漆原 大晟(うるしはら たいせい、1996年9月10日 - )は、オリックス・バファローズに所属する新潟県燕市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。
粟生津小学校2年時に粟生津少年野球団で軟式野球を始めると、吉田ジュニアクラブを経て、吉田中学校への在学中に硬式野球の三条リトルシニアへ所属。中学生時代のチームメイトに、2学年後輩の知野直人がいた。
新潟明訓高等学校への進学後は、1年時夏(2012年)の第94回全国高等学校野球選手権大会で背番号18でベンチ入りを果たしたものの、阪神甲子園球場で登板する機会はなかった。2年時以降も同球場での全国大会に縁がないまま、新潟医療福祉大学健康科学部健康スポーツ学科に進学。1年秋(2015年)の関甲新学生野球連盟秋季リーグ・対関東学園大学戦で、リーグ新記録の11打者連続奪三振を達成。2年夏(2016年)の新人戦では、最高殊勲選手賞を受賞するとともに、チームの優勝に貢献した。大学でのチームメイト(2学年先輩)に、笠原祥太郎がいた。
2018年のNPB育成ドラフト会議で、オリックス・バファローズから1巡目で指名。支度金300万円、年俸260万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。入団当初の背番号は127。
2019年には、一・二軍合同の春季キャンプを二軍で過ごす一方で、一軍のランチタイム特打に打撃投手として登板。球種をあらかじめ申告しているにもかかわらず、主力級の打者からストレートで次々と空振りを奪ったことでゼネラルマネジャー(前年まで一軍監督)の福良淳一を驚かせた。ウエスタン・リーグの公式戦では、捕手出身の中嶋聡二軍監督による方針で、アマチュア時代に経験のなかったクローザーに4月下旬から抜擢。それまでクローザーを務めていた金田和之の一軍昇格に伴う抜擢ながら、シーズン終了までクローザーに定着した 結果、39試合の登板で1勝0敗、防御率3.52という成績を残した。通算のセーブ数はリーグ最多の23で、小野郁(当時は東北楽天ゴールデンイーグルスへ在籍)が記録したこの年のイースタン・リーグ最多セーブ(14)より多く、奪三振率も8.92(通算38回1/3イニングで38奪三振)と高かった。シーズン中の支配下選手登録や一軍昇格は見送られたものの、シーズンの終了後には、球団からの打診を受けてプエルトリコウインターリーグのアテニエンセス・デ・マナティへ派遣。リーグ戦に中継ぎで13試合に登板すると、0勝2敗3セーブながら、通算防御率0.77と好投した。
2020年には、育成選手でありながら、一軍春季キャンプのメンバーに抜擢された。キャンプ中の2月20日に支配下選手登録。背番号も65に変更された。オープン戦の序盤は救援登板のみで4試合連続無失点を記録していたが、先発陣の総合力が上がらないチーム事情を背景に、オープン戦の途中から先発に転向。レギュラーシーズンの開幕一軍入りには至らなかったものの、ウエスタン・リーグの公式戦でも、開幕からオール先発で6試合に登板していた。福良の後任の一軍監督・西村徳文の辞任に伴って、二軍監督の中嶋が8月21日から一軍監督代行へ就任したことを背景に、8月23日付でプロ入り後初めての出場選手登録。登録初日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)で、3点リードの9回表にクローザーとして一軍公式戦へのデビューを果たすと、2点を失いながらも一軍公式戦初セーブを記録した。NPBの球団に育成選手契約で入った日本人投手が、支配下選手登録を経て一軍公式戦の初登板でセーブを挙げた事例は、漆原が初めてである。
インステップ気味の投球フォームが特徴で、ストレートは大学4年時(2018年)に151km/h、オリックスへの入団後に152km/hを計測。その一方で、スライダー・カーブ・シュート・フォークといった変化球も織り交ぜている。