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福浦和也とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
千葉県習志野市
【生年月日】
(1975-12-14) 1975年12月14日(42歳)
【身長
体重】
183 cm
88 kg
【選手情報】

【投球・打席】
左投左打
【ポジション】
一塁手
【プロ入り】
1993年 ドラフト7位
【初出場】
1997年7月5日
【年俸】
3,500万円(2018年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コーチ歴

  • 千葉ロッテマリーンズ (2018)

この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する千葉県習志野市出身のプロ野球選手(内野手)。左投左打。「幕張の安打製造機」の異名を持つ。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 守備・走塁
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別守備成績
    • 4.3 タイトル
    • 4.4 表彰
    • 4.5 記録
    • 4.6 背番号
    • 4.7 登場曲
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

プロ入り前

少年時代は習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属。習志野市立第二中学校では入学と同時にバスケ部に入部するが、半年で野球部へ転部する。1年後にはエースとなり、3年春に市内大会で優勝を果たす。中学時代に同郷の井上貴朗と投げ合ったこともある。

習志野市立習志野高等学校では最速142km/hのストレートカーブのコンビネーションを武器にエースで4番として活躍。2年夏(1992年)の県大会では東京学館技術との4回戦で本塁打を放つ。チームはベスト8に進出するが、準々決勝で立川隆史を擁する拓大紅陵に敗退。秋季関東大会県予選の準々決勝では、暁星国際高に8回コールド負け。3年春(1993年)には練習試合でノーヒットノーランを達成している。夏の県大会では3回戦で野田北高に敗退。なお、習志野高校のチャンステーマ「レッツゴー習志野」は、現在も福浦の打席で応援歌として使われる事があり、自身も「思い入れがあり、力になる」と述べている。

1993年のドラフトで地元球団・千葉ロッテマリーンズに投手として7位指名され入団。指名がなければ社会人チームで野球を続ける進路を考えていたという。この年はドラフト会議における逆指名元年で、同時に始まったフリーエージェントも相俟って各球団指名選手数を絞る中、唯一ロッテは7人目を指名し、このドラフト会議での最終指名者となった。支配下登録選手枠70名の最後という扱いで背番号は70に決まった。

プロ入り後

1994年、入団してすぐに肩の故障に悩まされ、投球練習がほとんどできない状態に陥る。当時二軍打撃コーチだった山本功児から呼び出され、同期の小野晋吾と共にフリーバッティングを指示されたところ、快打を連発して打者への転向を打診される。しばらくは投手へのこだわりから固辞するが、山本からの必死の説得で7月に転向を決める。その後は、同期の大塚明と連日の特守で鍛えられながらも、一軍出場がないまま3年間をファームで過ごす。同年10月8日のイースタン・リーグ最終戦で、横浜ベイスターズの友利結から放った二塁打がファームでの初安打となる。成績は7試合で打率.125、0本塁打、1打点。

1995年、入団2年目のシーズンはレン・サカタ二軍監督が若手を積極起用した影響もあり、ファームで76試合に出場し、打率.263、5本塁打、23打点と飛躍し、ジュニアオールスターに出場。また、8月のイースタン月間MVPを受賞する。

1996年、3年目も一軍昇格はなく、54試合で打率.235、0本塁打、9打点と低迷したが、9月は打率.333と好調だった。シーズンオフは黒潮リーグで腕を磨いた。

1997年、春季キャンプの時から近藤昭仁監督に目を掛けられ、7月5日に初の一軍昇格。その日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で「7番・一塁手」でスタメン出場し、プロ入り初安打を記録。同月15日の対日本ハムファイターズ戦ではサヨナラ打、8月1日の対西武ライオンズ戦では初本塁打を放つなど活躍し、3番一塁手のレギュラーに定着。67試合に出場して打率.289の成績を残した。

1998年、背番号を9に改め、開幕からレギュラーとして129試合に出場。初の規定打席にも到達し、打率.284の成績で打撃ランキング12位を記録。7月10日の対日本ハムファイターズ戦ではプロ初のサヨナラ本塁打を放っている。なお、チームは6月13日からプロ野球記録の18連敗を喫するが、その間も全てスタメン出場している。連敗前までは打率3割を超えていたが、連敗中に調子を落としたことに不甲斐なさを感じていたという。「七夕の悲劇」と呼ばれる7月7日の対オリックス・ブルーウェーブ戦では1安打1打点と奮起するが土壇場で勝利を逃し、後年になっても忘れられない試合として語っている。

1999年フランク・ボーリック初芝清などにポジションを譲り、スタメンでの出場は前年の半分ほどに減少したが、打率.277、得点圏打率.361と安定した成績を残した。また、シーズン終盤からは外野を守ることが多くなった。

2000年石井浩郎の加入で外野での出場が前年よりも増加。オープン戦から好調を維持して、一時は4割近い打率で打撃ランキングのトップに立っていた。シーズン中に母親を亡くすという不幸に見舞われるがレギュラーとして定着し、初のオールスターゲーム出場を果たす。シーズン成績は僅かに3割に届かず、打率.296で終えたことを反省し、ワンプレーを大切にすることを強く意識するようになる。

2001年、腰痛で欠場することもあったが、一塁手のレギュラーに復帰。小笠原道大との最終戦にまでもつれる争いを制し、打率.346で首位打者を獲得し、初の二桁本塁打となる18本塁打を放った。対左打率.387と左投手を得意とし、2ストライクに追い込まれた後の打率もリーグトップの.304の成績を残した。なお、2012年の阿部慎之助が達成するまで、日本プロ野球史上唯一のシーズン盗塁0での首位打者であった。オフの契約更改で、1億円プレーヤーとなる。

2002年、リーグ最多の17死球を喫するが、2年連続で打率3割を記録。得点圏打率は.247と前年より1割近く落としたが、2ストライク後の打率.272はリーグトップであった。

2003年、初の全試合出場を達成し、自己最多の172安打、21本塁打、76打点で3年連続の打率3割を記録。また、歴代2位の50二塁打、史上初の2年連続40二塁打、シーズン2度の1試合5安打を達成。なお、シーズン172安打は2010年に西岡剛に更新されるまで、球団3位の記録であった。守備面では3年ぶりに外野を守る機会もあったが、一塁手部門で初のゴールデングラブ賞を獲得した。

2004年、前年韓国で56本塁打を記録した一塁手の李承燁が入団したが、この年も打率.314(リーグ9位)、11本塁打の成績で一塁のレギュラーを守った。両リーグ最多の42二塁打、史上初の3年連続40二塁打、8月20日の対福岡ダイエーホークス戦では通算1000本安打を達成。6月1日の同対戦では杉内俊哉から満塁本塁打を放った。また、2度目となるオールスターゲームと、シーズンオフに開催された日米野球にも出場した。

2005年、故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで5年連続の打率3割と3年連続の70打点を達成。本塁打は一桁に終わったが、得点圏打率.333、満塁打率.556、犠飛はリーグトップの9本を記録した。また、5月12日の対阪神タイガース戦では通算1000試合出場を達成している。ボビー・バレンタイン監督による日替わりのマリンガン打線において、唯一福浦だけが1年間「3番」に固定されるなど、チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。阪神タイガースとの日本シリーズ第3戦では桟原将司からシリーズ史上17本目となる満塁本塁打を放った。なお、優勝したアジアシリーズでは腰痛のため選手登録はされなかった。3度目のオールスターゲーム出場と2度目のゴールデングラブ賞受賞を果たす。

2006年、3・4月度の成績がリーグトップの43安打、打率.422と好調で初の月間MVPを受賞。入団13年目での初受賞は、リーグ史上2番目に遅い記録であった。7月に死球により左手を骨折し、約1か月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312(リーグ5位)、4本塁打。なお、前述の理由により出場が決まっていたオールスターゲームは辞退。シーズンオフの日米野球には2大会連続の出場となった。同年、FA権を取得。

2007年、開幕直後に右脇腹痛で1ヶ月の離脱。復帰後は5月まで打率3割を維持していたが、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258、本塁打4という一軍での自己最低の成績に終わり、規定打席には1打席足りず届かなかった。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。一方、得点圏打率は.339の成績を残し、打点は前年より多い57を記録。8月3日の対日本ハムファイターズ戦では、史上46人目の通算300二塁打を達成する。また、守備で見せる動きは健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した。

2008年、腰痛や首痛などの故障に苦しみ、前年以上に成績を落とす。スタメン出場も減少し、指名打者や代打での出場が多くなった。8年続いていたシーズン100安打も途切れ、二塁打が9本と長打率も大きく減少。一方で、打率.252ながら前年より四球が増加し、出塁率は.352の成績を残した。

2009年、シーズン当初はここ数年と同様に低調で、打率は2割台前半、得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半に沈み、打順は主に2番や8番で堀幸一ゲイリー・バーナム・ジュニアと併用されていた。しかし、8月から徐々に調子を上げ、8月と9月の2ヶ月間で49安打、打率.363と勝負強さと長打力を取り戻してシーズン終盤には再び3番に定着。3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。また、5月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、史上99人目、球団史上10人目の1500本安打、8月19日の対オリックス・バファローズ戦では1500試合出場を達成。

2010年、慢性的な腰痛や、金泰均の加入などを考慮して指名打者に転向する。ここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は里崎智也サブローの離脱や大松尚逸の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス・バファローズ戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録。3月22日の対埼玉西武ライオンズ戦では通算100号本塁打を達成。史上258人目だが、1539試合での到達は6番目に遅い記録であった。また、代打率.364と代打の切り札としても結果を残した。クライマックスシリーズファーストステージの対埼玉西武ライオンズ戦では、延長11回に土肥義弘から勝ち越しソロ本塁打を放ち、勝利に貢献。チームはファイナルステージも突破し、日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り、シーズン3位から5年ぶりの日本一を達成。1年を通した活躍で、指名打者部門で初のベストナインを受賞した。5月13日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)にて6回表一死満塁の場面で代打出場し、真田裕貴から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファウルを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され「代打逆転満塁ビデオ判定弾」となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初の事例である。

2011年、開幕戦で3点本塁打を放つ活躍などで、シーズン序盤は4番を任されるものの不振に陥る。6月は月間打率.346と持ち直したが、7月から9月は1割台と再び低迷。8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席は未到達。最終的に80安打で打率.223、本塁打3、打点43と一軍での自己最低の成績であり、三振72と例年より三振率の高いシーズンでもあった。なお、4月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で史上30人目の通算350二塁打を達成。1654試合での達成は歴代3位のスピード記録である。

2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて

2012年、春先はスタメン出場も多く、4試合連続打点の活躍で一時はチームトップの打点を稼いでいたが、交流戦以後は試合終盤における代打での出場が多くなり、45安打で打率.250、本塁打数は一軍に定着してから初めて0に終わる。一方、代打では5打席連続安打を記録するなど勝負強い打撃見せ、7月18日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で代打サヨナラ犠飛、8月29日の同対戦では9回裏に代打で同点打を放つなど、この年の代打成績は打率.424、打点8の成績を残した。

2013年、2年ぶりに4番に入るなど、シーズン序盤は一塁手でスタメン出場することもあったが、井口資仁一塁へのコンバートや、G.G.佐藤クレイグ・ブラゼルの加入により、前年を下回る78試合の出場にとどまった。本塁打は0本、打率・打点も前年を下回ったが、9月は月間打率.429と好調で、9月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、球団最多11度目のサヨナラ打となる犠飛を放ち試合を決めた。また、8月2日の対オリックス・バファローズ戦で放った安打で通算1828安打となり、堀幸一の安打数を抜いて球団歴代3位となった。

2014年、1997年以来、17年ぶりに開幕を二軍で迎えた。6月に一軍登録されると、自己最多となる4打席連続適時打を放つなど、7月は打率.371と好調を維持。8月以降は低迷し、出場試合数および安打数はそれぞれ43試合、26安打と自己最少であったが、打率.283、代打率.474の成績を残した。9月9日の対埼玉西武ライオンズ戦では延長11回に代打サヨナラ二塁打を放ち試合を決める。自身の持つ球団最多記録を更新する通算12本目のサヨナラ打であり、リーグの通算記録では4位タイとなる。

2015年、シーズン初スタメンだった4月9日の対オリックス・バファローズ戦で5年ぶりとなる1試合2本塁打を放つが、4月下旬から尿管結石のため一時登録を抹消される。5月に復帰後はスタメン出場もしばしばあり、最終的に73試合に出場で47安打、打率.272の成績を残した。6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上48人目、球団記録では4人目の通算2000試合出場を達成した。また、クライマックスシリーズファーストステージの対北海道日本ハムファイターズ戦では、スタメン出場した2試合で7打数4安打の成績を残すが、ファイナルステージでは無安打に終わった。

2016年、春季キャンプで左足首を痛めた影響で一軍昇格は7月13日と出遅れるが、その日の対福岡ソフトバンクホークス戦での出場で、本拠地QVCマリンフィールドでの通算1000試合出場となった。その後は、8月19日に左背筋痛で一時登録を抹消されるなどして、一軍では自己最少となる36試合の出場で、20安打、7打点に終わる。

2017年、2年連続で開幕一軍からは外れたものの、4月12日に一軍昇格。一塁手を務めた選手の不振や負傷離脱などもあり、一塁手としての出場機会が増えた。7月7日の対オリックス・バファローズ戦では4年ぶりに犠飛を記録。自身が持つ球団の通算記録を75と更新し、パ・リーグでは単独5位となった。その後は一時打率が2割を下回るが、9月は月間打率.304の成績を残す。9月12日の対オリックス・バファローズ戦では5年ぶりに1試合4打点を記録した。また、同日に2018年シーズンも現役続行することが確実になり、球団幹部より通算2000安打達成にむけて後押しする方針が明言された。10月19日には、2018年より選手兼打撃コーチとなることが発表された。監督に就任した井口資仁の現役引退によって2018年からは球団最年長選手となり、さらに松井稼頭央と並んで球界最年長野手となる。

2018年、選手兼打撃コーチとしてシーズンを迎え、「7番・DH」で5年ぶりに開幕戦のスタメンに名を連ねた。42歳3ヶ月での開幕スタメンは、1978年の野村克也(42歳9ヶ月)に次ぐ球団の年長記録となる。4月10日の対埼玉西武ライオンズ戦が通算2162試合目の出場となり、榎本喜八を抜いて球団の最多新記録となった。5月10日に鳥越裕介ヘッド兼内野・守備走塁コーチのヘッドコーチ専任によって、小坂誠二軍内野・守備走塁コーチが一軍に昇格。一軍ベンチ入りコーチ8枠が埋まるため、コーチ登録を抹消して選手専任となった。9月9日の対埼玉西武ライオンズ戦では、球団史上4人目となる42歳以上での本塁打を記録。同月22日の同対戦では第4打席で小川龍也から右越え二塁打を放ち、プロ野球史上52人目の通算2000本安打を達成した。チームでは榎本喜八、有藤道世に次ぎ3人目、42歳9ヶ月での達成は和田一浩に次ぐ年長記録であり、左打者では最年長。ドラフト7位の達成者は福本豊に次ぎ2人目で、その年の最終指名選手では初。また、一軍初出場が4年目以降の選手が達成したのも初めてである。出身地の習志野市から習志野市民栄誉賞が授与されることが発表された。

選手としての特徴

打撃

安定した縦軌道のスイングから広角にライナーではじき返す打撃が特徴。ボールを捉える技術に長けており、元監督の山本功児からは「バッティングに関しては天才的なセンスの持ち主で、バットコントロールは天性のものだ」と評された。また、監督の井口資仁や習志野高の先輩・掛布雅之は福浦の特筆すべき点としてバッティングの柔らかさを挙げており、タイミングを崩されても対応できる能力を高く評価している。

苦手にしていた左投手の外寄りの球を、2001年に打率.408と克服するなど飛躍し、同年から6年連続で打率3割以上を記録。2010年代は5年間で代打打率.315を記録するなど、代打の切り札としても名を馳せた。二塁打が多いのも特徴で、放った二塁打は全安打の19.4%と高い割合を占め、2度のシーズン最多二塁打と史上唯一の3年連続40本以上の二塁打を記録している。元監督のボビー・バレンタインは「故障さえなければ常に3割を打つ実力があり、メジャーに来ても二塁打を量産しただろう」と評している。

打席においては左のお尻に力を入れることを意識しながら左脇を開け、打つポイントを体の近くに置くことでギリギリまでボールを見極めてスイングをする。若い頃から様々なフォームを試行し、かつては「振り子打法」で注目されたこともあったが、腰痛や年齢的な衰えなどから見直されていった。後年はいかに力を抜いて構え、インパクトの瞬間に力が入るようなフォームを模索しているという。また、調子のバロメーターの一つとしてファウルボールの方向をあげており、レフト方向へライナー性のファウルが打てる時は調子が良く、バックネット方向へファウルが飛ぶ時はタイミングが合っていないという感覚を持っている。

守備・走塁

一塁の守備は柔らかいグラブさばきと正確なスローイングに定評があり、名手とも評されている。股関節の柔らかさを生かし、難しいワンバウンドの送球も容易に捕球する上手さがあり、今江敏晃は「福浦さんがいなかったらチームの失策は倍に増えている」と語っている。UZRで使用するゾーンデータを基にした「一塁線に強い一塁手のランキング」で1位、「一二塁間に強い一塁手ランキング」でも2位にあがるなど、ポジショニングの良さや守備範囲の広さが窺える。また、レンジファクターは2000年代の上位5傑の内3つを福浦が占めるなど、例年高い数値を記録した。なお、過去に外野を務めていたこともあったが、故障の影響で肩には自信がなかったという。

均整のとれた体格から足が速そうに見られることがあるが、一塁到達4.77秒と鈍足である。通算盗塁数は2000安打到達者で最も少なく、走塁に対する意欲は高くない。

人物

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1997 | ロッテ | 67 | 242 | 218 | 27 | 63 | 8 | 1 | 6 | 91 | 23 | 0 | 1 | 1 | 1 | 19 | 2 | 3 | 36 | 5 | .289 | .353 | .417 | .770
1998 | 129 | 526 | 465 | 61 | 132 | 32 | 3 | 3 | 179 | 57 | 1 | 2 | 0 | 6 | 51 | 3 | 4 | 78 | 10 | .284 | .356 | .385 | .740
1999 | 114 | 284 | 256 | 21 | 71 | 15 | 1 | 3 | 97 | 35 | 0 | 0 | 0 | 3 | 21 | 1 | 4 | 38 | 5 | .277 | .338 | .379 | .717
2000 | 131 | 494 | 446 | 58 | 132 | 21 | 4 | 7 | 182 | 56 | 1 | 1 | 6 | 4 | 34 | 2 | 4 | 59 | 15 | .296 | .348 | .408 | .756
2001 | 120 | 519 | 451 | 82 | 156 | 30 | 4 | 18 | 248 | 67 | 0 | 2 | 2 | 3 | 58 | 3 | 5 | 74 | 10 | .346 | .424 | .550 | .973
2002 | 135 | 565 | 493 | 48 | 148 | 40 | 0 | 9 | 215 | 66 | 2 | 1 | 0 | 3 | 52 | 3 | 17 | 73 | 10 | .300 | .384 | .436 | .820
2003 | 140 | 623 | 567 | 75 | 172 | 50 | 1 | 21 | 287 | 76 | 2 | 3 | 1 | 5 | 48 | 6 | 2 | 89 | 22 | .303 | .357 | .506 | .863
2004 | 128 | 569 | 506 | 67 | 159 | 42 | 1 | 11 | 236 | 73 | 2 | 1 | 2 | 4 | 47 | 0 | 10 | 82 | 8 | .314 | .381 | .466 | .847
2005 | 114 | 491 | 434 | 54 | 130 | 25 | 1 | 6 | 175 | 72 | 0 | 2 | 0 | 9 | 39 | 0 | 9 | 55 | 5 | .300 | .363 | .403 | .766
2006 | 114 | 484 | 436 | 43 | 136 | 20 | 1 | 4 | 170 | 52 | 0 | 3 | 3 | 7 | 33 | 5 | 5 | 52 | 11 | .312 | .362 | .390 | .752
2007 | 110 | 445 | 395 | 41 | 102 | 20 | 1 | 4 | 136 | 57 | 0 | 1 | 2 | 6 | 38 | 3 | 4 | 44 | 8 | .258 | .325 | .344 | .669
2008 | 105 | 371 | 310 | 39 | 78 | 9 | 0 | 1 | 90 | 44 | 0 | 0 | 1 | 7 | 50 | 2 | 2 | 49 | 10 | .252 | .352 | .290 | .643
2009 | 129 | 460 | 396 | 47 | 108 | 18 | 0 | 6 | 144 | 39 | 1 | 0 | 11 | 3 | 46 | 0 | 4 | 65 | 8 | .273 | .352 | .364 | .716
2010 | 116 | 359 | 322 | 42 | 95 | 19 | 0 | 13 | 153 | 61 | 0 | 0 | 3 | 3 | 28 | 2 | 3 | 47 | 8 | .295 | .354 | .475 | .829
2011 | 116 | 405 | 358 | 22 | 80 | 13 | 0 | 3 | 102 | 43 | 0 | 0 | 1 | 6 | 37 | 3 | 3 | 72 | 11 | .223 | .297 | .285 | .582
2012 | 84 | 199 | 180 | 5 | 45 | 3 | 0 | 0 | 48 | 25 | 0 | 0 | 1 | 2 | 15 | 1 | 1 | 27 | 3 | .250 | .308 | .267 | .575
2013 | 78 | 169 | 140 | 5 | 32 | 5 | 1 | 0 | 39 | 17 | 0 | 0 | 0 | 2 | 26 | 1 | 1 | 30 | 4 | .229 | .349 | .279 | .628
2014 | 43 | 106 | 92 | 4 | 26 | 2 | 0 | 0 | 28 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | 2 | 14 | 1 | .283 | .377 | .304 | .682
2015 | 73 | 199 | 173 | 17 | 47 | 3 | 0 | 2 | 56 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 20 | 1 | 6 | 34 | 4 | .272 | .367 | .324 | .691
2016 | 36 | 90 | 82 | 4 | 20 | 2 | 0 | 0 | 22 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 3 | 12 | 2 | .244 | .311 | .268 | .579
2017 | 70 | 155 | 134 | 6 | 30 | 7 | 0 | 0 | 37 | 18 | 0 | 0 | 0 | 2 | 18 | 0 | 1 | 25 | 4 | .224 | .276 | .316 | .592
通算:21年 2152 | 7755 | 6854 | 768 | 1962 | 384 | 19 | 117 | 2735 | 924 | 10 | 17 | 34 | 76 | 697 | 39 | 93 | 1055 | 164 | .286 | .356 | .399 | .755

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
一塁
外野


















【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



1997 | ロッテ | 65 | 546 | 30 | 7 | 47 | .988 | -
1998 | 127 | 1116 | 65 | 6 | 133 | .995 | -
1999 | 74 | 258 | 23 | 5 | 35 | .990 | 18 | 20 | 1 | 1 | 0 | .955
2000 | 93 | 644 | 43 | 2 | 54 | .997 | 58 | 74 | 2 | 4 | 1 | .950
2001 | 116 | 1122 | 59 | 5 | 92 | .996 | -
2002 | 133 | 1195 | 76 | 6 | 97 | .995 | -
2003 | 135 | 1328 | 101 | 7 | 109 | .995 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2004 | 111 | 1040 | 65 | 6 | 106 | .995 | -
2005 | 112 | 1020 | 48 | 7 | 95 | .993 | -
2006 | 112 | 1019 | 70 | 6 | 80 | .995 | -
2007 | 103 | 902 | 68 | 5 | 73 | .995 | -
2008 | 86 | 642 | 56 | 2 | 58 | .997 | -
2009 | 124 | 869 | 73 | 1 | 74 | .999 | -
2010 | 10 | 75 | 4 | 1 | 7 | .988 | -
2011 | 26 | 233 | 22 | 0 | 18 | 1.000 | -
2012 | 40 | 316 | 31 | 4 | 22 | .989 | -
2013 | 32 | 182 | 19 | 0 | 13 | 1.000 | -
2014 | 18 | 112 | 15 | 0 | 11 | 1.000 | -
2015 | 44 | 282 | 24 | 3 | 16 | .990 | -
2016 | 21 | 120 | 9 | 0 | 12 | 1.000 | -
2017 | 31 | 152 | 19 | 0 | 11 | 1.000 | -
通算 1613 | 13173 | 920 | 73 | 1163 | .995 | 78 | 97 | 3 | 5 | 1 | .952

タイトル

表彰

記録

初記録
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