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椎名林檎とは?

【基本情報】

【出生名】
椎名 裕美子(しいな ゆみこ)
【別名】
Deyonná
【生誕】
(1978-11-25) 1978年11月25日(40歳)
【出身地】
日本埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)
【ジャンル】

【職業】

【担当楽器】

【活動期間】
1998年 - 現在
【レーベル】

【事務所】

【共同作業者】
東京事変亀田誠治斎藤ネコ井上雨迩村田陽一児玉裕一
【公式サイト】
SR猫柳本線
【著名使用楽器】


実兄はシンガーソングライターの椎名純平叔父イラストレーターブックデザイナー辰巳四郎。またそのであるイラストレーターの藤森玲子とは従姉妹にあたる。

目次

  • 1 人物
    • 1.1 デビューまでの経緯
    • 1.2 休業
    • 1.3 リオ五輪閉会式フラッグハンドオーバーセレモニー
  • 2 音楽性
    • 2.1 楽曲制作
    • 2.2 音楽的ルーツ
  • 3 略歴
    • 3.1 デビューまで
    • 3.2 1998 - 2003年:デビューからソロ活動休止まで
    • 3.3 2004 - 2007年:東京事変始動
    • 3.4 2008年 - 2012年:デビュー10周年から東京事変解散まで
    • 3.5 2013年 – 現在:デビュー15周年
  • 4 ディスコグラフィー
    • 4.1 シングル
      • 4.1.1 配信限定シングル
    • 4.2 アルバム
    • 4.3 映像作品
    • 4.4 アナログ盤
    • 4.5 ボックス・セット
    • 4.6 参加作品
      • 4.6.1 他アーティストの作品
      • 4.6.2 トリビュート・アルバム
      • 4.6.3 オムニバス・アルバム
    • 4.7 カバー曲
    • 4.8 提供曲・プロデュース
    • 4.9 劇伴など
    • 4.10 未音源化曲
  • 5 タイアップ一覧
  • 6 NHK紅白歌合戦出場歴
  • 7 単独コンサート
  • 8 出演
    • 8.1 テレビ
    • 8.2 ラジオ
    • 8.3 ウェブテレビ
    • 8.4 ナレーション
    • 8.5 テレビCM
    • 8.6 ミュージック・ビデオ
    • 8.7 その他
  • 9 使用機材
    • 9.1 エレキギター
    • 9.2 アコースティックギター
    • 9.3 エレキベース
    • 9.4 アンプ
    • 9.5 マイクロフォン
  • 10 主なバックバンド
    • 10.1 レコーディング
    • 10.2 コンサート
  • 11 楽譜
    • 11.1 リットーミュージック社
    • 11.2 ドレミ楽譜出版社
    • 11.3 ヤマハミュージックメディア
  • 12 書籍
  • 13 関連項目
  • 14 脚注
    • 14.1 注釈
    • 14.2 出典
  • 15 外部リンク

人物

埼玉生まれ、静岡福岡育ち。血液型O型。「椎名林檎」としてのプロフィール上は音楽活動を始めた福岡の出身となっている。生後まもなく先天性食道閉鎖症と診断されて手術を受けたが、この際に右の肩甲骨付近にメスを入れられた影響で左右のバランスが取れない障害が残り、のちに始めたピアノクラシックバレエを途中で断念せざるを得ない原因になったという。

「椎名林檎」という芸名は高校生のとき、「ここでキスして。」「ギブス」「茜さす帰路照らされど…」「虚言症」などの作品を初めてJASRACへ著作者登録をする際に筆名が必要となり、あくまで一時的なつもりで使用したのが始まり。なぜ「林檎」と命名したかについては、自身のバンド活動もドラマーから始まったということもあってビートルズのドラマーだったリンゴ・スターの名前を借用したと語っている。また名前が人の名前とは思えない、物体そのものを表すものだということについては、漫画家の吉田戦車ペンネームからの影響があると語っている。もともとの由来は、子供のころはかなりの恥ずかしがり屋で、学校で先生に指されるとすぐほっぺたが真っ赤になってしまっていたから。

歌詞に旧仮名遣い旧字体を使用することから読書家だと思われることも多いが実はそうでもなく、本人曰く「よく読んでいるのは辞書」とのこと。

デビューからしばらくの間標榜していた「新宿系」については、「取材などで常に『(ジャンルは)何系?』と聞かれるのが面倒くさいので口から出まかせを言った」などと答え、またその定義についても「本当は意味などなかったが何か理由づけしないと相手に悪いと思って聞かれたことに対して一生懸命答えたのだろう」と明かしている。

トレードマークだった左の口元のほくろについては、「小学校時代に女優の沢口靖子マドンナのように口元にほくろのある女性に憧れてペンで書いていたら本物になった」という噂を本人が肯定しており、また2003年に手術で除去したもののその後ふたたび近い場所に新しいほくろが出来てしまったとも語っている。

デビュー当時からすでにシーナ・リンゴ名義で広末涼子ともさかりえに楽曲提供を行っている(別項参照)。

デビューまでの経緯

東芝EMIの制作ディレクターだった篠木雅博が九州エリアの宣伝マンの熱心な推薦とレコード会社内でマネジメントができるという理由によって契約を決め、実績のある外部ディレクターに楽曲制作の現場を任せることにした。しかし作品の大幅な手直しが必要だとするディレクターとそれを断固として拒否する椎名が激しく対立し、その体制は断念せざるを得なかった。作品に強烈な違和感を感じた篠木自身もディレクターと同意見だったが、年配者に受け入れられなかった吉田拓郎などの前例を踏まえ、それまで経験したことがないほどの違和感は大化けの予兆かもしれないとも思った。椎名の個性を生かすには旧来のディレクションは無視して自由にやらせるしかないと考えた篠木は、アレンジャーとしてベーシストの亀田誠治を紹介してすべてをその2人の作業に委ねた。

休業

2001年からの休業は一般的には産休だと思われていたが、実際は引退して家庭に入ろうとしていた。しかし契約やその他諸々の義務を果たすためにカバーアルバムを出したところ、周囲から音楽活動の継続を求められることになった。だが当人はそのままでは続けるモチベーションが見いだせなかったため、バンド・東京事変を結成することにした。未知の相手と仕事をすることである程度の縛りを自分に与えるためであった。

その当時、海外リリースの話も来ていてヴァージン・レコードのレーベルにも呼ばれたが、自分自身はやめようと思っているのに周りの人々が熱を帯びていく様子がいたたまれなかったという。ヴァージンのスタッフらは彼女がやっていることをストレートに受け取ってくれたが、当時の日本の状況ではどんな曲を作っても深読みされたり意図しない方向に受け取られたりしたため、それらのことに疲れて果てたのがやめようと思っていた理由であった。

リオ五輪閉会式フラッグハンドオーバーセレモニー

2016年のリオデジャネイロオリンピック/パラリンピックにおいて、フラッグハンドオーバーセレモニー(以下、FHO)のクリエイティブスーパーバイザーと音楽監督を務める。2015年末に電通のFHO制作チームのクリエイティブスーパーバイザーである佐々木宏から仕事を手伝ってほしいという話があり、まずは児玉裕一監督を推薦した。年を越す前に自身も佐々木の相談相手のような立場で参加することが決まり、それならばMIKIKO真鍋大度も呼びたいとリクエストしてそれが認められた。しかし2016年の6月前後までIOC(国際オリンピック委員会)との間でプロットの擦り合わせが続き、音楽監督としての仕事は初夏まで何もできていなかった。使用楽曲については、オリンピックの方では土壇場で許可申請が却下されるなどした一方、パラリンピックの方ではある程度自由に行うことができた。

翌2017年12月、東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチームに就任。

音楽性

ボーカリストとしてはロックンロールからジャズヒップホップまでこなすジャンルを問わない柔軟さを持ち、それ以外にもギターや鍵盤などの各種楽器の演奏や作編曲までこなすなど、音楽家として高度な汎用性を誇る。

J-POPよりも阿久悠なかにし礼のような職業作詞家たちが書いていた昭和歌謡曲に慣れ親しんできたせいか、「歌には上手い下手などなくて『歌になっているかなっていないか』があるだけなのではないか」と思っている。

作家としては宇崎竜童阿木燿子夫妻のコンビに憧れており、その二人の形を1人2役でこなすのが一生の夢だという。

井上陽水チューリップ海援隊甲斐バンドらを見出した元RKB毎日放送の音楽プロデューサー野見山實は、デビュー前の椎名の詩集を見てその発想と着眼点、展開が凡人とは異なると感じ、曲については作品の中にジャズシャンソンなどを取り入れた同年代の若い作家にはあまり例をみない発想があると評している。

楽曲制作

作曲について、自身では「自分は旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだ」と思っている。アレンジが違っても成立するよう、例えばスーパーなどでかかるMIDI音源のインストのようにまっさらな状態で聴いたときにいかに光るものを書いておくかが自分にとっては大事だと思っているため、ビート音色に触発されてサウンドの方から組み立てていくアプローチは極力しないようにしている。デモを作る段階で編成のボリュームを決め込むため、レコーディングでそれを生楽器に置き換えたときにそれぞれのプレイヤーからのプラスアルファによって元の音数が減ることはあっても増えることはほとんどない。しかしあまり細かい部分まで決め込んでしまうとプレイヤーの演奏を縛ってしまうので、デモの段階では最低限のものを渡している。とはいえ、皆フレーズリフはデモのままやってくれることが多いという。

作詞の際は、まず曲のイメージを損なわない英語で仮の歌詞を書いてからデモを作り、そのあとでメロディと母音子音との関係性で英語詞にするか日本語詞にするかを決める。歌詞は「思いつくのではなくあとから当てはめて行くという感じ」と述べている。

音楽的ルーツ

クラシック好きでジャズポピュラー・ミュージックへの造詣も深い父親と古い歌謡曲が好きでバレエ経験のある母親の間に生まれ、音楽的環境に恵まれた家庭に育つ。音楽的原体験はドビュッシーピアノ曲。バレエやピアノを習っていた影響で幼少期にはクラシック音楽を好んでいたが、ピアノ曲以外はあまり好きではなく、管弦楽曲でもバレエ音楽ばかりを聞いていた。歌のある曲にはほとんど興味がなかったが、父親の影響でザ・ピーナッツは好きだった。小学生の頃は、映画『風の谷のナウシカ』のサウンドトラックや母親の好きだった五輪真弓太田裕美朱里エイコ大塚博堂寺尾聡来生たかおペドロ&カプリシャス長谷川きよしのような古い歌謡曲、そして父親の好きだった渡辺貞夫ビリー・ジョエルおよびニーナ・シモンサラ・ボーンエラ・フィッツジェラルドなどの女性ジャズ・ボーカリストを好んで聞いていた。中学生になると、兄の影響でモータウンソウル・ミュージックR&Bなどのブラック・ミュージックに傾倒するようになり(フェイバリット・アーティストはマーヴィン・ゲイ)、邦楽をまったく聞かなくなった。高校に進むとBLANKEY JET CITYエレファントカシマシをきっかけに日本語の歌詞を受け入れてふたたび邦楽も聞くようになり、洋楽ではレディオヘッドビョークを聞いていた。セックス・ピストルズには音よりもビデオなど映像の方で影響を受け、音として多く聴いていたのはレッド・ホット・チリ・ペッパーズレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンパール・ジャムなど。高校を辞めた後は感覚が昔に戻ったのか、改めてトッド・ラングレンレッド・ツェッペリンビートルズなどを聞き直していた。

ボーカリストとしてはフェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーに憧れていたが、声質がまるで異なることを自覚していたので、同様に好んで聞いていたジャニス・イアンを目指すことにした。またデビュー当時、和製アラニス・モリセットとよく言われたが、本人としてはクランベリーズドロレス・オリオーダンのイメージだった。

略歴

デビューまで

1978年、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ。先天性食道閉鎖症を抱えて生まれたため、生後すぐに新宿区慶應義塾大学病院まで搬送され、2日間にわたる大手術を受ける。外資系石油会社に勤める父親の転勤により2歳のとき静岡県清水市(現・静岡市清水区)に移り住み、約10年間を過ごす。4歳のときに祖母に頼んでピアノを始める。1990年、小学6年生のときに父親が福岡支店の勤務となり、福岡県福岡市早良区へ引越す。それから高校中退後のフリーター時代までの約7年間が福岡育ち。幼少時から10年以上ピアノクラシック・バレエを習っていたが、前述の通り生後まもなく手術を受けた際に体の左右均等に力が入らない後遺症が残り、これが徐々に悪化したため断念したという。

中学時代、友人とバンドを結成して学園祭などで何度か演奏するも解散。高校に進学すると軽音楽部に入部、いくつものバンドをかけ持ちしてさまざまな楽器を担当する。軽音部のバンドはコピー・バンドが多かったため、洋楽邦楽問わずコピーばかりを演奏していたが、次第に自分で曲を作るようになる。そして学内だけでなく学外の友人ともバンドを組むようになり、ライブハウスでも演奏するようになる。

1994年、高校1年生のときに第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン 放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤルに出場。

1995年、高校2年生のときに『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドで「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」に出場。福岡地区で1位となり全国大会に進出、奨励賞を受賞する。このときのティーンズ大賞・文部大臣奨励賞(グランプリ)はaiko。同年秋、RKBラジオの家村裕之ディレクターの推薦で長崎歌謡祭に出場し、ファイナリストとなっている。また、高校2年の3学期が終わると同時に高校を中退。ピザ屋や警備員などのバイトをしながらデモテープを作る日々を送る。

1996年、フリーター生活をしながら「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会にふたたびバンドで出場するが、大会関係者にソロ転向を勧められて決勝の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」には「椎名林檎」として出場、「ここでキスして。」を歌って優秀賞を獲得している。地方予選の段階でいくつかのレーベルから声がかかり、その中から東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)を選んで契約する。また、この大会で同じく優秀賞を受賞したaikoやグランプリを受賞した谷口崇とは音楽活動やプライベートを通じて交流するようになる。

1997年の1月から3月までの間、知人の伝手を頼りイギリスで3か月間ホームステイするが、その時にEMI本部のスタッフと衝突。これを機に思い悩んだ末、日本でのデビューを決意して帰国する。

1998 - 2003年:デビューからソロ活動休止まで

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この節の加筆が望まれています。

2004 - 2007年:東京事変始動

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この節の加筆が望まれています。

2004年
2005年
2006年
2007年

2008年 - 2012年:デビュー10周年から東京事変解散まで

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この節の加筆が望まれています。

2008年
出典:wikipedia
2019/09/11 14:09

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