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田中浩康とは?

田中 浩康
横浜DeNAベイスターズ 二軍内野守備走塁コーチ #97

DeNA現役時代
(2017年3月11日、横浜スタジアムにて)

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
京都府木津川市
【生年月日】
(1982-05-24) 1982年5月24日(38歳)
【身長
体重】
177 cm
77 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
二塁手一塁手外野手
【プロ入り】
2004年 自由獲得枠
【初出場】
2005年4月6日
【最終出場】
2018年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴

  • 早稲田大学 (2019)
  • 横浜DeNAベイスターズ (2020 - )

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


田中 浩康(たなか ひろやす、1982年5月24日 - )は、京都府木津川市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。右投右打。

2018年横浜DeNAベイスターズで現役を引退した後に、2019年から早稲田大学大学院の修士課程に在籍中。2019年に同大学の野球部でコーチ、2020年シーズンからDeNAの二軍内野守備走塁コーチを務める。

ヤクルト時代(2012年5月1日、横浜スタジアムにて)

来歴・人物

プロ入り前

京都府で出生。小学2年時に千葉県東葛飾郡沼南町(現在の柏市)へ転居したことを機に、軟式野球を始める。中学2年時の春に京都府木津川市木津第二中学校へ転校。ボーイズリーグの奈良スターズ(現在の南京都ニュースターズ)で野球を続けた。

香川県尽誠学園高等学校時代には、1・2年時に二塁手として、全国高等学校野球選手権大会に出場した。2001年早稲田大学へ入学すると、入学直後の東京六大学野球春季リーグで、明治大学との開幕戦に「1番・二塁手」としてスタメンに起用された。この試合を皮切りに、4年時の秋季リーグ途中まで、内野手として全試合でフルイニング出場。 3年時までは、青木宣親と1・2番、鳥谷敬(いずれも1学年先輩)と二遊間を組んだ。3年時の秋季リーグ戦では、二塁手としてベストナインに選出。4年時には、主将を務めるかたわら、卒業した鳥谷から正遊撃手の座を引き継いだ。秋季リーグの対法政大学戦で左手に死球を受けて骨折した影響で、連続フルイニング出場の記録は途切れたものの、在学中にはリーグ戦95試合に出場。史上24人目の通算100安打を記録した末に、打率.277(368打数102安打)、6本塁打、44打点という成績を残した。その一方で、日本代表にも選出。2年時(2002年)には第1回世界大学野球選手権、2・3年時には日米大学野球選手権大会へ出場した。

2004年のNPBドラフト会議で、ヤクルトスワローズが自由獲得枠で田中の独占交渉権を獲得。契約金1億5,000万円(出来高分の5000万円を含む)、年俸1,500万円(金額は推定)という最高の条件で入団した。背番号は7

ヤクルト時代

2008年
バッティングフォーム

2005年は開幕一軍入りを果たすも、出場機会を得られないまま5月限りで二軍落ちとなる。一時不調に陥るが、8月にはイースタン・リーグで月間MVPを獲得。二軍では新人ながら打率.286の成績を残した。

2006年はオープン戦が絶好調で、WBCで怪我をした岩村明憲の不在もあり、2番二塁手で初の開幕スタメンの座を掴んだが、岩村の復帰までに結果を残せず、以降はグレッグ・ラロッカが本来の二塁に入りポジションが空かず、二軍落ちとなった。しかし7月に宮本慎也の怪我により空いた遊撃手として一軍へ昇格。その後、宮本が復帰すると一時スタメンから外れるが、今度はラロッカが離脱。結果的に一軍に定着し、公式戦初本塁打を放つなどの活躍を見せ、9月には5番でも起用された。最終的に75試合出場、打率.266、5本塁打、22打点と結果を残した。

2007年はラロッカが退団し、開幕から二塁手のレギュラーとして起用される。春先は去年同様にオープン戦絶好調でありながらシーズン開幕後パッタリ当たりが止まり併用になるが、5月ごろには本来の力を発揮し、レギュラーに定着した。中盤に2番二塁手として、早稲田大学時代に1・2番を組んだ1年年上の青木と再びスワローズで1・2番を組み、8月25日には自身初のサヨナラヒットを放つなど、チームに欠かせない戦力となった。3年目にして自身初の規定打席に達し、132試合に出場して、打率.295、5本塁打、51打点、また、リーグ最多の51犠打、8三塁打を記録。初のベストナインにも選出された。

2008年は開幕で3安打猛打賞を記録すると、4試合で11安打を放つなど打率が急上昇。4月終了時点で打率4割を維持していた。夏場でも3割を保ち、後半失速するも.290の高打率を残した。守備に関しても前年の8失策から半減の4失策で守備率.995とリーグトップ、守備機会も両リーグトップの堅守を魅せた。チームで唯一の全試合出場を果たした。一方で、同年監督に就任した高田繁が、足を使う野球を浸透させチームは12球団一の総盗塁数を残すものの、自身は4盗塁7盗塁刺の結果に終わってしまい、盗塁技術向上が今後の課題となった。オフには守備の評価が球団と食い違い、12球団初の契約更改保留者となった。この年の8月に開催された北京オリンピック野球日本代表の1次候補に名前が挙がる。

2009年も開幕から二塁のレギュラーでスタート。当初は7番だったが、川島慶三の不振で7月からは2番に定着した。8月までは打率.282と例年並みの成績を残すが、9・10月に月間打率.172と失速し、打率.258、4本塁打と自己最低の成績に終わり、打撃に課題が残る年となった。犠打の成功率が高く、38犠打でリーグ最多犠打を記録した。守備では積極的にボールに飛びつく堅守で幾度となくチームを救い、7月10日の横浜戦では、同点の9回表一死一、三塁のピンチで二塁ライナーをジャンピングキャッチし、チームのサヨナラ勝ちにつなげた。失策はわずか3、守備率.996は2年連続二塁手部門でリーグ最高だった。

2010年は開幕当初から打撃好調でスタートを切り、チームが貧打で低迷する中でも打率3割を維持しチームの要として活躍。一時は打率が自身最高となる3割2分台まで引き上げ終盤の失速を補い、自身初のシーズン通しての打率3割を記録した。また、長打力の低い打者でありながらリーグ3位の67四球を選ぶなど、選球眼の良さを発揮し、自己最高の出塁率.385を記録。守備でも堅守の印象を強めたもののその半面でイージーミスも増えてしまった。

2011年は打撃面で不調が続き、打率.252という低調な成績に終わった。それでもリーグトップの62犠打(歴代3位)を記録するなど、2番打者としてチームに貢献した。

2012年はチームの新たな方針として1番打者に指名される。しかし、シーズン途中からラスティングス・ミレッジ比屋根渉雄平が1番に座ることとなり、例年通り繋ぎ役として2番に固定された。6月23日の巨人戦で通算250犠打を達成するなどリーグトップの40犠打を記録。通算282犠打とし、正田耕三の犠打数と並び通算犠打数は8位タイに。打撃は前年の不振を払拭し、打率.274を記録する。出塁率はリーグ9位の.354、得点圏打率はリーグ4位の.313を記録。守備率.995を誇る堅実な守備も評価され、念願のゴールデングラブ賞を受賞。さらに5年ぶりのベストナインに輝くなど充実した1年となった。オフには新たに2年契約を結んだ。

2013年は開幕から打撃不振が続き、次第に若手の山田哲人に出場機会を奪われるようになった。二軍落ちも味わい97試合の出場に留まり、7年振りに100試合を下回った。打率も.225に終わるなど、厳しいシーズンとなった。

2014年も前年後半同様山田が二塁手に固定され、主に代打での出場が多くなるが、比較的打撃が好調であった為、5月13日の読売ジャイアンツ戦ではプロ入り後初めて三塁手として起用され、同シーズン初のスタメン出場を果たした。6月11日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではプロ入り後初めて一塁手として起用された。しかし、レギュラーを奪取するまでには至らず、前年よりも少ない77試合の出場に終わった。シーズンオフ、翌年4月1日より5年間、自身が育った千葉県柏市の大津ケ丘中央公園運動場野球場の愛称が「田中浩康スタジアム」になることが判明した(後述)。

2015年は出場機会を増やすために外野手としてスタメンで出場することもあった。82試合に出場したが、打撃不振に陥り打率.201に終わった。オフにはFA宣言の上で残留した。

2016年はスタメン出場はほとんどなく主に代打要員での出場となるが、同じ右打者の荒木貴裕西浦直亨飯原誉士鵜久森淳志などが活躍していたため、出場は31試合に留まった。球団から指導者転向の打診を受けたが、本人が現役続行を希望したため、10月7日に戦力外通告を受けた。11月12日に行われる12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)への参加手続きを済ませていたが、当日になって参加を見送った。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示。

DeNA時代

2016年11月14日に、横浜DeNAベイスターズが田中の入団を発表した。背番号は67で、推定年俸は一軍最低保障額の1,500万円。また、先にチームに在籍していた同姓の田中健二朗投手がユニフォームの背ネームを「TANAKA」から「K.TANAKA」に変更したため、浩康の背ネームにはイニシャルでの区別をせずに「TANAKA」を使用した。ただし、健二朗と区別する目的で、スコアボードや報道ではヤクルト時代に続いて「田中浩」という表記が用いられた。

2017年には、移籍1年目ながら「6番・二塁手」で開幕スタメンを勝ち取ると、一軍公式戦の出場試合数が前年の31から66に倍増。7月8日の対中日戦(ナゴヤドーム)で一軍公式戦通算1000安打を達成したり、一軍公式戦で2年振りの本塁打を放ったりするなどの活躍で、チームの19年振り日本シリーズ進出に貢献した。

2018年には、一軍公式戦31試合の出場で、打率.188、3打点にとどまった。ただし、5月上旬にシーズン初の出場選手登録を果たしてからは、一軍での日本人最年長選手としてアレックス・ラミレス監督から「ダッグアウト・キャプテン」に任命。一軍への帯同中には、若手選手ばかりか、チームキャプテンの筒香嘉智にもアドバイスを送る権限が認められていた。10月3日に自身2度目の戦力外通告を受けると、同月16日に球団を通して引退を発表した。12月2日に、NPBから自由契約選手として公示。

現役引退後

引退発表直後の2018年10月27日には、AbemaTVの「U-23野球ワールドカップ 日本vsベネズエラ」中継で解説者デビューを果たす一方で、twitter上に公式アカウントを開設。後に、学生野球資格の回復に向けて講習会を受講するかたわら、マネジメントを学ぶ目的で早稲田大学大学院修士課程の入学試験を受験した。

2019年2月5日付で、日本学生野球協会から学生野球資格回復の資格を認定。同協会に加盟する大学・高校の硬式野球部での指導が可能になったため、プロ入り前に在籍していた早稲田大学野球部のコーチとして、同部OBでNPB・MLB投手出身の小宮山悟新監督を補佐することも発表された。なお、就任の前には、早稲田大学大学院の入学試験に合格。同年4月以降は、大学院の修士課程に通いながら、野球部で主に守備や走塁を指導していた。その一方で、ヤクルトとDeNAのOBとしてフジテレビONEの野球解説者(本数契約扱い)としても活動。同月からは、文化放送平日早朝の生ワイド番組『なな→きゅう』で、横浜DeNAコーチ就任までの約半年間、隔週月曜日のパートナーを務めた。

2019年11月30日付で、早稲田大学野球部のコーチを退任。2020年シーズンからは、同大学の大学院に在籍しながら、古巣のDeNAで二軍内野守備走塁コーチを務める。背番号は97

人物

ヤクルトファンを公称する作家の村上春樹は、ヤクルト時代の田中について、その独特の構えを「猫の尻尾振りバット」と表現しエッセーなどで激励していた。田中からの礼状をきっかけに往復書簡を交わし、引退前の2018年シーズンも開幕前にエールを受けていた。

2010年より、自身が育った千葉県柏市にて、同市、我孫子市白井市の3市の少年野球チームが集まる大会「田中浩康カップ」を主催している。「野球を通して少年少女たちが、より多くの仲間と出会い、交流を深め心身のバランスのとれた良き社会人として成長できるよう、そして生涯にわたってスポーツを愛好し、周りの人への感謝の気持ちをいつまでも大切にすること」を目的としている。2015年4月1日より5年間、同大会開催球場の大津ケ丘中央公園運動場野球場の愛称が「田中浩康スタジアム」となる。これは同市からの命名権購入依頼に本人が応えたものによる。

DeNAに移籍後に背番号「67」を選んだ理由は、ヤクルト時代に二遊間を組んでいた尊敬する先輩の宮本慎也が着けていた6番と、田中がヤクルト時代に着けていた7番を共に着けてプレーしたいという田中のたっての想いからであり、DeNA入団が決まってから球団に67番が空いているかを直接尋ねたほどだという。ちなみに、移籍を機に作られた応援歌は、「世界の恋人」のアレンジバージョンである。

前述したように、早稲田大学の学生時代には、3年時まで1年先輩の鳥谷敬と二遊間を組んでいた。鳥谷は田中より1年早く、NPBドラフト会議の自由獲得枠で2004年に阪神へ入団。田中がDeNAに在籍していた2017年9月8日には、甲子園球場の阪神対DeNA戦でNPB一軍公式戦2000安打を達成した。田中自身はこの試合に出場していなかったが、DeNAのベンチに入っていたため、達成の直後にはDeNAナインを代表して鳥谷に記念の花束を渡した。田中によれば、シーズン序盤に横浜スタジアムで催されたDeNA対阪神戦で鳥谷と会った際に、2000安打を達成したら花束を渡すことを直々に約束していたという。

現役時代に在籍していたNPBの球団では、同姓の選手(ヤクルト時代は田中充田中雅彦、DeNA時代は田中健二朗)とチームメイトになったことから、スコアボードや報道では「田中浩」という表記が一貫して用いられた。

詳細情報

 | 
この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2013年6月)

年度別打撃成績









































































O
P
S

2005 | ヤクルト | 6 | 4 | 4 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .750 | 1.250
2006 | 75 | 248 | 214 | 23 | 57 | 12 | 0 | 5 | 84 | 22 | 1 | 1 | 12 | 2 | 19 | 0 | 1 | 47 | 11 | .266 | .326 | .393 | .719
2007 | 132 | 543 | 451 | 58 | 133 | 23 | 8 | 5 | 187 | 51 | 8 | 1 | 51 | 3 | 33 | 0 | 5 | 51 | 14 | .295 | .348 | .415 | .762
2008 | 144 | 604 | 510 | 61 | 148 | 19 | 1 | 5 | 184 | 50 | 4 | 7 | 34 | 4 | 45 | 1 | 11 | 72 | 8 | .290 | .358 | .361 | .719
2009 | 130 | 514 | 434 | 48 | 112 | 24 | 2 | 4 | 152 | 35 | 6 | 2 | 38 | 4 | 34 | 0 | 4 | 50 | 10 | .258 | .315 | .350 | .665
2010 | 140 | 637 | 516 | 64 | 155 | 16 | 2 | 4 | 187 | 54 | 4 | 4 | 45 | 3 | 67 | 3 | 6 | 48 | 15 | .300 | .385 | .362 | .747
2011 | 142 | 619 | 511 | 57 | 129 | 13 | 2 | 1 | 149 | 40 | 2 | 3 | 62 | 3 | 40 | 0 | 3 | 63 | 9 | .252 | .309 | .292 | .600
2012 | 139 | 593 | 486 | 48 | 133 | 16 | 1 | 2 | 157 | 40 | 1 | 1 | 40 | 4 | 54 | 0 | 9 | 60 | 15 | .274 | .354 | .323 | .677
2013 | 97 | 252 | 227 | 22 | 51 | 7 | 0 | 0 | 58 | 14 | 1 | 1 | 6 | 1 | 17 | 1 | 1 | 32 | 6 | .225 | .280 | .256 | .536
2014 | 77 | 111 | 102 | 9 | 25 | 2 | 1 | 3 | 38 | 10 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 15 | 4 | .245 | .300 | .373 | .673
2015 | 82 | 151 | 134 | 13 | 27 | 3 | 1 | 1 | 35 | 11 | 3 | 0 | 4 | 0 | 11 | 0 | 2 | 18 | 4 | .201 | .272 | .261 | .533
2016 | 31 | 37 | 32 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 3 | 0 | .188 | .297 | .250 | .547
2017 | DeNA | 66 | 175 | 154 | 15 | 31 | 3 | 1 | 1 | 39 | 20 | 2 | 0 | 8 | 0 | 11 | 0 | 2 | 25 | 4 | .201 | .263 | .253 | .517
2018 | 31 | 52 | 48 | 3 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 7 | 3 | .188 | .235 | .208 | .444
NPB:14年 1292 | 4540 | 3823 | 423 | 1018 | 142 | 19 | 31 | 1291 | 351 | 33 | 20 | 302 | 24 | 345 | 5 | 46 | 492 | 103 | .266 | .332 | .338 | .670

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
一塁
二塁
三塁
遊撃
外野


















【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



2005 | ヤクルト | - | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | -
2006 | - | 51 | 80 | 129 | 5 | 21 | .977 | - | 20 | 23 | 58 | 5 | 6 | .942 | -
2007 | - | 132 | 278 | 389 | 8 | 61 | .988 | - | - | -
2008 | - | 144 | 359 | 489 | 4 | 85 | .995 | - | - | -
2009 | - | 130 | 314 | 414 | 3 | 81 | .996 | - | - | -
2010 | - | 140 | 317 | 468 | 9 | 98 | .989 | - | - | -
2011 | - | 142 | 379 | 435 | 7 | 91 | .991 | - | - | -
2012 | - | 139 | 448 | 409 | 4 | 99 | .995 | - | - | -
2013 | - | 60 | 138 | 147 | 6 | 32 | .979 | - | - | -
2014 | 7 | 52 | 2 | 0 | 4 | 1.000 | 2 | 3 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 1 | 6 | 2 | 0 | .778 | - | -
2015 | 4 | 31 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | - | 23 | 34 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2016 | 4 | 22 | 3 | 1 | 3 | .962 | - | - | - | -
2017 | DeNA | 5 | 21 | 0 | 0 | 4 | 1.000 | 42 | 88 | 100 | 1 | 24 | .995 | - | - | -
2018 | 4 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 12 | 18 | 25 | 0 | 7 | 1.000 | - | - | -
通算:14年 24 | 134 | 7 | 1 | 12 | .993 | 996 | 2423 | 3010 | 47 | 599 | .991 | 4 | 1 | 6 | 2 | 0 | .778 | 20 | 23 | 58 | 5 | 6 | .942 | 23 | 34 | 0 | 0 | 0 | 1.000

表彰

記録

初記録
節目の記録

背番号

登場曲

出演番組

現役引退後に「野球解説者」としてレギュラーで出演する番組のみ記載。

脚注

  1. ^ 早大新コーチ就任の田中浩康氏が練習に合流 4月からは早大大学院に進学もスポーツニッポン 2019年2月6日掲載
  2. ^ 2020年シーズン コーチ契約について横浜DeNAベイスターズ 2019年11月6日掲載
  3. ^ 高校野球情報.com 独占インタビュー 第50回 田中 浩康選手(2010年8月2日)
  4. ^ 朝日新聞、2004年12月2日付朝刊 (19面)
  5. ^ 2015年度 フリーエージェント宣言選手 日本野球機構
  6. ^ ヤクルト 田中浩に戦力外通告、現役続行を希望 12年ベストナインスポニチアネックス 2016年10月7日掲載
  7. ^ ヤクルト戦力外の田中浩、合同トライアウト参加へ日刊スポーツ 2016年11月8日掲載
  8. ^ 65人が参加/12球団合同トライアウト詳細日刊スポーツ 2016年11月12日掲載
  9. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  10. ^ 選手獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2016年11月14日). 2016年11月14日閲覧。
  11. ^ 田中浩康選手 入団記者会見”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2016年11月29日). 2017年1月5日閲覧。
  12. ^ 【DeNA】田中浩、史上287人目の1000安打 初安打の地・ナゴヤドームで達成”. スポーツ報知 (2017年7月8日). 2017年7月8日閲覧。
  13. ^ DeNA田中浩康に託された新たな肩書 監督、主将の挑戦に全力を捧げる”. 週刊ベースボール (2018年6月21日). 2019年2月5日閲覧。
  14. ^ DeNA、田中浩康らが戦力外”. 共同通信社 (2018年10月3日). 2018年11月4日閲覧。
  15. ^ DeNA・田中浩康が引退を発表「ベイスターズでは夢の続きを見させてもらいました」”. サンケイスポーツ (2018年10月16日). 2018年11月4日閲覧。
  16. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者日本学生野球協会
  17. ^ 田中浩康氏が母校早大コーチ就任、小宮山氏とタッグ”. 日刊スポーツ (2019年2月5日). 2019年2月5日閲覧。
  18. ^ 元ヤクルト、DeNAの田中氏、早大コーチ就任”. デイリースポーツ (2019年2月5日). 2019年2月7日閲覧。
  19. ^ 文化放送社長、朝の新番組起用の上田まりえに期待「初めての女性パーソナリティーとなります」”. デイリースポーツ (2019年3月19日). 2019年3月19日閲覧。
  20. ^ 早大が田中浩康コーチの退任を発表…DeNAのファーム内野守備走塁コーチに就任”. スポーツ報知 (2019年11月6日). 2019年11月6日閲覧。
  21. ^ 田中浩康、引退…ヤクルト&DeNAでいぶし銀の活躍 歴代5位通算302犠打”. サンケイスポーツ (2018年10月11日). 2018年11月4日閲覧。
  22. ^ 田中浩康カップ田中浩康カップ公式サイト 2011年11月21日掲載
  23. ^ 「田中浩康球場」誕生へ 柏市日刊スポーツ 2014年12月15日掲載
  24. ^ DeNA・田中浩康が『67』を背負う理由 ニッポン放送ショウアップナイター(ベースボールキング内) 2017年2月3日
  25. ^ DeNAの本拠地である横浜市に本社を置く日産自動車が長らくCMソングに使用していた楽曲で、かつて活動していた日産自動車硬式野球部の応援歌でもあった。
  26. ^ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/08/14 05:57

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