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石原伸晃とは?

石原 伸晃
いしはら のぶてる
2012年9月16日長野県長野市にて (55歳)

【生年月日】
(1957-04-19) 1957年4月19日(62歳)
【出生地】
神奈川県逗子市
【出身校】
慶應義塾大学文学部社会学科(都市社会学専攻)
【前職】
日本テレビ報道局記者
【所属政党】
(無所属→)
自由民主党(石原派)
【称号】
文学士(慶應義塾大学・1981年)
【配偶者】
石原里紗
【親族】
父・石原慎太郎
母・石原典子
叔父・石原裕次郎
長兄・石原伸晃
次兄・石原良純
三兄・石原宏高
四兄・石原延啓
【サイン】

【公式サイト】
衆議院議員 石原のぶてる公式ホームページ
内閣府特命担当大臣
(経済財政政策)

【内閣】
第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
【在任期間】
2016年1月28日 - 2017年8月3日
第19代 環境大臣
内閣府特命担当大臣(原子力防災)

【内閣】
第2次安倍内閣
【在任期間】
2012年12月26日 - 2014年9月3日
第3-4代 国土交通大臣

【内閣】
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
【在任期間】
2003年9月22日 - 2004年9月27日
規制改革担当大臣

【内閣】
第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
【在任期間】
2001年4月26日 - 2003年9月22日
衆議院議員

【選挙区】
(旧東京4区→)
東京8区
【当選回数】
10回
【在任期間】
1990年 - 現職

石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年4月19日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(10期)、近未来政治研究会(石原派)会長。

規制改革担当大臣(第1次小泉内閣第1次小泉第1次改造内閣)、国土交通大臣(第34代)、衆議院法務委員長自民党政務調査会長(第49代)、自民党幹事長(第45代)、環境大臣(第19代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、自民党たばこ議員連盟副会長、自民党外交再生戦略会議議長等を歴任。

父は参議院議員(1期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)、東京都知事(第14代・第15代・第16代・第17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問等を歴任した石原慎太郎。叔父は俳優石原裕次郎

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 生い立ち
    • 1.2 政界へ
    • 1.3 小泉政権
    • 1.4 第1次安倍政権から麻生政権にかけて
    • 1.5 谷垣体制
    • 1.6 第2次安倍政権以降
  • 2 政策
    • 2.1 その他
  • 3 主張
    • 3.1 河野談話
    • 3.2 尖閣諸島
  • 4 発言
    • 4.1 原発
    • 4.2 宗教
    • 4.3 その他の発言
  • 5 人物
    • 5.1 信仰
  • 6 不祥事
  • 7 政治資金
  • 8 所属団体・議員連盟
  • 9 略歴
  • 10 賞
  • 11 家族・親族
    • 11.1 石原家
  • 12 その他
  • 13 脚注
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

来歴

生い立ち

 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年11月)

神奈川県逗子市生まれ。鎌倉市立御成小学校卒業。中学校から慶應義塾に通い、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部社会学科(都市社会学専攻)を卒業。大学時代の部活は日本正統少林寺拳法部の主将を務めていた。大学在学中、エルマイラ大学(アメリカ合衆国ニューヨーク州エルマイラ)に9ヶ月間 短期留学した。大学卒業後、1981年日本テレビ放送網に入社。報道局に入局し、大蔵省外務省首相官邸等を担当した。1989年、日本テレビを退社。

政界へ

1990年第39回衆議院議員総選挙旧東京4区(定数5)から無所属で出馬し、自由民主党粕谷茂に次ぐ得票数2位で初当選。当選後、自民党に入党し、安倍派に入会。1993年第40回衆議院議員総選挙では、新党ブームに押されるも得票数5位で再選。1996年第41回衆議院議員総選挙では、東京8区から自民党公認で出馬。後に杉並区長に転出する新進党山田宏を約7千票差で下し、3選。1996年第2次橋本内閣通商産業政務次官に任命された。1998年金融国会では、金融再生関連法案の成立に尽力し、いわゆる「政策新人類」に名を連ねる。同年、三塚派(安倍派の後身)を退会し、加藤派に入会する。2000年加藤の乱では、首相・森喜朗らに対する政権批判の急先鋒であり、内閣不信任決議案の採決では欠席した。加藤の乱の後、分裂した加藤派を退会し、その後2007年までは無派閥であった。

小泉政権

2001年第1次小泉内閣規制改革担当大臣に任命され、初入閣。併せて「行政改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任し、第1次小泉第1次改造内閣まで務める。2003年に発足した第1次小泉第2次改造内閣では国土交通大臣、「首都機能移転の具体化に向けた検討を推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「観光立国を実現するための施策を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣を兼任。国交相在任中は主に道路公団問題等に取り組み、民営化に強く反対していた道路公団総裁の藤井治芳を更迭した。2004年第2次小泉改造内閣発足に伴い国交相を退任し、党金融調査会長に就任。2005年には、長らく古賀誠道路族がそのポストを占めていた党道路調査会長に就任した。

第1次安倍政権から麻生政権にかけて

2006年総裁安倍晋三の下で幹事長代理に就任。翌2007年の党役員人事では自民党政務調査会長に起用され、初めて党三役入りした。同年12月、山崎派に入会。2008年福田康夫の辞任に伴う自由民主党総裁選挙に出馬するが、得票数4位で落選した。新総裁・麻生太郎の下、再び幹事長代理に就任。2009年7月、自民党は東京都議会議員選挙で大敗。東京都連会長であった石原は、敗北の責任を取り都連会長を辞任する意向を表明したが、第45回衆議院議員総選挙が迫っていたため辞任は了承されなかった。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、東京8区で社会民主党前職の保坂展人を破り、7選。選挙後の自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。

谷垣体制

2012年9月16日長野県長野市での自由民主党総裁選挙の街頭演説にて林芳正町村信孝石破茂安倍晋三らと

谷垣執行部で国民運動本部長に起用された。また、東京都連会長に再任される。2010年4月、政権力委員会発足に伴い、本部長代理に就任。同年9月の党役員人事で、自民党幹事長に起用された。2011年の党役員人事においても幹事長に再任。2012年9月、自由民主党総裁選挙に出馬する意向を表明。尚、現職の総裁である谷垣も出馬に意欲を示していたため(最終的に出馬を辞退)、総裁を押し退ける形で出馬を強行した幹事長の石原に対しては党内から批判の声が上がり、麻生太郎は9月13日の会見で「下克上とか平成の明智光秀(という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。私の人生哲学には合わない」「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」と批判した。9月26日の総裁選では、1回目の投票で96票を獲得したものの得票数は5人中3位であった。

第2次安倍政権以降

同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京8区で無所属で俳優の山本太郎らを破り、8選。選挙後に発足した第2次安倍内閣環境大臣内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命された。また、近未来政治研究会山崎拓から継承し、同会第2代会長に就任した。2014年9月の内閣改造で閣僚を退任。12月の第47回衆議院議員総選挙で9選。2016年1月28日、第3次安倍第1次改造内閣甘利明経済財政政策担当相の辞任を受け後任の内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に就任し、併せて「経済の再生を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」や「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任した。認証時、天皇フィリピン訪問中のため、閣僚認証式は国事行為臨時代行中の皇太子徳仁親王が行った。閣僚の認証式が臨時代行されるのは平成初。同年8月3日、東京都知事選挙の党推薦候補の敗北を受けて、都連会長を辞任(後任の会長は下村博文)。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で10選。同年11月、自民党外交再生戦略会議議長に就任。

政策

その他

主張

河野談話

2012年9月14日、自由民主党総裁選挙の立候補者5人による共同記者会見において、河野談話について評価した上で「広義においてはそういうこと(強制連行)もあったんではないかとうかがえる文面になっている。そこに知恵があった」と述べた。

尖閣諸島

2012年9月11日のテレビ朝日系『報道ステーション』にて、中国による尖閣諸島侵攻の可能性を問われ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言。産経新聞は「国家主権に関わる領土問題について認識の甘さを露呈」と批判的に報じた。

発言

原発

宗教

イスラム国際政治を専門とする静岡県立大学国際関係学部准教授宮田律は「欧米イスラム世界の衝突があったときに、『歴史の必然』なんて言ったら、対立構造は残ってしまう。自民党の幹事長たる人がそういうことを言うのは、無責任」、「政治家としての主体的な努力を、一切放棄した発言に聞こえる」、「昔から言動に軽さの目立った石原君のことですから、感覚的に深い主張もなく、『歴史の必然』なんて言ったんでしょう」と週刊朝日の取材に対して答えた また、週刊朝日において、「宮田と石原は大学時代の同級生である」と報じられた。
作家高杉良は、自民党の「軽い政治家」の例として石原の名を挙げており、「9・11のことを『歴史の必然』などと発言しているでしょう。そんな程度の幹事長です。軽すぎますよ」と評している。

その他の発言

人物

2010年埼玉県坂戸市にて

父は参議院議員環境庁長官運輸大臣東京都知事日本維新の会共同代表を歴任した、石原慎太郎。慎太郎が衆議院議員(旧東京2区選出)在職中、伸晃は旧東京4区から出馬しており、慎太郎の元々の地盤であった品川区大田区及び島嶼部を含む選挙区からの出馬経験はない。弟にタレント気象予報士石原良純衆議院議員石原宏高、画家の石原延啓がいる。父・慎太郎の旧東京2区の地盤は事実上、弟・宏高が継承した。

週刊文春に「チャンスに打てない中軸打者」、「“お坊ちゃま”特有の打たれ弱さは抜けそうにない。お坊ちゃま」と批判され、党内からは「攻撃力に欠ける」との声や、「打たれ弱さ」と「のん気さ」ばかりが目立つとも指摘された。

麻生太郎元首相(現副総理財務大臣)は、当時の谷垣禎一自民党総裁を裏切った石原伸晃(谷垣自民党総裁の部下の自民党幹事長であった)を「平成の明智光秀だ」、「人間としてどうか」、「あんな奴を支援する人の気が知れない」と批判したことがある。

2016年東京都知事選挙に立候補した山口敏夫は「伸晃はもうすぐ60歳。大臣もやってる。それが5歳や10歳の子供じゃあるまし、『父ちゃん、俺たちの担いだ候補が負けそうだから、ぜひ応援して下さい』と応援ベンチに引っ張り出した」と都連会長の手腕に疑問を呈した。

信仰

新宗教崇教真光の信者である。秋季大祭の来賓の中でも石原は少年の頃、岡田光玉岡田恵珠が自宅に訪れたエピソードを42周年秋季大祭(2001年)の祝辞にて披露した。45周年秋季大祭(2004年)では自身が組み手(信徒)であることを明らかにし、組み手としての立場をメインに祝辞を述べた。46周年秋季大祭(2005年)では中級に昇格したことを祝辞にて紹介している。

また、2009年-2010年の間に、自身が代表を務める自民党東京都第8選挙区支部の政治資金より、「会費」の名目で崇教真光に対し計36万円以上を支出している。石原はのちに「適正に処理し報告」したと述べ、政治資金からの支出ではなく本人のポケットマネーからの支出として再計上した。

一方、同じく新宗教である新生佛教教団を信仰し、同教団の山口市の本部や、東京都墨田区にある東京支部によく顔を出している、とも報道されており、石原の政治資金パーティーにおいて、同教団からの収入が計上されている。

なお、神道政治連盟国会議員懇談会にも属している。

不祥事

政治資金

また、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗には以下のように報じられた。

所属団体・議員連盟

略歴

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年1月)

出典:wikipedia
2019/07/24 15:20

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