でこれを模倣した髪型が大流行し、街中に溢れかえっていた。そしてその聖子ちゃんカットも聖子本人が1981年の年末にバッサリ切ってショートヘアにすると、今度はまたそれを真似たショートヘアが流行りだした。

「ぶりっ子」とは、当時の人気漫才コンビ春やすこ・けいこ山田邦子が、聖子が意識的に自分を可愛く見せようとしている様子をからかった言葉であり、当時の流行語にまでなった。一方で、ある新人賞を受賞した際に故郷の母親と電話でやり取りをする場面で、泣き声を上げながらも涙が明確に見えなかった様子から「うそ泣き聖子」と呼ばれ、「年上や男性、大衆に媚びるのが上手いしたたかな女」と、当時の女性の反感を買っていた面もある。当時の事務所の社長であった相澤秀禎は、ファンが欲しているものをその場で判断して、それにあった雰囲気作りをする聖子の頭の回転の速さと行動力を評価しており、持ち前の声の良さとプロ根性と共にその「巧妙な自己演出」が松田聖子という歌手を完成させたと語っている。

1985年6月に俳優神田正輝と結婚。妊娠中に芸能活動を休業するが間もなく復帰し、主に歌手としての活動を続けた。神田正輝との間に生まれた長女はSAYAKA名義で2002年に歌手デビューし、その後は本名の神田沙也加名義で、ミュージカルや舞台女優・タレントとして活動する。

趣向として、天使の持つ無垢性・純粋さを好み、コンサートなどでは天使の羽根のついたコスチュームをすることも多い。

音楽家としての松田聖子

1990年代に入ると、作詞、作曲やアルバムのプロデュースにも自ら取り組むようになり、アイドル歌手ではなく、いわゆる「アーティスト」、あるいはシンガーソングライターとしての活動を展開していく。作詞、作曲に関してはアイドル時代から手がけており、アルバム『ユートピア』では「小さなラブソング」を作詞、アルバム『Canary』で同名曲を作曲したのをはじめ、「とんがり屋根の花屋さん」(アルバム『SEIKO・TOWN』)、「時間旅行」(アルバム『SUPREME』)「シェルブールは霧雨」」(アルバム『Strawberry Time』)などの曲を作曲している。

1990年代のアルバム『1992 Nouvelle Vague』から『FOREVER』までの6枚はセルフ・プロデュース、全曲作詞作曲(作曲の多くは小倉良の共作)が基本となり、シングル曲でも「きっと、また逢える…」「大切なあなた」「輝いた季節へ旅立とう」「さよならの瞬間」などをヒットさせる。特に、1996年発表の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は、オリコンチャートで自身シングル初のミリオンセラー(100万枚突破)を記録し最大のヒット曲(2016年現在)となった。また、この時期には「私だけの天使〜Angel〜/あなたのその胸に」(1997年)など、長女への母性愛をテーマとした楽曲もいくつか発表した。

作詞家としては極めて個人的な感情を赤裸々にさらけ出す歌詞、あるいは非常に前向きな歌詞を書くことが多い。作曲家としては長調の曲を好む傾向がある。また、最大のヒット曲「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が典型であるが、同主調平行調、あるいは属調下属調などの近親調転調することをアクセントに使うことが多い。これは共作者である小倉良の特徴でもある。

ディナーショーの女王」として知られ、1992年より毎年行われるそのショーは高い人気を誇っている。チケット代は日本の全タレントの中で最も高い部類に入るが、常に即日完売となり入手が困難だと言われている。グランドプリンスホテル新高輪ウェスティンナゴヤキャッスルのS席は49,500円と高額で、ヒルトン名古屋では4人セットで220,000円という価格のものも存在していた。

松田聖子的生き方

デビューから35年以上が過ぎ、結婚、出産、2度に亘る離婚、過激なスキャンダル報道などを経てもなお「アイドル」と呼ばれ続けている。近年はその活動に敬意を表して「永遠のアイドル」と称されることがある。

2007年4月9日、「松田聖子的生き方」とそれに共感する同世代の女性たちに焦点を当てたドキュメンタリー番組、NHKスペシャル『松田聖子 女性の時代の物語』が放送され、放送後も『朝日新聞』の天声人語(4月15日付)にも取り上げられるなど話題を呼んだ。

90年代、2000年代に渉って『女性自身』や『婦人公論』その他の雑誌、TVなどのメディアにおいて「生き方に憧れる女性有名人」「輝いている女性有名人」「スターだと思う有名人」「永遠のアイドルだと思う有名人」などの好感度アンケートでは常に上位にランクインし続けた。その一方では、過剰な不倫スキャンダル報道などの影響から、嫌いな女性著名人のアンケートで上位になることも多かった。週刊誌SPA!』では「1998年度の男が許せない女」1位、『週刊女性』では「2000年度の読者が選ぶ嫌いな女」5位、『週刊文春』では「2005年度の女が選ぶ嫌いな女」5位になった。

略歴

1970年代まで

1962年

1977年

1978年

1979年

1980年代

1980年

1981年

1982年

1983年

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年代

1990年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

2010Happy Mail