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淳仁天皇とは?

在位期間
758年9月7日 - 764年11月6日

【元号】
天平宝字
【時代】
奈良時代
【先代】
孝謙天皇
【次代】
称徳天皇(孝謙天皇重祚)
【】

【誕生】
733年
【崩御】
765年11月10日
【陵所】
淡路国三原郡
【漢風諡号】
淳仁天皇
1870年8月20日(明治3年7月24日)諡号勅定
【諱】
大炊
【別称】
淡路廃帝、大炊王
【父親】
舎人親王
【母親】
当麻山背
【夫人】
粟田諸姉
【子女】
安倍内親王

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年天平5年〉- 765年11月10日天平神護元年10月23日〉)は、日本の第47代天皇(在位:758年9月7日天平宝字2年8月1日〉- 764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉)。

漢風諡号は明治時代になってから付けられたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいたい)と呼ばれるが、歴代に加えた史書も存在する。大炊(おおい)。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 人物
    • 1.2 践祚
    • 1.3 追放
  • 2 系譜
    • 2.1 系図
  • 3 陵・霊廟
  • 4 諡号
  • 5 脚注
  • 6 参考文献

経歴

人物

天武天皇の皇子・舎人親王の七男として誕生する。母は当麻老の娘・当麻山背。だが、3歳で父が没したこともあって、天皇の孫でありながら官位を受けることもなく、存在が注目されることもなかった。

756年に没した聖武天皇の遺言によって新田部親王の子の道祖王立太子したが、天平勝宝9年3月29日(757年4月22日)に孝謙天皇によって道祖王は廃され、4日後の同年4月4日(4月26日)、光明皇后(藤原光明子)を後ろ盾にもつ藤原仲麻呂(後に恵美押勝に改名)の強い推挙により大炊王が立太子した。

大炊王は仲麻呂の進言に従って、仲麻呂の長男で故人の真従の未亡人である粟田諸姉を妻に迎え、また仲麻呂の私邸に住むなど、仲麻呂と深く結びついていた。

また、舎人親王の母である新田部皇女天智天皇の娘であり、天智・天武の両天皇の血筋を引くことも仲麻呂に推された一因であったとする指摘もある。

践祚

天平宝字2年(758年)に孝謙天皇から譲位を受け践祚した。同時に孝謙天皇は、太上天皇(孝謙上皇)となった。

しかし践祚後も政治の実権はほとんど仲麻呂が握り、一族は恵美の二字を付け加えられるとともに仲麻呂は押勝を名乗り、専横が目立つようになる。755年に安禄山の乱が発生した際には九州の警備強化にあたるが、仲麻呂が新羅討伐を強行しようとしこれを許可する(ただし後の称徳天皇=孝謙上皇により実現しなかった)。また官位を唐風の名称に改めたり、鋳銭と出挙の権利や私印を用いる許可も与えた。天平宝字4年(760年)、仲麻呂を皇室外では初の太政大臣に任じた。同年、光明皇太后が薨去するが、仲麻呂は天皇と上皇を盾に平城宮の改築を実施し、翌天平宝字5年(761年)天皇と上皇は小治田宮保良宮に行幸して保良宮を「北宮」とした。

ところが、保良宮滞在中に病みがちとなった孝謙上皇は看病していた弓削道鏡を寵愛するようになり、仲麻呂の進言により天皇がこれを諫めたところ上皇は烈火のごとく激怒し、天皇は上皇と対立するようになっていく。天平宝字6年6月3日(762年6月28日)、孝謙上皇は再び天皇大権を掌握することを目的に、「今の帝は常の祀りと小事を行え、国家の大事と賞罰は朕が行う」と宣告した。この宣告によって、政治権力が孝謙上皇のもとに移ったとする見解と、御璽を保持しつづけていた淳仁天皇が依然と権能を発揮していたとする見解があり、まだ研究者間でも確定されていない。また、佐藤長門は孝謙上皇と淳仁天皇の対立の本質を天武天皇皇統でも傍流(舎人親王系)の天皇を自己の「臣」とみなす上皇(『続日本紀』天平宝字8年10月壬申条)と自己を孝謙天皇の皇太子ではなく「聖武天皇乃皇太子」として即位したとみなす天皇(『続日本紀』天平宝字3年6月庚戌条)の間に発生した王統及び皇位継承に関する認識の差として捉え、たとえ仲麻呂や道鏡がいなかったとしても2人の対立は避けられなかったと指摘する。

追放

天平宝字8年(764年)9月、上皇との対立を契機に恵美押勝の乱が発生、天皇はこれに加担しなかったものの、仲麻呂の乱が失敗に終り天皇は最大の後見人を失った。乱に加わらなかった理由については、既に上皇側に拘束されていたからだとも、仲麻呂を見限って上皇側との和解を探っていたからだとも言われている(仲麻呂は天皇を連れ出せなかった為、やむなく塩焼王を新天皇に擁立することを企てた)。

乱の翌月、上皇の軍によって居住していた中宮院を包囲され、そこで上皇より「仲麻呂と関係が深かったこと」を理由に廃位を宣告され、5日後の天平宝字8年10月14日(764年11月11日)、親王の待遇をもって淡路国流される。淳仁天皇は廃位、太上天皇は追号されず、上皇は重祚して称徳天皇となった。だが、淡路の先帝のもとに通う官人らも多くおり、また都でも先帝の復帰(重祚)をはかる勢力が残っていた。このような政治動向に危機感をもった称徳天皇は、翌天平神護元年(765年)2月に現地の国守である佐伯助らに警戒の強化を命じた。この年の10月、廃帝は逃亡を図るが捕まり、翌日に院中で亡くなった。公式には病死と伝えられているが、実際には殺害されたと推定され、葬礼が行われたことを示す記録も存在していない。敵対した称徳天皇の意向により長らく天皇の一人と認められず、廃帝または淡路廃帝と呼ばれていたが、『新唐書』日本伝では「大炊」、『宋史』日本伝では「天炊天皇」と記されて歴代に加えられている。これは10世紀に宋に渡った僧・奝然が伝えた『王年代紀』を参照したものである。

系譜

淳仁天皇の系譜
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 | 8. 第34代 舒明天皇(=20) | 


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 | 4. 第40代 天武天皇 | 


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 | 9. 第35代 皇極天皇・
第37代 斉明天皇
(=21) | 


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 | 2. 舎人親王 | 


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 | 20. 第34代 舒明天皇(=8)

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 | 10. 第38代 天智天皇 | 


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 | 21. 第35代 皇極天皇・
第37代 斉明天皇
(=9)

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 | 5. 新田部皇女 | 


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 | 22. 阿倍倉梯麻呂

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 | 11. 阿倍橘娘 | 


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 | 1. 第47代 淳仁天皇 | 


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 | 6. 当麻老 | 


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 | 3. 当麻山背 | 


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系図

 | 古人大兄皇子 | 
 | 倭姫王
(天智天皇后)
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 | (38)天智天皇
(中大兄皇子) | 
 | (41)持統天皇
(天武天皇后)
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 | (43)元明天皇
(草壁皇子妃)

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 | 間人皇女
(孝徳天皇后) | 
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 | (39)弘文天皇
(大友皇子) | 
 | 葛野王 | 
 | 池辺王 | 
 | (淡海)三船
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 | 志貴皇子
(春日宮天皇) | 
 | (49)光仁天皇 | 
 | (50)桓武天皇 | 
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 | 早良親王
(崇道天皇)

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 | (40)天武天皇
(大海人皇子) | 
 | 高市皇子 | 
 | 長屋王 | 
 | 桑田王 | 
 | 磯部王 | 
 | 石見王 | 
 | (高階)峰緒
高階氏へ〕
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 | 草壁皇子
(岡宮天皇) | 
 | (44)元正天皇
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 | 大津皇子 | 
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 | (42)文武天皇 | 
 | (45)聖武天皇 | 
 | (46)孝謙天皇
(48)称徳天皇

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 | 忍壁皇子 | 
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 | 吉備内親王 | 
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 | 井上内親王
(光仁天皇后)
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 | 長親王 | 
 | 智努王
(文室浄三) | 
 | 大原王 | 
 | (文室)綿麻呂
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 | 御原王 | 
 | 小倉王 | 
 | (清原)夏野
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 | 舎人親王
(崇道尽敬皇帝) | 
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 | (47)淳仁天皇
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 | 貞代王 | 
 | (清原)有雄
清原氏へ〕
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 | 新田部親王 | 
 | 塩焼王 | 
 | (氷上)川継
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 | 道祖王


陵・霊廟

淳仁天皇 淡路陵
(兵庫県南あわじ市)

(みささぎ)は、宮内庁により兵庫県南あわじ市賀集にある淡路陵(あわじのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は山形。

記録では、淡路国三原郡(現在の兵庫県南あわじ市の天王森丘とされる)に造営されたという。宝亀3年(772年)光仁天皇は僧侶60人を派遣し、斎を設けて、その魂を鎮めた。宝亀9年3月23日(778年4月24日)に山陵扱いとされた。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。

そのほか、滋賀県長浜市西浅井町菅浦一帯では淳仁天皇伝説が分布し、淳仁天皇の営んだ保良宮伝承地(現・須賀神社)、淳仁天皇陵伝承地などが存在する。

諡号

明治3年7月24日(1870年8月20日)に、弘文天皇(大友皇子)・仲恭天皇と共に明治天皇から「淳仁天皇」と諡号を賜られた。

明治6年(1873年)には、同様に配流先で歿した崇徳天皇を祀る白峯神宮に合祀された。

脚注

  1. ^ 中野渡俊治「奈良時代の天智天皇観」(初出:『教育・研究』11号(1997年)/所収:中野渡『古代太上天皇論』(思文閣出版、2017年)ISBN 978-4-7842-1887-5)
  2. ^ 佐藤長門「古代天皇制の構造とその展開」(初出:『歴史学研究』755号、2001年/所収:佐藤『日本古代王権の構造と展開』吉川弘文館、2009年 ISBN 978-4-642-02471-6)
  3. ^ 即位改元について」p.216(論文執筆者:土橋誠(京都府立総合資料館歴史資料課)、刊行物名:『京都府埋蔵文化財論集 第6集 -創立三十周年記念誌-』、刊行年:2010年、刊行者:公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター)
  4. ^ 山田邦和「平安時代前期の陵墓選地」 所収:角田文衞監修・古代學協會編『仁明朝史の研究』(思文閣出版、2011年)

参考文献

天皇一覧
伝承の時代

古墳時代

飛鳥時代 | 
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奈良時代 | 
  • 第43代 元明天皇(707 - 715△)
  • 第44代 元正天皇(715 - 724△)
  • 第45代 聖武天皇(724 - 749△)
  • 第46代 孝謙天皇(749 - 758△)
  • 第47代 淳仁天皇(758 - 764▼)
  • 第48代 称徳天皇(764 - 770)
  • 第49代 光仁天皇(770 - 781△)

  • 平安時代 | 
  • 第50代 桓武天皇(781 - 806)
  • 第51代 平城天皇(806 - 809△)
  • 第52代 嵯峨天皇(809 - 823△)
  • 第53代 淳和天皇(823 - 833△)
  • 第54代 仁明天皇(833 - 850△)
  • 第55代 文徳天皇(850 - 858)
  • 第56代 清和天皇(858 - 876△)
  • 第57代 陽成天皇(876 - 884△)
  • 第58代 光孝天皇(884 - 887)
  • 第59代 宇多天皇(887 - 897△)
  • 第60代 醍醐天皇(897 - 930△)
  • 第61代 朱雀天皇(930 - 946△)
  • 第62代 村上天皇(946 - 967)
  • 第63代 冷泉天皇(967 - 969△)
  • 第64代 円融天皇(969 - 984△)
  • 第65代 花山天皇(984 - 986△)
  • 第66代 一条天皇(986 - 1011△)
  • 第67代 三条天皇(1011 - 1016△)
  • 第68代 後一条天皇(1016 - 1036)
  • 第69代 後朱雀天皇(1036 - 1045△)
  • 第70代 後冷泉天皇(1045 - 1068)
  • 第71代 後三条天皇(1068 - 1072△)
  • 第72代 白河天皇(1072 - 1086△)
  • 第73代 堀河天皇(1086 - 1107)
  • 第74代 鳥羽天皇(1107 - 1123△)
  • 第75代 崇徳天皇(1123 - 1141△)
  • 第76代 近衛天皇(1141 - 1155△)
  • 第77代 後白河天皇(1155 - 1158△)
  • 第78代 二条天皇(1158 - 1165△)
  • 第79代 六条天皇(1165 - 1168△)
  • 第80代 高倉天皇(1168 - 1180△)
  • 第81代 安徳天皇(1180 - 1185)

  • 鎌倉時代 | 
  • 第82代 後鳥羽天皇(1183 - 1198△)
  • 第83代 土御門天皇(1198 - 1210△)
  • 第84代 順徳天皇(1210 - 1221△)
  • 第85代 仲恭天皇(1221▼)
  • 第86代 後堀河天皇(1221 - 1232△)
  • 第87代 四条天皇(1232 - 1242)
  • 第88代 後嵯峨天皇(1242 - 1246△)
  • 第89代 後深草天皇(1246 - 1259△)
  • 第90代 亀山天皇(1259 - 1274△)
  • 第91代 後宇多天皇(1274 - 1287△)
  • 第92代 伏見天皇(1287 - 1298△)
  • 第93代 後伏見天皇(1298 - 1301△)
  • 第94代 後二条天皇(1301 - 1308)
  • 第95代 花園天皇(1308 - 1318△)

  • 南北朝時代 | 
    南朝 | 

    北朝 | 
  • 北朝初代 光厳天皇(1331 - 1333▼)
  • 北朝第2代 光明天皇(1336 - 1348△)
  • 北朝第3代 崇光天皇(1348 - 1351▼)
  • 北朝第4代 後光厳天皇(1352 - 1371△)
  • 北朝第5代 後円融天皇(1371 - 1382△)
  • 北朝第6代→第100代 後小松天皇(1382 - 1412△)


  • 室町時代
    戦国時代 | 
  • 第101代 称光天皇(1412 - 1428)
  • 第102代 後花園天皇(1428 - 1464△)
  • 第103代 後土御門天皇(1464 - 1500)
  • 第104代 後柏原天皇(1500 - 1526)
  • 第105代 後奈良天皇(1526 - 1557)
  • 第106代 正親町天皇(1557 - 1586△)

  • 江戸時代 | 
  • 第107代 後陽成天皇(1586 - 1611△)
  • 第108代 後水尾天皇(1611 - 1629△)
  • 第109代 明正天皇(1629 - 1643△)
  • 第110代 後光明天皇(1643 - 1654)
  • 第111代 後西天皇(1655 - 1663△)
  • 第112代 霊元天皇(1663 - 1687△)
  • 第113代 東山天皇(1687 - 1709△)
  • 第114代 中御門天皇(1709 - 1735△)
  • 第115代 桜町天皇(1735 - 1747△)
  • 第116代 桃園天皇(1747 - 1762)
  • 第117代 後桜町天皇(1762 - 1770△)
  • 第118代 後桃園天皇(1770 - 1779)
  • 第119代 光格天皇(1779 - 1817△)
  • 第120代 仁孝天皇(1817 - 1846)
  • 第121代 孝明天皇(1846 - 1866)

  • 明治以降 | 
  • 第122代 明治天皇(1867 - 1912)
  • 第123代 大正天皇(1912 - 1926)
  • 第124代 昭和天皇(1926 - 1989)
  • 第125代 明仁(1989 - 2019△)
  • 第126代 徳仁(2019 - 在位)

  • 大正の初年までは神功皇后を天皇歴代に含め、これを「第15代神功皇后」として仲哀天皇と応神天皇の間に置いていた。
  • 赤背景女帝。括弧内は在位年。「△」は譲位、「▼」は廃位、「?」は当該年に異説があることを示す。
  • 第37代斉明天皇は第35代皇極天皇の重祚。第48代称徳天皇は第46代孝謙天皇の重祚。
  • 第38代天智天皇の在位年は6年半に及んだ即位前の称制を含む。第41代持統天皇の在位年は3年半に及んだ即位前の称制を含む。
  • 第57代陽成天皇の譲位は事実上の廃位。
  • 第81代安徳天皇の在位の最後の2年間は、第82代後鳥羽天皇の在位の最初の2年間と重複する。
  • 第96代後醍醐天皇の在位は、実際には2度の廃位と復辟をはさんだ鎌倉時代末期 (1318–31年)、建武の新政期(1333–36年)、吉野時代(1336–39年)の3期にまたがるが、それぞれの廃位後に擁立された光厳天皇と光明天皇の即位を認めず、その間自身のみが一貫して天皇だったと主張した。なお今日では便宜上光厳天皇を北朝の最初の天皇とみなしているが、実際に南北両朝が並立するようになるのは、次の光明天皇が擁立されたのち後醍醐天皇が京都を脱出して吉野に拠った時点(1336年)からである。
  • 現行の天皇歴代は、南朝の天皇を正統とする観点から数えられている。北朝の天皇はこの天皇歴代には数えないものの、同時期に在位した正当な天皇として皇統譜に含めている(参照)。後小松天皇の在位は、始めの10年間を北朝の天皇のそれと
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    出典:wikipedia
    2019/10/19 09:55

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