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梨田昌孝とは?

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梨田 昌孝 (梨田 昌崇)
2016年5月17日 こまちスタジアムにて

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
島根県浜田市
【生年月日】
(1953-08-04) 1953年8月4日(65歳)
【身長
体重】
178 cm
80 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
捕手
【プロ入り】
1971年 ドラフト2位
【初出場】
1972年7月2日
【最終出場】
1988年10月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴


この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、1953年8月4日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(捕手)、監督野球評論家

1984年より登録名を「昌孝」としている。2004年シーズンをもって消滅した大阪近鉄バファローズ最後の監督であり、選手・監督両方で同球団の優勝を経験した唯一の人物である。2008年から2011年まで北海道日本ハムファイターズの監督、2012年から2015年までNHK日刊スポーツの野球評論家を務めた。2016年から2018年6月16日まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 アマチュア時代
    • 1.2 選手時代
    • 1.3 引退後、野球評論家へ
    • 1.4 近鉄コーチ・監督
    • 1.5 野球評論家復帰
    • 1.6 日本ハム監督
    • 1.7 監督退任後
    • 1.8 楽天監督時代
  • 2 人物
    • 2.1 縁起
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 年度別守備成績
    • 3.3 年度別監督成績
      • 3.3.1 リーグ公式戦
      • 3.3.2 ポストシーズン
    • 3.4 表彰
    • 3.5 記録
    • 3.6 背番号
    • 3.7 登録名
  • 4 関連情報
    • 4.1 著書
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

アマチュア時代

本格的に野球を始めたのは浜田市立第一中学校入学後で、その際は身長順に新入部員の守備位置が割り振られ、高い方から3番目だった梨田は強制的に捕手を任されたという。また中学野球部の1年先輩に三沢淳がいる。

島根県立浜田高校に進学し、3年時に甲子園(第43回選抜大会第53回選手権大会)に4番・捕手で連続出場するが、ともに1回戦で敗退した。当時は実家から近い広島カープのファンで、カープからドラフト指名予定である旨を知らされていたが、結局1971年のドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名を受け入団。

選手時代

1年目(1972年)から強肩を武器に頭角を現すも打撃で伸び悩み、一時は有田修三に正捕手の座を奪われるが、打席で両腕をクネクネと動かすフォーム『コンニャク打法』を開発すると勝負強い打撃を発揮し、有田と併用の形ではあったものの正捕手の座を奪回。1979年には球団初のパシフィック・リーグ優勝を経験し、以降1981年まで3年連続ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞するなど、長きに渡って近鉄の主力捕手として活躍した。

1986年以降は、肩や打撃面の衰えから山下和彦古久保健二光山英和スタメンを譲る機会が多くなる。1988年に同学年の吹石徳一と共に引退。現役最後の安打は、伝説となった『10.19』のダブルヘッダー第1試合の9回表で放った決勝適時打である。

引退後、野球評論家へ

1989年NHKの野球評論家に就任し、近鉄に復帰するまで務めていた。

近鉄コーチ・監督

1993年に一軍作戦兼バッテリーコーチとして近鉄に復帰。1996年からは二軍監督を務め、2000年に一軍監督に就任。近鉄は当時コーチだった小林繁真弓明信と梨田の三人を『近鉄男前三人衆』として売り出し、この三人を起用した近鉄百貨店の広告が近鉄沿線の駅ポスターや車内中吊りに掲げられた。モロゾフホワイトデーイメージキャラクターになったこともある。

監督就任1年目の2000年は最下位に終わったが、2年目の2001年に近鉄を史上4度目、球団最後のパ・リーグ優勝に導いた。同一監督の下で前年最下位から優勝を果たしたのは1975年の最下位から翌年の1976年に優勝した長嶋茂雄率いる読売ジャイアンツ以来。2001年の日本シリーズの前に、対戦相手であるヤクルトスワローズ若松勉監督とともに写真撮影に臨み、緊張の色の隠せない若松監督とは対照的にカメラに向けて笑顔を見せたものの、1勝4敗で敗退した。2002年は2位、2003年は3位とまずまずの成績を残した。

2004年シーズン中、同年シーズン限りで近鉄がオリックス・ブルーウェーブと合併し消滅することが決定した。梨田はシーズン最終戦の前日に近鉄の選手に向けて「みんな胸を張ってプレーしろ。お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番」という言葉を残している。梨田は合併の際に、近鉄のカラーを残すべく配慮したオリックス側からヘッドコーチへの転任を打診され、監督となった仰木彬からも慰留されるが「選手・スタッフやファンがばらばらになり、その進路も決まらないうちに自分一人が残るのは望ましくない」と辞退した。あくまで「近鉄の梨田」としてユニフォームを脱ぐことを望んだため、球団解散前の10月15日付けで退団した。仰木からの残留要請を断り、結果的に関西球界で根強い人気を持つ仰木の下につかなかったことに対し一部から批判的な意見もあったが、当の仰木は梨田の立場や胸中に理解を示しており、梨田自身も恩師の一人である仰木の力にもなりたかったと、仰木の死後に回顧した。

近鉄で1シーズン以上務めた歴代監督16人の中で、通算成績で勝ち越しているのは三原脩西本幸雄仰木彬、そして梨田の4人である。

野球評論家復帰

2005年からは13年ぶりにNHKおよび大阪日刊スポーツの野球評論家に復帰、かんさいニュース1番のスポーツコーナー(金曜日)にレギュラー出演した他、日本プロ野球・MLB中継の解説を担当。週刊ベースボールにも連載を持っていた。他にも、2005年7月にアニメ『プレイボール』(関西テレビ放送)で声優を務め(タイヤキ屋のおやじ役)、京橋グランシャトービルやアーククエストなどの関西ローカルのCMにも出演。2006年6月1日には大阪産業大学客員教授にも就任し、実業家としても個人芸能事務所「トゥルーマサ」を設立するなど多方面で活躍している。

日本ハム監督

日本ハム監督時代
(2010年5月13日)

2008年北海道日本ハムファイターズの監督として4年ぶりに現場復帰。就任会見では「近鉄が消滅して自分の居場所がなくなったような気がしていたが、こうして現場に復帰できて嬉しい。日本ハムは強いチームだ」と抱負を語った。前年11月25日札幌ドームで行われた日本ハム・ファンフェスティバルにて、前監督・トレイ・ヒルマンから梨田への背番号88の継承式が行われた。就任1年目のシーズンは3位でリーグ戦を終了。クライマックスシリーズ第1ステージをオリックス・バファローズと戦い2連勝して第2ステージへ駒を進めたが、埼玉西武ライオンズに2勝4敗(リーグ優勝チームに与えられるアドバンテージを含む)で敗れ、日本シリーズ進出はならなかった。

2009年、就任2年目で日本ハムを2年ぶりのリーグ優勝に導く。近鉄監督時代も就任2年目でチームをリーグ優勝に導いている。リーグ戦終了後に行われたクライマックスシリーズでは福岡ソフトバンクホークスとの第1ステージを制した東北楽天ゴールデンイーグルス札幌ドームに迎えて第2ステージを戦い、4勝1敗(リーグ優勝チームに与えられるアドバンテージを含む)で見事勝利。現役時代を含めて4回目の出場となった日本シリーズでは読売ジャイアンツに2勝4敗で敗れ、自身初の日本一はならなかった。

2010年1月、一軍投手コーチに就任したばかりの小林繁が心不全により急逝。近鉄監督時代の2004年にも、二軍打撃コーチだった鈴木貴久を急性気管支炎で失っている。この年はほぼ中継ぎ経験しかないブライアン・ウルフをシーズン途中に先発に転向させなければならなかったり、二軍で野手が9人しかいなくなる程ケガ人が続出し、一時借金14の最下位と低迷しながら、小谷野栄一が4番に定着した交流戦頃からチーム状態が向上し、シーズン終盤にはクライマックスシリーズへの出場権をかけた3位争いを演じるところまで浮上。最終的には貯金7でシーズンを終え、全日程を終了した時点では3位だったが、千葉ロッテマリーンズが最後の3試合を全勝すれば3位浮上という状況の中で全勝したため、最終的には4位、日本ハム5年ぶりのBクラスでシーズンを終えた。この年4位になったことで、梨田は監督として全順位を経験した(全順位経験監督には梨田以外だと吉田義男野村克也長嶋茂雄王貞治星野仙一がいる)。

2011年は開幕カードとなった対西武2連戦(札幌ドーム)を連敗でスタートしたものの4月を10勝5敗で乗り切るなど好調な滑り出しを見せ、シーズン前半は福岡ソフトバンクホークスと2強を形成し首位争いを演じたが、終盤に来て9月を6勝18敗1分と大きく負け越すなどチームの調子が急降下し、最終的には首位ソフトバンクと17.5ゲーム差の2位でシーズンを終えた。クライマックスシリーズ第1ステージは埼玉西武ライオンズとの対戦となったが、シーズン終盤の不振をそのまま引きずった格好となり2連敗で敗退した。シーズン終盤になって一部メディアで解任説が流れたため、自身の去就について、シーズン途中で異例の9月15日に、2011年を最後に監督を退任することを記者会見で表明した。シーズン前から「4年目の2011年で降りようと決めていた」と語り、解任ではなく辞任であることを強調する会見となった。

日本ハムでは指揮を執った全てのシーズンで勝ち越しているが、複数年指揮を執り全シーズンで勝ち越したのは梨田が球団史上初である。

監督退任後

2011年10月16日時点で、阪神タイガース真弓明信監督の退任とともに次期監督候補として梨田の名をリストアップしたが、結局、球団は一軍打撃コーチを務めていた和田豊の昇格を決定し、梨田の招聘は見送られた。 そのため、再びNHK、日刊スポーツ新聞西日本専属の野球評論家に戻ってサンデースポーツに不定期で出演し、同年より「ジョージア魂」賞の審査委員も務めた。

2012年10月10日に、野球日本代表の野手総合コーチに就任した事が発表された。11月13日に、背番号が「99」となった事が発表された。

楽天監督時代

2015年10月8日、成績不振のため辞任した大久保博元の後任として、東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍監督に就任することが発表された。背番号は、自身の希望により野球日本代表の野手総合コーチと同じ「99」。

2016年5月17日のオリックス戦で遅延行為により自身3度目の退場処分を受けた。9月6日埼玉西武ライオンズ戦に7-4で勝利し、NPB史上19人目、監督勝利通算700勝を達成した。試合後、記念プレート贈呈セレモニーとファンへの感謝の言葉を述べた。記念のウイニングボールは、試合終了時のバッテリー松井裕樹-嶋基宏からサイン入りでプレゼントされた。ちなみに、チームシーズン通算55勝目だった。この年は序盤は一時首位に立ち交流戦でも勝ち越すなど好調だったが、後半は失速してしまい3年ぶりに最下位を脱出したものの5位に終わった。一方で球団創設から前年の2015年まで年間対戦成績で一度も勝ち越しがなかった西武に初めて勝ち越した。

2017年は外国人選手を軸にした攻撃的な打線で8月上旬まで首位を独走したが、後半戦で6連敗、10連敗と大型連敗で順位を落とすも球団初の3位入りを果たした。就任2年目でAクラス入りを果たしたのは梨田が初である。CSでは西武を2勝1敗でファーストステージを突破するも、ファイナルステージではソフトバンクに2勝4敗で敗退した。

2018年は日本ハム時代同様、浜田高校の後輩にあたる清水雅治を一軍外野守備走塁コーチで招いた。5月25日福岡ソフトバンクホークス戦で勝利し、監督勝利通算800勝を達成した。しかし、開幕から低迷し6月16日の阪神戦の敗戦後に成績不振(21勝41敗1分、最下位)を理由に監督を辞任した。

人物

愛称は「ナッシー」。 温厚で物腰が柔らかくダジャレ好きな人物として知られている。しかし、近鉄の二軍監督時代にノックアウトされてベンチにグラブを叩きつけ荒れていた前川勝彦を諌める目的で殴り倒す、楽天監督就任後はフェニックスリーグ中に負傷した怪我を放置したままオフシーズンを過ごしキャンプ初日に再発・手術となったオコエ瑠偉に激怒し「野球をなめている」「ここ(一軍)にいない選手の話題が先行していたら士気にもかかわる(ので関わりたくない)」と記者陣に釘を刺す等、厳しさや気性の荒さを露にすることもある。

縁起

過去近鉄、日本ハム監督時代のいずれも2年目に優勝しており「就任2年目は優勝する」という縁起がある。要因として就任1年目は選手の特徴・スキルなど選手たちに何が出来るか把握する事に務め、とにかく選手をいろんな場面で試し検証する選手起用をし、どんな戦い方が一番適しているか方針を決めると言う特徴がある。一方、その方針に適した選手だけで戦うため、チーム体制から外れた選手は二軍に幽閉する。この考えは、選手に平等にチャンスを与え状況に応じた戦い方が求められるベースボール・オペレーション・システム(BOS)では非常に相性が悪く、日本ハムではチーム編成を巡りフロントと梨田の間で深い対立を生む結果となった。 しかし楽天の2年目ではこの「縁起」は実現しなかった。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1972 | 近鉄 | 9 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .667 | .667 | .667 | 1.333
1973 | 60 | 149 | 142 | 12 | 28 | 2 | 0 | 2 | 36 | 5 | 1 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 20 | 3 | .197 | .224 | .254 | .478
1974 | 115 | 280 | 247 | 14 | 48 | 10 | 0 | 2 | 64 | 18 | 2 | 4 | 6 | 0 | 22 | 2 | 5 | 41 | 1 | .194 | .274 | .259 | .533
1975 | 45 | 86 | 69 | 5 | 11 | 2 | 0 | 2 | 19 | 9 | 0 | 0 | 5 | 4 | 7 | 0 | 1 | 15 | 3 | .159 | .235 | .275 | .510
1976 | 48 | 57 | 48 | 7 | 13 | 1 | 1 | 3 | 25 | 10 | 1 | 1 | 3 | 0 | 5 | 0 | 1 | 13 | 1 | .271 | .352 | .521 | .873
1977 | 80 | 210 | 190 | 15 | 47 | 5 | 0 | 0 | 52 | 10 | 2 | 2 | 8 | 1 | 8 | 0 | 3 | 29 | 3 | .247 | .287 | .274 | .561
1978 | 58 | 141 | 120 | 17 | 32 | 4 | 2 | 7 | 61 | 30 | 3 | 2 | 7 | 3 | 9 | 0 | 2 | 15 | 1 | .267 | .321 | .508 | .829
1979 | 114 | 400 | 357 | 39 | 97 | 14 | 0 | 19 | 168 | 57 | 2 | 4 | 12 | 3 | 25 | 0 | 3 | 44 | 6 | .272 | .322 | .471 | .793
1980 | 118 | 404 | 360 | 55 | 105 | 26 | 2 | 15 | 180 | 55 | 1 | 0 | 10 | 4 | 27 | 0 | 3 | 58 | 14 | .292 | .343 | .500 | .843
1981 | 106 | 411 | 374 | 44 | 102 | 16 | 0 | 17 | 169 | 48 | 5 | 3 | 1 | 4 | 29 | 0 | 3 | 47 | 12 | .273 | .327 | .452 | .779
1982 | 91 | 306 | 279 | 31 | 81 | 8 | 0 | 10 | 119 | 35 | 6 | 0 | 3 | 2 | 22 | 0 | 0 | 42 | 8 | .290 | .340 | .427 | .766
1983 | 111 | 357 | 313 | 34 | 84 | 14 | 0 | 8 | 122 | 42 | 7 | 1 | 5 | 3 | 35 | 1 | 1 | 37 | 9 | .268 | .341 | .390 | .731
1984 | 84 | 273 | 241 | 29 | 60 | 9 | 2 | 7 | 94 | 29 | 4 | 3 | 5 | 1 | 22 | 0 | 4 | 26 | 6 | .249 | .321 | .390 | .711
1985 | 118 | 420 | 373 | 41 | 92 | 15 | 3 | 11 | 146 | 51 | 3 | 4 | 10 | 2 | 32 | 0 | 3 | 46 | 14 | .247 | .310 | .391 | .701
1986 | 79 | 227 | 199 | 24 | 43 | 8 | 0 | 6 | 69 | 25 | 2 | 0 | 6 | 3 | 17 | 0 | 2 | 27 | 5 | .216 | .281 | .347 | .627
1987 | 35 | 71 | 64 | 4 | 15 | 5 | 0 | 2 | 26 | 7 | 1 | 3 | 1 | 2 | 4 | 0 | 0 | 19 | 0 | .234 | .271 | .406 | .678
1988 | 52 | 71 | 65 | 4 | 14 | 2 | 0 | 2 | 22 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 13 | 2 | .215 | .282 | .338 | .620
通算:17年 1323 | 3866 | 3444 | 375 | 874 | 141 | 10 | 113 | 1374 | 439 | 41 | 29 | 84 | 32 | 274 | 3 | 32 | 492 | 88 | .254 | .312 | .399 | .711

年度別守備成績

【年度】
【試合】
【企図数】
【許盗塁】
【盗塁刺】
阻止率
1972 | 1 | 1 | 1 | 0 | .000
1973 | 60 | 47 | 28 | 19 | .404
1974 | 115 | 86 | 52 | 34 | .395
1975 | 45 | 20 | 11 | 9 | .450
1976 | 45 | 16 | 8 | 8 | .500
1977 | 77 | 57 | 35 | 22 | .386
1978 | 53 | 30 | 16 | 14 | .467
1979 | 108 | 69 | 32 | 37 | .536
1980 | 102 | 48 | 25 | 23 | .479
1981 | 98 | 80 | 47 | 33 | .413
1982 | 67 | 50 | 27 | 23 | .460
1983 | 82 | 76 | 47 | 29 | .382
1984 | 70 | 56 | 38 | 18 | .321
1985 | 114 | 104 | 77 | 27 | .260
1986 | 77 | 64 | 44 | 20 | .313
1987 | 27 | 13 | 8 | 5 | .385
1988 | 25 | 5 | 5 | 0 | .000
通算 1166 | 822 | 501 | 321 | .391

年度別監督成績

リーグ公式戦

年度
球団
【順位】
試合
勝利
敗戦
引分
勝率
ゲーム差
【チーム
本塁打】
【チーム
打率】
【チーム
防御率】
年齢
2000年 | 近鉄 | 6位 | 135 | 58 | 75 | 2 | .436 | 20.0 | 125 | .262 | 4.66 | 47歳
2001年 | 1位 | 140 | 78 | 60 | 2 | .565 | - | 211 | .280&n
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/09/22 01:23

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