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桜田淳子とは?

受賞 第15回日本レコード大賞最優秀新人賞
第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞
(いずれも「わたしの青い鳥」にて)
第35回芸術祭優秀賞
(ミュージカル『アニーよ銃をとれ』にて)
詳細は「受賞歴」を参照

桜田 淳子(さくらだ じゅんこ、1958年4月14日 - )は、日本の元女優歌手である。秋田県秋田市出身。サンミュージック所属(活動当時)。3児の母。秋田市立日新小学校秋田市立秋田西中学校品川女子学院中等部・高等部(転入)→国本女子高等学校(転入)卒業。聖トマス大学卒業。

身長160cm。愛称は「ジュンペイ」。

目次

  • 1 生い立ち
  • 2 歌手として・女優として
  • 3 合同結婚式・芸能活動休止
  • 4 近況
  • 5 音楽
    • 5.1 代表曲
    • 5.2 シングル
    • 5.3 アルバム
      • 5.3.1 スタジオ・アルバム
      • 5.3.2 ライブ・アルバム
      • 5.3.3 ベスト・アルバム
      • 5.3.4 CD-BOX
    • 5.4 客演作品
  • 6 出演
    • 6.1 紅白歌合戦
    • 6.2 歌番組
    • 6.3 コンサート
    • 6.4 映画
    • 6.5 舞台
    • 6.6 ドラマ
    • 6.7 CM
    • 6.8 バラエティ番組
    • 6.9 ラジオ
    • 6.10 みんなのうた
  • 7 映像作品
    • 7.1 VHS
    • 7.2 DVD
  • 8 写真集
  • 9 著作
  • 10 受賞歴
  • 11 脚注
  • 12 関連項目
  • 13 外部リンク

生い立ち

父親はサラリーマン。一男二女の末っ子。幼少の頃、東京大森に住んでいた綺麗な叔母が秋田に帰ってきて喋る、聞きなれない東京弁が流暢で耳に心地よく東京に憧れた。幼稚園に上がった頃から人前で何かやるのが好きで、小学校では学芸会の常連だった。小学校6年のとき、将来何になりたいかというアンケートに"女優"と書いた。中学2年のとき、毎週観ていた『スター誕生!』で森昌子がグランプリに輝いた。自分と同じ年の合格者に驚き、乗り出すように画面を観ていると、秋田地区でオーディションをするので応募したい人はどうぞと字幕スーパーが出た。瞬時のためらいもなくハガキを出し、両親にも学校にも言わずオーディションに向かった。その日は夏台風の接近で交通機関の運休があり、応募7000人のうち、会場に集まったのは5000人だった。

歌手として・女優として

1972年(昭和47年)7月19日(放映は8月6日)、中学2年生(14歳)の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行われたテレビ予選で牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格(挑戦者は7人で、合格ラインは250点。会場が500点、プロは各自100点の計500点で、合計が1000点満点)。同年9月6日(放映は9月17日)、後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、これも番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した。ホリプロ創業者の堀威夫の自伝『いつだって青春』によれば、当初、桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、ホリプロには既に同番組出身の森昌子が所属しており、(スター誕生!の出身者が)同じ事務所ばかりに偏るのはどうかとの日本テレビ側の配慮もあって、サンミュージックに所属することになったという。桜田本人は、芸能界の悪いイメージの中にあって、森田健作はさわやかで清潔な印象があり、森田さんの所属事務所なら間違いないという、ただ一つの理由で、秋田にやってきた日本テレビのプロデューサーに「森田さんの事務所に行かせて下さい」と言ったと話している。1972年(昭和47年)10月中旬、先の大森の叔母宅に寄宿し、私立品川中学校(現・品川女子学院中等部)2年生に転入した。3年時に同じクラスに山口百恵が転入してきて、よく似た境遇でもあり、すぐに打ち解け親しくなる。

1973年(昭和48年)2月25日ビクター音楽産業より歌手デビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は、オリコンチャートでも12位につけるなど好スタートを切った。また、歌う時に被っていたキャスケット(2枚目のシングル「天使の初恋」まで)も桜田のトレードマークとなり、当時「エンジェルハット」と呼ばれて話題になった。この時点で既に人気アイドルの仲間入りを果たしていたが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれるようになり、トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続いた。3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞最優秀新人賞にも輝いた。

同年11月にリリースされた4枚目のシングル「花物語」で初めてオリコンチャートのベストテン入りを果たす。続く「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」も順調にベストテン入りし、8枚目のシングル「はじめての出来事」ではオリコンチャート第1位を獲得。その後も「ひとり歩き」「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」「リップスティック」「サンタモニカの風」などなど、数々のヒットを飛ばした。シングルは累計で600万枚近くを売り上げ、トータルで18曲をオリコンチャートのベストテンに送り込んでいる。デビュー3年目の1975年(昭和50年)には、オリコン・シングルレコード年間売上、マルベル堂のブロマイド売上、『月刊明星』の年間人気投票において、いずれも女性歌手部門の1位を獲得するなど(「マルベル堂」『明星』『平凡』『近代映画』首位の4冠は美空ひばり・吉永小百合に続くもの)で、名実共に1970年代を代表するトップアイドルのひとりであった。

また、コメディーリリーフとしてのセンスもあり、特に『8時だョ!全員集合』で見せた志村けんとの「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ)での絶妙なかけ合いは、音響、照明効果も相まって人気を博し、お茶の間だけでなく、井上ひさしら放送作家達からも絶賛された。歌手として活躍する一方で、女優としても1975年の映画『スプーン一杯の幸せ』を皮切りに、『遺書 白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』と、5本の映画で主演を務めていたが、1978年には東宝歌舞伎の大御所、長谷川一夫の指名により、『おはん長右衛門』で舞台女優にも挑戦。初舞台ながら長谷川一夫の相手役を演じたことで、役者としての資質が改めて注目されるようになった。その資質は翌年の市川崑監督作品『病院坂の首縊りの家』での一人二役を経て、1980年の初主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』で大きく開花し、その年の芸術祭大衆芸能部門(2部)優秀賞を、当時史上最年少で受賞するなど高い評価を得た。この頃から次第に女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、1983年に発売された小椋佳作曲のシングル「眉月夜」のリリースを最後に歌手活動を停止、完全に女優業へ転向した。その後は数多くのテレビドラマ舞台映画で活躍、歌手時代のみならず女優に転向してからも、芸術選奨新人賞(大衆芸能部門 文部大臣新人賞)や菊田一夫演劇賞(演劇賞)を始め数多くの賞を受賞している。

週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』、『明星』、『平凡』などで何度もグラビアを飾っている。またしゃべり方に特徴があり、ものまね番組などでサ行の発音をデフォルメして真似されることも多く、フジテレビのシチュエーションコメディ『やっぱり猫が好き』内でも、出演者の一人である小林聡美がたびたび桜田の物真似を披露している。アイドルでありながらリクエストされれば秋田弁でしゃべってみせたり、秋田音頭や持ち歌をお国訛りで歌ったりするなどサービス精神が旺盛で、1970年代後半に井関農機田植機『さなえ』のCMに起用された際も、「やっぱし早苗だべさ」というお国訛りのセリフが有名になった。重度の近眼

合同結婚式・芸能活動休止

1992年6月30日、5日前に山崎浩子が2か月後に行われる世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見したのに続き、同じ合同結婚式に参加することを記者会見で表明した。このとき、統一教会に入信していた姉の影響で19歳頃から入信していたことを自ら明らかにし、その合同結婚式で会社役員と結ばれた。なお、桜田の実父は桜田の姉が統一教会に入信した際、全国原理運動被害者父母の会の支部(現 全国統一協会被害者家族の会)「秋田父母の会 陽光会」に参加し会長を務めたこともあった。

この合同結婚式に桜田ら有名人が何人も参加したことによって、統一教会と脱会した元信者らを中心とする反統一教会側との間の訴訟問題がよりクローズアップされるようになった。テレビ放送のワイドショーで統一教会の信者であることや霊感商法に関与したのではとの疑惑を取り沙汰され、また一方的な非難・糾弾報道をされたこともあってか、次第に発言そのものを控えるようになっていった。ちなみに桜田自身がこれらの件で告訴・逮捕・勾留・起訴・有罪判決や民事訴訟を起こされた事実はない。自分の所属していた事務所サンミュージックの社長・相澤秀禎を売りつけていたのではという疑惑報道がなされたことがあったが、これについては、社長自身が桜田の親族を通じて200万円の壺を買っており、後日「淳子の純粋な気持ちは分かっている。彼女のためと思って私が買った」と語っている。

婚姻後は夫の地元の福井県敦賀市に移り住む。その後も桜田が信者の集会や教会関連のイベントで講演したりするたびに芸能マスコミが取り上げ、「統一教会の広告塔」だとして批判する図式が続いていたが、一方で直接関係のない話題であっても、統一教会絡みの話題に「桜田淳子らが参加した合同結婚式で有名な」と名前を引用した当時のスポーツ紙・週刊誌の記事、ワイドショーのタイトルも相当数あり、結婚後のある時期からは、自らがメディアに顔を出す形での取材は一切受けていない。まれにマスコミ向けに出す著名人などへの慶弔のコメントも、すべて自筆の手紙という形で寄せている。

現時点で1993年の3月に公開された映画『お引越し』への最後の出演と1996年12月15日、都内で行われた統一教会クリスマスフェスティバルを最後の公の場に、それ以降は一切の芸能活動を休止、事実上の芸能界引退となっている。騒動の最中、スポンサーが特定の宗教のイメージを嫌ってCMの契約が全部なくなったことや、「まわりには迷惑をかけられない」との理由で当たり役だった『細雪』の舞台(四女役)の降板を自ら申し出たことなどから、結婚後は仕事を干されたかのように報じられているが、3人の子供を出産後(いずれも自宅で自然分娩)、子育てに専念していた間にも映画出演などの具体的なオファーはいくつか来ており、関係者や本人の弁によれば「子育てに忙しく身動きが取れない」という理由で全て断っていたとのことである。

2000年4月に夫が経営していた会社をたたみ、同年8月、夫の高齢の母の世話をするため、近所の兵庫県西宮市に移り住む。その間の2003年9月、『桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜』<完全生産限定10,000セット>が発売された際は、ブックレットに自筆メッセージを寄せている。2004年には東京都世田谷に転居。転居後も桜田が統一教会関連の集会で時折講演したり、歌を披露している姿が報じられたことなどから、一部のタブロイド紙では、夫は統一教会の幹部になったという無署名記事を掲載したこともあったが、2006年12月19日発売の『女性自身』での夫への直撃インタビューでは夫自身がこれを完全否定、現在は会社を整理した際に残った資産の運用で生計を立てていると答えている。

近況

2006年11月24日には14年間の沈黙を破り、エッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)を上梓。子育てのこと、近所づきあい、学校の先生との触れ合いなどについてユーモアを交えながら綴っている。ただ、その良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が多かった。もっとも『婦人公論』(2007年1月22日付)のインタビューではこのことについても語っており、著書の中で触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥仕合になるのは避けたい、今の私は甘受したいと思います」と答えている。さらに同インタビューでは仕事復帰をほのめかす発言もしており、エッセイの出版や東京への引越もその足がかりではと見たマスコミによる、「桜田淳子 芸能界復帰へ」の憶測報道もなされた。

2007年、歌手時代に発表した全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻され、購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露している。また2008年には、過去のライブアルバム9枚もCD化され、これに1979年にNHKで放送された『ビッグショー/桜田淳子 明日への序曲』のDVDを加えた『桜田淳子BOXスーパー・ライブ・コレクション』が発売されている。

2013年5月28日、サンミュージック代表取締役会長:相澤秀禎通夜に参列し、16年半ぶりに公の場に現れた。

同年10月23日、デビュー40周年を記念し、本人自薦のベストアルバムにTV映像集を加えた『Thanks 40 〜青い鳥たちへ』を発売。11月26日には銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル〜ファン感謝DAY」を開催し、約21年ぶりにファンとの交流を果たした。

2017年4月7日、銀座博品館劇場で開催された『スクリーン・ミュージックの宴 with ピアニスター・HIROSHI』にゲスト出演し、80年代に主演したミュージカル「アニーよ銃をとれ」の主題歌である「ショウほど素敵な商売はない(There's No Business Like Show Business)」や、自身33枚目のシングル「化粧」など全5曲を披露。チケットが数分で完売するなど、現在も衰えぬ人気を証明した。

2018年2月7日、桜田淳子プロジェクトを発表。同年2月25日に35年ぶりの新録アルバム「マイ・アイドロジー」をリリース予定で、特設サイトにて注文受付中。更に3月21日にベストアルバム「Thanks45~しあわせの青い鳥」をビクター・エンタテイメントより発売、3月27日に銀座博品館劇場にて「"マイ・アイドロジー"スペシャル~ありがとうのかわりに」を開催する。

音楽

代表曲

シングル

【A面タイトル】
【発売日】
【作詞】
【作曲】
【編曲】
【売上】
【最高位】
【備考】

天使も夢みる | 1973年2月25日 | 阿久悠 | 中村泰士 | 高田弘 | 12.1万枚 | 12位 | デビューシングル キャッチフレーズは『そよ風の天使』
天使の初恋 | 1973年5月25日 | 阿久悠 | 中村泰士 | 高田弘 | 7.1万枚 | 27位 | 
わたしの青い鳥 | 1973年8月25日 | 阿久悠 | 中村泰士 | 高田弘 | 15.9万枚 | 18位 | 第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞、第15回日本レコード大賞最優秀新人賞
花物語 | 1973年11月5日 | 阿久悠 | 中村泰士 | あかのたちお | 23.7万枚 | 9位 | オリコンチャートで初のベストテン入り
三色すみれ | 1974年2月25日 | 阿久悠 | 中村泰士 | 馬飼野康二 | 18.6万枚 | 10位 | 
黄色いリボン | 1974年5月25日 | 阿久悠 | 森田公一 | 森田公一 | 16.5万枚 | 10位 | NHK紅白歌合戦初出場曲
花占い | 1974年8月25日 | 阿久悠 | 中村泰士 | あかのたちお | 12.3万枚 | 9位 | 原案は雑誌『月刊明星』で公募
はじめての出来事 | 1974年12月5日 | 阿久悠 | 森田公一 | 竜崎孝路 | 52.7万枚 | 1位 | オリコンチャートでは現時点で唯一の第1位獲得
ひとり歩き | 1975年3月5日 | 阿久悠 | 筒美京平 | 筒美京平 | 34.1万枚 | 4位 | 主演映画『スプーン一杯の幸せ』主題歌
白い風よ | 1975年5月10日 | 石森史郎 | 桑原研郎 | 竜崎孝路 | 12.9万枚 | 9位 | NHK朝の連続テレビ小説水色の時』の主題歌として臨時発売
十七の夏 | 1975年6月5日 | 阿久悠 | 森田公一 | 竜崎孝路 | 40.4万枚 | 2位 | 第17回日本レコード大賞大衆賞 2005年W(ダブルユー)がLP「2nd W」でカヴァー
天使のくちびる | 1975年8月25日 | 阿久悠 | 森田公一 | 竜崎孝路 | 28.1万枚 | 4位 | 第6回日本歌謡大賞放送音楽賞
ゆれてる私 | 1975年11月25日 | 阿久悠 | 森田公一 | 竜崎孝路 | 27.0万枚 | 5位 | 
泣かないわ | 1976年2月25日 | 阿久悠 | 森田公一 | 萩田光雄 | 21.6万枚 | 4位 | 
夏にご用心 | 1976年5月25日 | 阿久悠 | 森田公一 | 高田弘 | 36.0万枚 | 2位 | 第7回日本歌謡大賞放送音楽プロデューサー連盟賞
ねえ!気がついてよ | 1976年8月25日 | 阿久悠 | 大野克夫 | 大野克夫 | 28.6万枚 | 2位 | 
もう一度だけふり向いて | 1976年12月5日 | 阿久悠 | 穂口雄右 | 高田弘 | 20.4万枚 | 11位 | 
あなたのすべて | 1977年2月25日 | 阿久悠 | 和泉常寛 | 船山基紀 | 15.2万枚 | 6位 | 
気まぐれヴィーナス | 1977年5月15日 | 阿久悠 | 森田公一 | 船山基紀 | 21.0万枚 | 7位 | 第19回日本レコード大賞候補曲ベスト10選出
もう戻れない | 1977年9月5日 | 阿久悠 | 筒美京平 | 船山基紀 | 14.4万枚 | 8位 | 
しあわせ芝居 | 1977年11月5日 | 中島みゆき | 中島みゆき | 船山基紀 | 36.5万枚 | 3位 | 第20回日本レコード大賞金賞 1979年、中島がLP『おかえりなさい』でカヴァー
追いかけてヨコハマ | 1978年2月25日 | 中島みゆき | 中島みゆき | 船山基紀 | 16.4万枚 | 11位 | 1979年、中島がLP『おかえりなさい』でカヴァー
リップスティック | 1978年6月5日 | 松本隆 | 筒美京平 | 筒美京平 | 19.6万枚 | 10位 | オリコンチャートでのベストテン入りは現時点でこの曲が最後
20才になれば | 1978年9月5日 | 中島みゆき | 中島みゆき | 船山基紀 | 11.7万枚 | 14位 | オリコンでのベスト20入りは現時点で当曲が最後
冬色の街 | 1978年12月25日 | 橋本淳 | 中村泰士 | 萩田光雄 | 6.0万枚 | 29位 | 
サンタモニカの風 | 1979年2月25日 | 阿久悠 | 萩田光雄 | 萩田光雄 | 12.3万枚 | 24位 | ナショナルエアコンCMソング 2007年、別歌手によるロッテ「ACUO」CMソングに起用
MISS KISS | 1979年5月25日 | 阿久悠 | 佐藤準 | 佐藤準 | 6.6万枚 | 25位 | 
パーティー・イズ・オーバー | 1979年8月25日 | 伊藤薫 | 伊藤薫 | 松井忠重 | 2.5万枚 | 51位 | 
LADY | 1979年11月25日 | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 鈴木茂 | 2.6万枚 | 51位 | 1983年、尾崎がLP『POINTS』でカヴァー
美しい夏 | 1980年4月21日 | 康珍化 | 馬飼野康二 | 船山基紀 | 3.7万枚 | 44位 | 歌詞の原案は桜田自身によるもの
夕暮れはラブ・ソング | 1980年7月21日 | 岡本おさみ | 深町純 | 深町純 | 1.9万枚 | 65位 | TBSの主演ドラマ『愛の教育』主題歌。2006年3月、嘉陽愛子がカヴァー
神戸で逢えたら | 1980年10月21日 | 三浦徳子 | 鈴木邦彦 | 鈴木邦彦
松井忠重 | 1.0万枚 | 85位 | 
化粧 | 1981年1月1日 | 中島みゆき | 中島みゆき | 大村雅朗 | 7.5万枚 | 42位 | 中島のLP『愛していると云ってくれ』収録曲のカヴァー
玉ねぎむいたら… | 1981年5月1日 | 山上路夫 | 平尾昌晃 | 船山基紀 |  |  | TBSの主演ドラマ『玉ねぎむいたら…』の主題歌として臨時発売
ミスティー | 1981年6月5日 | 小林和子 | 小田裕一郎 | 大村雅朗 | 3.8万枚 | 53位 | 1991年北岡夢子がカヴァー
This is a "Boogie" | 1981年9月21日 | 実川俊 | 小田裕一郎 | 大村雅朗 |  |  | NHK紅白歌合戦で歌った最後のオリジナル曲(出場は翌年まで)
 | 1982年8月5日 | 犬丸秀 | 犬丸秀 | 青木望 |  |  | 後藤啓子のカヴァー 2005年早風美里が再度カヴァー
眉月夜 | 1983年9月5日 | 茅野遊 | 小椋佳 | 奥慶一 |  |  | 現時点で最後のシングル

アルバム

スタジオ・アルバム

【タイトル】
【発売日】
【備考】

そよ風の天使 | 1973年6月25日 | 「天使も夢みる」、「天使の初恋」他全12曲
わたしの青い鳥 | 1973年9月25日 | 「わたしの青い鳥」他全12曲
淳子と花物語 | 1974年1月10日 | 「花物語」、カヴァー曲を多数収録・全12曲
三色すみれ | 1974年3月25日 | 「三色すみれ」、カヴァー曲を含む他全12曲
16才の感情 | 1974年8月25日 | 公募した詩の朗読を中心としたコンセプトアルバム
スプーン一杯の幸せ | 1975年3月25日 | 「ひとり歩き」他ナレーションと歌で構成
わたしの素顔 | 1975年7月5日 | 「白い風よ」、「十七の夏」他ナレーションと歌で構成
青春前期 | 1976年4月5日 | ナレーションと歌で構成
熱い心の招待状 | 1976年12月5日 | 「もう一度だけふり向いて」他全11曲
ラブ・淳子が禁断の木の実を食べた | 1977年7月25日 | 「気まぐれヴィーナス」他全12曲
しあわせ芝居 | 1977年12月5日 | 「しあわせ芝居」他全11曲
ステンドグラス | 1978年4月25日 | 「追いかけてヨコハマ」他全12曲
20才になれば | 1978年10月25日 | 「20才になれば」を始め、中島みゆき作品のみで構成された全10曲。後のシングル盤とは別アレンジの「化粧」も収録
愛のロマンス | 1979年3月5日 | 「アニー・ローリー」「ローレライ」「埴生の宿」「ブラームスの子守歌」といった外国曲の愛唱歌をカヴァーした全12曲
一枚の絵 | 1979年6月1日 | 西島三恵子、丸山圭子の書き下ろし作品4曲を含む全10曲。シングル「MISS KISS」を収録
パーティー・イズ・オーバー | 1979年9月5日 | 山下達郎作曲の「センチメンタル・ボーイ」「バカンスの終りに」を含む全12曲。シングル「パーティー・イズ・オーバー」を収録
あなたかもしれない | 1981年3月5日 | シングルA面曲を一切含めずに構成された全10曲。桜田淳子自身が作詞を手掛けた「グッドバイ・ハッピーデイズ」を収録
My Dear | 1981年11月5日 | A面を矢野顕子が、B面を小田裕一郎がそれぞれ作曲を担当。シングル「ミスティー」、「This is a "Boogie"」を含む全10曲
ナチュラリー | 1983年9月21日 | タケカワユキヒデ、堀内孝雄、芳野藤丸らによる書き下ろしに加え、小椋佳作曲のシングル「眉月夜」を含む全10曲
マイ・アイドロジー | 2018年2月25日 | 35年ぶりの新曲「ありがとうのかわりに」、ヒット曲4曲のセルフカヴァー、朗読を含む全8トラック。全曲新録音の45周年記念アルバム

ライブ・アルバム

【タイトル】
【発売日】
【備考】

16才のリサイタル | 1974年12月21日 | 渋谷公会堂にて収録 CD-4
ビバ・セブンティーン〜17才のリサイタル | 1975年12月21日 | 文京公会堂にて収録 CD-4
青春讃歌〜リサイタル3 | 1976年12月21日 | 中野サンプラザにて収録
淳子リサイタル4(2枚組) | 1977年12月21日 | 東京芝郵便貯金ホールにて収録
淳子リサイタル5 | 1978年12月21日 | 東京芝郵便貯金ホールにて収録
淳子スーパーライブ〜リサイタル6 | 1979年12月21日 | 渋谷公会堂にて収録
私小説 | 1980年11月21日 | 博品館劇場にて収録

ベスト・アルバム

【タイトル】
【発売日】
【備考】

グランド・デラックス | 1974年7月5日 | 新録カヴァー8曲、「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/06/05 19:59

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