正保(しょうほう)は日本の元号の一つ。寛永の後、慶安の前。1645年から1648年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。
なお、この「正保」という元号は以下の理由から不評であった
このような批判が京都から始まり、ついには本当に良くない兆しを持つ元号ではないかという世論が高まってしまったため、結局短期間で改元されることになった
『尚書』正義の「先正保衡佐我烈祖、格于皇天」から。
物事を公平公正にして、そしてその状態を保つという意味である。
なお、時の将軍徳川家光は、年号は諸家の勘文から武家が定めるべきであり、「公家武家の政は正しきにしくはなし、正しくして保たば大吉なり」として「正保」を定めたと、林鵞峯の『改元物語』に記されている。
※は小の月を示す。
【正保元年(甲申)】