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田中龍夫とは?

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日本政治家
田中 龍夫
たなか たつお


【生年月日】
1910年9月20日
【出生地】
日本 山口県萩市
【没年月日】
(1998-03-30) 1998年3月30日(87歳没)
【出身校】
東京帝国大学(現・東京大学)
【前職】
南満州鉄道社員
企画院軍需省官僚
農商大臣商工大臣秘書官
【所属政党】
(無所属→)
(日本民主党→)
自由民主党
【称号】
男爵
正三位
勲一等旭日大綬章
【親族】
父・田中義一(首相)
第101代 文部大臣

【内閣】
鈴木善幸内閣
【在任期間】
1980年7月17日 - 1981年11月30日
第37代 通商産業大臣

【内閣】
福田赳夫内閣
【在任期間】
1976年12月24日 - 1977年11月28日
第18代 総理府総務長官

【内閣】
第2次佐藤内閣第1次改造内閣
【在任期間】
1967年11月25日 - 1968年11月30日
衆議院議員

【選挙区】
山口県第1区
【当選回数】
13回
【在任期間】
1953年4月20日 - 1990年1月24日
公選第1・2代 山口県知事

【当選回数】
2回
【在任期間】
1947年4月16日 - 1953年3月24日
その他の職歴

貴族院議員
(1946年5月 - 1947年5月2日)

田中 龍夫(たなか たつお、、1910年9月20日 - 1998年3月30日)は、日本政治家男爵正三位勲一等首相を務めた田中義一の長男。

戦後間もなく貴族院議員山口県知事を務め、のち自由民主党に所属し衆議院議員通商産業大臣文部大臣を歴任。福田派の幹部として重きをなし、岸派以来の福田赳夫側近として行動を共にした。また長らく「日本海外移住家族会連合会」の会長を務め、世界各地の日系移民とその家族の支援に尽力した。

生涯

生い立ち

1910年(明治43年)9月20日陸軍軍人・田中義一の長男として山口県萩市に生まれる。暁星中学校から一浪を経て浦和高等学校(現・埼玉大学)に進学し、東京帝国大学法学部政治学科に入学。この間、父・義一を亡くして男爵を襲爵し、東京帝大在学中に高橋節子と結婚している。

官僚から政界へ

1937年(昭和12年) 、東京帝大を卒業した田中は南満州鉄道に入社。その後 企画院調査官、 軍需省軍需官を歴任し、小磯内閣島田俊雄農商大臣秘書官となる。

太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)には 幣原内閣小笠原三九郎商工大臣秘書官に任官され、翌年には貴族院議員に就任した。知事が公選制となると、1947年(昭和22年) 山口県知事に当選し、山口県の初代公選知事となる。

中央政界に進出

1953年 (昭和28年)、知事2期目途中で退任し、同郷の先輩である岸信介の誘いで第26回衆議院議員総選挙旧山口1区より無所属で立候補し、当選。以後連続13回当選。初当選後は岸の属す日本自由党に入党した。吉田茂首相を批判した岸が自由党から除名されると、田中も岸に追随して自由党を離脱し、日本民主党の結党に参加した。

保守合同により自由民主党が結党されるとこれに参加。1957年(昭和32年)には 第1次岸内閣改造内閣内閣官房副長官に就任した。 第2次佐藤内閣第1次改造内閣総理府総務長官として初入閣したことを皮切りに、 福田赳夫内閣通産大臣鈴木善幸内閣文部大臣と閣僚を歴任。1981年(昭和56年)には自民党総務会長に就任した。

晩年

1990年(平成2年)の衆議院解散を機に政界を引退。山口1区の地盤は山口県議会議員の河村建夫が継承した。同年、勲一等旭日大綬章を受章。1998年3月30日 、急性心不全のため死去。87歳没。墓所は多磨霊園にある。

エピソード

山口県知事に就任した田中は朝鮮半島の緊張の高まりに危機感を持ち、1947年に知事直轄組織の「朝鮮情報室」を創設した。朝鮮総督府の勤務経験者ら朝鮮語に長けた人材を集めて、傍受した中波・短波ラジオを翻訳させるなどして情報収集に努め、朝鮮戦争勃発の際には国連軍の不利をいち早く察知し吉田政権にも連絡した。ダレス国務長官顧問から楽観論を聞かされていた吉田らはこの情報を一顧だにしなかったが、戦況は田中の懸念通りに悪化し、一時は外務省から6万人からなる韓国亡命政権の受け入れを山口県に打診されるまでに至る。田中はこれを拒否したが、県では阿武町などに難民キャンプを建設する計画が極秘に進められていた。

家族

関連人物

脚注

注釈

  1. ^ 浦和高校の同級には作詞家の三木鶏郎(本名・繁田裕司)、同学年には言語学者の金田一春彦、政治家の伊東正義原文兵衛らがいた。
  2. ^ 1958年(昭和33年)の第28回総選挙以降は、同じ清和会所属で岸の娘婿・安倍晋太郎と山口1区で戦うことになったものの、常に両名とも当選している。

出典

  1. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』76頁。
  3. ^ 20世紀人名辞典. 日外アソシエーツ
  4. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。
  5. ^ 朝鮮戦争直前「韓国の亡命政権、難民に備えよ」…国防意識高めた山口県 楽観する国とは別に情報収集”. 産経WEST (2015年9月19日). 2020年3月7日閲覧。
  6. ^ 焦土――土地の買収で再出発 恩人久原房之助氏が助言”. 日経スタイル (2014年4月10日). 2018年3月13日閲覧。
  7. ^ 第66回 安藤百福(その二)留置場の飯の不味さ、終戦時の街角―「食足世平」の理念に至った原体験”. 現代ビジネス (2014年2月15日). 2018年3月13日閲覧。

参考文献

外部リンク

公職
先代:
谷垣専一 |  文部大臣
第102代:1980年 - 1981年 | 次代:
小川平二
先代:
河本敏夫 |  通商産業大臣
第37代:1976年 - 1977年 | 次代:
河本敏夫
先代:
塚原俊郎 |  総理府総務長官
第18代:1967年 - 1968年 | 次代:
床次徳二
先代:
北沢直吉 |  内閣官房副長官 (政務担当)
1957年 - 1958年 | 次代:
松本俊一
先代:
青柳一郎 |  山口県知事
公選第1・2代:1947年 - 1953年 | 次代:
小澤太郎
党職
先代:
二階堂進 | 自由民主党総務会長
第25代:1981年 - 1982年 | 次代:
細田吉蔵
日本の爵位
先代:
田中義一 | 男爵
田中(義一)家第2代
1929年 - 1947年 | 次代:
華族制度廃止
総理府総務長官


通商産業大臣
【通商産業大臣】

【経済産業大臣】


文部大臣
【再編前】
文部大臣
【文部卿】



科学技術庁長官


【再編後】

省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。



内閣官房副長官(政務担当)
【内閣官房次長】

内閣官房副長官
【政務担当】
出典:wikipedia
2020/05/23 03:04

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