気象庁震度階級(きしょうちょうしんどかいきゅう)は、日本で使用されている独自の震度階級。地震の揺れの大きさを階級制で表す指標である。単に震度ともいう。主に気象庁が中心となって定めたもので、2012年時点で、約4,300地点で観測が行われている。過去に基準や段階が変更されたこともあるが、現在はほぼ揺れを感じない震度0から震度1、2、3、4、5弱、5強、6弱、6強、7までの10段階が設定されている。地震の規模を示すマグニチュードとは異なる。
日本で地震計による地震観測が始まったのは1872年(明治5年)であるが、その8年後の1884年(明治13年)、当時の内務省地理局第四部 験震課長を務めていた関谷清景が全18条からなる『地震報告心得』をまとめ、全国約600か所の郡役所から地震の情報収集を開始した。これが日本最初の統一様式での震度階級である。当時は「微震」・「弱震」・「強震」・「烈震」の4段階で、例えば微震なら「僅ニ地震アルヲ覚ヘシ者」というように短い解説文があった。
その後、1898年(明治31年)に微震の前に「微震(感覚ナシ)」、微震と弱震の間に「弱震(震度弱キ方)」、弱震と強震の間に「強震(震度弱キ方)」が追加されるとともに、0から6までの数字が振られ7段階となるが、このときは解説文が省かれた。1908年(明治41年)には各階級に解説文が復活する。1936年(昭和11年)には現在の地震観測指針にあたる内規「地震観測法」が定められ、「微震(感覚ナシ)」を「無感」、「弱震(震度弱キ方)」を「軽震」、「強震(震度弱キ方)」を「中震」に改称する。この頃観測点はもっと増えており、気象庁の資料では1904年(明治37年)時点で気象官署と民間委託(区内観測所等)の観測点併せて1,437か所あって、その後昭和30年代(1955 - 1964年頃)までこの数が維持されていたという。
1949年(昭和24年)1月の「地震観測法」改正により震度7が設けられ、震度0から7の8段階とされた。これは、家屋倒壊率90%を超えた地区があった1948年(昭和23年)6月28日の福井地震の被害を、震度6では適切に表現できないのでは、という声が上がったからだとされている。また、震度7の判定は震度6までとは異なり、気象庁の機動観測班が後日行う実地調査に基づく判定に限られ、具体的には「家屋倒壊率30%以上」などの基準が設けられていた。ただし、震度7が制定された詳しい経緯や家屋倒壊率30%以上の根拠は明らかになっていない。なお、この改正時さらに、それぞれの震度に「無感」・「微震」・「軽震」・「弱震」・「中震」・「強震」・「烈震」・「激震」の名称が与えられた(軽微・強中弱・激烈の表現から採られたという)。また、震度を津波予報の判断材料とすること定められ、素早い判定のために震度4と6の体感の様子が説明文に追加された。後の1978年(昭和53年)にはすべての階級に体感が追加されている。
この頃の震度の判定は、観測員(気象台の職員など)が、自身の体感、建物などの被害状況などを、指針にある階級表に当てはめて震度を決定していた。指針があるといっても、観測員の主観に頼るため客観的ではなかった。平成初期には、各気象台から管区気象台が震度情報を収集して規模などとともに発表するまでに、10分程度かそれ以上かかっていた。
さらにその後、1,000か所以上あった震度観測点は、1958年(昭和33年)から1969年(昭和44年)にかけて行われた委託観測所の整理・廃止により大幅に減少し、150か所余りの気象官署のみとなった。
これに対して、震度観測点の不足、観測員の主観による精度不足、震度5以上の被害のばらつきなどの問題点、震度発表の迅速化などの課題が浮上したことで、無人観測可能な計器による震度観測が検討されるようになり、1985年(昭和60年)には気象庁内に震度の計測化を検討する委員会が発足した。1988年(昭和63年)には同委員会の報告に基づいて震度計による計器観測を試験的に開始、1994年(平成6年)3月末までに観測点すべてに震度計を設置した。この間、1993年(平成5年)には300か所、1996年(平成8年)には600か所と観測点を増やした。
その間にも、1994年(平成6年)12月28日の三陸はるか沖地震、1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)などの大地震が相次ぎ、震度5や6の地域で被害の程度の幅が広かったことや、震度7の判定に時間がかかった(気象庁地震課機動観測班の実地調査が必要だった)ことが課題として浮き彫りとなった。これにより、より細かな被害の判定を迅速に行うことが求められた。
1996年(平成8年)4月1日の震度階級改定により、体感による観測を全廃して震度計による観測に完全移行するとともに、震度5と6にそれぞれ「弱」と「強」が設けられて10段階となった。これに伴い、「微震」・「軽震」などの名称は廃止され、従来の説明文に相当するものとして「関連解説表」が新たに作成された。また、例外的に被害率で判定することとされていた震度7も震度計による観測に統一され、計測震度6.5以上を10段階中の震度7とした。さらに気象庁約600ヶ所の震度観測点に加えて、防災科学技術研究所約800ヶ所、地方公共団体約2800ヶ所のデータも気象庁の情報発表に活用することとし、気象庁発表の震度観測点は合計約4200ヶ所と従来より大幅に増加することとなった。
その後、岩手・宮城内陸地震や岩手県沿岸北部地震などで実際の被害の様子とその震度で起こるとされていた被害との乖離が目立ち、2008年(平成20年)夏には震度階級の解説表を見直す検討に入ったことが報道された。同年冬から2009年(平成21年)春にかけて検討会が開かれ、3月31日から改定した「気象庁震度階級関連解説表」の運用が開始された。主な変更点は、耐震工事の普及に合わせて建物の耐震度に応じた被害を記したほか、建物・地形への被害をそれぞれ別記し、特に建物は木造・鉄筋コンクリートを分け、インフラや大規模構造物への影響を注記したことなどが挙げられる。震度の算出式自体は変更されていない。
長周期地震動の影響を受ける高層建築物などでの揺れは特に計測震度との解離が大きく、2003年(平成15年)の十勝沖地震では石油タンクのスロッシングによる火災被害が発生したほか、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では震源域から離れた大都市でも高層ビルでの被害が顕著となった。こうした問題を受けて、長周期地震動に関する新たな情報発表が検討されている。2013年3月23日から4段階の「長周期地震動階級」を設定した上で、「長周期地震動に関する観測情報」を気象庁ホームページ上で試験的に発表している。これらは試行段階であり、正式なものではない。
なお、ある地震においてその地点が震度0であったことを「無感」といい、最大震度0の地震を「無感地震」という。これに対し、震度1以上であったことを「有感」といい、最大震度が1以上の地震を「有感地震」という。
日本における気象庁震度階級は、1996年4月から、それまでの体感や被害状況による判定に代えて、全国に配置された計測震度計(seismic intensity meter)という自動計測機器により測定され、発表されている。
震度計設置を開始した当初の1991年からは、波形を収録する機能がない「90型震度計」が採用されていた。1994年からは、改良されてデジタル波形をメモリーカードに収録する機能が付いた「93型震度計」が展開された。その後、観測可能な加速度上限値を2倍以上としサンプリングレートも2倍とするなどの改良を加えた「95型震度計」に切り替えられた。現在気象庁の震度計はすべて「95型震度計」である。
気象庁の「震度情報」に利用されている計測震度計の設置台数は、2009年末時点で約4,200台、2011年8月時点で4,313台となっており、計測震度に切り替えられた当初の約600台から大きく増加している。これは、日本の震度観測網が世界でも類を見ないほど密になっていることを示している。うち、気象庁が管理しているものが約600台、防災科学技術研究所が管理しているものが約800台、地方公共団体(都道府県・市町村・その他の行政機関)が設置したものが約2,900台となっている。
おおむね平成の大合併前の市区町村ごとに1つの地震計を設置し、島嶼部や過疎地ではさらに多めに設置することを目標に整備され、ほぼ網羅されている。
このほかにも、地方公共団体などが設置している震度計で気象庁の情報に利用されていないものや、公的機関・公共交通機関などがダムや河川、鉄道などの安全確保を目的に独自に設置しているものも多数ある。
震度の信頼性を高めるため、震度計の設置環境には一定のルールがある。設置環境が悪い震度計のデータは気象庁の震度情報に利用されないことになっている。
まず、震度計を設置するのは強固な震度計台の上とされている。震度計は、盛り土や崖などでは揺れが増幅される可能性があることから、地形が平坦で周囲に段差が無く地盤が安定した屋外に設置し、台の下3分の2以上が地面に埋没するようにしなければならない。
また、周囲の構造物などにも規定がある。倒れて震度計に影響を与えかねない木や柵などからは十分離れていることが求められる。屋内の場合はなるべく1階の柱に近いところに設置することとし、地下1階 - 2階までは許されている。免震や制震の工事が施された建物には設置しない。
震度計は、震度計台または屋内の場合は床にしっかりと固定するようにしなければならない。震度計の機種ごとに定められた設置方法を守り、可能ならアンカーボルトなどで固定することが推奨されている。
気象庁は、震度情報へ利用する震度計の選別のため、設置環境をA - Eの5段階で評価している。A - Cは利用可、Dは原則として利用しないが精査した上で利用するもの、Eは利用不可である。
しかし、震度計の設置環境が悪いまま震度情報が利用され、後にその精度が疑問視され訂正された例がある。2008年7月24日の岩手県沿岸北部地震では、岩手県洋野町大野でこの地震の最大震度となる震度6強(後に6弱へ変更)が観測されたが、周辺市町村より際立って大きかったことから調査が行われ、同年10月29日には、大野の震度計は震度観測に不適切な環境として震度データから除外し、最大震度を、6強から6弱に訂正すると気象庁が発表した。大野の震度計はもともと利用可と評価された震度計であったため、このような設置環境の悪化事例がほかの地震計で発生している可能性も指摘されている。
上記にある通り1996年に気象庁の発表地点である震度観測点が大幅に増加したことにより観測所の配置密度は飛躍的に高くなり、震源の近くで大きな震度が観測される可能性が高くなった。例えば大きな被害がありながら最大震度4とされている長野県西部地震のように、1995年以前では大きな地震でも震源の近くに観測点がなければ最大震度は小さくなっていた。観測点が増えて以降は地震の規模が以前と同程度であっても最大震度がより大きく出る傾向にあり、震度6弱などの大きな震度がより頻繁に報告されるようになっている。震度観測点の増加により、より震源に近い位置での震度観測が可能になり、このことによる最大震度の変化を検討するため気象庁は全観測点で観測した計測震度の最大値と、気象官署で観測した計測震度の比較検討を行っている。以下はその実例である。
マグニチュードの小さい地震では震度6弱以上の範囲は狭くなり、それでも観測点が多ければ震度6弱の範囲に観測点がかかることになるが、少ない場合は観測点につかまらず最大震度が低くなる可能性が高くなる。1995年以前は最大震度6の地震と言えば、マグニチュードの意味でも確実に「大地震」であったが、1996年以降ではごく浅い小地震の場合でも震度5や震度6が報告されやすくなっており、「最大震度6の地震」を1995年以前と同列に扱うことは適当では無い。「阪神・淡路大震災以降、地震が増えたような感じがする」と言う声も聞かれたが、これは地震が増えたためではなく震度の報告が増えたためである。
気象庁などが用いている震度計では、加速度計によって揺れを観測している。まず加速度の時間領域信号として上下動・南北動・東西動の3成分を計測し、以下のプロセスで震度を算出する。
河角広は、過去の地震の震度と最大加速度(表面最大加速度)に規則性を見出し、その関係を「河角の式」としてまとめている。古い理科年表には、参考として河角の式に基づく加速度が記載されていた(右図参照)。河角(1943)によると、式は以下の通り。
I:気象庁震度階級。四捨五入として整数とする。5.5以上はすべて震度6とする。
a:最大加速度(gal)。
このほか、震度は加速度ではなくむしろ最大速度(表面最大速度)との相関性が高いとする意見もあり、例えば地震調査研究推進本部 地震調査委員会の報告「全国を概観した地震動予測地図」では翠川ら(1999)による最大速度から震度への換算式を表層地盤増幅率の分布などと組み合わせて推定震度を算出している。
震度と加速度との対応関係は単純ではない。地震動の周期の違いが体感の差異を生むからである。周期1秒前後の地震動は人に敏感に感じられるが、長い数秒周期や短い0.X秒周期の地震動は、同じ加速度の周期1秒前後の地震動に比べて弱く感じられる傾向にある。河角の式は加速度記録を基にした震度の推定に用いられたが、地震動の周期の違いによる体感の差異を反映していなかった。計測震度導入の検討の際には、河角の式が基本式として用いられたものの、地震動の振幅や周期、継続時間なども計算式に追加され、周期の違いを震度に反映できるよう改良したものが採用された。
ただ、参考ではあるが、地震の波形を、一定の振幅で一定の周波数で数秒間継続すると仮定すれば、震度と加速度の対応関係を考えることができる。この仮定に従えば、周期とgal、震度の関係は下記の様になる。
気象庁の震度と加速度のグラフから分かるように、周期約1.5秒のところが、各震度の必要加速度が最も小さく、敏感に反映されるようになっている。また、震度は加速度に対して非線形の関係になっている。これは、被害と計測震度がちょうどよい具合に対応するように調整された結果である。
地震が発生した際、気象庁は「地震情報」として、観測された震度や地震の震源、津波の有無などを発表する。そのうち、震度に関係するものを以下に挙げる。
なお、初期の地震波を複数の地点で観測し、最大震度が5弱以上と推定されるときには、緊急地震速報により推定震度4以上の地域を発表する。こちらは強い地震の揺れに警戒を呼び掛ける警報であり、観測された震度ではない。
気象庁は2013年3月7日、視覚障害者などへの配慮のため、ホームページで発表する地震情報の配色の変更を実施した。
震源の表示は、2013年3月6日まで赤色の×マーク(×)を採用していたが、変更後は赤色の×マークに黄色の枠を追加したものを採用している。
震度表示はすべて色で塗り分けて表示。震度7は紫色(●)、震度6強は濃い赤色(●)、震度6弱は赤色(●)、震度5強は橙色(●)、震度5弱は黄色(●)、震度4はクリーム色(●)、震度3は青色(●)、震度2は水色(●)、震度1は白色(●)で表示している。
NHKでの地震速報では大抵、震度5弱以上の時は「強い地震」、震度4の時は「やや強い地震」、震度3の時は「地震」と地震の強度をコメントすることが多いが、民放では震度7・震度6強の時は「非常に強い地震」と表現することもある(震度3以上の時は、字幕スーパーで全国に伝えるが、NHKでは各放送区域内において震度2以下の地震が発生した場合、その地域限定で地震情報を伝える)。
各局とも震度分布図には気象庁の地震情報のうち震度速報などで用いられる日本全国を188の地域に分けたものを用いており、気象庁から各地の詳しい震度に関する情報が発表されたときに用いられる市町村別表示のものも合わせて使用されている。
行政機関は震度の情報を気象庁などから入手し、その情報を地震発生直後にとるべき行動の判断基準としている。おおむね震度4 - 5弱以上で警察庁や消防庁が(警察本部 - 警察署、都道府県消防防災部門 - 消防本部のラインで)、震度5弱以上で海上保安庁や防衛省がそれぞれ被害の調査を行うこととしている(最大震度を観測した地域の海上保安本部がヘリコプターを、航空自衛隊の飛行隊が偵察機をスクランブルで、海上自衛隊が待機させていた哨戒機をそれぞれ発進させ、乗員が目視で調べる)。また、震度4以上で内閣府が地震被害の推計、震度6弱(東京23区内では震度5強)以上で、総理大臣官邸地下の「内閣危機管理センター」に要員が招集される。また各地方公共団体やその他の公的機関でも、多くが震度をもとに地震の際の初動を決めている(具体的な内容は「地域防災計画」で確認出来る)。
2007年10月から開始された気象庁の一般向け緊急地震速報は、推定される最大震度が5弱以上のときに発表するという基準を設けている。また、高度利用者向けでは、観測で100ガル以上、推定マグニチュード3.5以上とともに推定最大震度3以上という基準がある。
一方で、特に市民の間での認識として、震度計の設置箇所の増加がもたらす震度の「重み」の変化を知る必要がある、と指摘されている。上記のように計測震度計の設置以前(1995年頃まで)は観測点が日本全国約160か所の気象官署に限られていたが、現在は約25倍の4,200か所に増えた。震度計の密度が高くなったことで、震度計が無い地点でしか揺れを感じないような小さな地震の「観測漏れ」が少なくなり、大きな地震でもこれまで漏れていた大きな震度が観測できるようになった。これにより、以前は震度4だった地震が現在は震度5 - 6とされたり、震度1とされたり観測されなかったような地震でも震度3 - 4とされる場合があると考えられる。そのため現在は、以前よりも震度の「重み」が軽くなり、その分地震の報告数も格段に増え、各地震の震度も大きくなったことになる。このため、安易に「近年地震が増えている」と考えるのは誤りである(地震の時間変化を考えるならばマグニチュードを見るほうが定量的である)。
1996年3月まで、体感や被害状況を表す説明文は判定表として機能してきた。しかし同年4月からは、逆に計測された震度での被害状況を表す解説文(正式には「気象庁震度階級関連解説表」)となり、役割を変えている。なお、同年10月1日と2009年3月31日の2回、解説表が改訂されている。