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秋山幸二とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
熊本県八代郡氷川町
【生年月日】
(1962-04-06) 1962年4月6日(56歳)
【身長
体重】
186 cm
86 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
外野手三塁手
【プロ入り】
1980年 ドラフト外
【初出場】
1981年9月29日
【最終出場】
2002年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴


野球殿堂(日本)
殿堂表彰者

【選出年】
2014年
【選出方法】
競技者表彰
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手監督。選手時代は西武ライオンズ福岡ダイエーホークスに所属。ポジションは三塁手、のち外野手

2005年には福岡ソフトバンクホークス二軍監督に就任。2007年は総合コーチ、2008年はチーフコーチを務め、2009年シーズンから2014年シーズンは同チームの一軍監督を務めていた。2012年には、東日本大震災復興支援ベースボールマッチ で日本代表監督として指揮をとった。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 西武時代
    • 1.2 ダイエー時代
    • 1.3 現役引退後
  • 2 選手としての特徴・人物
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 年度別監督成績
    • 3.3 タイトル
    • 3.4 表彰
    • 3.5 記録
    • 3.6 背番号
  • 4 関連情報
    • 4.1 著書
    • 4.2 出演CM
    • 4.3 出演番組
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

父はハイジャンプ・母は砲丸投げの元選手。小学3年生時に少年野球チームに入団した。

文武両道とうたわれた熊本県立八代高等学校に進学後ほどなくして野球部に入部し、監督の「お前は背が高いからピッチャーだ」の一言で投手にコンバートされる。3年生時の1980年春の九州大会で準優勝。最後の夏の甲子園熊本県予選では、決勝で大津一洋伊東勤がバッテリーを務めていた熊本工高に4-6で敗れた。当時から12球団のスカウトに注目されていたものの、大学への進学意思が強くドラフトでは指名されなかった。しかし、ドラフト終了後にプロ入りを表明し、巨人、阪急、広島との争奪戦の上、西武の執拗な説得と「君を打者として育てたい」という言葉が決め手になって1981年1月にドラフト外西武ライオンズに入団した。秋山は熊本工業の大津一洋、柳川の中島輝士、都城の井上祐二と共に九州四天王と呼ばれていたが、自分の実力がプロで通用するとは思わなかったという。当時の西武のスカウト浦田直治から「君には四年後西武ライオンズのサードを守り、そしてクリーンナップを打ってもらいたい」と言われたという。入団当時の監督である根本陸夫は、183cm、80kgの体躯の秋山を一目見ると、「野球をやっていなかったら、オリンピック十種競技の選手になれた」と惚れ込んでいる。当時西武のコーチだった伊原春樹も著書の中で「運動神経が抜群で脚力50メートル5秒台、遠投120メートル、鉄棒やマット運動をやらせても、体操選手だったのかと思うほど、簡単にこなします。ご存知のように、バック宙もお手のもの。あの体の大きさで、これだけの身体能力を持った選手は、後にも先にも見たことありません」と記している。

西武時代

西武入団当時の背番号71で、入団と同時に三塁手に転向。1年目は消化試合で初の一軍昇格を果たし、初ヒットを放っている。2年目の1982年は背番号が24になり、一軍出場はなかったが、イースタン・リーグの本塁打王(19本)を獲得。

1982年から3度の野球留学でアメリカ合衆国に渡り、1Aチームのサンノゼ・ビーズ/1983年5月28日 - 8月28日と(ヒューストン・アストロズのアリゾナ教育L参加部隊)アリゾナ・アストロズでプレーして高く評価される。このような経緯や日米野球で対戦したメジャーリーガーや関係者に高く評価されたことから、「メジャーに一番近い男」と呼ばれていた。共にクリーンアップを担っていたチームメイトの清原和博は「自分は日本専門の選手だけど、秋山さんならメジャーでも通用する」と語り、オレステス・デストラーデも「秋山ならすべてのメジャー球団で主力選手として活躍できる」と語っている(他方で、精神的な準備面から「実際にメジャーリーグに行っていたら、成功するのは難しかったと思う」とも述べている)。ラルフ・ブライアントも「日本で一番すごいと思った打者は秋山」だと語っている。

1984年、春季キャンプから一軍入りし、7番・サードで開幕スタメンの座を獲得。4月14日にプロ初本塁打。しかし怪我をしたこともあり、54試合出場にとどまる。

1985年、主に6番・サードとしてレギュラーに定着。王貞治と並ぶ史上最年少(23歳)での本塁打40本を記録。同年から2002年までオールスターゲームに出場し続けた。

1986年、監督が広岡達朗から森祇晶に交代。開幕を5番で迎えるが、ジョージ・ブコビッチの不振により4番の座を任される。この年も本塁打を40本以上放ち、初のベストナインに外野手として選出される。日本シリーズでは史上唯一の第8戦で有名な「バック宙ホームイン」を披露する。シーズン終盤、高卒新人の清原と4番を交替し3番に座ったことが好結果を生んだことでAK砲の原型を完成した。オフに背番号を1に変更、結婚もした(後に離婚→現夫人と再婚)。

1987年、俊足と強肩を生かすため外野手に転向。西武打撃陣が軒並み打撃成績を落とす中、3番・センターの「定位置」へ定着したこともあってか、秋山1人が成績を維持。5月21日に日本人最速で通算100本塁打を達成し、最終的に43本塁打で3年連続40本塁打以上を記録する。前年オフに本塁打王の常連で会った落合がセ・リーグの中日に移籍したこともあり、初の本塁打王のタイトルを獲得。史上初の40本塁打・40盗塁も期待されたが、38盗塁で惜しくも達成ならず。

1988年、自身最多の151安打を放ち、中日ドラゴンズとの日本シリーズ第4戦では杉本正から本塁打を放ち、リーグ4連覇、3年連続日本一に貢献した。

1989年、初の3割を記録。打率.301、31本塁打、31盗塁で日本プロ野球史上5人目のトリプルスリーを達成。

1990年盗塁王を獲得。35本塁打、51盗塁を記録し、プロ野球史上初の30本塁打・50盗塁を達成。また、史上初の本塁打王受賞経験者による盗塁王となった。2年連続300刺殺(フライアウト)を達成し、外野手としての評価も確立する。当時の西武の日本人選手の中では、秋山が年俸1億円に最も近いと言われていた(1990年の秋山の推定年俸は8,400万円)。しかしこの年のオフの契約更改で、清原を名実ともにチームの顔にしたいと考えた球団の意向により、秋山は推定9,800万円の掲示を受ける。秋山はこれを不服として闘ったが、最終的に判を押す。契約更改において一発でサインしなかったのはこの年だけである。この時に球団から「1億円プレーヤーとなるには君には華が足りない」と言われたのが、翌年の躍進の引き金となった。

1991年、2度のサヨナラ本塁打を含むサヨナラ打3度でチームを引っ張る1年となる。オールスターゲーム第2戦12回表に右目に自打球を当て負傷退場、右目の視力は0.7から0.2にまで低下した。4本塁打を放ちMVPを受賞している。これらの活躍が評価され、正力松太郎賞も受賞。推定年俸は1億4,000万円と大幅アップした。

1992年、前年に引き続き安定した成績を挙げ、チームも3年連続パ・リーグ優勝を達成。日本シリーズでは2度の決勝打を放つなど3年連続日本一に貢献、優秀選手賞を受賞した。

1993年は、8月21日・8月22日の日本ハムファイターズ戦では2日連続で満塁本塁打を放つなど、30本塁打をマークした(=9年連続30本塁打以上は現在もパ・リーグ記録)が打率.247と低調なシーズンとなり、日本シリーズでは3本のホームラン以外のヒットはなく、6戦目以降は6番に回った。シーズンオフに渡辺智男内山智之とともにダイエーの佐々木誠村田勝喜橋本武広との大型トレードが発表される。

ダイエー時代

黄金時代の西武ライオンズから弱小球団だった福岡ダイエーホークスに移籍してきた秋山は、移籍当初ダイエーの選手たちに「勝ちたい」という意識が薄いことに愕然としたという。当時のダイエーの選手たちは怠惰であり、控え室で遊んでいる選手もいる始末で、常勝西武の控え室を知っている秋山にとって、彼らの態度は信じ難いものだったという。西武からダイエーに移籍した工藤公康の著書によると、森が監督だった時代の西武の控室は他の選手には近寄り難い緊張感があったと言われている。著書の中でも当時のダイエーについて「ロッカーでも野球と全く関係のない話を平気でしていたし、言葉で言い表すのは難しいが、何かがバラバラでなあなあだった。みんな好き勝手プレーしているように見えた」と著書に記している。

秋山の背中を見て小久保裕紀が育ち、さらに後を追うように松中信彦城島健司斉藤和巳井口資仁川崎宗則など後の強豪ホークスを支える選手たちが育ち、現在の若手選手は彼らを手本として練習に励む(NHKプロ野球70周年の特番で水島新司が秋山本人の前で証言)。小久保は王と秋山について「尊敬する野球人」と述べ、秋山に対する印象を質問されて「常にプロ意識を持っていた。『できないのは選手が悪い、プロならできて当たり前』という考え方。決して『人間ならそのくらいにミスはあるさ』といった姿勢がみられない。言い訳をしない。その姿勢と意識の高さを学んできた。」、松中も「秋山さんはプレーで示してくださる方でした。秋山さんのプレーからは、チームを引っ張るには、ああいうプレーが必要なんだと、感じるものがありました」と語っている。川崎は「何も語らない人だった。その代わりに、いつも球場にいた。何歳になっても誰よりも長くグラウンドにいるのが秋山先輩だった。一番最初に打って、若い選手と一緒に最後までいる、その姿に教えられることは多かった」と著書に記している

1994年9月17日の対ロッテ戦から10月7日の対西武戦まで11試合連続で長打を放ち、プロ野球史上最長記録となった。オフに婚姻(再婚)。FA権を取得した。一度はFA権を行使して他球団へ移籍することをほぼ決意していたが、当時監督だった根本に説得される形(実際には秋山の母親からの願いを受けて)でFA権を凍結。秋山が引退までホークスに骨を埋める決意を固めたのはこの時だと言われている。以後、秋山は獲得したFA権を行使せずに引退した。秋山がダイエー残留した後に聞いた話によると非公式で巨人、古巣の西武、サンフランシスコ・ジャイアンツがオファーを検討していたという。特に西武では堤義明オーナーの厳命でいったん退団したデストラーデを呼び戻して、秋山と清原で再びクリーンナップを組ませる構想があったようで、西武のフロントにも「お前さえその気だったら間違いなく手を挙げていた」と言われたと言う。

1999年からダイエーの初代主将に就任。シーズン終盤からは1番・ライトで出場し、文字通りチームを牽引した。西武との優勝争いの最中であった9月8日の対西武戦で松坂大輔から顔面に死球を受け頬骨を骨折するが、その後の試合ですぐにベンチに復帰。フェイスガード付きの特製ヘルメットを作ってスタメン復帰も果たし、9月25日の優勝決定試合で先制点となる先頭打者本塁打を放つなど、ダイエー初の優勝に大きく貢献する。中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、第1戦で野口茂樹から先制本塁打、第2戦で川上憲伸から先頭打者本塁打、第3戦では守備で右翼フェンスを駆け上がり飛球をキャッチしその後一塁ランナーも刺すというファインプレーを披露するなどの活躍を見せ再びMVPに輝き、20世紀のプロ野球史上で最年長(2011年に小久保裕紀が40歳で記録更新)および史上初の2球団での日本シリーズMVP受賞を達成した。

2000年、シーズン開幕戦で先頭打者本塁打を放つ。8月18日、対ロッテ戦で出場2000試合目で2000本安打達成(史上28人目、ドラフト制度確立後のドラフト外入団選手では史上初)。6月1日に通算1588三振を記録し、歴代1位に(2004年に清原和博が記録更新)。

2001年、キャンプ中に右肩を痛め、二軍で開幕を迎えた。

2002年、「(同年の)優勝が現実的に遠のき、気持ち的にもやっていくことがなくなった」と語り、8月26日に現役引退を表明。引退試合は10月5日(西武ドーム)と10月6日(福岡ドーム)双方で行われ、それぞれ超満員の観客が秋山の現役最後の雄姿を見届けた。西武ドームでは秋山が打席に入るとダイエーの応援団からはダイエー時代の応援歌が、西武の応援団からは西武時代の応援歌がそれぞれ交互に演奏された。そして、西武ドームでの試合後には西武の選手たちから、10月6日の福岡ドームでの引退試合ではダイエーの選手たちから胴上げされ、大観衆の涙を誘った。さらに福岡ドームの引退試合では、相手チームであったロッテの選手・観客も、試合終了後も残って秋山の引退を見送り、秋山が球界の宝であったことを実感させる引退試合となった。現役最終打席はライトライナー。

背番号1は福岡ダイエーホークスの永久欠番となる予定であったが、柴原洋が1番を希望し、秋山も了承したため永久欠番とはならなかった。

現役引退後

2003年から2004年までRKB毎日放送TBSテレビTBSラジオ野球解説者西日本スポーツ野球評論家として活動。また、文化放送にゲスト解説として出演することもあった。

2005年、ダイエーの後身であるソフトバンクの二軍監督に就任。二軍監督時代松田宣浩本多雄一を育てた。2007年2008年は一軍総合コーチ、一軍チーフコーチを歴任した。体調不良で出場辞退した王に代わり、コーチとして初めてオールスターゲームへ出場した。

2008年9月23日にシーズン終了を以っての退任を表明した王の後任として、10月2日にホークス新監督に就任し、2011年までの3年契約と発表された。

就任2年目の2010年9月26日、チームを7年ぶりのリーグ優勝へと導いた。しかしクライマックスシリーズではロッテに敗れ日本シリーズ出場はならなかった。

2011年10月1日、プロ野球史上初の全球団勝ち越し・2位以下17.5ゲーム差という圧倒的な強さでチームを2年連続リーグ優勝に導く。11月5日のクライマックスシリーズファイナルステージで、埼玉西武ライオンズに対し、ストレートの3連勝で8年ぶり14度目(南海時代含む)の日本シリーズ出場を決めた。日本シリーズでは、クライマックスシリーズ・セの覇者となった中日ドラゴンズを4勝3敗で破り、福岡ソフトバンクホークスとして初、そして監督就任後初の日本一を達成した。

2014年10月2日パシフィック・リーグ優勝監督インタビュー。福岡ヤフオク!ドームにて。

2014年、1月17日に野球殿堂博物館より佐々木主浩野茂英雄の元メジャーリーガー2人と共に競技者表彰により野球殿堂入りしたことが発表された。チームはシーズン最終戦にリーグ優勝を決めたが、進出を決めていたクライマックスシリーズファイナルステージ直前の10月14日に今季限りでの監督退任が発表された。CSでは日本ハムに4勝3敗で勝利し、日本シリーズに進出。阪神との日本シリーズでは4勝1敗で3年ぶりの日本一となった。監督時代は長谷川勇也柳田悠岐を育てた。日本一になったのに勇退するため苦笑いしながら「こんなの初めて」とも語った。

2015年より、再びRKB毎日放送の解説者、TBSテレビゲスト(侍ジャパン中継)解説者、西日本スポーツの評論家(2016年は随時担当)を務めた。

選手としての特徴・人物

西武時代は走攻守の三拍子揃った選手として黄金時代を支えていた。打撃では三振が多く変化球で崩されることも多かったが、長嶋茂雄は秋山を「本当のホームランバッター」と評している。

また,メジャーリーグで10年プレーした後に読売ジャイアンツへ在籍したウォーレン・クロマティは,秋山をミート能力、パワー、スピード、ディフェンス、バッティング、スローイング、全てを兼ね備えているファイブツールプレイヤーであり,メジャーリーグでもすごいスターになれただろうと評している。

選手時代は「ミスターメイ」と呼ばれていた。秋山は月間MVPを3回獲得しているが、うち2度は5月である。

夫人との間に一男一女がいるが、長男は生後、間もなく亡くなっている。夫人は2014年の日本シリーズ終了後に亡くなった。長女は元ゴルフ選手の秋山真凜。 なお、離婚した前夫人との間には二男がいる。

フリーアナウンサー片平夏貴(東国原英夫の元妻)は義妹(夫人の実妹)にあたる。また作家豊福きこうとは八代高校時代の同級生である。

「あなたにとってサムライとは?」と聞かれ、「千葉真一柳生十兵衛渡辺謙の『独眼竜政宗』は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と答えている。

現役時代にテレビ番組『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』に出演し、THE GALLON THROWでは当時のスポーツマン記録である5m70cmを大きく上回る6m20cmを記録。筋肉番付の番組プロデューサーである樋口潮は著書で秋山を超人と評している。同大会で行われた50メートル走では6秒53を記録している。

2003年11月21日、福岡県築上郡築上町の椎田中学校体育館落成式の記念講演に、数学者秋山仁を招待し講演会を行う予定であった。しかし依頼側の手違いで(フルネームで言わなかったことにもよる)、秋山仁では無く同姓の秋山幸二に講演のオファーを行ってしまうという珍事が起こる。校長や町長らが秋山に対し謝罪する一方、「是非講演をお願いしたい」と頼み込むと、秋山は講演を引き受けた。なお、この珍事から12年越しの2015年4月5日に同町の文化会館コマーレにて講演会が開催され、自ら当時の講演までの成り行きやエピソードを語った。。

現役引退から時間が経ったソフトバンク監督時代(当時47 - 52歳)においても、選手の打撃練習に加わってホームランを放つ、ブルペンで100球以上投げ込み球速は130キロ以上を記録するなど高い身体能力を維持しており、その信憑性からエイプリルフールのネタとして秋山の現役復帰が発表されたこともあった。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1981 | 西武 | 3 | 6 | 5 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .200 | .333 | .600 | .933
1984 | 54 | 154 | 140 | 16 | 33 | 5 | 2 | 4 | 54 | 14 | 6 | 1 | 1 | 0 | 10 | 0 | 3 | 32 | 4 | .236 | .301 | .386 | .686
1985 | 130 | 542 | 468 | 93 | 118 | 16 | 0 | 40 | 254 | 93 | 17 | 9 | 1 | 3 | 66 | 0 | 4 | 115 | 13 | .252 | .348 | .543 | .890
1986 | 130 | 562 | 492 | 88 | 132 | 19 | 3 | 41 | 280 | 115 | 21 | 8 | 0 | 7 | 58 | 5 | 5 | 94 | 10 | .268 | .347 | .569 | .916
1987 | 130 | 550 | 496 | 82 | 130 | 13 | 2 | 43 | 276 | 94 | 38 | 12 | 0 | 3 | 48 | 5 | 3 | 102 | 8 | .262 | .329 | .556 | .886
1988 | 130 | 577 | 517 | 93 | 151 | 23 | 2 | 38 | 292 | 103 | 20 | 12 | 0 | 2 | 50 | 5 | 8 | 132 | 11 | .292 | .362 | .565 | .927
1989 | 130 | 555 | 478 | 92 | 144 | 24 | 4 | 31 | 269 | 99 | 31 | 14 | 0 | 4 | 68 | 4 | 5 | 93 | 10 | .301 | .391 | .563 | .954
1990 | 130 | 559 | 476 | 84 | 122 | 16 | 0 | 35 | 243 | 91 | 51 | 9 | 1 | 9 | 68 | 0 | 5 | 120 | 11 | .256 | .349 | .511 | .860
1991 | 116 | 515 | 455 | 97 | 135 | 23 | 3 | 35 | 269 | 88 | 21 | 5 | 0 | 5 | 53 | 3 | 2 | 96 | 8 | .297 | .369 | .591 | .960
1992 | 130 | 566 | 480 | 92 | 142 | 26 | 2 | 31 | 265 | 89 | 13 | 4 | 1 | 2 | 77 | 1 | 6 | 114 | 6 | .296 | .398 | .552 | .950
1993 | 127 | 536 | 470 | 67 | 116 | 23 | 4 | 30 | 237 | 72 | 9 | 8 | 0 | 1 | 61 | 2 | 4 | 136 | 11 | .247 | .338 | .504 | .842
1994 | ダイエー | 129 | 567 | 473 | 93 | 120 | 26 | 5 | 24 | 228 | 73 | 26 | 6 | 0 | 4 | 83 | 6 | 7 | 125 | 9 | .254 | .370 | .482 | .852
1995 | 122 | 529 | 476 | 61 | 127 | 25 | 1 | 21 | 217 | 66 | 13 | 4 | 0 | 5 | 46 | 5 | 2 | 101 | 17 | .267 | .331 | .456 | .787
1996 | 121 | 512 | 466 | 53 | 140 | 27 | 0 | 9 | 194 | 66 | 13 | 4 | 0 | 5 | 35 | 1 | 6 | 78 | 12 | .300 | .354 | .416 | .770
1997 | 97 | 421 | 371 | 46 | 91 | 20 | 2 | 12 | 151 | 52 | 11 | 5 | 2 | 1 | 43 | 0 | 4 | 62 | 9 | .245 | .329 | .407 | .736
1998 | 115 | 473 | 423 | 43 | 110 | 32 | 4 | 10 | 180 | 49 | 7 | 7 | 1 | 3 | 42 | 2 | 4 | 76 | 11 | .260 | .331 | .426 | .756
1999 | 113 | 420 | 386 | 41 | 99 | 16 | 2 | 12 | 155 | 44 | 3 | 2 | 3 | 1 | 26 | 2 | 4 | 83 | 12 | .256 | .309 | .402 | .711
2000 | 124 | 488 | 427 | 44 | 112 | 23 | 1 | 5 | 152 | 48 | 2 | 4 | 6 | 4 | 49 | 2 | 2 | 63 | 13 | .262 | .338 | .356 | .694
2001 | 82 | 287 | 269 | 31 | 77 | 13 | 3 | 11 | 129 | 32 | 1 | 0 | 0 | 0 | 17 | 0 | 1 | 43 | 6 | .286 | .331 | .480 | .811
2002 | 76 | 244 | 229 | 14 | 57 | 7 | 0 | 5 | 79 | 24 | 0 | 2 | 4 | 2 | 9 | 0 | 0 | 45 | 10 | .249 | .275 | .345 | .620
通算:20年 2189 | 9063 | 7997 | 1231 | 2157 | 377 | 41 | 437 | 3927 | 1312 | 303 | 116 | 20 | 61 | 910 | 43 | 75 | 1712 | 191 | .270 | .347 | .491 | .839

年度別監督成績

リーグ公式戦
年度
球団
【順位】
試合
勝利
敗戦
引分
勝率
ゲーム差
【チーム
本塁打】
【チーム
打率】
【チーム
防御率】
年齢
2009年 | ソフトバンク | 3位 | 144 | 74 | 65 | 5 | .532 | 6.5 | 129 | .263 | 3.69 | 47歳
2010年 | 1位 | 144 | 76 | 63 | 5 | .547 | - | 134 | .267 | 3.89 | 48歳
2011年 | 1位 | 144 | 88 | 46 | 10 | .657 | - | 90 | .267 | 2.32 | 49歳
2012年 | 3位 | 144 | 67 | 65 | 12 | .508 | 6.5 | 70 | .252 | 2.56 | 50歳
2013年 | 4位 | 144 | 73 | 69 | 2 | .514 | 9.5 | 125 | .274 | 3.56 | 51歳
2014年 | 1位 | 144 | 78 | 60 | 6 | .565 | 0.0 | 95 | .280 | 3.25 | 52歳
通算:6年 865 | 456 | 369 | 40 | .553 | Aクラス5回、Bクラス1回
ポストシーズン
【年度】
【球団】
【大会名】
【対戦相手】
勝敗
2009 |&
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/09/21 03:22

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