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相撲とは?

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年1月)
相撲
すもう

相撲絵(歌川国貞、1860年代)

【競技形式】
神事・素手・打撃・組み合い・投げ合い
【発生国】
日本
【発生年】
古代
【創始者】
不明
【源流】
スマヒ
【派生種目】
組討大相撲アマチュア相撲女子相撲

相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもあり(「弓取り式」の本来の意味から)、娯楽でもある。古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道格闘技スポーツとして国際的にも行われている。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 呼び方
  • 2 歴史
    • 2.1 古代
    • 2.2 中世
    • 2.3 近世
    • 2.4 近代
  • 3 神事としての相撲
    • 3.1 大相撲の神事
  • 4 相撲の戦い方
    • 4.1 塵手水
    • 4.2 仕切り
    • 4.3 立合い
    • 4.4 勝ちの確定
    • 4.5 相撲の攻め手
    • 4.6 相撲の防ぎ手
  • 5 相撲の組み方
    • 5.1 決まり手
    • 5.2 禁じ手
  • 6 相撲の構え
  • 7 相撲の鍛練法
  • 8 相撲の段級
  • 9 相撲の用語
    • 9.1 あんことソップ
  • 10 海外における相撲
    • 10.1 相撲と日本人移民
    • 10.2 大相撲の影響
  • 11 行司家
  • 12 相撲の今後の課題
  • 13 関連項目
  • 14 関連書籍
  • 15 脚注
  • 16 参考文献
  • 17 外部リンク

概要

杣ヶ花渕右エ門(そまがはな ふちえもん)、1818年。大小のを佩刀し武士と同じ待遇であった力士

相撲は神話の時代に始まるが、江戸時代には庶民の娯楽として隆盛を極め、現代の日本においては、日本相撲協会が主催するスポーツの興行としての大相撲が有名で、相撲は大相撲とほぼ同義に語られることがあるが、元々は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として奉納相撲が行われている。そのため、大相撲も他のプロスポーツと比べて礼儀作法などが重視されており、生活様式や風貌なども旧来の風俗が比較的維持されるなど、文化的な側面もある。

日本国内外で同じような形態の格闘技としては、沖縄本島沖縄角力(シマ)、モンゴルブフ中国シュアイジャオ朝鮮半島シルムトルコヤールギュレシセネガルラムなどがある。それぞれ独自の名前を持つが、日本国内で紹介される場合には何々相撲(沖縄相撲(琉角力)、モンゴル相撲、トルコ相撲など)、といった名で呼ばれることが多い。

呼び方

すもう」の呼び方は、古代の「すまひ」が「すもう」に変化した。表記としては「角力」、「捔力」(『日本書紀』)、「角觝」(江戸時代において一部で使用)、など。これらの語はもともと「力くらべ」を指す言葉であり、それを「すもう」の漢字表記にあてたものである。19世紀から20世紀初頭までは「すもう」は「角力」と表記されることが多かった。古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)

大相撲を取る人は正式名称は「力士」(りきし)といい、また「相撲取り」、親しみを込めて「お相撲さん」とも呼ばれる。

英語では「sumo(スモウ)」または「sumo-wrestling(スモウ・レスリング)」と表記される。

なお、日本では組み合う格闘技的な競技を総じて相撲と呼ぶ。用例には腕相撲足相撲指相撲、拳相撲、草相撲などがある。他に、相撲を模して行われるものに紙相撲がある。

歴史

大相撲#歴史」も参照

古代

天正六年(1578年)、織田信長が安土城にて相撲を観戦。 両国国技館の「織田信長公相撲観覧之図」
隅田川テラスにかかる歌川広重の「相撲の図」の模写

日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲の起源とされている。

人間同士の相撲で最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまいとらしむスマイ」または「すまいスマイ」と訓す)での戦いがある(これは柔道の起源ともされている)。この中で「朕聞 當麻蹶速者天下之力士也」「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、試合展開は主に蹴り技の応酬であり、最後は宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速に踏み付けで加撃して腰骨を踏み折り、絶命させたとされる。これらの記述から、当時の相撲は打撃を主とする格闘技であり、既に勝敗が決した相手にトドメの一撃を加えて命までをも奪った上、しかもそれが賞賛される出来事であった事から見ても、少なくとも現代の相撲とはルールも意識も異なるもので、武芸武術であったことは明確である。宿禰・蹴速は相撲の始祖として祭られている。

さらに『古事記』の垂仁記には、

ここをもちて軍士の中の力士の軽く捷きを選り聚めて、宣りたまひしく、その御子を取らむ時、すなわちその母王をも掠取れ。髪にもあれ手にもあれ、取り穫む隨に、掬みて控き出すべし。とのりたまひき。ここにその后、かねてかその情を知らしめして、悉にその髪を剃り、髪もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐して、三重に手に纏かし、また酒もちてその御衣を腐し、全き衣の如服しき。かく設け備へて、その御子を抱きて、城の外にさし出したまひき。ここにもの力士等、その御子を取りて、すなはちその御祖を握りき。ここにその御髪を握れば、御髪自ら落ち、その御手を握れば、玉の緒また絶え、その御衣を握れば、御衣すなはち破れつ。

とあり、初めて「力士」(ちからひと・すまひひと と訓す)の文字が現れる。以降の記紀六国史においても、相撲に関する記述が散見される。なお「相撲」という言葉そのものが初めて用いられたのは日本書紀雄略天皇13年の記述で、当時の木工にして黒縄職人であった猪名部真根が「決して(刃先を)誤らない」と天皇に答えたため、雄略天皇が采女を呼び集めて服を脱いで褌にして相撲を取らせた記述が初見になる。

皇極天皇元年(642年)7月22日には、百済の使節、大佐(だいさ)の平智積(へいちしゃく)らを饗応し、宴会の余興として、健児(ちからひと)に命じて、同年4月8日に亡命していた百済王族 翹岐(ぎょうき)の前で相撲をとらせた、とある。

相撲節会」を参照

奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の一つとして相撲節会が毎年7月頃に行われるようになる。毎年40人ほどの強者が近衛府により選抜され、宮中で天覧相撲をとった。最初の記録は天平6年(734年)のものであるが、節会を統括する相撲司の初見は養老3年(719年)であることから、8世紀初頭に定着したものと思われる。相撲節会は当初は七夕の宮中行事の余興としての位置づけであったが、後に健児の制が始まると宮中警護人の選抜の意味を持つようになる。時代が下るにしたがって相撲節会は重要な宮中行事となり、先例が積み重なるとともに華やかさを増した。然し同時に、健児の選抜という本来の趣旨は次第に忘れられていった。12世紀に入ると律令制の衰退、都の政情不安定とともに相撲節会は滞るようになり、承安4年(1174年)を最後に廃絶となる。

神事相撲」を参照

一方、神社における祭事として相撲をとる風習が生まれた。これを神事相撲という。農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を祈り、神々の加護に感謝するための農耕儀礼であり、これは一貫して現代にまで続いている。

中世

武家相撲」を参照

相撲節会に求められていた実践的な意味での相撲は、組み打ちの鍛錬として、封建制を成立させた武士の下で広まった。これを武家相撲という。武士の棟梁となった源頼朝は特に相撲を好み、鎌倉を中心に相撲が盛んに行われた。

『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年刊
土地相撲」を参照

続く足利幕府は、相撲の奨励には消極的であったが、戦国大名は熱心に相撲人の養成に力を注いだ。また、応仁の乱以降都落ちをした貴族とともに京都の相撲文化が地方に伝わり、民衆の間に相撲が定着、相撲を生業とするものが現れる。これを土地相撲、または「草相撲」という。。

近世

勧進相撲」を参照

江戸時代に入ると武家相撲はその存在意義を失い、土地相撲が興行化して民衆一般に広がる。興行主はこれを神事相撲の「勧進」にことよせて勧進相撲と称し、また武家相撲も力士を大名の抱えとすることでその名残をとどめた。

江戸の爛熟期である明和安永期には、 急速に見世物として の性格が濃厚になり、盲人や女性の相撲が盛況をみせ、明和6年(1769)の浅草寺の開帳では、30日間興行の予定の女相撲や盲人と女性による相撲が20日間も延長されるほどの人気を博した。11代将軍徳川家斉の時代になると、将軍が観覧する「上覧相撲」がきっかけとなり庶民の娯楽としてさらに隆盛し、なかでも寛政3年(1791)6月11日に行われた上覧相撲によって相撲熱は一気に高まった。「勧進相撲」は神社仏閣の建立・修繕等の資金として寄進を勧めるための興行から、職業相撲としての営利的興行へと変化し、寛政年間には、第4代横綱谷風梶之助や第5代横綱小野川喜三郎雷電為右衛門といったスター力士たちが登場し、江戸相撲は黄金期を迎えた。天保4年(1833)には勧進大相撲が一大歓楽地であった両国を定場所とした。

近代

相撲を取る皇太子時代の昭和天皇
大相撲」を参照

明治文明開化で相撲をはじめとする伝統芸能は軒並み危機に陥るが、明治天皇の天覧相撲が繰り返されるなどによりその命脈を保つ。大正14年(1925年)には幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜され、また東京相撲と大阪相撲が合併することにより日本相撲協会が誕生、勧進相撲は大相撲に一本化された。

平成に入って、日本ビーチ相撲連盟というアマチュアの組織が結成された。また、義務教育に武道必修化の必修科目として、相撲剣道柔道の三種を基本として加味された。

神事としての相撲

萬華城と剛天佑(2007年)
奉納相撲(東庄町諏訪神社)

相撲は神事としての性格が不可分である。 の際には、天下泰平子孫繁栄五穀豊穣・大漁等を願い、相撲を行なう神社も多い。そこでは、占いとしての意味も持つ場合もあり、二者のどちらが勝つかにより、五穀豊穣や豊漁を占う。そのため、勝負の多くは1勝1敗で決着するようになっている。和歌山県、愛媛県大三島一人角力の神事を行っている神社では稲の霊と相撲し霊が勝つと豊作となるため常に負けるものなどもある。場合によっては、不作、不漁のおそれがある土地の力士に対しては、あえて勝ちを譲ることもある。また、土中の邪気を払う意味の儀礼である四股は重視され、神事相撲の多くではこの所作が重要視されている。陰陽道神道の影響も受けて、所作は様式化されていった。

大相撲の神事

詳細は「土俵」を参照

相撲の戦い方

幕内土俵入り(前頭から大関までの力士による土俵入り

普通は以下のような流れになる。

塵手水

詳細は「塵手水」を参照

仕切り

詳細は「仕切り」を参照

立合い

詳細は「立合い」を参照
立合い

勝ちの確定

勝ちが決まるのは次の場合である。

日本の相撲以外の多くの相撲系の格闘技はレスリングにおけるフォールのように相手の背中が地面に着かないと勝ちにならない。また、試合場の外に出ることを反則としても即座に負けと認める例も少ない。この二点のために相撲は勝負がつきやすいと共に勝敗の行方がデリケートである。体重制を取らなくても勝負が成立する理由の一つもここにある。

相撲の攻め手

相撲においてはまず押すことを良しとする。廻しを取った手は引くが、その場合も体全体として常に前に出ることを心がける。「引かば押せ、押さば押せ(相手が引こうが押そうが押せ)」との言葉もある。実際には引き落としなど引く技もあるが褒められない。また、引かれた場合も引かれる以上の速さで前に出ることで攻勢を取るのが良しとされる。

相撲の防ぎ手

 | 
この節の加筆が望まれています。

相撲の組み方

これらは両者互角、あるいはそれに近い組み方であるが、当然ながら相手にそうさせない方が自分には都合がよい。自分がまわしを取っても、相手にとらせないのは重要な手法であるし、取られた手を離させる、たとえば『上手を切る』のは大切な技法である。

決まり手

禁じ手

志賀清林吉田司家を参照のこと。

相撲の構え

相撲の鍛練法

相撲の段級

相撲の用語

相撲用語一覧を参照のこと。

あんことソップ

重量級の力士をあんこ、軽量の力士をソップと称する。軽量力士は一般的には不利とされるが、軽量ゆえの動きを生かした技で大型のあんこ力士を倒す取組は大きな見所となる。近年では筋力トレーニングを重視した千代の富士霧島といった、いわゆるソップ体型の名横綱、名大関が登場している。

海外における相撲

相撲に似た格闘技は世界各地に存在している。

詳細は「世界の相撲一覧」を参照

これ以外に、日系人が海外に伝えたり、大相撲の海外巡業や、外国人力士の活躍により触発されたりした日本式相撲文化も見られる。

相撲と日本人移民

相撲は、日本移民とともにブラジルに渡り、南アメリカにも持ち込まれた。

ブラジルでの最初の相撲大会は1914年8月31日、天長節を祝してサンパウロ州グアダバラ耕地で、開催された。福岡県、熊本県出身の30人余の若者が参加し、日本の本式の土俵で行われた。

日本からの遠征は1951年、全伯青年連盟の招聘による秀の山一行の渡伯を皮切りに、大相撲からアマチュア相撲の選抜選手が現在も遠征が続けられている。

大相撲の影響

ジョージアはもともとレスリング柔道など格闘技が盛んであった。同国出身である栃ノ心剛史の大相撲での活躍が伝わり、相撲のファンクラブが設立されたり、相撲を学んだり、力士としての渡日を志したりする人が増えている。

行司家

一般的に、吉田司家は五条家の目代と言われているが、一切そのようなことは無く、関係あるのは二条家のみである。

事実、吉田家の19世、吉田追風が寛政年間に徳川幕府に提出した故実書に「五条家は家業牢人の輩の道中絵符人馬宿駅の帳面免許す」とあり、又、「木村庄之助の先祖書きにも旅行の節御由緒これあり、京都五条家より御絵符頂戴いたしきたり候」と記されているように、相撲の宗家とは云い難い。

相撲の今後の課題

 | 
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2018年5月)

大相撲に関しては、→大相撲を参照のこと。

関連項目

日本の文化としての系譜

力士の違いによる相撲の種類

相撲に関わる事柄

世界にある日本の相撲と似た競技

相撲からの派生

相撲に関する神話

関連書籍

脚注

  1. ^ 歌川国貞画:大判錦絵:杣ヶ花 渕右エ門(そまがはな・ふちえもん)
  2. ^ 「江戸の遊び~けっこう楽しいエコレジャ~」を巡る話題から(3)みるきく楽しみ横山美佳、東北大学附属図書館報、Vol. 32, No.1 2007
  3. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p59
  4. ^ 日本書紀
  5. ^ 野見宿禰神社創建
  6. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/09/11 01:04

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