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河野太郎とは?

日本政治家
河野 太郎
こうの たろう

外務大臣時代(2017年)

【生年月日】
(1963-01-10) 1963年1月10日(56歳)
【出生地】
神奈川県平塚市
【出身校】
ジョージタウン大学国際学部
比較政治学専攻
【前職】
富士ゼロックス社員
日本端子社員
【所属政党】
自由民主党(麻生派)
【称号】
Bachelor of Arts in Government(ジョージタウン大学)
【親族】
父・河野洋平(元衆議院議長)
祖父・河野一郎
大叔父・河野謙三(元参議院議長)
弟・河野二郎(日本端子代表取締役社長)
【公式サイト】
河野太郎公式サイト
第131・132代 外務大臣

【内閣】
第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
第4次安倍改造内閣
【在任期間】
2017年8月3日 - 現職
第91代 国家公安委員会委員長
内閣府特命担当大臣
(消費者及び食品安全規制改革防災)

【内閣】
第3次安倍第1次改造内閣
【在任期間】
2015年10月7日 - 2016年8月3日
衆議院議員

【選挙区】
神奈川15区
【当選回数】
8回
【在任期間】
1996年10月21日 - 現職

河野 太郎(こうの たろう、1963年(昭和38年)1月10日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、外務大臣(第131132代)。

国家公安委員会委員長(第91代)、内閣府特命担当大臣(規制改革防災消費者及び食品安全)、自由民主党行政改革推進本部長自由民主党幹事長代理、法務副大臣総務大臣政務官衆議院決算行政監視委員長外務委員長等を歴任した。

父は、元衆議院議長河野洋平。弟は、日本端子株式会社代表取締役社長河野二郎副総理東京五輪担当大臣、建設大臣行政管理庁長官農林大臣を務めた河野一郎は祖父、参議院議長を務めた河野謙三は大叔父に当たる。

目次

  • 1 来歴・人物
    • 1.1 学生時代
    • 1.2 社会人時代
    • 1.3 衆議院議員
    • 1.4 外務大臣
  • 2 政策・主張
  • 3 主な活動
    • 3.1 沖縄県と那覇市の沖縄振興予算の使用方法批判
    • 3.2 外国人労働者受入れ
    • 3.3 国籍法関連
    • 3.4 外交
  • 4 評価
  • 5 役職歴
    • 5.1 内閣
    • 5.2 衆議院
    • 5.3 自民党
    • 5.4 議員連盟
    • 5.5 その他
  • 6 所属団体・議員連盟
  • 7 エピソード
  • 8 著書
  • 9 共著
  • 10 論文
  • 11 参考文献
  • 12 家族 親族
  • 13 系譜
  • 14 脚注
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

来歴・人物

河野洋平の長男として生まれる。

学生時代

YWCA幼稚園、平塚市立花水小学校、慶應義塾中等部慶應義塾高等学校時代は、祖父、大叔父、父と同様、競走部(陸上競技部)に入り、箱根駅伝を目標にしていた。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校競走部では、主将を務めた経験を持つ。高校の同級生に公明党所属の参議院議員西田実仁がいる。

1981年(昭和56年)4月に慶應義塾大学経済学部に入学するも2ヶ月で退学。その後渡米。渡米後すぐにマサチューセッツ州アンドーバーでサマースクールに通った。その後、コネチカット州ボーディングスクール、サフィールドアカデミー(Suffield Academy)で1年間過ごし、1982年9月にワシントンD.C.ジョージタウン大学に入学、比較政治学を専攻。1984年にジョージタウン大学を休学し、ポーランド中央計画統計大学(現在のワルシャワ経済大学)に交換留学。 1985年(昭和60年)1月にジョージタウン大学に復学。1985年12月にジョージタウン大学卒業。

ジョージタウン大学ではニューヨーク・ニックスにいたパトリック・ユーイングと同級であった。在学中は、後に国務長官となるマデリーン・オルブライトのゼミに参加。ワシントンでは政治活動にもかかわり、1983年(昭和58年)にはアメリカの大統領選挙に立候補したアラン・クランストン上院議員(カリフォルニア州選出、民主党)の選対本部の財務部門でボランティアをしたり、リチャード・シェルビー下院議員(アラバマ州選出、民主党。のち共和党)の下でインターンを務めるなどした。

ポーランド中央計画統計大学在学中には、当時自宅軟禁下にあった、後にポーランド大統領になるレフ・ヴァウェンサ連帯」議長宅を訪問し逮捕され、一晩留置所で過ごしたエピソードがある。翌日に保釈された。当時は共産党の独裁政権下で、「大学の寮の食事は、ほとんど毎食、ジャガイモと酢漬けキャベツだけだった」と語っている。

社会人時代

帰国後、1986年(昭和61年)に富士ゼロックスに入社し、調査統計部に配属された。企画部に転じた後に、サテライトオフィスの実験を担当。国際事業部に転じた後、シンガポールの富士ゼロックスアジアパシフィックで勤務した。1993年(平成5年)、日本端子に転じた。自動車や電気機器の部品メーカーで開発生産や海外輸出を担当。

衆議院議員

演説を行う河野

小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、父・洋平の選挙区が分割されたため、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙神奈川15区から自民党公認で立候補し、当選する(当選同期に菅義偉平沢勝栄渡辺喜美大村秀章河本三郎桜田義孝下地幹郎下村博文新藤義孝棚橋泰文田村憲久谷畑孝戸井田徹など)。

自民党ではしばらく無派閥、その後に麻生太郎の勧めで宮澤喜一が会長を務めていた宮澤派(宏池会)に所属していたが、1999年(平成11年)、父や麻生に従い同派を離脱し、河野グループ(大勇会)に移った。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で再選、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で三選。2002年(平成14年)12月には、川口順子外務大臣に対し「国民に対して説明責任を果たしていない」と非難して衆議院外務委員会理事を辞任。第1次小泉内閣総務大臣政務官(人事行政管理行政評価恩給統計など旧総務庁関係の業務担当)、第3次小泉改造内閣法務副大臣を歴任。自民党神奈川県連会長も務めていたが、2007年(平成19年)の神奈川県知事選挙(第16回統一地方選挙)で、河野の主導で県連が擁立した杉野正が惨敗した為、同年4月22日に引責辞任した。 また、法政大学大学院にて客員教授を務めている。

韓国の元ハンナラ党議員で駐神戸総領事の李成権をかつて秘書としていた。

2008年(平成20年)9月、衆議院外務委員長に就任。

2009年(平成21年)9月、自由民主党総裁選挙へ出馬したが、谷垣禎一に敗れた。11月11日、新世代保守を確立する会を設立。

2010年(平成22年)4月5日、自民党は離党した前幹事長代理園田博之の後任に河野を充てることを臨時役員会で決定し、翌4月6日に正式就任した。9月22日自由民主党シャドウ・キャビネットで影の行政改革公務員制度改革担当大臣に就任し、党内で規制改革事業レビュー事業仕分けなどを担当した。

2015年10月7日第3次安倍第1次改造内閣において、国家公安委員会委員長内閣府特命担当大臣(規制改革防災消費者及び食品安全)として初入閣。

2016年8月3日、内閣改造に伴い退任。同年の第29回日本メガネベストドレッサー賞・政治部門を受賞。

現在、衆院選は8選まで当選を続けている。

外務大臣

2017年8月3日第3次安倍第3次改造内閣において、外務大臣に抜擢された。

同年8月に訪米し、米国で批准に至っていない包括的核実験禁止条約(CTBT)について、その早期批准を求めた。

2017年11月1日第4次安倍内閣で外相に再任。

2018年10月2日第4次安倍改造内閣で外相を留任。

2019年3月22日、自身が腎盂腎炎であることを公表した。

2019年4月26日、外務大臣就任後の延べ100か国目の外遊先としてサウジアラビアを訪問。前任の岸田文雄が約4年8か月間で延べ93か国であったことと比べても異例のハイペースであるとともに、これまでの外務大臣以上に中東を重視している点に特色があると評されている(後記「主な活動」の「外交」参照)。

政策・主張

センター北駅にて(2016年6月22日)
駐日英国大使館にて(2015年4月1日)

主な活動

沖縄県と那覇市の沖縄振興予算の使用方法批判

2017年7月6日付のブログで6月17日に、沖縄県が『AKB48 49thシングル 選抜総選挙』に『沖縄振興に資する事業を県が自主的な選択に基づいて実施できる一括交付金』から2800万円の国費による振興金を使った。那覇市も国から支給された交付金を市内のAKBのイベントに支出した。そのため、「補助金をもらってイベントをやるだけならば、持続的ではない。一発勝負でAKB48の総選挙をやって、8,000人を呼び込んで、それが次にどうつながるか、はっきりした見通しもない。そもそも今日までにこの8,000人が達成されたどうかもわからない。一括交付金として県に(用途を)任せるのはかまわないが、一事が万事こういう使われ方をされているならば問題は大きい。」と沖縄県と那覇市の振興金の用途に疑問も呈した。「自民党の行政改革推進本部として、このソフト交付金の使われ方、その戦略、目的などを詳しくチェックすることにした」と沖縄振興交付金としてハードに670億円、ソフトに688億円支給されている沖縄県の各自治体への毎年の振興金に対する改革意思を述べた。

外国人労働者受入れ

国籍法関連

多重国籍」および「国籍法改正問題」も参照

外交

外務大臣就任から6か月経過後の2018年1月の外交所信表明において、「人類が近代に創り出してきた自由、民主主義人権法の支配といった価値観は、それを生み出し維持していくために、政府に、国民に様々な努力を要求します。国際社会にそうした価値観を定着させるために、我々は、必要な支援の手を差し伸べていかなければなりません。」「日本としては、選挙、議会、法律、司法、治安、徴税、入国管理などの様々な側面における各国の制度構築の取組に対し、積極的に手を差し伸べていきます。」と述べた。

中東外交に力を入れており、「日本が中東に関与しない方がリスクが大きい」と述べている。2019年4月末までの訪問先延べ100か国のうち20か国が中東であった。2017年9月には、「河野四箇条」として、「知的・人的貢献」「『人』への投資」「息の長い取組」「政治的取組の強化」を表明している。このような外交姿勢は、資源が不足する日本にとって、エネルギー資源に富む中東との関係が死活的に重要であるというのみならず、欧米各国を含む形で一神教的対立の舞台かつ国際的導火線となっている中東において、宗教的・歴史的な中立性を有する日本だからこそできる役割があるとの認識に基づくものであり、その到達点として、パレスチナ紛争を含めた中東和平促進への日本固有の積極的貢献(その結果としての日本の国益)をも見据えたものと評されている。

評価

小泉純一郎は「あの男は大化けするかもしれないぞ。彼は脱原発だしな」と評価した。

役職歴

内閣

第3次安倍第3次改造内閣第4次安倍内閣
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/07/06 23:04

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