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泰緬鉄道とは?

【基本情報】

【起点】
ノーンプラードゥック駅
【終点】
ナムトックサイヨークノーイ駅
【開業】
1942年12月5日
【所有者】
タイ国有鉄道
【運営者】
タイ国有鉄道
【路線諸元】

【路線距離】
194.84 km
軌間
1,000 mm
【路線図】



泰緬鉄道の経路

泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、太平洋戦争中にタイミャンマーを結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後英国軍が日本軍捕虜に命じて部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。存置部分は、タイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行されている。深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。

ルート

泰緬鉄道の現在の終点、ナムトックサイヨークノーイ停車場
タンビュザヤにあるミャンマー側の起点

バンコクトンブリー駅(旧バンコクノーイ駅)を始発駅とし西部へ進みナコーンパトム県ラーチャブリー県カーンチャナブリー県を通り、ミャンマーヤンゴンへ至る。現在では泰緬(タイ・ミャンマー)両国の国境付近の鉄道はイギリスによって撤去させられたため、タイ側ではトンブリー駅(旧バンコクノーイ駅)からナムトック駅(臨時列車がナムトックサイヨークノーイ停車場まで運行されることもある)まで1日2往復の列車が運行されている。

歴史

建設に使われたとされる道具
ヘルファイアー・パスと線路の跡
ノーンプラードゥック駅に設立された泰緬鉄道建設の石碑
脚気を病んだ捕虜
食事を待つ捕虜労働者 (JEATH 戦争博物館蔵)
ロームシャ(労務者)と捕虜により建設された橋の一つ

建設までの経緯

この鉄道の建設は20世紀初頭の英領ビルマ時代にイギリスが検討していたが、地形が複雑で建設を断念した。戦時中の1942年、旧日本軍は海上輸送の危険を避け、またビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するために建設を開始した。建設計画はイギリスが検討した5つの案(チェンマイ - トングー、ピッサヌローク・ターク - モールメン、現在のルート、カンチャナブリー - タボイ、チュンポン - メルグイ)の内の1つを踏襲している。背景としては当時のビルマとタイの間にマラッカ海峡経由の海上輸送路以外に補給に適したルートが少なく、その海上輸送路もミッドウェー海戦などで日本側が劣勢になったため、海上輸送路とは別に陸上輸送路が求められた。

発案者は当時タイに駐留していた第25軍第2鉄道監部の広池俊雄中佐で、1941年11月に参謀本部の辻政信中佐によって大本営にプランが持ち込まれた。

完成まで

建設は迅速さを要求されたためビルマ側・タイ側両方から開始した。ビルマ・タイにはすでに多少の鉄道が建設されており、タイ側は1942年7月5日に南本線ノーンプラードゥック駅から、ビルマ側からは1942年6月28日にタンビュザヤより建設を開始した。建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(うちイギリス人6904人、オーストラリア人2802人、オランダ人2782人、アメリカ人133人の合計1万2621人が死亡)のほか、募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれた労働者 ➖ タイ人数万(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人(華人印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。戦時下の突貫工事であったため建設現場の環境は決して良いとはいえず(いわゆるタコ部屋労働)特に工事の後半の1943年には翌年のインパール作戦に向けての準備に加え敵潜水艦によって海上輸送が困難になったため雨季にもかかわらずさらなる迅速さが要求され、一日10時間以上の労働作業になった。食料不足からくる栄養失調とコレラマラリアにかかって死者数が莫大な数に上り、戦後に問題となった。犠牲者数は日本側とタイ・ミャンマー側の調査で食い違いが出るが、総数の約半分と言われる。特に、巨大な一枚岩を掘り下げるなどしたヘルファイアー・パスと呼ばれる箇所や、断崖絶壁に沿わせるように木橋を建設したアルヒル桟道橋など未開発の地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術のため死者が多かったという。こうした労働者の多大な努力と犠牲のもと、当初5年は掛かると言われた建設が1943年10月に完成した。

完成後、1943年11月6日の大東亜会議共同宣言に続き、1944年3月に開始されたインド国民軍と日本軍協同のインパール作戦に重要な役割を担った。

完成後は連合軍の爆撃機により空爆が行われ、橋は破壊されては復旧されるを繰り返していた。にも拘わらず、連合軍は鉄道の輸送を完全に止めさせることができなかった。これは「枕木一本、死者一人。」と言われる一因となる。捕虜収容所は橋から近かったため、連合軍の爆撃で外れた爆弾が多々落ちてきて、多数の死者が出た。

当初の予定では一日の輸送量3,000tの予定であったが工期短縮のため1,000tになり、雨季の豪雨や空襲によりそれさえ達成できなくなった。突貫工事における欠陥により脱線事故が多発し沿線のあちこちに機関車や貨車の残骸が放置されていたという。

戦後、泰緬鉄道建設を担った鉄道連隊に所属する兵士や連合軍捕虜を取り扱った俘虜収容所の関係者らが、BC級戦犯として「捕虜虐待」などの戦争犯罪に問われ、処刑された(泰緬鉄道建設捕虜虐待事件を参照)。「ロウムシャ」の徴集には銃剣をつきつけ脅かして強制連行した例が見られるという。捕虜の動員については、保養地に行くと聞かされたので騙されたと感じたという捕虜の証言がある。 また捕虜の輸送には赤十字の標識がされていない輸送船(いわゆるヘルシップ)が使用されたため、こちらも連合国軍の潜水艦の襲撃により大きな死者が出た。

戦後

日本軍の降伏後、1946年1月16日、イギリス軍司令部は、ニーケ~ソンクライ間4kmのレールの撤去を地区担当の日本軍鉄道隊に命じた。以後、ビルマ側の泰緬鉄道は順次取り外され、レールはモーラミャインに集結されて、路盤は元のジャングルに返された。(イギリスはこの鉄道がシンガポール港の重要性を下げる要因になると考えた)イギリス政府はタイ政府に対し、この撤去分断された泰緬鉄道を5千万バーツで売却した。 ミャンマー側の全線とタイ側の国境から3分の2にあたる区間が廃止となった。また、タイ側の一部はダムに沈んでいる。

現在、建設の中心部となったカーンチャナブリー市内には連合国捕虜の共同墓地や戦争博物館が建設されている。

イギリスはタイに泰緬鉄道を5千万バーツで売った。

現在、ミャンマー政府は泰緬鉄道の廃線部分に新たな鉄道と幹線道路を建設する計画を進めている。

泰緬鉄道関連施設

JEATH戦争博物館
連合軍共同墓地
映画『戦場にかける橋』の舞台になったクウエー川鉄橋

観光地として整備されているのはタイ側であり、ミャンマー側の路線跡は紛争地帯の只中にあるためほとんど整備されていない。

現存車両

疾走するタイ国鉄色C56 44。大井川鐵道。2008年3月
ナムトックサイヨークノーイ停車場で静態保存されている蒸気機関車702号機
JEATH戦争博物館に展示されている蒸気機関車175号機
ミャンマーのタンビュザヤに展示されている蒸気機関車C0522号機(旧C56 56)

1979年に2両のC56形蒸気機関車が帰還を果たし、日本国内で保存されている。31号機が東京・九段の靖国神社内の遊就館静態で、もう一両は大井川鐵道の動態保存機44号機である。

遊就館#1階玄関ホール」も参照

44号機は当初静岡県の大井川鐵道で日本仕様に復元(切り詰められた運転台屋根や炭水車の後端部形状等にタイ時代の仕様が残る)の上、動態保存されていたが、老朽化が激しく2003年12月に一旦休車、同鉄道の千頭駅で静態保存とされたものを再度同鉄道が復活修繕し外観もタイ国鉄時代の姿に戻され、2007年9月に復活火入れ式を行い、2007年10月7日より運用に復帰している。2010年12月に再び国鉄仕様に復元され、翌1月から運用に復帰。その後2014年には『きかんしゃジェームス号』に改装された。

詳細は「国鉄C56形蒸気機関車#C56 44」および「SL急行 (大井川鐵道)#きかんしゃトーマス号・ジェームス号」を参照
大井川鐵道#蒸気機関車」も参照

またタイ国内にも車両が多少残されており、クワイ川鉄橋近くには蒸気機関車719号機(旧C56 23 1935年汽車製造製、製造番号1352)及び蒸気機関車804号機(1915年Kitson製、製造番号5162)の2両、ナムトックサイヨークノーイには蒸気機関車702号機(旧C56 4 1935年三菱重工製、製造番号156)がそれぞれ静態で保存されている。

詳細は「国鉄C56形蒸気機関車#日本国外保存車両」および「タイ国有鉄道の車両形式#蒸気機関車」を参照
タイ国鉄701形蒸気機関車(タイ語版)」も参照

JEATH戦争博物館には蒸気機関車175号機(1919年N.B.L.Co.,Hyde Park製、製造番号21758)また、捕虜を運ぶのに使った貨車C.G.1460がそれぞれ静態保存されている。

泰緬鉄道を題材とした作品

脚注

  1. ^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』 p.209
  2. ^ 小牟田哲彦『世界の鉄道紀行』講談社、2014年、220頁。 ISBN 978-4-06-288275-0。
  3. ^ http://www8.plala.or.jp/taimen/note.htm
  4. ^ 吉川利治『泰緬鉄道』 同文館出版 1994年 p14-15
  5. ^ Rōmusha recruitment The Workers The Thai-Burma Railway and Hellfire Pass”. 2015年8月19日閲覧。
  6. ^ 森武麿『集英社版日本の歴史 アジア・太平洋戦争』p259、集英社、1993
  7. ^ 吉川利治『泰緬鉄道』 同文館出版 1994年 p132
  8. ^ メクロンの永久橋-実録-戦場にかける橋-塚本和也-鉄道ファン1981年11月号”. Google Docs p.18. JEATH 戦争博物館展示物. 2018年6月10日閲覧。
  9. ^ myonlinetour.com. “The Bridge Over The River Kwae, Bridge over the River Kwai by myonlinetour.com”. www.myonlinetour.com. 2018年6月12日閲覧。
  10. ^ “「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ”. 読売新聞. (2013年1月1日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130101-OYT1T00252.htm 2013年1月3日閲覧。
  11. ^ タイで会った「死の鉄道」に全てを注ぐ男 「敵」だった元日本兵の心も動かす「やめられるわけがない」(withnews)”. Yahoo!ニュース. 2019年9月24日閲覧。
  12. ^ 泰緬鉄道ノート
  13. ^ 『タイ国の蒸気機関車』 p.22
  14. ^ 『タイ国の蒸気機関車』 p.23
  15. ^ 『タイ国の蒸気機関車』 p.22
  16. ^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』 p.208
  17. ^ 『タイ国の蒸気機関車』 p.16

参考文献

交友社『鉄道ファン』2005年11月号 - 2006年1月号 No.535 - 537

関連項目

外部リンク

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出典:wikipedia
2020/08/09 23:31

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