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直島とは?

(直島から転送)
【国】
日本
【地方】
四国地方
中国・四国地方
【都道府県】
香川県
【郡】
香川郡
団体コード
37364-8
法人番号
9000020373648
【面積】
14.22km
(境界未定部分あり)
【総人口】
3,079
(推計人口、2018年10月1日)
人口密度
217人/km
【隣接自治体】
岡山県:玉野市
(海を挟んで隣接)
香川県:高松市小豆郡土庄町
【町の木】
黒松
【町の花】
ヤマツツジ
【直島町役場】

【町長】
小林眞一
【所在地】
761-3110
香川県香川郡直島町字鎧山1122番地1

【外部リンク】
直島町ホームページ

― 市 / ― 町



ウィキプロジェクト

直島町(なおしまちょう)は、香川県香川郡に属する瀬戸内海上に浮かぶ直島を中心とした直島諸島の島々で構成される。

目次

  • 1 地理
    • 1.1 地名
    • 1.2 人口
    • 1.3 広袤(こうぼう)
  • 2 歴史
    • 2.1 古代・中世
    • 2.2 近世(江戸時代)
    • 2.3 近代(戦前)
      • 2.3.1 銅製錬所の受け入れ
    • 2.4 現代(戦後)
      • 2.4.1 循環型社会への転換
      • 2.4.2 観光リゾート地への変貌
    • 2.5 年表
  • 3 行政
    • 3.1 町長選挙
      • 3.1.1 2003年
      • 3.1.2 2007年
      • 3.1.3 2011年
      • 3.1.4 2014年
      • 3.1.5 2018年
    • 3.2 町章
      • 3.2.1 初代
      • 3.2.2 2代目
  • 4 産業
  • 5 姉妹都市・提携都市
    • 5.1 国内
    • 5.2 海外
  • 6 教育
    • 6.1 学校
      • 6.1.1 保育所
      • 6.1.2 幼稚園
      • 6.1.3 小学校
      • 6.1.4 中学校
      • 6.1.5 高等学校
      • 6.1.6 大学・短期大学
  • 7 地域
    • 7.1 医療機関
  • 8 交通
    • 8.1 鉄道路線
    • 8.2 海上航路
    • 8.3 バス
    • 8.4 道路
  • 9 メディア
    • 9.1 放送
  • 10 名所・観光スポット・祭事・催事
  • 11 旧跡 ・文化財
  • 12 イベント
  • 13 特記事項
    • 13.1 直島町を舞台とする作品
  • 14 参考文献
  • 15 脚注
  • 16 外部リンク

地理

宮ノ浦港に入港する四国汽船「なおしま」

瀬戸内海の香川県高松市の北に約13km、岡山県玉野市の南に約3kmの位置にあり、直島を中心とした大小27島の島々で構成される。

いくつかの島は三菱マテリアル直島製錬所の操業により煙害ではげ山となっていたが、戦後まもなくから植林の努力は続いている。特に荒神島の緑は近年見事なまでに復活している。北側一帯の木が枯れたように見えるのは2004年(平成16年)1月の山林火災のためであり、現在は煙害は無いに等しい。

直島の南側は緑豊かな海岸となっており、瀬戸内海国立公園に指定されている。

本土の陸地自体への距離は当町が所属する香川県よりも岡山県の方が近いが、県庁所在地への距離は香川県の方が近く、岡山県庁(岡山市)が約23.1kmなのに対し香川県庁(高松市)は約14kmである。井島は岡山県と香川県の県境が存在し、南側が直島町に属している。

(面積が1km未満の島々)
向島、荒神島、柏島、葛島、牛ケ首島、京ノ上臈島、家島、局島、寺島、喜兵衛島、屏風島、尾鷹島、杵島、安野島、下烏島、丸山島、ハタゴ島、六郎島、松島、上烏島、中山島、揚島、牛ノ子岩、爼石、帆掛石

地名

鶴石風戸重石ヘキ才ノ神摺鉢谷鷲ノ松能見宮ノ浦家ノ上追出横防地蔵山立石笠町文教チキリホウ内新田外新田納言様八日山鎧山奴免里岩鍛冶屋錦打山奥中奥藤エ門谷広木流レ京ノ山神子持高田浦姫宮坪ノ奥積浦琴反地姫泊倉浦揚島向島小向大福浦

人口


直島町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 直島町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 直島町
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

直島町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 | 6,007人 | 

1975年 | 5,643人 | 

1980年 | 5,302人 | 

1985年 | 5,034人 | 

1990年 | 4,671人 | 

1995年 | 4,162人 | 

2000年 | 3,705人 | 

2005年 | 3,538人 | 

2010年 | 3,325人 | 

2015年 | 3,139人 | 


総務省統計局 国勢調査より

広袤(こうぼう)

国土地理院地理情報によると直島町の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは6.79km、南北の長さは4.25kmである。


 | 北端
北緯34度30分52秒 東経133度58分37秒 / 北緯34.51444度 東経133.97694度 / 34.51444; 133.97694 (直島町最北端)
↑ | 
西端
北緯34度28分27秒 東経133度57分2秒 / 北緯34.47417度 東経133.95056度 / 34.47417; 133.95056 (直島町最西端)← | 中心点
北緯34度28分30.5秒 東経133度59分14.5秒 / 北緯34.475139度 東経133.987361度 / 34.475139; 133.987361 (直島町中心点) | 東端
北緯34度30分16秒 東経134度1分27秒 / 北緯34.50444度 東経134.02417度 / 34.50444; 134.02417 (直島町最東端)
 | ↓
南端
北緯34度26分9秒 東経134度0分25秒 / 北緯34.43583度 東経134.00694度 / 34.43583; 134.00694 (直島町最南端) | 

歴史

古代・中世

本村の家々の風景。焼杉板の黒い外壁が特徴的な街並み
本村の古い民家

史料上での初出は平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄 巻第二』で、「讃岐の松山に 松の一本歪みたる (もじ)りやすさの(すじ)りやすさに(そね)うだる かとや 直島然許(さばか)んの松をだにも直さざるらん」とある。この頃、直島は備前国に属していたと見られている一方で、同じく平安時代末期を描いた『保元物語』では保元の乱で敗れて讃岐国へ流された崇徳上皇が一旦直島の御所に移された場面で「当国(讃岐国)直島」と記しているなどはっきりしない。

日本書紀』の記述を基に品陀和気命大王が吉備国に向かう際に直島に立ち寄り、その上陸地が「宮ノ浦」だとする説がある。宮浦港すぐ傍の住吉神社境内には、応神天皇が上陸した際に腰掛けて休息されたと伝えられる応神天皇御腰懸岩が現存している。

崇徳上皇が讃岐国へ流される際、一旦四国上陸を拒否されたため、3年間を直島の泊ヶ浦(積浦)で過ごしたとされる。から追ってきた姫と上皇との伝説が残る姫泊山・琴弾地浜、同じく上皇を訪ねて来た大・中・少納言が船を着けた土地が納言様、上皇が能の舞台を人々に鑑賞させた場所が能見の浜で舞台になった沖合いの島が演題「葛の舞」に因んで葛島、など多数の地名が上皇ゆかりとされ、直島という島名自体も島民の純朴さ、素直さを賞賛して上皇が命名したという言い伝えがある。

古来より農業には向かない地形で、喜兵衛島に痕跡を留めるような製塩業に始まり、瀬戸内の交通の要衝として漁業や交易、海賊(実際には、海難事故の多い難航路を抑えての水先案内が主であったと言われる)で生計を立てていた。

戦国時代末期に小規模な水軍の将、高原次利が直島の八幡山に直島城を築き、その城下町として本村の町並みや寺院群、神社などを整備した。ほかにも丸山城、八日山城、風戸城などの出城を島内各地に作っている。キリシタン大名でもあった高原次利は、戦国末期に豊臣秀吉に仕え備中高松城水攻めの際に秀吉軍の水先案内をした功績により1582年男木島女木島、直島の3島600石の領主となった。その後は秀吉の四国九州朝鮮への出兵でも海上輸送で功績が認められ、関ヶ原の戦いのときは東軍に味方し徳川初期の1619年に没するまで所領を守り抜いた。子孫は6代目の時に改易され、1671年に天領となる。直島城は改易後も残っていたが1781年の大火の際に焼失したと推測されている。

近世(江戸時代)

江戸時代男木島女木島と合わせて「直島3島」と総称され、直島諸島の全域は本土における(藩政村あるいは自然村)に相当する包括的単位としての「直島」、に相当する広域単位としての「小豆島」に属する。当初は旗本高原氏の領地であったが、寛文12年(1672年頃)から幕府領となり幕末を迎える。幕府領時代は、寛文12年(1672年頃)から倉敷代官所支配、宝永5年(1708年頃)から高松藩預地、元文4年(1739年頃)から再び倉敷代官所支配であった。

海運の大動脈であった瀬戸内の地の利を生かし、廻船業(北前船)などで活躍する家もあった。天領であったため歌舞伎人形浄瑠璃などの公演が特別に許可され、琴弾地浜や城山での公演では島内外からの一座や観客で大変にぎわった。とくに人形浄瑠璃の人気が高く淡路島から島内に伝わった。

近代(戦前)

明治維新によって幕藩体制が終焉すると、直島の所属は明治元年(1868年)に高知藩取締、廃藩置県を経て同年中に倉敷県となった後は、明治4年(1871年)に丸亀県、同年に香川県(初代)、1873年(明治6年)に名東県1875年(明治8年)に香川県(2代目)、1876年(明治9年)に愛媛県と短期間で目まぐるしく変化したが、1888年(明治21年)に香川県(3代目)となり21世紀へ至る。

この間、明治5年(1872年)に直島は、郡に相当する広域単位「小豆島」から分離されて香川郡へ編入されている。そして本土においての藩政村に相当する、直島を中心とした島嶼群(直島諸島)「直島」は、1890年(明治23年)2月15日に一村単独で町村制を施行し、香川郡直島村となる。

銅製錬所の受け入れ

前近代的な産業基盤のまま明治中期から人口が増加した直島村では次第に経済が停滞し、都市へ向けて人口が流出し始めるが、そのような直島にも近代化の波が押し寄せる。1916年(大正5年)、農漁業の不振で財政難に陥った村は三菱合資会社の打診した銅製錬所を受け入れる決断を行う。製錬の際に出る亜硫酸ガスは、足尾銅山別子銅山など各地で、山の木々をすべて枯らし下流で水害を起こすなどの煙害を起こしており、瀬戸内海の犬島四阪島契島などの離島に各社の精錬所が移されつつあった。三菱も煙害の心配の少ない離島を探したが、農業や石材業などを抱える豊島は断り、農漁業が零細な直島は三菱の打診に最後の望みを託した。翌1917年(大正6年)、島の北端で三菱合資会社の中央製錬所が操業を開始すると、直島は三菱金属鉱業の企業城下町として急速に発展し、働き口が確保されたことによる人口流出の歯止めや豊富な税収によって、瀬戸内の離島においてだけでなく香川県内でも有数の裕福な自治体となっている。一方で、島の北半分および周囲の島々の木々がほとんど枯れるという煙害に悩んだ。

現代(戦後)

宮浦港

1954年(昭和29年)に直島村は単独で町制を施行し直島町となる。直島村・町の区域は明治時代から一貫して島嶼部のみであり、他の自治体とは一切合併せずに21世紀を迎えている。

循環型社会への転換

三菱金属鉱業は1967年に新製錬所の建設の方針を打ち出し、小名浜と直島を候補地とした。条件的に不利であった直島から製錬事業を流出させないため、直島町、香川県、直島製錬所労働組合などが本社に陳情を行った結果、直島製錬所を近代化することに決まり、1969年に新製錬所が稼動した。しかし、この頃を境に金属製錬事業の高度化と平行して合理化が進み、以来従業員数や島の人口は減少し続けている。また銅の国際価格の低迷から製錬事業そのものが低迷し、直島製錬所はリサイクル事業など、金属製錬以外の新規事業開拓を迫られていた。

1990年代に隣の豊島にて発生した産業廃棄物不法投棄が問題となり、1998年から三菱マテリアル直島製錬所敷地内に、豊島廃棄物中間処理施設から産出される飛灰を処理し金属などの資源として再生する産廃処理施設を総合的に整備する「直島エコタウン事業」構想(エコアイランドなおしまプラン)が始まった。2003年香川県直島環境センター(豊島産業廃棄物等中間処理施設)、2004年有価金属リサイクル施設/溶融飛灰再資源化施設が相次いで稼動。環境センターでは豊島から海上輸送された産業廃棄物と直島町内から出る生活ゴミを溶融炉で溶融し、コンクリートの骨材などに使用されるスラグと溶融飛灰を生成。溶融飛灰は近接する有価金属リサイクル施設/溶融飛灰再資源化施設に搬入され、自動車やパソコンのシュレッダーダスト等と共に金、銀などの重金属を抽出して再資源化に供する。

豊島産廃を受け入れるに当たり、直島も産廃で汚染されるというような誤解が広がる中、香川県は漁業や観光への風評被害の対策を行った。

観光リゾート地への変貌

瀬戸内の風景(ベネッセハウスの桟橋)
2010年開館の李禹煥美術館

島の南端の風光明媚な地区を秩序だった観光地にしようと藤田観光を誘致し、キャンプ場1960年代後半の観光ブームの時期にオープンしたが、国立公園内という制約もあり大規模な開発はできず、石油ショック後は業績が低迷し撤退した。

その後に島を文化的な場所にしたいという意向で町長・三宅親連と福武書店の創業者・福武哲彦との間で意見が一致し、急逝した福武哲彦の跡を継いだ福武總一郎1987年に一帯の土地を購入し、1989年に研修所・キャンプ場安藤忠雄のマスタープランでオープン。福武總一郎は「直島南部を人と文化を育てるエリアとして創生」するための「直島文化村構想」を発表し、1992年ホテル美術館の「ベネッセハウス」建設などへと拡大する。

当初美術館は浮き気味で町民の関心も薄かったが、島全体を使った現代美術展(スタンダード展)、本村の無人の古民家を買い上げて保存・再生し現代美術インスタレーションの恒久展示場とする家プロジェクト(正確には古民家の再生は2件、ほか1件は新築で残る1件は老朽化した神社の再生)などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになり、直島でしか見られないプロジェクトや建築は国内外からの注目も集めるようになった。アーティストの宮島達男家プロジェクト第1弾の「角屋(かどや)」を創るに当たって町民125人を公募し、作品を構成する125個のデジタルカウンタの明滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで、現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭した。

2005年には地中美術館2010年には李禹煥美術館が開館し、本村の中もカフェ民宿等ができるなど徐々に変化しつつある。

年表

行政

直島町歴代町長・村長一覧
【代目】
【氏名】
【就任】
【退任】
【在任期間】
備考
初代 三宅輴吾 | 1890年(明治23年)7月 | 1902年(明治35年)3月 | 11年8ヶ月 | 
2代 織田磯太郎 | 1902年(明治35年)4月 | 1904年(明治37年)2月 | 1年10ヶ月 | 
3代 三宅安太郎 | 1904年(明治37年)3月 | 1909年(明治42年)6月 | 5年3ヶ月 | 
4代 多田政次郎 | 1909年(明治42年)7月 | 1913年(大正2年)6月 | 3年11ヶ月 | 
5代 松島九三郎 | 1913年(大正2年)7月 | 1923年(大正12年)10月 | 9年3ヶ月 | 
6代 恵美善孝 | 1923年(大正12年)11月 | 1927年(昭和2年)11月 | 4年 | 
7代 植田俊三 | 1927年(昭和2年)12月 | 1931年(昭和6年)11月 | 3年11ヶ月 | 
8代 三宅検三郎 | 1931年(昭和6年)12月 | 1937年(昭和12年)3月 | 5年3ヶ月 | 
9代 織田一 | 1937年(昭和12年)4月 | 1939年(昭和14年)11月 | 1年7ヶ月 | 
10代 松島九三郎 | 1939年(昭和14年)12月 | 1943年(昭和18年)11月 | 3年11ヶ月 | 
11代 下津正太郎 | 1943年(昭和18年)12月 | 1947年(昭和22年)3月 | 3年3ヶ月 | 
12代 西村満国 | 1947年(昭和22年)4月 | 1951年(昭和26年)3月 | 3年11ヶ月 | 以下は現行地方自治法による
13代 宮本道衛 | 1951年(昭和26年)4月 | 1959年(昭和34年)3月 | 7年11ヶ月 | 在任中に町制施行したため村長及び町長
14代 三宅親連 | 1959年(昭和34年)5月 | 1995年(平成7年)4月 | 35年11ヶ月 | 9期
15代 松島俊雄 | 1995年(平成7年)5月 | 1999年(平成11年)4月 | 3年11ヶ月 | 1期
16代 浜田孝夫 | 1999年(平成11年)4月 | 2014年(平成26年)4月 | 15年 | 4期
17代 浜中満 | 2014年(平成26年)5月 | 2018年(平成30年)5月 | 4年 | 1期
18代 小林眞一 | 2018年(平成30年)5月 |  |  | 現職

町長選挙

2003年

2003年(平成19年)4月(無投票)

【当落】
【得票数】
【得票率】
【候補者】
【党派(推薦)】
町長歴

 | - | - | 浜田孝夫 | 無所属 | 現職

2007年

2007年(平成19年)4月(無投票)

【当落】
【得票数】
【得票率】
【候補者】
【党派(推薦)】
町長歴

 | - | - | 浜田孝夫 | 無所属 | 現職

2011年

2011年(平成23年)4月19日(投票率 : 87.52%)

【当落】
【得票数】
【得票率】
【候補者】
【党派(推薦)】
町長歴


 | 1,624
688 | 68%
29% | 浜田孝夫
松島俊雄 | 無所属
無所属 | 現職
元職

2014年

2014年(平成26年)5月18日(無投票)

【当落】
【得票数】
【得票率】
【候補者】
【党派(推薦)】
町長歴

 | - | - | 浜中満 | 無所属 | 新人

2018年

2018年(平成30年)5月13日(投票率 : 78.75%)

【当落】
【得票数】
【得票率】
【候補者】
【党派(推薦)】
町長歴


 | 1,061
990 | 40%
37% | 小林眞一
浜中満 | 無所属
無所属 | 新人
現職

町章

初代

初代の町章

2代目

産業

姉妹都市・提携都市

国内

海外

1981年(昭和56年)8月28日姉妹都市提携

教育

学校

保育所

幼稚園

小学校

中学校

高等学校

大学・短期大学

地域

医療機関

交通

町営バス「すなおくん号」

鉄道路線

海上航路

バス

2010Happy Mail