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民主党_(日本_1998-2016)とは?

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日本政党
民主党
Democratic Party of Japan
民主党ロゴマーク

【成立年月日】
1998年4月27日
【前身政党】
民主党
民政党
新党友愛
民主改革連合
【解散年月日】
2016年3月27日
【解散理由】
維新の党との合流による改称
【後継政党】
民進党
【本部所在地】
〒100-0014
東京都千代田区永田町一丁目11番1号三宅坂ビル
北緯35度40分44.2秒 東経139度44分34.7秒 / 北緯35.678944度 東経139.742972度 / 35.678944; 139.742972
【政治的思想・立場】
民主中道
社会民主主義
共生主義
【機関紙】
プレス民主
【シンボル】
民主党ロゴマーク
【国際組織】
民主主義者連盟 (2005–12)
法規上1996年9月17日成立の民主党および2016年3月27日成立の民進党と同一政党

民主党(みんしゅとう、英語: Democratic Party of Japan)は、かつて存在した日本の政党。略称は民主DPJ

目次

  • 1 概要
  • 2 党史
    • 2.1 前史
      • 2.1.1 非自民連立政権
      • 2.1.2 旧民主党
    • 2.2 野党時代(1998年 - 2009年)
      • 2.2.1 結党
      • 2.2.2 党勢拡大
      • 2.2.3 二大政党化
      • 2.2.4 トロイカ体制
      • 2.2.5 政権交代へ
    • 2.3 与党時代(2009年 - 2012年)
      • 2.3.1 鳩山政権
      • 2.3.2 菅政権
      • 2.3.3 野田政権
      • 2.3.4 野党へ逆戻り
    • 2.4 野党時代(2012年 - 2016年)
      • 2.4.1 党勢の低迷
      • 2.4.2 再編と改称
  • 3 略史
  • 4 政策
    • 4.1 綱領・基本理念
      • 4.1.1 基本理念
      • 4.1.2 党綱領
    • 4.2 経済財政
      • 4.2.1 予算見直し
    • 4.3 外交・安全保障
    • 4.4 行政刷新・地域主権
    • 4.5 社会保障
      • 4.5.1 年金
    • 4.6 少子化対策
    • 4.7 エネルギー・原発
    • 4.8 情報公開
    • 4.9 戦後補償問題
    • 4.10 選挙・政治
    • 4.11 難民認定の緩和
    • 4.12 人権
    • 4.13 男女共同参画・差別撤廃
    • 4.14 その他
  • 5 党内対立
    • 5.1 具体例
    • 5.2 党内グループ
  • 6 組織
    • 6.1 党員・サポーター
    • 6.2 学生組織
    • 6.3 地方組織
      • 6.3.1 総支部
      • 6.3.2 行政区支部
      • 6.3.3 県連・総支部傘下の任意組織
    • 6.4 本部
    • 6.5 内規
      • 6.5.1 勝てる候補者
      • 6.5.2 世襲制限
  • 7 役職
    • 7.1 代表(党首)
    • 7.2 次の内閣
    • 7.3 歴代執行部役員
    • 7.4 閣僚経験者
    • 7.5 主な役職
  • 8 政党交付金
  • 9 党勢の推移
    • 9.1 衆議院
    • 9.2 参議院
    • 9.3 所属国会議員
    • 9.4 地方政治
    • 9.5 政党収入額
  • 10 支持層
    • 10.1 政党支持率の推移
    • 10.2 都市部優位からの変化
    • 10.3 政権交代後
    • 10.4 地方政治における勢力
    • 10.5 主な支持母体
  • 11 キャッチコピー
  • 12 ロゴマーク
  • 13 訴訟
  • 14 脚注
    • 14.1 注釈
    • 14.2 出典
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

概要

1998年4月、院内会派民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた旧民主党民政党新党友愛民主改革連合が合流して結成された。法規上は旧民主党以外が解党して合流したという形をとっているものの、旧民主党の議員もいったん全員離党し再度入党、その他人事や要綱、ロゴなどを一新したこともあって、同じ政党名でありながら旧民主党とは区別して扱うことが慣例になっている。また、結党時には保守中道を掲げる旧民政党系と中道左派を掲げる旧民主党系が対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落ち着いた。

保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けられた。しかし結党・合併の経緯により、自民党などの流れを汲む保守本流保守左派や旧民社党系の反共色の強い議員も一定多数存在し、左派政党と位置付けられることに否定的な党員・支持者も存在した。なお、2001年に党内左派より「中道左派という概念から社会主義インターナショナルに加盟すべき」という提案がなされたが、当時の代表・鳩山は「左派というのは民主党のコンセンサスではない」と反対し、頓挫した。

国際組織の民主主義者連盟に加盟していた。

自民党は1955年の結党以来、国政選挙の選挙区の公認候補の当選を47都道府県全てで経験しているが、民主党は1998年の結党から2016年の改名までの間に福井県島根県宮崎県の3県で国政候補の当選者が出なかった。ただ、国会議員数では、一貫して自民党に次いで第2党の座を占めていた。

2003年9月自由党が合流(民由合併)。2007年参議院議員通常選挙につづき2009年衆院議員総選挙でも勝利して政権を獲得、社民党国民新党とともに連立与党を形成した。2012年総選挙で大敗し、野党となった。

2016年の維新の党との合流にあたり党名を民進党に改称し、これを以て民主党は結党以来18年の歴史に幕を下ろすことになった。

これに伴い、旧民主党から続いた「民主党」の党名も20年で消滅した。

党史

前史

非自民連立政権

1980年代の後半からリクルート事件などを契機として政治とカネのあり方が問われ始めると、小沢一郎後藤田正晴らを中心に自民党内の一部で小選挙区制政党交付金の導入を主張する政治改革の機運が高まっていった。これには政権交代可能な二大政党制を実現させ、中選挙区制によって馴れ合いに陥っていた(小沢談)55年体制を打破するという目的があった。

小選挙区制への移行は短期的には最大政党の自民党に有利なものであったため、野党は一斉にこれに反発した。一方で自民党内でも、将来的に政権から転落する可能性が高まることや特定団体からの組織支援効果が薄まることなどから反対論が相次ぎ、第2次海部内閣では政治改革四法は廃案に追い込まれた。

1993年宮澤内閣でも法案が否決されるに至って党内の対立は決定的となり、小沢・羽田孜岡田克也ら改革推進派は内閣不信任案に賛成票を投じて自民党を離党した。首相の宮澤喜一は衆議院を解散して第40回衆議院議員総選挙に踏み切るも、自民党は政権から転落。この選挙では枝野幸男前原誠司野田佳彦小沢鋭仁ら、後に民主党の主要メンバーとなる議員が政治改革を訴えて日本新党から多数初当選した。

この選挙の結果、小沢・羽田らは、8党派連立による非自民・非共産連立政権を樹立、政治改革四法を成立させた。しかしその後は政党間による対立が表面化し、約1年でこの連立政権は崩壊した。

また不信任案には反対した鳩山由紀夫らも新党さきがけを結成し、翌1994年には小沢、羽田、岡田らが新進党を結成。この二つの政党の一部に社民党右派議員を加えたものが、後の民主党のおおまかな源流となる。

旧民主党

民主党 (日本 1996-1998)」および「民主友愛太陽国民連合」も参照

1996年9月、新党さきがけを離党した鳩山由紀夫菅直人らと社民党右派議員、ほか鳩山邦夫らが集い、「官僚依存の利権政治との決別」「地域主権社会の実現」を標榜して旧民主党を結党。両院合わせて57名での船出であった。翌月に控えていた第41回衆議院議員総選挙を横ばいの議席で乗り切り、翌1997年には菅が党代表に、鳩山由紀夫が幹事長にそれぞれ就任して党の体制が整えられた。

一方の新進党は同じ総選挙で政権獲得はおろか議席を減らすという敗北を喫していた。党の求心力は急激に衰え、1997年12月、党の再生が困難だと判断した小沢は新進党の解党を宣言。自民党に復党、合流する議員が更に多数出る中、小沢を中心とする自由党にも公明党にも与しない形で野党に留まる勢力があった。

旧民主党は新進党解党後に結成された民政党新党友愛民主改革連合1998年1月に院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)を結成し、合流に向けた協議を進めた。

野党時代(1998年 - 2009年)

結党

旧民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫らが基本理念をまとめる協議にあたり、合意に至った。1998年4月27日、新たに「民主党」が誕生。手続上は他政党が解散し、民主党に合流した形となった。

新民主党は、「行政改革」「地方分権」「政権交代」を掲げ、自民党に代わる政権政党となること、二大政党時代を作り上げることを目指すとした。「生活者」「納税者」「消費者」の代表という立ち位置、「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念の否定などを結党時の基本理念に掲げていた。

この年の第18回参議院議員通常選挙では、大型公共事業の抜本的見直しや地方分権の推進などを訴え、10議席増の27議席を獲得した。しかし、当時衆議院で単独過半数の回復に成功していた自民党と比して、この頃の民主党を二大政党の一角と見る動きはまだ少なく、あくまでも最大野党という位置付けが一般的であった。

党勢拡大

1999年9月、代表選挙で菅を破った鳩山由紀夫が代表に就任。

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、定数削減があったにも関わらず改選前の95議席を大きく上回る127議席を獲得、二大政党時代の到来を宣言した。とはいえ、自公保政権は引き続き安定多数を維持しており、与党を過半数割れに追い込むという狙いは達せられなかった。この選挙では、現行消費税の年金目的税化、扶養控除の廃止と児童手当の金額倍増などが公約に盛り込まれた。

2001年4月、小泉内閣が公共事業改革や分権改革を推し進める聖域なき構造改革を掲げて発足。これらの改革は民主党の政策と共通するものを含んでいたため、鳩山は小泉に対し「協力することもやぶさかではない」という姿勢も見せ始めるようになる。以後、小沢が代表に就任する2006年までは、改革の速度や手法を競う「対案路線」で与党と対峙することになる。

同年7月の第19回参院選では小泉旋風の前に伸び悩んだものの、4議席増の26議席獲得し、引き続き党勢を拡大させた。選挙公約には、道路特定財源の一般財源化、天下り禁止法の制定、全てのダム建設の一時凍結などが新たに盛り込まれた。

2002年9月に鳩山は代表に再選されたが、これに関連して中野寛成を幹事長に起用する論功行賞人事が党内の求心力の低下を招き、自由党との統一会派構想の責任を取る形で12月には辞任に追い込まれた。同月、岡田を破った菅が代表に返り咲く。

二大政党化

2003年9月、来る総選挙を前に執行部が自由党との合併に踏み切ることを正式に決断する。枝野ら強硬に反対を唱える声もあったものの、役員・要綱・党名を据え置くという民主党による事実上の吸収合併という形で決着を見せた。この民由合併により民主党は両院合わせて204人(衆院137・参院67)を擁するまでに党勢を拡大させた。

同年11月、日本初のマニフェスト選挙となった第43回総選挙では、明確に「政権交代」を打ち出し、改選前を40議席上回る177議席を獲得、大きく躍進する。比例区の得票数では自民党を上回った。高速道路の原則無料化、年金制度の一元化、衆議院の定数80削減などがこの選挙から新たに政権公約に加えられた。

2004年、年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」において菅の納付記録に未納期間があることが判明し、代表辞任へと追い込まれた(後に社会保険庁職員のミスよるものであったことが明らかとなり、厚生労働省が謝罪した)菅の後継にいったんは小沢一郎が内定したが、小沢にも年金未納が発覚し、出馬辞退に追い込まれた。

同年5月、新代表に若手の筆頭格であった岡田克也を無投票で選出。間を置かず7月の第20回参院選を迎えた。発足間もない新体制に一部不安視する声もあったが、50議席を獲得し、国政選挙において初めて自民党(49議席)に勝利を収めた。

この時期から政権選択選挙という言葉が急速に現実味を帯び始めるようになる。

2005年8月、首相小泉純一郎郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。選挙戦の序盤は「漁夫の利」などとして民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。

郵政民営化の是非を争点に選挙戦を展開した与党に対し、民主党は郵貯・簡保の徹底的な縮小と郵便事業への民間事業者参入促進など、2003年以来党が掲げてきた改革案で応えた。また、郵政問題よりも重要な争点として、利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費の2割削減、18兆円に及ぶ税源の地方への委譲、大型公共事業の見直しなどを改めて提示し、「徹底した無駄削減」と「コンクリートからヒトへ」による大胆な社会構造の変革を訴えた。しかし、「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で政策論争は次第に世論の関心を失い、民主党は小泉劇場の前に埋没。結局、改選前を大きく下回る113議席に終わった。岡田は即日代表辞任の意向を表明した。

党代表後継には菅直人と前原誠司が名乗りを上げた。当初は菅有利と見られていたが、最終演説で投票議員の心を掴んだ前原が僅か2票差で選出された。前原は、「脱労組」「世代交代」を打ち出し、党の再建に着手。当時43歳の前原は清新なイメージを与え、耐震偽装問題馬淵澄夫による証人喚問が世論の喝采を浴びるなど、新生民主党は順調な出直しを図ったかに見えた。

しかし、2006年2月に堀江メール問題が起きると、一転して民主党は激しい世論の批判を浴びることになる。情報の真偽を巡って執行部の対応が後手に回ったことも問題を長引かせる要因となり、翌3月にはついに前原が辞任に追い込まれた。これにより、民主党は解党の噂すら囁かれる、危機的な状況に陥った。

トロイカ体制

2006年4月、小沢一郎が菅を破り、新代表に就任。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。

小沢体制ではまず小泉構造改革を否定するという大きな政策的転換が図られた。それまで民主党の方針であった経済成長路線は影を潜め、子ども手当の導入、農家への戸別所得補償といった多額の財政出動を伴う政策が打ち出された。更に2005年総選挙時に掲げていた年金目的消費税を凍結するなど、財源に関して甘い見通しが立てられたのもこの時期である。

地方組織が磐石ではない民主党にあって、小沢は各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど、地盤の強化にも力を注いだ。2007年4月の統一地方選挙を勝利し、7月の第21回参院選でも60議席獲得と大勝。ついに参議院で与野党を逆転させた。

小沢は参議院での多数を武器に与党に激しく抵抗する「対立軸路線」を敷き、政権を追い込む戦術を選択した。一方で11月、小沢はねじれ国会の運営に行き詰った福田康夫大連立構想を提案。しかし、予てから「健全な二大政党制」を望んでいた民主党役員会では小沢を除く全ての議員がこれに反対、世論も同様の反応を示した。その後、民主党は2008年ガソリン国会などで抵抗を続け、ねじれ国会の中で有利に戦いを進めた。この頃には首都圏の政党支持率では自民党を圧倒するようになった。

ところが2009年3月、西松献金問題で小沢の公設第一秘書逮捕起訴されると、支持率は軒並み低下。迫る総選挙への影響を避けるためとして5月、小沢は代表を辞任した。

次期総理候補を決める代表選挙として大きな注目を集める中、小沢に近い議員らが推す鳩山と岡田が争った。消費税率見直しは4年間議論もしないとした鳩山と、議論は行うべきだとした岡田であったが、参院票の取り込みで優勢に立った鳩山が接戦を制した。初めて表面化した親小沢と非小沢との対立構図であったが、選挙後は岡田が幹事長職を引き受け、選挙後の融和を図れた。小沢の献金問題で一時的に落ち込んでいた政党支持率は献金問題の表面化前よりも上昇し、自民党に拮抗する調査も出始めるようになった。

政権交代へ

7月翌13日、首相麻生太郎が衆議院を解散する意向を表明。この月、NHKの全国世論調査で初めて民主党が政党支持率で自民党を逆転した。

第45回衆議院議員総選挙の開票速報を聞く民主党幹部ら
民主党が308議席を獲得したことを伝える新聞各紙

2009年7月21日、衆議院が解散され、事実上の任期満了選挙に突入する。鳩山はこの総選挙を「政権交代選挙」と銘打ち、連立をみすえる社民党・国民新党と合わせて過半数の議席確保を目指した。マニフェストには、前回の参院選で訴えた内容とほぼ変わらぬ政策が盛り込まれた。各種世論調査では終始民主党の圧倒的優勢が伝えられた。

結果、絶対安定多数を超える308議席を確保して、結党以来の悲願であった政権交代をついに実現する。308議席は一つの党が獲得した議席数としては戦後最多であった。また比例区の得票も2984万4799票を獲得し、日本の選挙史上で政党名の得票としては過去最高を記録した。

与党時代(2009年 - 2012年)

鳩山政権

第172回国会鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、社民党・国民新党との連立政権が誕生。党幹事長に小沢、内閣官房長官には平野博文が起用された。

鳩山内閣は当初、70%を超す高い支持率を得てスタートした。CO2削減目標の引き上げ、自衛隊インド洋派遣の撤退、公共事業の見直しなどの政策を推し進めるが、同時に幹事長の小沢と鳩山自身に政治資金収支報告書の虚偽記載問題が再燃する。「政治とカネ」を巡る不信に加え、鳩山よりも小沢に実質的な権力が集中する「二重権力構造」や、選挙支援と引き換えに予算配分を行う小沢の政治手法などが党内外で問題視されるようになると、内閣支持率は一転、下降の一途を辿ることとなる。

そんな中、行政の無駄をあぶりだすことを目的に事業仕分けが行われ、これが世論から概ね好意的な評価を受ける。しかし子ども手当などの新たな歳出や、不況による税収落ち込みもあって平成22年度予算では過去最大となる44兆円の国債発行をするに至った。

2010年以降、小沢をはじめとする所属議員の政治資金問題で世論の反発が強まった。また、鳩山自身の献金問題も、国会などで厳しい追及を受けた。ただ、これらの「政治とカネ」問題そのものは、政権を揺るがすまでには至らなかった。

内閣にとって決定的な打撃となったのは、前年から徐々にクローズアップされてきたアメリカ軍の普天間基地移設問題であった。移設先を「最低でも県外が期待される」と総選挙時に明言していた鳩山は、沖縄及びアメリカが合意していた辺野古沿岸部へ移設する現行案を白紙に戻し、県外・国外移設の道を探っていた。しかし5月、移設先を見つけることができず、これを断念。失望した沖縄が現行案の辺野古沿岸部案をも受け入れ撤回する事態に発展し、移設問題は大きく後退してしまう(この際、県外移設を求めた社民党が連立を離脱した)。

このほか、野党時代の民主党の主張と、与党としての民主党の能力や政策との乖離が徐々に明らかになるにつれ、鳩山内閣への国民の不信はピークに達し、来る参議院選挙では20議席台に留まるという衝撃的な事前調査も明らかとなる。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。

菅政権

後継の代表選挙は、まず小沢の影響力排除を目指す副総理財務大臣の菅直人がいち早く出馬を決め、小沢と距離を置く議員から支持を受けた。これに対し党内最大勢力を誇る小沢グループは中立派として出馬した樽床伸二を支持した。6月4日に行われた両院議員総会では、小沢グループ以外の票を固めた菅が圧勝した。この代表選では小沢の処遇を巡って党を二分する激しい攻防が繰り広げられ、党内には深刻な対立が残ることとなった。

菅内閣は発足にあたり、幹事長に枝野、内閣官房長官仙谷由人など、主要ポストにいずれも非小沢の急先鋒を据えた。政策面では「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を打ち出し、財政再建と雇用創出を最大の国家的課題とする方針を表明。併せて消費税率見直し議論の提起、経済効果の薄い一部マニフェストの修正に着手するなど、鳩山内閣の政策方針からは大きな転換を図った。発足当初は、60%を超える高い内閣支持率を記録した。

しかし、選挙戦での菅の消費税を巡る発言が二転三転し、2010年7月11日の第22回参院選では現有の54議席から失って44議席に下がり、参院過半数を失うねじれ状態に陥った。小沢グループは参院選敗北の責任は消費税議論を提起した菅にあるとして、総理退陣や枝野の幹事長更迭を迫った。しかし国民の7割超は菅の続投を支持し、これを背景に菅も応じる姿勢を見せなかった。

こうした中で迎えた9月の代表選挙に小沢が出馬。小沢による事実上の倒閣宣言であった。財政再建とマニフェスト一部修正を目指す菅陣営には菅・前原・野田の各グループに加え岡田が、消費税議論封印とマニフェスト堅持を掲げる小沢陣営には小沢・鳩山・羽田・樽床の各グループが参集し、深刻な党内抗争が始まった。新聞主要四紙が揃って小沢・鳩山を批判し、世論調査でも菅支持が小沢支持の4倍超を記録するなど、戦いは次第に菅優勢へと傾いていった。9月14日、地方議員票と党員・サポーター票で大差を付けた菅が圧勝で再選された。幹事長には外務大臣から転じた岡田が再登板となり、閣僚からは小沢グループの議員は一掃された。この戦いにより党内の亀裂は更に深刻化することとなった。

尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応を巡り内閣官房長官の仙谷と国土交通大臣馬淵澄夫に対する問責決議が参院で可決されるなど政局は混乱。これを受けた内閣改造により、2011年1月14日に菅第2次改造内閣が成立。3月11日には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われた。

6月1日、「菅首相では災害復旧と復興、原発事故の処理に対応できない」との理由で自民党などが提出する内閣不信任決議案に対し、小沢に近い50人余りの議員が同調する意向を示したが、翌2日の採決前に開かれた党代議士会で菅が辞意とも取れる発言をしたことで小沢グループは自主投票となり、不信任案は否決された。菅はその後、福島第一原発事故の対応にメドがつくまで続投する意欲を示したが、政府・党執行部からも菅への退陣要求が出始めた。

8月26日に菅が退陣を正式に表明したため、民主党代表選が行われ、野田佳彦・海江田万里・前原誠司・鹿野道彦、・馬淵澄夫の5人が出馬した。代表選では小沢と鳩山のグループから支援を受けた海江田が先行し、前原と野田が追う展開となった。第一回投票では海江田が最多の143票を得るが過半数には至らず、野田との決選投票では前原・鹿野陣営の支持を集めた野田が勝利し、第9代党代表に選出された。

野田政権

第9代党代表に選出された野田は、2011年8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。野田は代表選挙当時から消費税率を現行の5%から10%に引上げる消費増税を掲げたが、歳出削減が進んでないうえ、景気にも悪影響だとして小沢グループや連立を組む国民新党などから反対意見が噴出した。このため、野田は小沢とも良好な関係にある党参院会長の輿石東を『党内融和』の象徴として幹事長として起用(党参議院議員会長も兼務)し、挙党体制の構築に努めた。

しかし、閣内では経産相鉢呂吉雄や小沢グループから起用された国家公安委員会委員長山岡賢次防衛相一川保夫らに閣僚の資質が問われる問題が続出した。

元民主党議員の松木謙公(著書で2011年中の新党大地入党を示唆)らは、新党大地へ合流、新党大地・真民主を結党した。さらに12月28日、小沢に近い内山晃ら9人の衆議院議員が離党届を提出(認められず除籍処分)、新党きづなを結成。他にも離党が相次ぎ、2011年の間だけで民主党は14人の国会議員を失うことになった。

2012年1月13日、野田は内閣改造を行った(野田第1次改造内閣)。今国会の最大の課題とする消費増税関連4法案を含む社会保障・税一体改革関連法案を国会で成立させるため、野党との協力関係構築と人心一新、体制強化を目的とした。

しかし、改造後も閣内外で問題が頻出。防衛相の田中直紀北朝鮮ミサイル問題に関する失言で、国交相の前田武志公職選挙法に抵触する可能性がある問題で、閣僚としての資質が問われ、4月10日に参議院で問責決議案が可決された。

また、社会保障・税一体改革関連法案が閣議決定されたことに抗議し政府・党の要職を辞める者が相次いだ。連立を組む国民新党も社会保障・税一体改革関連法案が閣議決定された事で連立離脱派と維持派が対立、離脱派で代表亀井静香らが離党する(金融・郵政改革担当大臣の自見庄三郎が代表となり、連立維持)など党内外で混乱を露呈する事態となった。5月には中国の一等書記官によるスパイ疑惑が政治問題化したこともあり、野田は組閣からわずか5ヶ月余りで、内閣再改造(野田第2次改造内閣)を行う事態となった。

社会保障・税一体改革関連法案の採決は6月26日に衆議院本会議で行われ、民主党・国民新党・自民党・公明党たちあがれ日本などの賛成多数で可決された。消費増税法案の採決では反対の意を表明していた鳩山、小沢以下57名が反対票を投じ、原口一博小沢鋭仁ら13名が棄権、2名が欠席(病欠した元首相の羽田孜を除く)するなど72名の造反者を党内から出した。

野田は造反者に対して除籍も含めた厳しい処分方針を示唆した。一方で輿石は党内融和と分裂回避を重視する観点から小沢と数回に渡って会談を持つも、消費増税法案の撤回を求める小沢と分裂を避けたい輿石の議論は平行線をたどった。小沢が離党と並んで検討していた党籍を残したまま会派を離脱する案は野田が拒否。院内会派離脱願が受理される可能性がなくなり、7月1日午後に小沢は記者に離党の意思を表明した。

2日、小沢ら国会議員52名(後に2人が撤回し50名)が離党届を提出した。3日、党執行部は離党届を提出した小沢ら衆院議員37名を除籍処分とする方針を決定。鳩山は党員資格停止6か月、衆院議員18名には党員資格停止2か月の処分とする方針を決定した。棄権・欠席した衆院議員15名についてはそれぞれ常任幹事会名の厳重注意、幹事長名での注意とした。

党倫理委員会での審査を経て、9日、党執行部は小沢ら衆院議員37名の除籍を正式決定。一方鳩山の党員資格停止期間は短縮された。

小沢グループの離脱後も党分裂は収まらず、17日には谷岡郁子ら参院議員3名が反原発掲げ「みどりの風」を立ち上げた。消費税増税関連法案の採決以後の離党者が55人となり、参議院では第2会派との差が2人まで縮まった。

8月、社会保障・税一体改革関連法案の参院採決が迫り、除籍された小沢らが結成した国民の生活が第一を含む野党会派が、消費増税法案採決を阻止すべく野田内閣に対する内閣不信任決議案を上程した。採決前日の8日、野田は、自民党総裁谷垣と公明党代表山口那津男を交えた党首会談で、衆院解散について「近いうちに国民に信を問う」こと、消費増税法案に賛成することで合意。9日、一部を除く自民・公明の各衆院議員が採決を欠席し、内閣不信任案は否決された。

しかし、内閣不信任案や消費増税法案は民主党内の造反が相次ぎ、一部議員は除籍された。29日に参院で上程された野田首相への問責決議案は、一転自民党が賛成に回り可決された。9月、大阪維新の会が国政進出を目指し、日本維新の会を結成。党内からも松野頼久らが離党届を提出し合流した。執行部は各議員の離党届を受理せず除籍処分としたが、離党者の増加に歯止めがかからなくなった。

10日、党代表選挙が告示され、一時は再選を狙う野田に

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出典:wikipedia
2018/01/15 11:18

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