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浅間_(装甲巡洋艦)とは?

浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦(一等巡洋艦)。 日本海軍の法令上は旧字体淺間だが、本記事では浅間とする。 浅間型装甲巡洋艦ネームシップ。 旧式化に伴い、1921年(大正10年)9月1日附で海防艦に類別変更された。 艦名は群馬県長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては明治初期のコルベット艦「浅間」に続いて2隻目。

艦歴

イギリスアームストロング・ホイットワース社が、売却用に見込み生産していたものを購入。起工は1896年(明治29年)10月20日1897年(明治30年)10月18日、イギリスで建造の第3号一等巡洋艦は「浅間」、第4号一等巡洋艦は「常磐」と命名された。10月21日、軍艦浅間は横須賀鎮守府所管と定められる。

1898年(明治31年)3月21日海軍軍艦及水雷艇類別標準を制定。本艦以下4隻(浅間、常磐、八雲、吾妻)が一等巡洋艦に類別される。 3月22日、「浅間」は進水。 1899年(明治32年)3月18日、竣工、領収。翌19日に出航し、5月17日に横須賀に到着した。。

1900年(明治33年)8月には義和団の乱で出撃した。また、1902年(明治35年)6月、イギリスへ派遣されてエドワード7世戴冠記念観艦式に参加した。なお、本艦はたびたび明治天皇の御召艦として観艦式に臨んだ。

1903年(明治36年)4月、神戸沖で挙行された大演習観艦式で御召艦となった。12月28日、常備艦隊が解隊され、戦艦を中心とする第一艦隊(司令長官:東郷平八郎海軍中将、旗艦:戦艦三笠)と巡洋艦が主体の第二艦隊(司令長官:上村彦之丞海軍中将、旗艦:装甲巡洋艦出雲)が設置される。第一・第二艦隊で連合艦隊(司令長官:東郷中将)を構成した。浅間は第二艦隊隷下の第二戦隊(装甲巡洋艦《出雲・磐手吾妻八雲常磐浅間》・通報艦千早)に配属される。

日露戦争では他の戦隊に臨時編入されることが多かった。仁川沖海戦では第四戦隊に編入され主力として活躍。第三戦隊に編入されていた黄海海戦では、燃料補給中だったために戦場への到着が遅れてほとんど参加できなかった。 1905年(明治38年)5月27日から28日の日本海海戦においては第二戦隊として参加。戦闘初期に被弾の影響でが故障し、落伍して集中砲火を浴びたが致命的な損傷は免れた。 「三笠」爆沈後の同年10月23日、凱旋観艦式で御召艦を務める。 その後、練習艦隊として海軍兵学校卒業後の少尉候補生の航海任務にも用いられた。

メキシコでの座礁事故

第一次世界大戦では太平洋ドイツ領の攻略に参加した。ドイツ東洋艦隊による通商破壊に備えて、巡洋艦出雲、戦艦肥前に加えて、イギリス、カナダ、オーストラリア艦と共同で北アメリカ西岸における哨戒にあたった。

1914年(大正3年)12月31日にメキシコカリフォルニア半島西岸のマグダレナ湾において、海図に記載のなかった暗礁に乗り上げ座礁した。航行不能となった浅間に対して巡洋艦千歳、工作艦関東」、補給船が日本から派遣され、「関東」によりサルベージされ横須賀に戻った。

事故の報を受けたアメリカ海軍は、砲艦「ラレー」と巡洋艦「カリフォルニア」をサンディエゴから調査の為に派遣した。両艦は「浅間」に対して中立に違反しない範囲での協力・援助を申し出、「浅間」艦長も、米海軍は「好意上来港シタルコト疑イモナク」と報告している。

ところが4月になりアメリカの「ロサンゼルス・タイムズ」は、湾内に停泊する「出雲」、「常磐」、「千歳」、「浅間」、補給艦、英艦の写真を付して、「日本は故意に「浅間」を座礁させた。機雷で湾を封鎖し4000人の水兵を用いて陸上に基地を建設しつつある。アメリカを攻撃する意図があるのではないか」との扇情的な記事を掲載した。再度派遣された米艦「ニューオーリンズ」艦長は、「浅間」艦長と形式的な会談を行った後に帰国し、「浅間」の座礁は単なる事故であり機雷や基地建設の風聞は全て誤りであると断言した。ところがハースト系のイエロー・ペーパーやドイツ系新聞は問題を煽り続けた。当時メキシコにおいて発生していた内乱、アメリカ西海岸における排日感情の他に、ドイツによる日米離間の情報工作が背景にあるとみられる。

第一次世界大戦後

1946年時の「浅間」

1921年(大正10年)9月1日、一等海防艦に種別変更された。 1935年(昭和10年)10月14日未明、大阪湾から呉軍港へ移動中に広島湾・倉橋島南端で座礁。 白石灯台より距離約300m地点。 当時「浅間」に乗艦していた吉田俊雄中尉によれば、当直将校(浅間航海長佐藤述少佐、浅間乗組中島親孝大尉、中野忠夫大尉)の過失であったという。 艦の中央部が岩礁に乗り上げて船体が折れそうになり、砲塔を起重機船で撤去して救難作業が行われた。10月19日、呉到着。この竜骨損傷や、経年による老朽化などにより1942年(昭和17年)7月1日、帝国軍艦籍から削除され練習特務艦となった。呉鎮守府籍。主砲、副砲を撤去し、主砲塔跡に校舎を備え付けた。

浅間は第二次世界大戦を生き延び、1945年(昭和20年)11月30日に除籍。アメリカ占領下の1947年日立造船因島工場で解体処分された。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長

同型艦

その他

脚注

  1. ^ 明治31年4月15日官報第4434号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1 『|信號符字|艦艇名|GQJR|淺間 Asama|』
  2. ^ 昭和8年 達 完/10月アジア歴史資料センター Ref.C12070097400 『達第百二十七號 左記艦艇ノ信號符字ヲ各頭書ノ通改正ス 本達ハ昭和八年十二月二十八日ヨリ之ヲ實施ス 昭和八年十月十八日 海軍大臣 大角岑生 新符字 舊符字 艦艇名 …JLWA GQJR 淺間…』
  3. ^ 昭和16年7月~12月 達/12月(1)アジア歴史資料センター Ref.C12070111200 『達第三百六十九號 海軍無線通信規約中左ノ通改正ス 昭和十六年十二月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 附表第一ヲ別册ノ如ク改ム 附表第一 海軍艦(船)名及海軍通信隊名略符號 軍艦 …JUVA 淺間…』
  4. ^ #達明治31年3月(1)pp.16-17『達第三十五號 軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣 侯爵西郷從道 |軍艦|巡洋艦|一等|淺間 常磐 八雲 吾妻|』
  5. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.56『淺間(あさま)【二代】 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考初代「淺間」の項(p.15)参照。
    艦歴常磐と姉妹艦なり、我國に於ける装甲巡洋艦として最初の艦なり。明治33年北清事變從軍:同33年8月22日英・獨・露・伊・墺の聯合郡と共に参戰、太沽攻撃に從事(艦長大佐細谷資氏)、同35年6月、高砂と共に英皇戴冠式に参列(司令官伊集院五郎)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年仁川沖海戰に参加(第四戰隊司令官少将瓜生外吉旗艦、艦長大佐八代六郎)、同年8月黄海々戰に参加(艦長同前)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長同前)、大正3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月南洋方面に行動し、獨領南洋島占領に從事(艦長大佐吉岡範策)、同3年10月又遣米支隊に属し布哇・北米・中米方面警備に從事(艦長同前)、同4年1月31日遣米枝隊として北米沿岸に活動中、南加州「サンパルトロメー」に於て海圖上に指示されざる無名の暗岩に坐礁し常磐・關東等の掩護の下に非常なる辛酸を嘗めて同5月8日離礁、「エスカイモルト」に於て應急處置を行ひ、工作艦「關東」護衛の下に横須賀に歸着、同所に於て修理完了。同10年一等海防艦に編入、御召艦なること屢次、次の如し。
    33年4月28日-30日 大演習/36年4月10日-30日大演習/38年10月23日観艦式/41年11月18日-30日大演習(観艦式共) 尚ほ明治43年以來練習艦隊として海軍少尉候補生等の練習任務に服し今日に至る。
    ―要目―(略)起工 明治29年-10-20/進水同31-3-22/竣工同32-3-18/建造所 英國エルスウィック安社』
  6. ^ #達明治30年10月(1)p.31『達第百四十一號 第二號甲鐡戰艦以下六艦左ノ通命名セラル 明治三十年十月十八日 海軍大臣公爵西郷從道|英國ニ於テ建造 第二號甲鐡戰艦 アサ|獨國ニ於テ建造 第一號一等巡洋艦 クモ|佛國ニ於テ建造 第二號一等巡洋艦 ヅマ|英國ニ於テ建造 第三號一等巡洋艦 アサ/第四號一等巡洋艦 トキ|横須賀海軍造船廠ニ於テ建造 第一號水雷砲艦 ハヤ
  7. ^ #達大正10年9月p.1『達第百六十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 大正十年九月一日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|戰艦ノ欄内「敷島、朝日、三笠、肥前、」ヲ、巡洋艦一等ノ欄内「淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「千歳、須磨、明石、新高、對馬、」ヲ削ル|海防艦一等ノ欄内「周防」ノ次ニ「、敷島、朝日、三笠、肥前、淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「武藏」ノ次ニ「、千歳、須磨、明石、新高、對馬」ヲ加フ』
  8. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.19『淺間(あさま)【初代】 艦種軍艦 三檣「シップリグ・コルベット」 艦名考山名に採る、淺間山は信濃國北佐久郡、上野國吾妻郡に跨る、標高8,184尺。
    艦歴明治元年佛國に於て建造、同7年7月開拓使より受領、當時北海丸と號す。同年10月淺間艦と改名、後ち砲術練習艦として當時有名なり。同9年萩の亂從軍、同10年西南役從軍、同24年3月3日除籍、船體は同25年6月横須賀水雷隊攻撃部に付属せしが同29年12月賣却。』
  9. ^ #日本軍艦集2600年版コマ67(原本105頁)『―海防艦― 淺間(あさま) 基準排水量9,240噸、長さ124.36米、幅20.45米、平均吃水7.42米、速力21.25節、備砲20糎砲4門、15糎砲12門、8糎砲4門、8糎高角砲1門、魚雷發射管4門、起工明治29年10月20日、進水明治31年3月21日、竣工明治32年3月18日、建造所英國アームストロング社』
  10. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ198『◎戰艦朝日巡洋艦八雲吾妻淺間常磐及水雷砲艦千早命名ノ件 明治三十年十月十八日(達一四一)』
  11. ^ 内令第29号 明治30年6月30日~内令第63号 明治30年12月21日 画像30『內令四十八號 軍艦 淺間 右本籍ヲ横須賀鎭守府ト定メラル 軍艦 明石 軍艦 常磐 右本籍ヲ吳鎭守府ト定メラル 軍艦 宮古 右本籍ヲ佐世保鎭守府ト定メラル 明治三十年十月二十一日 海軍大臣 侯爵西郷從道』
  12. ^ #達明治31年3月(1)pp.14-15『達第三十四號 海軍大臣ニ於テ別表ノ標準ニ據リ軍艦及水雷艇ノ類別等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラル 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣 侯爵西郷從道』
  13. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ50『◎軍艦及水雷艇類別等級 明治三十一年三月二十一日(達三五)改正明治三十二年十月一七八號、三十三年六月一二二號消滅 軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム(別紙)軍艇|巡洋艦|一等|浅間 常磐 八雲 吾妻』
  14. ^ 明治31年3月24日官報第4415号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3 『○軍艦進水 英國ニ於テ製造ノ軍艦淺間ハ一昨二十二日滞ナク進水セリ(海軍省)』
  15. ^ 明治32年3月22日『官報』第4713号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ15 『○新艦領收及囘航 英國ニ於テ製造ノ軍艦淺間ハ本月十八日領收同十九日出發囘航ノ途ニ就ケリ(海軍省)』
  16. ^ 明治32年5月18日『官報』第4761号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3 『○軍艦發著 …軍艦淺間ハ昨十七日横須賀ヘ投錨…』
  17. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.239『観艦式一覧表』
  18. ^ 「極秘 明治37.8年海戦史 第11部 戦局日誌 巻1」/第1編 開戦前誌(明治36年4月8日より37年2月5日に至る)アジア歴史資料センター Ref.C05110200200 画像3(p.5)『御召艦 淺間』
  19. ^ 戦時日誌 明治36.12.28~38.10.14/戦時日誌(1)アジア歴史資料センター Ref.C09050281400 画像3『開戰前誌 明治三十六年十二月二十八日(月) 一聯合艦隊左ノ通リ編制セラル |聯合艦隊(司令長官東郷中將)|第二艦隊(長官上村中將)|第二戰隊|出雲 磐手 吾妻 八雲 常磐 淺間 千早|』
  20. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.240『明治三十八年凱旋観艦式艦艇配置圖』
  21. ^ 『第一次世界大戦と日本海軍』、平間洋一、慶應義塾大学出版会、1998年
  22. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ59『大正十年九月一日(達一六四)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 戰艦ノ欄内「敷島、朝日、三笠、肥前、」ヲ、巡洋艦一等ノ欄内「淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「千歳、須磨、明石、新高、對馬、」ヲ削ル 海防艦一等ノ欄内「周防」ノ次ニ「、敷島、朝日、三笠、肥前、淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「武藏」ノ次ニ「、千歳、須磨、明石、新高、對馬」ヲ加フ』
  23. ^ #達大正10年9月p.16『戰艦ノ欄内「敷島、朝日、三笠、肥前、」ヲ、巡洋艦一等ノ欄内「淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「千歳、須磨、明石、新高、對馬、」ヲ削ル|海防艦一等ノ欄内「周防」ノ次ニ「、敷島、朝日、三笠、肥前、淺間、常磐、八雲、吾妻、磐手、出雲、春日、日進」ヲ、同二等ノ欄内「武藏」ノ次ニ「、千歳、須磨、明石、新高、對馬」ヲ加フ』
  24. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.19『淺間(あさま)【再出】 艦種海防艦 艦名考 艦歴}既に「日清戰役後、日露戰役迄の艦艇」の部に出づ(p.79)』
  25. ^ #造船士官の回想 上65頁
  26. ^ #浅間座礁事件報告p.1『(略)呉警備戰隊所属軍艦淺間十月九日呉鎮守府大阪灣警備演習部隊編制ト同時ニ呉防備戰隊ニ編入セラレ同日單獨一〇〇〇呉出港十日〇七五九大阪港入港同日一〇一〇本職淺間ニ乗艦将旗ヲ掲揚ス十二日〇八〇〇大阪灣警備演習開始十三日〇八一〇同上集結同日一〇〇〇本艦同艦ヲ率ヒ大阪港出港呉歸港ノ途次十四日〇二三六白石燈臺(三ツ石)ノ三六度三〇〇米ノ暗岩ニ坐礁ス 坐礁前後ノ状況淺間機密第五一號報告ノ通(註)十四日演習部隊ノ編制ヲ解カレ一〇三〇本職ノ将旗ヲ撤ス』
  27. ^ #浅間救難作業(5)p.5『1.坐礁全景(写真)/2.白石燈臺(距離230300m)』
  28. ^ #浅間座礁事件報告pp.3-4『(略)十四日〇〇一五憩潮時ニ來島海峡ヲ通過シ安藝灘ニ出ヅ此航路ハ数日前大阪ニ至ル往路ト仝一ノモノニシテ且海面ハ廣潤トナレルヲ以テ〇一〇〇頃航海長海軍少佐 佐藤述及當直将校海軍大尉中島親孝ニ操艦ヲ命ジ艦長室ニ下ル/少憩後短時間後甲板ニ上リ四圍ノ状況ヲ望見シ再ビ艦長室ニ下リ翌十五日以後役務変更ニ関スル作業原案及人員異動ニ関スル注意事項等ヲ起草シツツアリ』
  29. ^ #浅間座礁事件報告pp.18-19『軍艦淺間坐礁事件明細書 當直将校海軍大尉中野忠夫』
  30. ^ #海軍的思考法に学ぶ144頁
  31. ^ #浅間救難作業(1)p.43『(宛)(発略)機密第四〇六番電 淺間切断防止及浮揚力増加ノ爲前後部砲塔及副砲七門八糎砲二門ヲ十七日迄ニ陸揚セリ。一七-一三〇〇』
  32. ^ #造船士官の回想 上68頁
  33. ^ #浅間救難作業(1)p.24『機密第四一〇番電 淺間十九日午前二時三十分呉入港直ニ入渠セシメタリ。午前三時 一九-〇四〇〇』
  34. ^ 昭和17年5月~8月 内令/昭和17年7月(1)アジア歴史資料センター Ref.C12070171600 画像1・2『内令第千百七十八號 横須賀鎭守府在籍 軍艦 春日 吳鎭守府在籍 軍艦 淺間 舞鶴鎭守府在籍 軍艦 吾妻 軍艦 占守 軍艦 國後 軍艦 石垣 軍艦 八丈 右帝国軍艦籍ヨリ除カル 昭和十七年七月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  35. ^ 昭和17年1月~12月 達/7月(1)アジア歴史資料センター Ref.C12070115100 画像1『達第百九十二號 軍艦淺間外六隻艦種變更ニ付左ノ通改正ス 昭和十七年七月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 海防艦 占守 (舊軍艦占守) 海防艦 國後 (舊軍艦國後) 海防艦 八丈 (舊軍艦八丈) 海防艦 石垣 (舊軍艦石垣) 特務艦 淺間 (舊軍艦淺間) 特務艦 吾妻 (舊軍艦吾妻) 特務艦 春日 (舊軍艦春日)』
  36. ^ #内令昭和17年7月 画像9『内令第千百八十七號 特務艦船類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年七月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 練習特務艦ノ項中「敷島」ノ下ニ「、淺間、吾妻、春日」ヲ加フ』
  37. ^ #内令昭和17年7月 画像1・2『内令第千百七十九號 海防艦 占守 海防艦 國後 海防艦 八丈 海防艦 石垣 右本籍ヲ舞鶴鎭守府ト定メラル 特務艦 春日 右本籍ヲ横須賀鎭守府ト定メラル 特務艦 淺間 右本籍ヲ吳鎭守府ト定メラル 右本籍ヲ舞鶴鎭守府ト定メラル』
  38. ^ 『官報』第3796号、大正14年4月21日。
  39. ^ 『官報』第3974号、大正14年11月21日。
  40. ^ 『官報』第4143号、大正15年6月16日。
  41. ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  42. ^ 『官報』第302号、昭和2年12月29日。
  43. ^ 『官報』第359号、昭和3年3月12日。
  44. ^ 『官報』第418号、昭和3年5月22日。
  45. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  46. ^ 『官報』第898号、昭和4年12月26日。
  47. ^ 『官報』第1166号、昭和5年11月17日。
  48. ^ 『官報』第1226号、昭和6年2月2日。
  49. ^ 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
  50. ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  51. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  52. ^ 『官報』第3134号、昭和12年6月16日。
  53. ^ 赤道越えて - 日活
  54. ^ #日露戦役海軍写真集(4)p.22『淺間艦内忙中の閑日月』-『艦内唯一の非戰闘員愛犬たま』

参考文献

関連項目

外部リンク

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