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福島県立会津高等学校とは?


北緯37度28分48.4秒 東経139度55分46.3秒 / 北緯37.480111度 東経139.929528度 / 37.480111; 139.929528座標: 北緯37度28分48.4秒 東経139度55分46.3秒 / 北緯37.480111度 東経139.929528度 / 37.480111; 139.929528 【外部リンク】
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福島県立会津高等学校(ふくしまけんりつ あいづこうとうがっこう)は、福島県会津若松市表町に所在する県立高等学校

概要

藩校日新館の流れをくみ旧制会津中学校を前身とする。通称「会高」(かいこう)、地元では(あいづこう)と呼んで会工と分けている。同市には会津工業高校が有り、その略称「会工」も同じ読み方(かいこう)である。旧制中学時代は「会中」(かいちゅう)と呼ばれていた。会津地区中から学生が集まるため、遠方からの生徒もおり、奥会津地域の生徒を中心に単身下宿している生徒も存在する。以前は男子校であったが2002年度より共学化。前史である藩校日新館から考えると、福島県内では最も歴史の古い高校である。

設立の経緯

(前史)

会津藩にはもともと稽古堂とよばれる武士の育成機関があったが、江戸時代が太平期に入り武士の道徳が衰廃しているとの危惧を受け、会津藩5代目藩主・松平容頌の家老であった田中玄宰が「教育の再興」を掲げ、日新館の設立を決めた。多額の設立資金は、呉服商須田新九郎が大半を賄った。1798年に完成。こうして会津藩の人材育成方針のもと、花色紐組(上士)以上の武士の入学を義務付け、会津藩の武士育成機関としてその役割を果たした。

(正史)

会津藩戊辰戦争での敗北により会津地域は壊滅状態にあり、再興が急務であった。県令山吉盛典1879年(明治12年)、福島・若松・三春・平に中学校を開設したが、県議会の反対により11ヶ月で廃校になる。1882年(明治15年)、旧会津藩士らは資金を出し合い、藩校日新館の流れを汲む私立日新館を設立した。1884年(明治17年)、福島・若松・平に県立中学校が再び開校されるが、1886年(明治19年)、政府の1県1中学校の中学校令の発布により福島中学校(現福島県立安積高等学校)を残して廃校した。

このため若松では旧藩士らが「私立」の形で会津中学校設立を目指す。会津若松市(当時は若松市)初代市長・秋山清八は県議会議員時代、福島県知事を勤めたのち警視総監に栄転した旧薩摩藩士・折田平内に協力を求め、折田は1887年(明治20年)「会津中学校設立趣意書」を書き、会津地域の郡長や在京有力者に働きかける。この活動により最終的に文部大臣榎本武揚が動き、明治天皇から御下賜金300円を受ける。会津では旧藩士で東京高等師範学校(現筑波大学)校長であった山川浩、その弟で東京帝国大学(現東京大学)総長の山川健次郎、福島県裁判所検事・高木盛之輔らが山里を訴えて回った。

1888年(明治21年)、磐梯山の噴火などもあり寄付金集めは難航したが、旧藩士らが国からの就産金を贈り一気に開校へ。47,850円(現在の価値に換算して2億円程度)の創立資本金をもって会津高校の前身である私立会津中学校の開校が実現した。

沿革

(前史)

(正史)

明治29年 会津中学を訪問し講演を行った際の乃木希典
明治34年 佐原盛純退職記念(前3列目 左5人目が佐原)

設置課程・学科

校章・校歌

校章は会津の「会」の旧字体「會」を松葉で囲んだもので、1903年(明治36年)に制定された。

校歌は1922年(大正11年)に「駒のいななき」(作詞は尾上柴舟)が制定されるが、戦前軍国主義的な歌詞を含むものであった。1948年(昭和23年)、民主主義にふさわしい新校歌をつくるべきとの意見が多くなり、校歌制定委員会を設置。翌年、作詞柳澤健、作曲古関裕而による現在の校歌が発表された。

校歌のほか、応援歌2曲と凱旋歌、学而会歌、青春歌(創立110周年を記念して作られた。作詞作曲ともに生徒)がある。

スクールカラーは臙脂(えんじ)色。

校是

学習

2学期制を採用しており授業は50分×7コマで実施されている。

主な学校行事

時習講演会
毎年、6月下旬に開催。
会津中学校時代には、聴講にも来たことがあるという野口英世を招いて講演することもあった。
2008年度は北京オリンピック出場が決まった、卒業生の佐藤敦之を招く予定であったが、8月の五輪に向けた調整や精神的な面での疲労をかけさせないよう、10月に延期
中田浜強歩大会
毎年4月下旬に行われ、学校から飯盛山方面を通り猪苗代湖畔・中田浜の学而会館、そこから更に学校まで戻る総延長約40キロの道のりを半日かけて歩く大会である。
文化祭
「学而祭」と呼ばれる。1948年に提案され、第1回学而祭が翌1949年9月23日から3日間実施され、第1回講演会講師は湯川秀樹であった。現在は、一般の市民も招き3日間にわたって開かれる公開学而祭が3年ごとにある。過去の講師は桑原武夫広中平祐秋山仁など。
2000年までは「ミニ学而祭」も実施されたが、2003年からは7月に行われていた球技大会を統合し、「青春祭」と呼ばれる体育祭を開催。2001年には「男子校終幕記念学而式典」を実施。
2008年の文化祭では、学校OBでもあるサンボマスターによるライブが南体育館にて行われた

生徒会活動

会津高校では、生徒会は「学而会」と呼ばれ、生徒による自治組織として活動している。1893年(明治26年)に発足。1941年(昭和16年)5月22日からしばらく解散状態となる。この間「修練会」と名前を変え、戦時色の濃い勤労奉仕をしていたが、1945年(昭和20年)の役員選挙とともに復活した。

学而会の特徴的な活動として「剣舞委員会」がある。これは戊辰戦争で若くして命を落とした白虎隊の霊を慰める伝統的な剣舞を継承しており、春・秋に飯盛山の墓前祭での奉納を行う。

会津高校は校歌、第一応援歌、第二応援歌、凱旋歌、学而会歌、青春歌等を伝統的に引き継ぐなどしている。

部活動

部活動では、陸上、ディベート(社会弁論)、端艇、水泳、弓道、薙刀がインターハイ出場をしている。 戦前はボート部が強豪として知られ、全盛期には10年間で、全国優勝2回、準優勝、3位各1回、4位3回の成績を収め、戦後も全国優勝の経験がある。剣道は様々な全国大会があったが、国士舘主催の大会で全国優勝、柔道部は明治神宮大会で準決勝に進出した。野球部は1959年(昭和34年)に春の選抜甲子園に出場をしている(兵庫県立尼崎高等学校0-3)。

ディベート部は、2006年(平成18年)に第11回ディベート甲子園全国大会で優勝を果たした。合唱部は全日本合唱コンクールで金賞受賞の経験があり、合唱界では名門校として知られており、全国1位に相当する文部科学大臣賞を通算で3回受賞している。また、山口県立萩高等学校合唱部と交流があり、両校で『友情 時を越えて今』が共作され、合同合唱が行われている。

部活動一覧

著名な出身者

詳細は「福島県立会津高等学校人物一覧」を参照

交通

脚注

  1. ^ 『福島県立会津高等学校創立70周年記念誌』、『素顔の野口英世』(福島民友新聞社編・歴史春秋社)。なお野口の自筆履歴書には課外特選生として会津中学に在籍した旨が記されているが、会津中学の卒業生名簿に野口の名はない。
  2. ^ 創立70周年記念誌
  3. ^ 全日本合唱連盟 2011年10月4日閲覧
  4. ^ 朝日新聞 2011年7月19日付け 2011年10月4日閲覧
注釈
出典


関連項目

外部リンク

典拠管理

全日本合唱コンクール全国大会高等学校部門優勝校・文部大臣奨励賞・文部科学大臣賞受賞校
【1950年代】

【1960年代】

【1970年代】
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  • 1978
  • 1979

【1980年代】

【1990年代】

【2000年代】

【2010年代】


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出典:wikipedia
2020/07/10 01:10

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