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畠山和洋とは?
【基本情報】
【国籍】
日本
【出身地】
岩手県花巻市
【生年月日】
(1982-09-13) 1982年9月13日(36歳)
【身長
体重】
180 cm
96 kg
【選手情報】
【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
一塁手、
左翼手、
三塁手
【プロ入り】
2000年 ドラフト5巡目
【初出場】
2004年8月6日
【年俸】
4,000万円(2019年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
| 畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年9月13日 - )は、岩手県花巻市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。愛称は「Boo(ブー)」「ハタケ」。
来歴
プロ入り前
小学校から野球を始め、4年時には地元の少年団チームに加入した。当時は野球だけでなくバスケットボールなど他のスポーツも楽しんでいた。進学した花巻市立湯口中学校にはバスケ部が無かったため、野球に集中する。抜きん出た飛距離の打撃で活躍したが、フォームは我流であった。中学3年の時に県大会で優勝している。その後、実兄がエースを務めており、1972年に実父も投手として所属し選抜出場を果たしている、専修大学北上高等学校に進学した。1年から三塁のレギュラーに定着し、打撃フォーム矯正にも成功した。
1998年の第80回全国高等学校野球選手権大会では、如水館との1回戦で、引き分け再試合を含む2試合に5番三塁で先発出場。計7打数6安打3打点と活躍するが、チームは惜しくも再試合で敗退した。2000年の第82回全国高等学校野球選手権大会は一回戦で森岡良介要する明徳義塾と対戦し敗退。自身も4打数無安打であった。1年後輩には梶本勇介が在籍していた。当時は2年生の梶本がエースで4番を務めており、畠山は3番三塁での出場であった。
2000年、プロ野球ドラフト会議で、ヤクルトスワローズから5巡目で指名を受け、契約。
ヤクルト時代
2002年に19本塁打・56打点でイースタン・リーグの本塁打王・打点王の二冠に輝いたものの、打率.259、72三振という数字が示す通り、この頃の打撃は確実性に欠けていた。また19失策を喫した。
2004年8月にアレックス・ラミレスと入れ代わって一軍に初昇格し、8月6日の対横浜ベイスターズ戦で初出場、10月7日の対読売ジャイアンツ戦で、高橋尚成からプロ初安打を放った。
2005年8月19日に古田敦也と入れ代わって昇格し、その日の阪神タイガース戦(明治神宮野球場)で代打出場すると、藤田太陽からプロ初本塁打を放った。
2006年は二軍で過ごす時期が長く、二軍では打率.313・7本塁打・101安打で最多安打を獲得し、外野手としても45試合に出場した。
2008年は開幕を二軍で迎えたが、川島慶三の故障やアダム・リグスの不振もあって4月8日に昇格すると、4月15日の対横浜戦で本塁打を放ち、5月18日の対阪神戦ではアーロン・ガイエルに代わって初めて4番・三塁手で出場し、シーズン終盤まで4番打者として出場。最終的に121試合に出場し、自己最多の9本塁打・58打点という成績を残した。打率も.279を記録し、プロ入り初の規定打席到達を果たした。好球を待って右方向に流す安打が多く、53四球はチーム最多(セ・リーグ7位)であったが、守備では三塁手として6失策、一塁手として5失策を喫し、4番打者ながら試合終盤には代走や守備固めによって交代したケースも多かった。
2009年に、ジェイミー・デントナの加入により、開幕直後は主に代打での出場となり、8月にはデントナと宮本慎也の離脱によってスタメン出場の機会が巡ってきたが、打率.236・4本塁打・19打点、得点圏打率は.172と、前年よりも成績を落とす。
2010年も当初は代打起用が大半だったが、デントナの不振によって6月下旬からスタメン起用が増え、93試合出場ながら自己最多の14本塁打を記録し、出塁率.380・長打率.551と結果を残した。
2011年は開幕スタメンこそ逃したが、ジョシュ・ホワイトセルの怪我で4番で初スタメンとなった試合で2本塁打の活躍。その後は4番として一塁手とホワイトセル出場時は左翼として出場し、オールスターゲームにファン投票で選出。自身初の選出となった。7月22日、第1戦の5回に武田勝から勝ち越しの3点本塁打を打ちMVPを獲得した。後半戦は終盤に調子を落としたが、それでもシーズンを通してチームの4番として恥じない活躍を見せ、リーグ2位の23本塁打、リーグ3位となる85打点、さらにリーグトップの78四球を記録した。自身初の1年間登録抹消されずにシーズンを送った。
2012年は開幕から調子が上がらず、4番を外され下位打線で起用されることもあったが、オールスターゲームには監督推薦で選出され、2年連続の出場を果たす。地元・岩手県営野球場で初の球宴開催となった7月23日の第3戦では、全セ・4番でスタメン出場。4回に塩見貴洋からソロ本塁打を放つなど、4打数2安打1打点をマークし、敢闘選手賞を獲得した。
2013年は結局打率は2割前半から上がらず、8月末に二軍落ち、9月には戸田球場での守備練習中に左脇腹を痛めて戦線を離脱することになり、残りのシーズンを棒に振った。
2014年6月8日の西武戦で走塁中に左足を痛めて途中交代、病院で診察を受けた結果「左大腿二頭筋肉離れ」で全治4週間と診断され、7月29日の阪神戦で復帰し、復帰後初打席初安打が決勝タイムリーになる。同年シーズンは、最終的には本塁打17、リーグ7位となる79打点、規定打席にも到達し、自己最高となるリーグ8位の打率.310をマーク(規定3割は初)した。得点圏打率はリーグ2位の.402を記録し、ここ一番での勝負強さも発揮した。
2015年、4月26日の読売ジャイアンツ戦(神宮球場)でプロ野球史上273人目の通算100本塁打を達成。同年はキャリアハイの26本塁打、チーム日本人最多記録となる打点105を記録し打点王のタイトルを獲得。優勝を果たしたヤクルト打線を牽引した。
2016年4月に入り背中の張りを訴えて一時離脱、6月に左有鉤骨の骨挫傷と診断され、以前から傷めていた右アキレス腱の状態の悪化もあり、離脱のままシーズンを終え、
2017年も4月中旬に左ふくらはぎの負傷で離脱したまま出場15試合でシーズンを終えて「自分の衰えを含め、悔しいというか悲しい」とコメントした。
2018年は75試合の出場で打率.248、5本塁打、27打点だった。
選手としての特徴
2008年に刊行された書籍に、チームトップクラスの長打力を持ち味とする旨の記載が見られる。2008年から2011年までにかけての通算の対右打率.260に対し対左打率.301と左投手に強く、2011年には本塁打の8割以上を左方向に運んだが、外角球を右方向に飛ばす打撃も持ち味とし、2011年には2ストライクに追い込まれてからは右方向に運ぶなどカウントに応じた打撃も上達させた。8打席に1つ近い割合で四球を選べる選球眼も持ち、2010年には打率.313を残すなどボールゾーンの球にも対応できる。
クラウチングスタイルのような身体を深く沈めるフォームで、安定感に欠けるため緩急や変化球に弱く、内角球の対応にも弱点を抱えていた。リーグ2位のOPS.834を記録した2011年にはホームベース方向に身体をかがめてバットを構えてゆっくりと左ひざを上げ、そこからつま先をピンと伸ばしてタイミングを計りバットを振り出す独特なフォームに取り組み、2010年までは速球に合わせて緩い球に対応するためのシンプルな待ち方をしていたが、2011年からは早めにトップを作ると同時に左足を上げてゆっくりステップする待ち方に変えたため、ボールを長く見ることができるようになったという。
一塁ベースから遠い右打者ということもあり、走塁面では一塁到達4.4秒台と平均を下回る。守備では主に一塁手と三塁手で起用される他、左翼手で起用されたこともあるが、2010年には左翼守備では平均を下まわる守備得点を記録した。
詳細情報
年度別打撃成績
【年
度】
【球
団】
【試
合】
【打
席】
【打
数】
【得
点】
【安
打】
【二
塁
打】
【三
塁
打】
【本
塁
打】
【塁
打】
【打
点】
【盗
塁】
【盗
塁
死】
【犠
打】
【犠
飛】
【四
球】
【敬
遠】
【死
球】
【三
振】
【併
殺
打】
【打
率】
【出
塁
率】
【長
打
率】
O P S
|
2004 | ヤクルト | 4 | 9 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .125 | .222 | .125 | .347
2005 | 11 | 13 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .182 | .308 | .455 | .762
2006 | 7 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .143 | .000 | .143
2007 | 37 | 88 | 75 | 4 | 17 | 2 | 0 | 1 | 22 | 7 | 0 | 1 | 2 | 0 | 10 | 0 | 1 | 20 | 2 | .227 | .326 | .293 | .619
2008 | 121 | 479 | 416 | 43 | 116 | 22 | 2 | 9 | 169 | 58 | 2 | 1 | 1 | 4 | 53 | 2 | 5 | 84 | 11 | .279 | .364 | .406 | .770
2009 | 85 | 214 | 182 | 14 | 43 | 8 | 1 | 4 | 65 | 19 | 0 | 1 | 1 | 4 | 27 | 0 | 0 | 31 | 7 | .236 | .329 | .357 | .686
2010 | 93 | 280 | 243 | 38 | 73 | 17 | 1 | 14 | 134 | 57 | 0 | 0 | 1 | 3 | 28 | 1 | 5 | 38 | 7 | .300 | .380 | .551 | .931
2011 | 142 | 583 | 494 | 66 | 133 | 24 | 1 | 23 | 228 | 85 | 1 | 0 | 1 | 4 | 78 | 5 | 6 | 94 | 10 | .269 | .373 | .462 | .834
2012 | 121 | 497 | 455 | 49 | 121 | 21 | 1 | 13 | 183 | 55 | 2 | 1 | 1 | 2 | 37 | 0 | 2 | 64 | 13 | .266 | .323 | .402 | .725
2013 | 99 | 393 | 360 | 28 | 79 | 18 | 0 | 12 | 133 | 51 | 0 | 0 | 2 | 1 | 30 | 1 | 0 | 69 | 10 | .219 | .279 | .369 | .648
2014 | 113 | 464 | 422 | 52 | 131 | 19 | 1 | 17 | 203 | 79 | 2 | 0 | 1 | 3 | 36 | 1 | 2 | 54 | 17 | .310 | .365 | .481 | .846
2015 | 137 | 584 | 512 | 64 | 137 | 26 | 0 | 26 | 241 | 105 | 0 | 0 | 0 | 8 | 62 | 0 | 2 | 92 | 10 | .268 | .344 | .471 | .815
2016 | 45 | 190 | 163 | 15 | 40 | 10 | 0 | 1 | 53 | 18 | 0 | 1 | 0 | 0 | 26 | 0 | 1 | 24 | 6 | .245 | .353 | .325 | .678
2017 | 15 | 62 | 52 | 6 | 11 | 3 | 0 | 2 | 20 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 2 | 13 | 2 | .212 | .339 | .385 | .723
2018 | 75 | 155 | 129 | 9 | 32 | 6 | 0 | 5 | 53 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 26 | 1 | 0 | 23 | 4 | .248 | .374 | .411 | .785
NPB:15年
|
1105 | 4018 | 3528 | 389 | 936 | 176 | 7 | 128 | 1510 | 567 | 7 | 5 | 10 | 29 | 425 | 11 | 26 | 614 | 99 | .265 | .346 | .428 | .774
- 2018年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
【年
度】
【球
団】
【一塁】
【三塁】
外野
|
【試
合】
【刺
殺】
【補
殺】
【失
策】
【併
殺】
【守
備
率】
【試
合】
【刺
殺】
【補
殺】
【失
策】
【併
殺】
【守
備
率】
【試
合】
【刺
殺】
【補
殺】
【失
策】
【併
殺】
守 備 率
|
2004 | ヤクルト | 2 | 13 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | - | -
2005 | 2 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | -
2007 | 15 | 101 | 9 | 0 | 2 | 1.000 | 11 | 5 | 17 | 2 | 0 | .917 | -
2008 | 88 | 666 | 46 | 5 | 42 | .993 | 24 | 12 | 34 | 6 | 6 | .885 | -
2009 | 35 | 175 | 15 | 2 | 11 | .990 | 30 | 15 | 40 | 3 | 3 | .948 | -
2010 | 15 | 54 | 6 | 1 | 2 | .984 | 16 | 6 | 15 | 2 | 0 | .913 | 48 | 51 | 2 | 0 | 0 | 1.000
2011 | 111 | 635 | 50 | 4 | 54 | .994 | 3 | 7 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | 62 | 84 | 3 | 2 | 0 | .978
2012 | 121 | 1006 | 77 | 7 | 94 | .994 | - | -
2013 | 97 | 781 | 55 | 4 | 57 | .995 | - | -
2014 | 111 | 902 | 58 | 2 | 83 | .998 | - | -
2015 | 136 | 1171 | 104 | 11 | 105 | .991 | - | -
2016 | 45 | 373 | 33 | 1 | 22 | .998 | - | -
2017 | 15 | 116 | 13 | 1 | 5 | .992 | - | -
2018 | 35 | 237 | 20 | 1 | 15 | .996 | - | -
通算
|
828 | 6237 | 486 | 39 | 493 | .994 | 86 | 45 | 111 | 13 | 10 | .923 | 110 | 135 | 5 | 2 | 0 | .986
タイトル
表彰
記録
- 初記録
- 節目の記録
- 100本塁打:2015年4月26日、対読売ジャイアンツ6回戦(明治神宮野球場)、5回裏に高木勇人から左越ソロ ※史上273人目
- 1000試合出場:2016年5月25日、対阪神タイガース10回戦(明治神宮野球場)※史上476人目
- その他記録
背番号
打席登場曲
脚注
関連項目
外部リンク
東京ヤクルトスワローズ 2019 |
監督 |
一軍コーチ |
二軍監督・コーチ |
投手 |
捕手 |
内野手 |
外野手 |
育成選手 | 117 松本友(内野手) 118 内山太嗣(捕手) 119 ジュリアス(投手)
業績
|
日本プロ野球オールスターゲームMVP |
1950年代 | - 1951 川上哲治, 野口明, 林義一
- 1952 飯島滋弥
- 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男
- 1954 中西太, 山内和弘
- 1955 山内和弘, 西沢道夫
- 1956 森下正夫, 吉田義男
- 1957 大下弘, 宮本敏雄
- 1958 宮本敏雄, 中西太
- 1959 山内和弘, 中利夫
1960年代 | 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英
1970年代 |
出典:wikipedia
2019/02/22 14:59
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