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町田市とは?

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まちだし
町田市
町田市立薬師池公園


町田市旗

【国】
日本
【地方】
関東地方
【都道府県】
東京都
団体コード
13209-8
法人番号
6000020132098
【面積】
71.55km

【総人口】
434,419
(推計人口、2017年10月1日)
人口密度
6,072人/km
【隣接自治体】
八王子市多摩市
神奈川県:横浜市川崎市相模原市大和市
【市の木】

【市の花】
サルビア
【市の鳥】
カワセミ
町田市役所

【市長】
石阪丈一
【所在地】
194-8520
東京都町田市森野二丁目2番22号
北緯35度32分48秒東経139度26分19秒

【外部リンク】
町田市役所 公式サイト (日本語)

― 区 / ― 市 / ― 町・村



ウィキプロジェクト

町田市(まちだし)は、東京都多摩地域南部にある

目次

  • 1 概要
  • 2 地理
    • 2.1 地形
    • 2.2 商業地
      • 2.2.1 治安
    • 2.3 住宅・道路開発
      • 2.3.1 主な大規模集合住宅
    • 2.4 田園都市的側面
    • 2.5 隣接している自治体・行政区
  • 3 歴史
    • 3.1 江戸時代まで
    • 3.2 明治維新から第二次大戦まで
    • 3.3 第二次大戦後
    • 3.4 市域の変遷
  • 4 人口
    • 4.1 昼夜間人口
  • 5 地域
  • 6 市政
    • 6.1 市長
    • 6.2 市議会
    • 6.3 財政
    • 6.4 広域行政
    • 6.5 都市宣言
    • 6.6 環境
    • 6.7 指定金融機関
  • 7 国政・都政
  • 8 機関・施設
    • 8.1 市の行政施設
    • 8.2 国の行政施設
    • 8.3 都の行政施設
    • 8.4 司法
    • 8.5 警察
    • 8.6 消防
    • 8.7 医療
    • 8.8 郵便
  • 9 文化施設
    • 9.1 図書館
    • 9.2 美術館・博物館
    • 9.3 ホール
    • 9.4 スポーツ施設
    • 9.5 青少年施設
  • 10 観光
    • 10.1 自然
    • 10.2 公園
    • 10.3 名所・旧跡
    • 10.4 特産品・名産品
    • 10.5 祭事・催事
  • 11 教育
    • 11.1 大学
    • 11.2 短期大学
    • 11.3 専門学校
    • 11.4 高等専門学校
    • 11.5 高等学校
    • 11.6 中学校
    • 11.7 小学校
      • 11.7.1 市立小学校統廃合
    • 11.8 特別支援学校
    • 11.9 各種学校
    • 11.10 学校教育以外の施設
  • 12 交通
    • 12.1 鉄道
      • 12.1.1 市内の路線・駅
      • 12.1.2 主要部へのアクセス
    • 12.2 バス
      • 12.2.1 空港リムジンバス・高速バス
    • 12.3 道路
  • 13 スポーツチーム
  • 14 出身有名人
    • 14.1 文化・芸能
    • 14.2 スポーツ選手
      • 14.2.1 サッカー選手
    • 14.3 その他の有名人
  • 15 ゆかりの有名人
  • 16 町田を舞台とする作品
  • 17 地域放送
  • 18 電話
  • 19 ナンバープレート
    • 19.1 自動車・自動二輪車
    • 19.2 原動機付自転車
  • 20 脚注
    • 20.1 注釈
    • 20.2 出典
  • 21 外部リンク

概要

多摩川以南に位置する商業都市で、人口は東京都内では東京23区八王子市に次いで3番目(市町村では2番目)に多い。東京都に位置する自治体としては島嶼地域を除くと最南部に位置する。国道246号東名高速道路(京王相模原線東急田園都市線小田急線)と国道16号(横浜線)が交差する地域。

1960年代以降ベッドタウンとして発達したが、依然市内各所で農業が行われている。バブル経済期以後には、東京都区部からの私立大学の転入が進み、市内には現在も私立大学や一貫校が点在するなど、「青年の街」の色も見られる。

細長い市域全体が神奈川県側に大きく突出しており、東京都内の隣接自治体である多摩市八王子市とは同じ南多摩地域にありながら丘陵で隔てられていることから、もっぱら神奈川県域との交流が盛んである。日本で唯一、3つの政令指定都市(すべて神奈川県の横浜市・川崎市・相模原市)に接している自治体でもある。

地理

地形

市域のランドサット衛星写真

市域の大部分が多摩丘陵に属し、地形的には同丘陵の北部、相模原台地の北東の縁であり、ほとんどが丘陵地帯である。最高地点は西端にある草戸山(標高364m)。平地は町田駅付近や西および南を流れる境川・ほぼ中央を流れる鶴見川とその支流恩田川近辺など少ない。ほぼ町田街道を分水嶺に、北側が多摩川水系および鶴見川水系、南側が境川水系である。

周囲は、東京都の他市に接しているのは北側のみで、神奈川県に接している部分のほうが多く、神奈川県側に半島状に付き出した特異な位置にある。

商業地

町田駅前の商業施設

治安

2007年に新設された忠生地区交番

2000年頃から、新宿付近地区の風俗規制強化により、新宿地区で営業していた業者が町田駅繁華街へ移転する動きがあり、2000年犯罪発生件数(刑法犯認知件数)が9879件まで増加し、一部のマスコミからは西の歌舞伎町とも呼ばれるようになった。これは周辺に風俗業が多い繁華街が無く、新宿から直通電車で30 - 40分程度という好立地による。しかし繁華街はこれらを含めた風俗店と他の店舗が混在しており、手当たり次第な客引き等の迷惑行為が社会問題化し、条例による客引き行為の部分規制や住民による自主的なパトロール、さらには民間交番の設置 [1] や警察活動拠点の拡充等が行われ治安は改善の兆しをみせ、その結果、2012年の犯罪発生件数は4493件と、2000年当時の半分以下にまで減少した。

町田市の急速な人口増加や繁華街の賑わいにも関わらずこれまで警察署の増設は行われず、警察官1人当たりの市民数は都内平均の2倍であった。町田駅前繁華街の発展や渋谷・歌舞伎町化に伴う犯罪率の上昇も加わり治安が悪化し、警察官不足は深刻である。これに対応し、町田警察署管内の北西部にある忠生地域の警察活動拠点として日本最大級の交番として忠生地区交番を設置し、市北西部の相原町、小山町、小山ヶ丘の管轄を新設の南大沢警察署(八王子市南大沢)に移管、町田警察署の負担軽減を図ることになった。

住宅・道路開発

町田山崎団地
薬師台の街並み

旧鎌倉街道沿いの旧宿場町(本町田の宿・一色地区や小野路宿など)や近代以降の原町田近辺など一部地域を除き、未開発の土地が多く残されていた。1960年代の旧公団・公社等による団地開発以来を発端として、小田急などによる都心他へのアクセスの良さも注目されてベッドタウンとして急速に開発が進み、現在でも丘陵や斜面を宅地造成した一戸立て住宅の建売(駅至近では中高層マンション)などによる開発が盛んである。しかし、無計画に宅地造成がされた地区も多く、そういった場所では旧来からの狭い道路や行き止まりなどがあり、自動車がこれを避けて鎌倉街道町田街道等の幹線道路へ集中するが、拡幅工事が未完了で未拡幅区間がボトルネックとなり、幹線道路への流入車が毎日のように渋滞を引き起こす。特に都県境部分では整備が遅れているほか、山や丘の両面から開発された場所の道路未接続も多い。

市内には、UR都市再生機構(旧・日本住宅公団)や東京都住宅供給公社の大規模団地を初めとした、大小様々な団地集合住宅が点在する。これら団地の住民数は、町田市の人口総数の1割以上を占める。現在では団地住民の定住化と共に少子高齢化が進み、それら団地を中心とした学区域の小学校では合併廃校が行われると同時に、新興住宅地では新設も行われている。同時に、政策として「車椅子で歩ける街づくり」を進めるなど社会福祉が充実し、各地から視察団が訪れる。

1980年代からは、薬師台などに見られるように、土地区画整理事業により大手デベロッパーを中心とする景観を重視した計画的な宅地開発が行われ、21世紀に入り、景観法と町田市景観条例に基づき、市民、事業者、行政の協力による景観づくり が重視されてきた。

主な大規模集合住宅

世帯数及び人口は2017年1月1日現在。なお、この他にURもみじ台団地や、都営金森住宅地区をはじめとした多数の都営住宅、民間のマンション群などの中・大規模集合住宅が市内各所に点在する。

なお、都市計画法における「一団地の住宅施設」上の名称は、藤の台・町田山崎・町田木曽を除いて団地名と同一であるほか、鶴川・真光寺は一団地の住宅施設ではなく都市計画に基づく団地である。

UR…都市再生機構管理、JKK・・・東京都住宅供給公社管理

【団地名】
【所在地】
【世帯数】
【人口総数】
【男】
【女】
【備考】

UR | 藤の台団地 | 本町田、金井町 | 2,952 | 5,297 | 2,550 | 2,747 | 1970年(昭和45年)入居開始。
1・3街区は賃貸(2,227戸)、2街区は分譲(1,199戸)
(「一団地の住宅施設」上の名称は本町田第2)
UR | 町田山崎団地 | 山崎町 | 3,673 | 6,694 | 3,128 | 3,566 | 1〜7街区は1968年(昭和43年)、第二団地は1976年(昭和51年)入居開始。
分譲1街区(305戸)は建替により離脱、第二団地(8街区、260戸)は分譲、
その他は賃貸(3,920戸)
(「一団地の住宅施設」上の名称は木曽山崎)
UR | 鶴川団地 | 鶴川二・三・五・六丁目 | 2,546 | 4,644 | 2,130 | 2,514 | 1967年(昭和42年)入居開始。
五丁目団地は賃貸(1,682戸)、
その他は一部を除き分譲(1,300戸)
UR | 小山田桜台団地 | 小山田桜台 | 1,431 | 3,368 | 1,622 | 1,746 | 1983年(昭和58年)入居開始。
一部は賃貸(487戸)、その他は分譲(1,131戸)
JKK | 森野住宅 | 森野一丁目 | 425 | 689 | 308 | 381 | 1963年(昭和38年)入居開始。
賃貸(432戸)
JKK | 本町田住宅 | 本町田、南大谷 | 865 | 1,362 | 678 | 684 | 1964年(昭和39年)〜1965年(昭和40年)入居開始。
賃貸(916戸)
JKK | 木曽住宅 | 木曽東四丁目 | 876 | 1,280 | 627 | 653 | 1963年(昭和38年)〜1964年(昭和39年)入居開始。
賃貸(904戸)。数字のみの号棟及びロ号棟
JKK | 町田木曽住宅 | 本町田、木曽東四丁目 | 4,528 | 7,590 | 3,746 | 3,844 | 1969年(昭和44年)〜1971年(昭和46年)入居開始。
イ・ハ・ニ・ホ号棟は賃貸(4,330戸)、ト号棟は分譲(406戸)
(「一団地の住宅施設」上の名称は木曽山崎)
JKK | 境川住宅 | 木曽東二・三丁目 | 2,234 | 3,614 | 1,787 | 1,827 | 1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)入居開始。
賃貸(2,238戸)
JKK | 高ヶ坂住宅 | 高ヶ坂三丁目 | 785 | 1,145 | 586 | 559 | 1962年(昭和37年)入居開始。
賃貸(832戸)
JKK | 真光寺住宅 | 真光寺三丁目 | 137 | 259 | 116 | 143 | 1977年(昭和52年)入居開始。
賃貸(138戸)
【団地合計】
【20,452】
35,942
【17,278】
【18,664】
【】

田園都市的側面

市域の大部分が多摩丘陵上に位置することもあり、町田駅から1 - 2kmほどの地区でも農地が見られ、北西部から西部にかけての小山田・小野路地区、相原・大戸地区などは、が随所に広がり、一部では畜産業も営まれる農業地域となる。また、市域中部の七国山、北西端の草戸山など、後述の北部丘陵など里山山林も多く点在し、近隣の都市と比べで土地自然利用率が高い。タヌキテンなどの野生動物のほか、周辺の地域で数を減らし続けているムササビニホンリスカヤネズミなどの希少動物も見られる。

一方で、町田の東京都区部へのアクセスが注目されて以来、現在まで不動産・住宅開発の進出も激しい。都市計画がない状態で進められた、旧来の地形を省みない開発や建設がかえって町並みの調和を破壊している地域も存在する。1990年代以降では、水害時に備えるための私有の洪水調整池を無理に埋め立てる手法や、谷戸上部の山地を切り開く手法で大規模マンション開発が行われた箇所が存在し、災害対策や日照権問題などそれ以前からの地元住民とトラブルが発生した事例も存在する。

近年では、市の大部分にあたる多摩丘陵のうち、市域北部の上小山田町から小野路町・野津田町までの地域(概ね芝溝街道尾根幹線道路に挟まれた地域)を北部丘陵とし、自然保護と農業活性化を目的とした取り組みや休耕田の整備のほか、宅地開発の抑制などが行われている。

隣接している自治体・行政区

東京都(多摩地域)

神奈川県

歴史

江戸時代まで

  • 武蔵国多摩郡の南端に位置する。645年に起きた乙巳の変により、政権は全国を支配する体制を整え、地方を多くの国に分け、現在の町田市はほとんどが武蔵国に含まれることになった。北西部の相原村や小山村は16世紀末に境川が武蔵国・相模国の境界として確定するまで相模国高座郡に属した。このことと関連して、境川をはさんで武蔵側(町田市)と相模側(相模原市大和市)とで共通する地名が分布する(相原、小山、矢部、鶴間など)。
  • 1335年(建武2年)、北条時行北条氏の残党が中先代の乱を起し、町田村井出の沢足利直義を撃破し更に鎌倉へ向けて進攻する。
  • 院政期に市域には小山田荘が立荘される。小山田荘には秩父平氏小山田有重の子息が下国して本拠地とし、小山田氏となった。小山田氏は鎌倉期に甲斐国(山梨県)都留郡に入部し、系譜的関係は不明であるが、室町・戦国期には甲斐守護・戦国大名武田氏家臣の郡内小山田氏を輩出している。
  • 16世紀末の天正年間に町田村の村民が農地拡大のため近隣の原野を開拓し、その地を原町田村として分村した。後に「本村」である町田村は本町田村と村名を変更した。
  • 江戸時代初期、市域内の村の多くは幕府直轄領(天領)であった。しかし数度の地方直しを経て、江戸時代中期までに旗本知行地となり、その多くが旗本数家あるいは幕府等との相給となった。幕末期、幕府直轄領の村は韮山代官の支配下にあった。

明治維新から第二次大戦まで

第二次大戦後

町田市役所 旧本庁舎(町田市中町一丁目20番23号、解体済)

市域の変遷

町田市は市制施行以後、隣接自治体との境界変更を数度実施している。特に相模原市とは境川の河川改修によって生じた「川向こうの飛地」解消のため、これまで複数回の境界変更を行った。

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