このキーワード
友達に教える
URLをコピー

熊本市とは?

 | 
熊本市旗
1969年8月1日制定
 | 熊本市章
1969年8月1日制定


【国】
日本
【地方】
九州地方
【都道府県】
熊本県
団体コード
43100-1
法人番号
9000020431001
【面積】
390.32km

【総人口】
738,407[編集]
(推計人口、2018年4月1日)
人口密度
1,892人/km
【隣接自治体】
宇土市合志市宇城市玉名市菊池市山鹿市上益城郡嘉島町甲佐町益城町御船町菊池郡菊陽町玉名郡玉東町
(海上を隔て)長崎県島原市
【市の木】
イチョウ
(1974年(昭和49年)10月9日制定)
【市の花】
肥後ツバキ
(1974年(昭和49年)10月9日制定)
【市の鳥】
シジュウカラ
(1984年(昭和59年)5月22日制定)
熊本市役所

【市長】
大西一史
【所在地】
860-8601
熊本県熊本市中央区手取本町1番1号
北緯32度48分10.8秒東経130度42分28.3秒座標: 北緯32度48分10.8秒 東経130度42分28.3秒

【外部リンク】
熊本市

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

西区 | 北区
中央区 | 東区
南区


ウィキプロジェクト

熊本市(くまもとし)は、日本熊本県にあるの一つ。同県の県庁所在地、また日本最南端の政令指定都市である。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 森の都
  • 2 地理
    • 2.1 位置・地形
    • 2.2 気候
    • 2.3 人口
    • 2.4 隣接する自治体
    • 2.5 地名
  • 3 歴史
    • 3.1 古代から加藤清正入国まで
    • 3.2 江戸時代
    • 3.3 明治時代 - 第二次大戦前
    • 3.4 第二次大戦後 - 現在
    • 3.5 年表(古代 - 近代)
    • 3.6 年表(近現代)
    • 3.7 行政区域の変遷
    • 3.8 住所表記の変遷 (2008年(平成20年)以降)
  • 4 行政
    • 4.1 行政機構
    • 4.2 歴代市長
    • 4.3 行政区
      • 4.3.1 熊本都市圏と合併に至るまでの動き
      • 4.3.2 政令市移行に至るまでの動き
    • 4.4 九州行政・民間における準中枢都市機能
    • 4.5 財政
    • 4.6 国・県・市の機関
      • 4.6.1 国の機関
      • 4.6.2 裁判所
      • 4.6.3 県の機関
      • 4.6.4 市の機関
  • 5 議会
    • 5.1 市議会
    • 5.2 熊本県議会(熊本市選出)
    • 5.3 衆議院
  • 6 産業
    • 6.1 農業・水産業
    • 6.2 工業
    • 6.3 情報通信業
    • 6.4 マスコミ関連
    • 6.5 建設業
    • 6.6 商業
    • 6.7 金融機関
    • 6.8 生活協同組合
    • 6.9 その他
    • 6.10 繁華街・商業施設
      • 6.10.1 上通・下通
      • 6.10.2 新市街・桜町
      • 6.10.3 その他
      • 6.10.4 百貨店・大規模小売店
  • 7 姉妹都市・提携都市
    • 7.1 海外
    • 7.2 国内
  • 8 教育機関
    • 8.1 大学・短期大学
    • 8.2 専修学校
    • 8.3 公立高等学校
    • 8.4 私立中学校・高等学校
    • 8.5 幼稚園・小学校・中学校
    • 8.6 特別支援学校
    • 8.7 自動車教習所
  • 9 交通
    • 9.1 鉄道
    • 9.2 バス
      • 9.2.1 一般路線バス
      • 9.2.2 高速バス・特急バス・快速バス
    • 9.3 道路
    • 9.4 空港
    • 9.5 港湾
  • 10 名所・旧跡・観光スポット
  • 11 文化・スポーツ
    • 11.1 発祥
    • 11.2 音楽
    • 11.3 郷土料理・食品
    • 11.4 ファッション
    • 11.5 マクドナルド
    • 11.6 百選
    • 11.7 こうのとりのゆりかご
    • 11.8 熊本市を舞台とした作品
    • 11.9 唱歌
    • 11.10 スポーツ
  • 12 熊本市に関係する有名人・著名人
  • 13 その他
    • 13.1 市内郵便番号
    • 13.2 市外局番
  • 14 脚注
    • 14.1 注釈
    • 14.2 出典
  • 15 関連文献
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク

概要

日本三名城熊本城(2005年)
熊本城(写真右上)からの眺望が保たれるように建物の高さ制限がなされている(2011年)
中心部のアーケード
開発が進む「熊本駅周辺」(2011年)

県の総面積の5.3%にあたる約390kmの市域に、県内人口の約42%にあたる約74万人の市民が住む。2012年(平成24年)4月1日九州で3番目の政令指定都市に移行した。九州では、福岡市北九州市についで、3番目に人口が多い。

肥後国府肥後国分寺が置かれた地である。現在の市街は、細川氏熊本藩54万城下町を基礎に発展してきた。戦前は陸軍第6師団や国の出先機関が置かれ、九州を代表する軍都・行政都市として栄えた。2011年(平成23年)3月12日九州新幹線鹿児島ルートが全線開通し、熊本駅に新幹線駅が併設された。

中心部は熊本城天守閣(地図)から見て南東から東に広がる。ただし、熊本城などからの眺望を確保するための環境基準により、中心部を含む熊本城周辺地域約550haには厳しい高さ制限がある。そのため中心部には高層ビルが存在しないが、当該地域の外にある熊本駅周辺の新都心地区には、くまもと森都心などの高層ビルが立地する。また、中心部を囲むように立地する熊本駅(地図)・上熊本駅(地図)・新水前寺駅(地図)のJR九州3駅が交通結節とされており、中心部との間が熊本市電によってつながれている。

森の都

当市の雅称「森の都」は、1930年(昭和5年)制定の熊本市歌の歌詞に取り入れられている。また、高度経済成長期からの急激な都市化で緑地が減少した1972年(昭和47年)10月2日、熊本市議会にて『「森の都」都市宣言に関する決議』が採択され、同市を「森の都」と称することが公式決定された。都市計画にも自然と共存した街づくりが盛り込まれており、「美しく活力ある森の都くまもと」をテーマに都市景観の形成を進めている。

一方で熊本市は、中心部を流れる白川坪井川井芹川の3本の川や水前寺成趣園、あるいは豊富な地下水、水前寺江津湖湧水群(平成の名水百選)などを称えて「水の都」とも呼ばれている。

その他、市民が「水と森の都」、市が「水と緑の都」と呼んでいる例が見られる。

地理

位置・地形

福岡市から南へ約110km、鹿児島市から北へ約180km、熊本県の中央部よりやや北側に位置している。

旧城下町を中心に市街地が発展してきた。熊本城の東側に上通下通サンロード新市街と呼ばれるアーケード街が1km以上にわたって連なり、その周辺に中心市街地は形成されている。中心繁華街である通町筋・辛島町界隈には市役所、日本郵政株式会社九州支社、日本最大規模のバスターミナルである熊本交通センター(1日6,012本)、鶴屋百貨店などがある。なお、熊本駅(副都心)は中心街から南西に2km程離れて立地しており、その間は市電や路線バスでの移動となる。

阿蘇外輪山へと続く市の北東部や東部は、一部に立田山託麻三山、白川沿いの河岸段丘など起伏のある地形もあるが、全体としては肥後台地(合志台地・託麻原(託麻台地))と呼ばれる阿蘇の火山灰土からなるなだらかで農地や住宅地に適した丘陵地となっているため、国道57号沿線の健軍地区 - 東町(東町・東本町団地)・桜木帯山長嶺託麻地区 -武蔵ヶ丘地区を軸に住宅地や東町、長嶺、大江をはじめとする住宅団地が広がっており、さらに市域を超えて菊陽町(光の森)や合志市益城町まで住宅地が拡大しつつある。熊本市の人口は中央部とともに東部・北東部に集中している(ベッドタウン)。これは、1953年6.26水害の復興として、ゆるやかな丘陵地の北東部に住宅地が形成されていったため。

市の南東部 - 南部は熊本平野の一角をなし、平坦な風景が広がる。江津湖の南側から加勢川沿いの田迎・御幸・川尻周辺、さらに緑川を挟んで南側に位置する富合・城南にかけては低湿地であり、以前は大雨が降ると浸水する被害もでていたが、排水設備が整備された現在では宅地化も進んでいる(大規模なニュータウンとして、さんさん一丁目-二丁目など)。旧来からの広々とした田園風景も残っており、所々に小川やクリークなども見受けられる。富合南西部・城南南部は雁回山がそびえ、緩やかな丘陵地帯となっている。飽田・天明地区は主に干拓によって拓かれた田園地帯である。

坪井川熊本城長塀

市の西部は有明海(島原湾)に面し、白川や坪井川が注ぎ込む。海は遠浅で港湾とするには適しておらず、臨海部はほとんど工業化・都市化していない。わずかに沖合に人工島を造成し熊本港が建設され、対岸の長崎県島原市とのフェリー航路が設定されているが、周辺土地の分譲はほとんど進んでいない。市の北西側には金峰山(665m)・二の岳(685m)などがそびえ、その東麓は中心部から伸びる住宅地と森林が入り交じる。

北部・植木は主に金峰山北東の斜面地と、阿蘇から続く肥後台地の最西端からなり、独立して植木台地とも呼ばれる(この台地と玉名平野との境目が田原坂である)。名産として名高いスイカ生産や野菜生産をはじめとした畑作が中心で、ビニールハウスが一面に広がる。植木町の北部(田底・宮原)は合志川流域であり、菊鹿盆地と一体化した丘陵・田園地帯である。

東方にそびえる阿蘇外輪山一帯に降り注いだ雨は地下に浸透し、約20年かけて平野部に達する。この豊かな地下水によって熊本市の水道水はまかなわれ、水前寺成趣園や江津湖などにも湧出している。なお、世界の50万人以上の都市で、水道水源を100%地下水だけでまかなっているのは熊本市だけといわれており、「日本一の地下水都市」または「世界一の地下水都市」ともいわれる。しかし、近年は田畑の耕作放棄、森林の管理放棄などによる涵養地の減少や工場の取水などのため、地下水位は低下しつつある。現在、熊本市は菊陽町大津町など白川流域の自治体と提携し、県やJA菊池、関係する土地改良区と共に協議会を発足させ、農家に水田から転換した畑などに一定期間水張りしてもらうなど地下水保全事業に取り組んでいる。

気候

温暖な太平洋側気候である。また京都などの盆地型の気候(夏暑く、冬も寒い)にも似ている。年平均気温は概ね17 ℃前後で、年間降水量は概ね約1,500mm - 2,400mmの間で推移している。有明海に面しているもののまわりを山に囲まれていることから、盆地特有の気候で、夏冬の寒暖の差が大きい。特に夏場は「肥後の夕なぎ」と呼ばれる夕方の無風状態が続き、暑さが厳しいことが多々あるが、冬場の気温はよく氷点下まで下がり、2012年2月3日には最低気温-6.7℃を記録した。なお、前日の2日と2日連続で日平均気温が氷点下の-0.7℃となった。また、2016年1月25日にも最低気温-6.5℃を記録している。降雪日数は少なく、積雪は数年に一回である。春は桜の開花が高知などとともに早い。

熊本 (1981–2010)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 22.5
(72.5) | 26.4
(79.5) | 27.4
(81.3) | 30.7
(87.3) | 34.4
(93.9) | 36.1
(97) | 38.8
(101.8) | 38.5
(101.3) | 37.0
(98.6) | 33.7
(92.7) | 28.9
(84) | 24.6
(76.3) | 38.8
(101.8)
平均最高気温 °C (°F) 10.5
(50.9) | 12.1
(53.8) | 15.7
(60.3) | 21.3
(70.3) | 25.6
(78.1) | 28.2
(82.8) | 31.7
(89.1) | 33.2
(91.8) | 29.9
(85.8) | 24.6
(76.3) | 18.5
(65.3) | 13.0
(55.4) | 22.0
(71.6)
日平均気温 °C (°F) 5.7
(42.3) | 7.1
(44.8) | 10.6
(51.1) | 15.7
(60.3) | 20.2
(68.4) | 23.6
(74.5) | 27.3
(81.1) | 28.2
(82.8) | 24.9
(76.8) | 19.1
(66.4) | 13.1
(55.6) | 7.8
(46) | 16.9
(62.4)
平均最低気温 °C (°F) 1.2
(34.2) | 2.3
(36.1) | 5.6
(42.1) | 10.3
(50.5) | 15.2
(59.4) | 19.8
(67.6) | 24.0
(75.2) | 24.4
(75.9) | 20.8
(69.4) | 14.2
(57.6) | 8.3
(46.9) | 3.1
(37.6) | 12.5
(54.5)
最低気温記録 °C (°F) -9.2
(15.4) | -9.2
(15.4) | -6.9
(19.6) | -2.5
(27.5) | 1.3
(34.3) | 7.1
(44.8) | 14.3
(57.7) | 15.3
(59.5) | 6.7
(44.1) | 0.5
(32.9) | -3.8
(25.2) | -7.9
(17.8) | -9.2
(15.4)
雨量 mm (inch) 60.1
(2.366) | 83.3
(3.28) | 137.9
(5.429) | 145.9
(5.744) | 195.5
(7.697) | 404.9
(15.941) | 400.8
(15.78) | 173.5
(6.831) | 170.4
(6.709) | 79.4
(3.126) | 80.6
(3.173) | 53.6
(2.11) | 1,985.9
(78.186)
平均降雨日数 (≥ 0.5 mm) 8.6 | 9.0 | 12.4 | 10.9 | 11.1 | 14.4 | 13.5 | 10.7 | 10.6 | 6.9 | 7.9 | 8.2 | 124.2
% 湿度 70 | 67 | 67 | 66 | 68 | 75 | 77 | 73 | 72 | 69 | 72 | 71 | 71
平均月間日照時間 132.6 | 139.5 | 158.5 | 181.4 | 187.2 | 141.0 | 184.5 | 211.0 | 175.9 | 189.7 | 153.0 | 147.5 | 2,001.8
出典 1: Japan Meteorological Agency
出典 2: Japan Meteorological Agency (records)

人口

政令指定都市になってからここ数年は微増傾向にある。


熊本市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 熊本市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 熊本市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

熊本市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 | 534,228人 | 

1975年 | 574,299人 | 

1980年 | 619,236人 | 

1985年 | 654,348人 | 

1990年 | 680,765人 | 

1995年 | 708,097人 | 

2000年 | 720,816人 | 

2005年 | 727,978人 | 

2010年 | 734,474人 | 

2015年 | 740,822人 | 


総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体

熊本県
長崎県

地名

熊本市の地名」を参照

歴史

古代から加藤清正入国まで

豊かな土壌や有明海の海の幸にはぐくまれた熊本市地区は古来からの居住形跡があり、旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡(貝塚古墳なども含む)が市内各所で多数確認されている。

律令制下では、概ね肥後国飽田郡託麻郡の区域に当たる。8世紀、水前寺成趣園そばの砂取に肥後国の国府(託麻国府)が置かれ、その近くに国分寺国分尼寺も設置されたとされる。その後国府は城南の益城国府を経て、平安時代中期までに二本木(飽田国府)に移転しているが、すべて現在の熊本市域内での移転であることから、少なくとも奈良・平安期の時点で熊本市地区が肥後国の中心として機能していたことがわかる。また、神話時代からの歴史とされている健軍神社をはじめ、8世紀には城南に熊本県内で最古の寺院とされる「陳内廃寺」や味噌の神様として名高い「味噌天神」が、9世紀には池上町に山岳寺院として「池辺寺」が、10世紀には現在の藤崎台県営野球場の位置に藤崎八旛宮がそれぞれ設置され、同じころには北岡神社も創建されている。

古代官道(駅路)も熊本市域を縦断しており、大宰府から南下してきた西海道の延長として立田山の西から蚕養駅(子飼)を通って託麻の国府へ、さらに城南方面へ進んでいた。律令政治の崩壊とともに一時肥後の中心地としての機能は失うが、二本木はその後も大きな集落として継続し、古国府と呼ばれることになる。その後、現在の熊本市北部には寄進型荘園で有名な鹿子木荘が拓かれる。

南北朝の騒乱の一端として1378年(南朝:天授4年、北朝:永和4年)、託麻原の合戦が市内東部で繰り広げられ、京塚など合戦の故事が由来の地名も残っている。その後、応仁年間(1467年 - 1469年)に出田氏が千葉城(現在のNHK熊本放送局所在地)を居城とし、1496年(明応5年)、豊後守護大友氏に属する鹿子木氏が茶臼山西南麓に隈本城を築城した。やがて鹿子木氏が菊池氏についたため、1550年(天文19年)、大友氏配下の城親冬(じょう ちかふゆ)が入った。

戦国時代肥後国は数十の国衆が割拠していたが、安土桃山時代に入り豊臣秀吉九州平定により、1587年(天正15年)に佐々成政が肥後49万石に封ぜられ、隈本城へ入る。しかし、失政により肥後の国衆一揆が起きると、翌年改易され、代わって加藤清正が肥後北半24万石に封ぜられ、隈本城を居城とし統治を開始。治山治水干拓による土地開発などを積極的に行い、荒廃していた土地を改良し生産力を向上させた。

一方、鎌倉時代に河尻実明が河尻城を築いたことから発展した、現在の川尻地区は港町として栄え、早くから海外交易も行われていた。中国、の時代の地理書にも「開懐世利」として記述されている。また、城南町では隈庄城が築かれ、益城地方の中心としての役割を担った。

江戸時代

加藤清正公像。熊本城の入口の一つである御幸橋のそばにある。

清正は1607年(慶長12年)に新たな隈本城を築き、その後、当地の呼称を隈本から熊本へと改名した。これ以降、熊本は近世城下町として発展していくことになる。加藤氏は清正の子、忠広の代で断絶し、1632年(寛永9年)以降は小倉藩から移封され熊本藩主となった、細川氏の城下町として発展していくことになる。

近世城下町としての整備は、清正が肥後に入国した天正時代に開始された。まず水害対策と内堀としての活用のため坪井川をつけかえ、古国府の商家も一部移す形で、城の南側(現在の市電呉服町電停一帯)に町人・職人町が作られた。その後城の西側にも町人・職人町が拡大するが、従来からの町人・職人町が「古町」と呼ばれたのに対し、城の西側に開かれた新しい町人町は「新町」と呼ばれることになる。熊本城下町の特徴として碁盤の目状に区画された町の中に寺院が1つずつ設置されており、現在でもこの町のつくりが引き継がれている。有事の際の防衛上の観点からも見逃せない形態となっている。なお、古町界隈は明治以降、昭和戦前期まで熊本市の繁華街の一つとして賑わいを見せていた。

一方、武家屋敷は、城の東側の山崎から高田原(現在の熊本市の繁華街一帯)・坪井にかけての一帯や、城の北の台地上にあたる京町に造成された(京町は、関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の家臣や柳川藩の家臣を清正が引き取って住まわせた町である)。このうち、上級武士は城内(二の丸)や内坪井・山崎に居を構え、下級武士は手取・千反畑・高田原エリアに住んだとされる。

また、1601年(慶長6年)に初代の長六橋(橋名は架橋された1601年 = 慶長6年より)がかかり、薩摩街道日向往還、南阿蘇へ向かう南郷往還の分岐点として迎町が賑わいを見せ、幕末には安政橋(当時の安巳橋)の対岸に新しい武家屋敷町 = 新屋敷が造成される。これらの区域が近代における熊本区 - 熊本市としてのおおまかな輪郭となる。

郊外では薩摩街道の宿場町、緑川水系の物流集積地(港町)として前代から引き続いて、川尻が栄えた。藩の奉行所や税関、軍港(御船手)がおかれたほか、薩摩藩の参勤交代路として本陣もおかれた。稲荷神社の所在地として発展した高橋は、坪井川の付け替え後に熊本の外港としても繁栄した。川尻と高橋は熊本(城下町)、高瀬、八代とともに肥後の五ケ町の一つに数えられることになる。

また、北へ向かう豊前街道三池街道の分岐点に元禄時代、「味取新町」という宿場町が造られたが、ここが後に植木の中心商店街となる。参勤交代道として整備された豊後街道には里数木として黒髪に一里木が、龍田に二里木が植えられ、現在もバス停名として名残をとどめる(菊陽町にある三里木は駅名にもなった)。二里木のすぐ東側には17世紀半ば、細川藩に招かれた宮本武蔵ゆかりの史跡である武蔵塚がある。東へ向かう木山往還沿いには17世紀後半、桃山式回遊庭園水前寺成趣園(水前寺公園)が造られた。

明治時代 - 第二次大戦前

幕末から明治にかけて、開明思想家として知られる横井小楠の活躍や熊本洋学校の設置、熊本の自由民権主義を牽引した植木学校の開校、熊本バンド結成など熊本に近代化の波が押し寄せる一方で、旧体制側である士族の反乱も勃発する。1876年(明治9年)には神風連の乱がおこり、そして1877年(明治10年)の西南戦争により植木の田原坂では激しい戦闘が繰り広げられ、さらに主戦場となった熊本の町は熊本城の天守閣を含め灰燼に帰した。また、1889年(明治22年)には大地震(熊本地震)にも見舞われた。

しかし、その後の熊本市地区は、熊本県(一時期は白川県)の県庁所在地としてだけでなく、九州の中央部にある主要都市ということで「九州の中核都市」と位置づけられ、熊本鎮台第五高等学校など、九州域内を管轄する国家機関・教育機関が相次いで設置されていく。1878年(明治11年)設置の熊本区を経て、1889年(明治22年)、市町村制度施行により市制施行。当初の人口は42,725人。1900年(明治33年)に成立した鉄道唱歌第2集山陽・九州編で「九州一の大都会 人口五万四千あり」と歌われるに至った。そのため、新聞発行や電灯設置、放送局の開局などで熊本が九州初の事業地となることも多く、また第五高等学校が設置されたことから、夏目漱石小泉八雲などの著名な作家が教師として熊本に赴き、熊本を舞台とした作品を残している(なお、森鴎外も数日ながらも熊本を訪れ、熊本にも関わりが深い作品(「阿部一族」)を残している)。

市内中心部の山崎には明治以降、武家屋敷を取り壊した跡地に練兵場をはじめとした軍施設が設置されたため、市街地が軍施設で分断されてしまい都市発展の障害となっていた。その後軍用地は、大正時代までに城内を除いてほとんどが大江や渡鹿など郊外に移転し、その跡地には新市街をはじめとした新しい商業・娯楽の中心地が形成された(軍用地であった名残として練兵町という町名が残っている他、軍用地の移転に力を入れた当時の市長・辛島格の名前を取って辛島町という町も誕生している)。

大正に入ると近代都市としての整備に拍車がかかる。熊本軽便鉄道菊池軌道御船鉄道熊本市電・バスといった交通機関の拡充は市街地の拡大にもつながり、1921年(大正10年)には春日黒髪島崎など周

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/08/07 04:24

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「熊本市」の意味を投稿しよう
「熊本市」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

熊本市スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「熊本市」のスレッドを作成する
熊本市の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail