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武田勝とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
愛知県名古屋市西区
【生年月日】
(1978-07-10) 1978年7月10日(40歳)
【身長
体重】
176 cm
73 kg
【選手情報】

【投球・打席】
左投左打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
2005年 大学生・社会人ドラフト4巡目
【初出場】
2006年3月26日
【最終出場】
2016年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴


この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛知県名古屋市西区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。現在はBCリーグ石川ミリオンスターズ監督

現役時代はNPB北海道日本ハムファイターズに所属。2016年の現役引退後も、球団職員として籍を置く。2017年には同球団から石川へ派遣。2017年シーズンに「総合コーチ」と「VicePresident(ヴァイス プレジデント)」を兼務したのち、2018年シーズンより派遣という身分はそのままで監督に就任する。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
    • 1.3 現役引退後
  • 2 選手としての特徴
  • 3 人物・エピソード
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 表彰
    • 4.3 記録
    • 4.4 背番号
  • 5 関連情報
    • 5.1 テレビ
    • 5.2 ラジオ
  • 6 脚注
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

上名古屋小学校4年生の時から野球部に所属。浄心中学校への進学後には、関東一高小倉全由監督(当時)に知られるほど、軟式野球で名を馳せた。中学3年の時には、小倉が中京大中京高校との練習試合で名古屋に来た際に、小倉の前で投球を披露。1球だけ投げたところ、小倉から関東一高への進学を勧められた。

関東一高への進学後は1年生の夏に控え投手として全国高等学校野球選手権大会へ出場した。しかし、自身がエースになってからチームは弱体化。幼少時からプロ野球へ行く夢はあったが、これではプロ入りは無理と判断。先輩の森谷茂の誘いで立正大学に進学する。

立正大学1年生から試合で投げていたが、自身曰く金剛弘樹が「自分以上にいい」とバリバリに速い球を投げていたことから「自分とはモノが違う」と思ったという。1年生の春に公式戦にデビューするも、3年春から卒業まで東都1部に昇格することはなかった。1部リーグ通算17試合に登板、0勝7敗、防御率2.39。 立正大学在学中、武田を応援していた専修大学野球部GM(元監督)江崎久が、当時可愛がっていたマネージャーは後にになる女性。

卒業後はシダックスに入社した。シダックス入社1年目に臨時コーチに来た高橋一三からフォームの指導を受けた。(のちに現役を2016年9月引退時、プロで生きていける技術を教わって感謝していると話した)。入社1年後に野間口貴彦が入ってくるが、ブルペンで150km/hを超える球をどんどん投げている姿を見て「本当に高校から来たばかりなのか」と驚いたが、その野間口とともにエースとして活躍。

2002年秋、野村克也が監督兼GMに就任。会うなり「シュートを覚えろ、それからチェンジアップも覚えろ」と言われる。実は既にチェンジアップは投げていたが、自分のような球威ならもっと投球の幅を広げろということを指摘され、武田自身も同じことを考えていたから自分の考えを裏付けてくれた気がして嬉しかったと振り返る(2016年9月現役引退時、プロで生きていける基礎を教わって感謝していると話した)。

2003年都市対抗野球ではシダックスを準優勝に導いた(だが、決勝のマウンドには立ってない。自身は悔しいとか残念という気持ちはなかった)ドラフト会議では読売ジャイアンツが野間口とともに獲得を目指していたが、野村から「野間口と武田が同時に抜けるのは(チームとして)困る」と発言して拒否した。野村は武田に対して「(シダックス野球部を)退部してドラフトを受ける手もある」と裏技を教えたが、武田は逆に野村の気遣いを意気に感じてシダックス残留を決めた。先輩投手2人がプロに行く、武田のお礼奉公の姿を山田正雄が見つけて人間性を見出し、後のドラフト指名に繋がる。

2005年に左肘を故障して夏場まで復帰できなかったが、懸命なリハビリが功を奏し、第36回IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。

2005年のプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから4巡目で指名。契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は38で、仮契約をカラオケボックス「渋谷シダックスビレッジクラブ」で締結。この会議では、シダックス時代にバッテリーを組んだ小山桂司捕手も日本ハムから5巡目で指名されたため、小山とも引き続きチームメイトになった。

プロ入り後

2006年、3月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)で先発した江尻慎太郎が負傷降板したことを受けてプロ初登板を果たす。同年より楽天の監督に就任したシダックス時代の監督だった野村克也の目の前でプロ初勝利を挙げた。7月1日の楽天戦(札幌ドーム)では高須洋介の打球を左手に受け、6回2/3を無安打に抑えたまま負傷降板となった。日本シリーズ(中日ドラゴンズ戦)では第3戦の先発を任され、5回0/3を1失点の投球で勝ち星を挙げ、日本一に貢献した。アジアシリーズでは台湾代表のLa Newベアーズ戦での先発を任され、7回1失点の投球で日本シリーズに続いてアジアシリーズでも勝ち星を挙げ、アジアシリーズ制覇にも貢献した。

2007年、救援要員として開幕を迎えた後に、5月27日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から先発に転向した。一軍公式戦全体では、シーズンの最終規定投球回に初めて到達すると、9勝4敗、防御率2.54(リーグ6位)を記録。チームのパシフィック・リーグ優勝に貢献した。しかし、その後のクライマックスシリーズや、中日ドラゴンズとの日本シリーズでは精彩を欠いた。

2008年、先発予定だった4月29日の千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリン)試合前練習中に、相手チームのフリー打撃の打球を左手親指に受けて登板を回避。診断結果は左親指末節骨骨折と診断され登録抹消された。復帰戦となった6月29日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で6回1失点の投球で4勝目を挙げる。7月13日の福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)では8回2失点の投球も敗戦投手となり、プロ入り以来続いていたソフトバンク戦での無敗記録が11試合で、連勝が6で途切れた。クライマックスシリーズ(埼玉西武ライオンズ戦)では第3戦の先発を任され、5回2失点の投球で勝ち星を挙げた。オフには第2回WBCの日本代表候補メンバーに選出されるも、日本代表入りは果たせなかった。

2009年、オープン戦から体調を崩した影響で調整が遅れたため、シーズンを二軍でスタート。4月16日のオリックス戦(札幌ドーム)に、先発投手としてシーズン初の一軍マウンドに臨むと、9回1失点という内容で一軍初の完投勝利を挙げた。10月10日の楽天戦(札幌ドーム)では7回2/3を1失点の投球で2年ぶりとなる規定投球回到達と自身初の二桁勝利となる10勝目を挙げた。クライマックスシリーズ(楽天戦)では第1戦の先発を任されるも精彩を欠く投球で6回1/3を5失点で降板となった。日本シリーズ(巨人戦)では第1戦と第6戦の先発を任されたがいずれも敗戦投手となり日本一を逃した。

2010年、6月22日のソフトバンク戦(福岡Yahoo!Japanドーム)でプロ初完封勝利を記録。8月22日の西武戦(札幌ドーム)では僅か89球の球数で9回1失点の投球で完投勝利を挙げた。この試合で今季3度目の無四死球での完投勝利となり、球団としては1992年の金石昭人以来となる18年ぶりの記録となった。また、7月8日 - 9月16日にかけて先発登板した試合では8連勝を記録。この年は防御率・勝利数・奪三振・投球回・先発登板はいずれもキャリアハイ。防御率2.41はリーグ2位であり、14勝はチームトップの勝利数となった。

2011年、4月27日 - 5月23日にかけて先発登板した5試合全てにおいて味方打線が0点に抑えられ、5試合連続で完封負けでの敗戦投手となった。これは68年ぶりプロ野球史上2人目の記録であり、2リーグ制以降では史上初の記録となった。5月29日の広島東洋カープ戦(札幌ドーム)では前田健太との1-0の投手戦を制し、7回無失点の投球で4月21日以来となる勝ち星を挙げた。その後も勝ち星を積み重ねて6連勝を記録。自身初のオールスターゲームにも選出されたが1イニング・1試合4被本塁打、1イニング8者連続被安打、1イニング8失点、1試合9失点などオールスター記録を更新してしまった。8月7日の楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では防御率リーグ1位の田中将大に投げ勝ち6回1失点の投球で9勝目を挙げ、この時点で防御率が1.30となり田中を抜いてリーグ1位となるが、その後は精彩を欠く投球が続いたため最終的には防御率が2.46まで悪化した。

2012年、4月だけで2度の完封勝利を含む4勝を挙げるなど自身初の月間MVPを受賞するが、その後は先発登板した9試合連続で勝ち星が付かず、自身の誕生日である7月10日のロッテ戦(札幌ドーム)で7回1/3を1失点の投球で10試合ぶりの勝ち星を挙げた。この年も前年と同じく11勝を挙げ左投手としては球団史上初の4年連続二桁勝利を達成した。また、先発登板数28試合はリーグ最多タイであり、防御率・完封数・完投数・投球回もキャリアハイだった2010年を上回る成績を残すなどチームを3年ぶりのリーグ優勝に貢献した。クライマックスシリーズ(ソフトバンク戦)では第2戦の先発を任され、6回無失点の投球で4年ぶりとなるクライマックスシリーズでの勝ち星を挙げた。日本シリーズ(巨人戦)では第2戦と第6戦の先発を任され、第2戦では6回1失点の投球も味方打線が0点に抑えられて敗戦投手となった。この試合では10奪三振を記録し、日本シリーズ史上16人目(18度目)となる二桁奪三振を記録した。第6戦では精彩を欠く投球で2回3失点で降板するも敗戦投手にはならなかったがチームは敗れて日本一を逃した。

2013年、開幕戦である3月29日の西武戦(西武ドーム)で自身初の開幕投手を務めたが、4回裏に先頭打者の炭谷銀仁朗を一ゴロに打ち取った際、左ふくらはぎの張りを訴えて降板となった。診断結果は左ふくらはぎの筋挫傷と診断され登録抹消された。復帰戦となった4月28日のオリックス戦(札幌ドーム)では6回無失点の投球で今季初の勝ち星を復帰戦で挙げるが、その後は勝利投手の権利である5回を持たずに大量失点を喫して降板する試合が目立つなど精彩を欠く投球が続いた。そのため2009年から続いていた規定投球回到達と二桁勝利は4年で途切れた。

2014年、先発陣の一角で一軍公式戦の開幕を迎えたが、シーズン初登板から精彩を欠く投球が続いた。7月8日の対楽天戦(コボスタ宮城)では、1回だけで6点を失うと、1回1/3を7失点という内容で降板。この時点で防御率が7.30にまで達したため、翌9日に出場選手登録を抹消された。後に一軍へ復帰したが、左投手の救援要員が不足していたチーム事情などから、中継ぎ要員に転向した。

2015年、4月5日のオリックス戦(京セラドーム)に先発投手として登板すると、5回2失点という内容で、先発では一軍公式戦で278日振りの勝利を挙げた。その後も先発陣の一角を担っていたが、6月20日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で3回を投げて7点を失うと、翌21日に出場選手登録を抹消。9月下旬に一軍へ復帰したが、一軍公式戦全体では、9試合の登板で3勝2敗、防御率5.84という成績に終わった。

2016年、レギュラーシーズン終盤まで一軍公式戦への登板機会がないまま、9月23日に現役引退を発表した。チームが当時リーグ優勝を射程圏内に収めていたことから、引退記者会見の後には、一軍の試合前のナインの円陣に参加。「俺のために優勝しろ」と書いた紙を見せることで、チームを鼓舞した。チームが優勝した後の9月30日には、引退試合として、札幌ドームのロッテ戦で先発。「打者1人のみの対戦」という条件でマウンドに立つと、先頭打者の清田育宏を空振り三振に抑えたことで現役生活を締めくくった。なお、試合後に開かれた引退セレモニーでは、「俺のために日本一になれ」と絶叫。その後のクライマックスシリーズおよび、広島との日本シリーズでは、打撃投手としてチームに同行した。さらに、チームが10月29日に日本シリーズを制すると、栗山監督に続いて3回にわたって胴上げされた。

現役引退後

2017年、指導者への転身を希望していたことから日本ハムに球団職員として引き続き在籍するとともに、2017年1月1日付でベースボール・チャレンジ・リーグ石川ミリオンスターズへ派遣。派遣期間は1年間で「総合コーチ」と「Vice President(ヴァイス プレジデント)」という肩書きで経営・編成・営業などのフロント業務にも携わる。その傍ら札幌テレビのゲスト解説者として随時出演。8月24日にはU-15日本代表のコーチに就任することが発表された。

2018年、任期満了に伴って退任した渡辺正人の後任として日本ハムに籍を置いたまま石川ミリオンスターズの監督に就任することが1月9日に発表された。初年度の成績は前期は3位、後期は4位で地区チャンピオンシップには進めなかった。10月23日、来シーズンも石川と監督契約を結んだことが、派遣元の日本ハム球団から発表された。

選手としての特徴

人物・エピソード

詳細情報

年度別投手成績






























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

2006 | 日本ハム | 29 | 7 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 1 | 5 | .714 | 326 | 84.0 | 68 | 5 | 15 | 1 | 3 | 54 | 1 | 0 | 20 | 19 | 2.04 | 0.99
2007 | 35 | 18 | 1 | 0 | 1 | 9 | 4 | 0 | 8 | .692 | 569 | 149.0 | 113 | 18 | 17 | 1 | 6 | 101 | 0 | 0 | 42 | 42 | 2.54 | 0.87
2008 | 20 | 19 | 1 | 0 | 0 | 8 | 7 | 0 | 0 | .533 | 493 | 121.2 | 110 | 18 | 19 | 0 | 5 | 68 | 1 | 0 | 44 | 40 | 2.96 | 1.06
2009 | 24 | 23 | 2 | 0 | 1 | 10 | 9 | 0 | 0 | .526 | 592 | 144.1 | 150 | 17 | 20 | 3 | 4 | 99 | 0 | 1 | 58 | 57 | 3.55 | 1.18
2010 | 26 | 26 | 3 | 1 | 3 | 14 | 7 | 0 | 0 | .667 | 661 | 168.1 | 161 | 12 | 19 | 1 | 1 | 106 | 0 | 0 | 47 | 45 | 2.41 | 1.07
2011 | 25 | 25 | 3 | 0 | 2 | 11 | 12 | 0 | 0 | .478 | 647 | 164.2 | 143 | 7 | 18 | 0 | 3 | 87 | 0 | 0 | 51 | 45 | 2.46 | 0.98
2012 | 28 | 28 | 4 | 2 | 2 | 11 | 7 | 0 | 0 | .611 | 709 | 182.2 | 159 | 10 | 30 | 1 | 4 | 90 | 0 | 0 | 50 | 48 | 2.36 | 1.03
2013 | 22 | 22 | 2 | 0 | 0 | 8 | 7 | 0 | 0 | .533 | 546 | 129.0 | 139 | 11 | 27 | 1 | 4 | 47 | 2 | 0 | 62 | 56 | 3.91 | 1.32
2014 | 25 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 2 | .429 | 278 | 61.2 | 72 | 12 | 20 | 1 | 2 | 33 | 0 | 0 | 43 | 41 | 5.98 | 1.49
2015 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 168 | 37.0 | 51 | 6 | 5 | 0 | 4 | 15 | 1 | 0 | 26 | 24 | 5.84 | 1.51
2016 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00
通算:11年 244 | 187 | 16 | 3 | 9 | 82 | 61 | 1 | 15 | .573 | 4990 | 1242.2 | 1166 | 116 | 190 | 9 | 36 | 701 | 5 | 1 | 443 | 417 | 3.02 | 1.09

表彰

記録

投手記録
打撃記録
節目の記録
その他の記録

背番号

関連情報

テレビ

ラジオ

脚注

  1. ^ “武田勝VicePresident(ヴァイス プレジデント)就任のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ. (2016年12月14日). http://www.m-stars-s.jp/news/2016/12/14/2933 2016年12月15日閲覧。
  2. ^ “日ハム武田勝氏、BC石川の監督に就任 球団から派遣の形は継続”. Full-Count. (2018年1月9日). https://full-count.jp/2018/01/09/post101558/ 2018年1月9日閲覧。
  3. ^ “日本ハム・武田勝みんなに愛された「ハイ」の男”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2016年9月29日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/598341/ 2016年9月29日閲覧。
  4. ^ 「非エリートの思考法「2番目で生きるための自己分析力」」、『Number』2011年8月4日号、文藝春秋、 42頁、 雑誌26851-8/4。
  5. ^ 「非エリートの思考法「2番目で生きるための自己分析力」」、『Number』2011年8月4日号、文藝春秋、 44頁、 雑誌26851-8/4。
  6. ^ プロ野球ドラフト会議において、プロ野球球団が社会人チームの投手を2人以上指名する場合は、事前にその投手が所属するチームの許可が必要となる。
  7. ^ 「男の野球道 一途な想いと感謝を胸に 武田勝」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、35-39頁。
  8. ^ “日本ハムが骨折の武田勝に代わり宮本登録”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20080430-354316.html 2008年4月30日
  9. ^ “日本ハム武田勝6回1失点82日ぶり4勝”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080630-377974.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/11/19 12:26

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