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秋田県とは?


秋田県旗

【国】
日本
【地方】
東北地方
団体コード
05000-8
ISO 3166-2:JP
JP-05
面積
11,637.52km

総人口
985,021
(推計人口、2018年4月1日)
人口密度
84.6人/km
【隣接都道府県】
青森県岩手県宮城県山形県
【県の木】
秋田杉
【県の花】
フキノトウ
【県の鳥】
ヤマドリ
【県の魚
県の歌】
ハタハタ
秋田県民歌県民の歌
秋田県庁

知事
佐竹敬久
【法人番号】
1000020050008
【所在地】
010-8570
秋田県秋田市山王四丁目1番1号(本庁)
010-8572
秋田県秋田市山王三丁目1番1号(第二庁舎)

【外部リンク】
秋田県

― 市 / ― 町 / ― 村



【ウィキポータル】
日本の都道府県/秋田県
ウィキプロジェクト

秋田県(あきたけん)は、日本東北地方の県の一つで日本海に面する。県庁所在地秋田市である。

目次

  • 1 地理・地域
    • 1.1 位置
    • 1.2 地形
    • 1.3 自然公園
    • 1.4 気候
    • 1.5 自治体
      • 1.5.1 県内の消滅した郡の一覧
    • 1.6 都市圏
    • 1.7 地域圏(広域都市圏)
  • 2 歴史
    • 2.1 先史時代
    • 2.2 古代
    • 2.3 前九年の役と後三年の役
    • 2.4 中世
    • 2.5 近世
      • 2.5.1 久保田藩
      • 2.5.2 由利郡諸藩
      • 2.5.3 明治維新
    • 2.6 近・現代の年表
      • 2.6.1 明治初期の久保田藩・岩崎藩
      • 2.6.2 明治初期の由利郡
      • 2.6.3 明治初期の鹿角郡
      • 2.6.4 廃藩置県以後
  • 3 人口
  • 4 政治・行政
    • 4.1 国政
    • 4.2 犯罪
    • 4.3 県政
    • 4.4 財政
    • 4.5 司法
    • 4.6 友好提携
  • 5 経済・産業
    • 5.1 産業
      • 5.1.1 農業
      • 5.1.2 畜産業
      • 5.1.3 林業
      • 5.1.4 漁業
      • 5.1.5 第二次産業
    • 5.2 金融機関
    • 5.3 秋田県に本社を置く主な企業
  • 6 生活・交通
    • 6.1 警察
    • 6.2 交通
      • 6.2.1 鉄道
      • 6.2.2 路線バス
      • 6.2.3 道路
        • 6.2.3.1 高速道路
        • 6.2.3.2 一般国道
        • 6.2.3.3 県道
      • 6.2.4 空港
    • 6.3 医療・福祉
    • 6.4 教育
    • 6.5 マスメディア
      • 6.5.1 新聞
      • 6.5.2 テレビ局
      • 6.5.3 CATV局
      • 6.5.4 ラジオ局
      • 6.5.5 コミュニティ放送局
  • 7 文化
    • 7.1 方言
    • 7.2 食文化
    • 7.3 伝統工芸
    • 7.4 民俗芸能
    • 7.5 祭り
    • 7.6 スポーツ
  • 8 観光
    • 8.1 有形文化財建造物
  • 9 秋田県を舞台とした作品
    • 9.1 文芸
    • 9.2 映画
    • 9.3 ドラマ
    • 9.4 歌謡
    • 9.5 漫画
    • 9.6 アニメ
    • 9.7 ゲーム
  • 10 秋田県出身の人物
  • 11 脚注
  • 12 関連項目
  • 13 外部リンク

地理・地域

位置

地形

自然公園

気候

秋田県は日本海に面しており、気候区分日本海側気候に分類される。日本海側気候の中でも特徴として沿岸部の冬季の降水量自体はそれほど多くないが、日照時間が極端に少ないことが挙げられる。

内陸部では低温のため、同じ日本海側の山形県新潟県と同様に県内陸部のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい県である。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の放射冷却現象が起こらず(鹿角市仙北市などの内陸部を除く)、特に日本海側沿岸部などは北関東よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部はケッペンの気候区分による亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、秋田沖付近に発生する極低気圧からもたらされる暴風雪やゲリラ豪雪が見られる。

一方で、夏季は高温多湿でどんよりとしており梅雨明けのないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら、太平洋側から吹く季節風奥羽山脈の山々に遮られ、フェーン現象が発生することがある。太平洋側に冷害をもたらすと言われるやませも高温乾燥した風となり、特に県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し真夏日猛暑日になることもあり、特に仙北市周辺ではこの風が豊作をもたらすとして「宝風」と吟われる。

秋田県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報)
平年値
(月単位) 日本海側沿岸部 北東部内陸
八峰町
八森能代
大潟
男鹿
五城目
秋田
秋田市
岩見三内 秋田市
雄和 秋田市
大正寺 由利本荘市
本荘 由利本荘市
矢島 にかほ市
象潟 北秋田市
鷹巣 北秋田市
脇神 北秋田市
阿仁合 大館
平均
気温
() 最暖月 23.9
(8月) | 24.1
(8月) | 23.6
(8月) | 23.5
(8月) | 23.7
(8月) | 24.5
(8月) | 23.7
(8月) |  | 23.6
(8月) | 24.1
(8月) | 24.5
(8月) | 24.9
(8月) | 23.5
(8月) |  | 23.0
(8月) | 23.2
(8月)
最寒月 0.4
(1月) | -0.2
(2月) | -0.3
(1月) | -0.5
(1月) | -1.1
(1月) | 0.0
(1月) | -1.5
(1月) |  | -1.2
(1月) | 0.5
(1月) | -0.4
(1月) | 2.1
(1,2月) | -1.2
(1月) |  | -2.4
(1月) | -2.5
(1月)
降水量
(mm) 最多月 167.3
(7月) | 161.9
(6月) | 161.5
(8月) | 170.4
(8月) | 175.9
(8月) | 183.5
(11月) | 233.4
(7月) |  | 209.4
(11月) | 211.7
(12月) | 270.6
(11月) | 188.5
(7月) | 203.5
(7月) |  | 236.1
(8月) | 210.5
(7月)
最少月 58.3
(2月) | 76.0
(3月) | 62.5
(2月) | 72.0
(2月) | 78.8
(3月) | 84.0
(2月) | 111.7
(3月) |  | 101.9
(3月) | 101.0
(3月) | 117.5
(5月) | 93.9
(3月) | 86.5
(2月) |  | 111.3
(3月) | 72.5
(2月)
平年値
(月単位) 北東部内陸 仙北・南東部内陸
鹿角
鹿角市
湯瀬 鹿角市
八幡平 仙北市
田沢湖 仙北市
角館 大仙市
大曲横手
由利本荘市
東由利湯沢
湯沢市
湯ノ岱
平均
気温
() 最暖月 22.8
(8月) | 22.1
(8月) | 19.9
(8月) | 23.0
(8月) | 24.0
(8月) | 24.0
(8月) | 24.4
(8月) | 23.7
(8月) | 23.7
(8月) | 22.4
(8月)
最寒月 -3.1
(1月) | -3.0
(2月) | -5.1
(1月) | -3.0
(1月) | -2.0
(1月) | -2.0
(1月) | -1.8
(1月) | -1.4
(1月) | -1.8
(1月) | -2.4
(1月)
降水量
(mm) 最多月 165.8
(7月) | 167.0
(8月) | 209.8
(8月) | 266.8
(7月) | 234.4
(7月) | 187.2
(11月) | 167.8
(12月) | 251.4
(12月) | 172.2
(8月) | 214.8
(8月)
最少月 58.9
(2月) | 72.8
(3月) | 94.0
(2月) | 94.2
(2月) | 120.5
(3月) | 90.1
(3月) | 79.4
(3月) | 121.5
(4月) | 70.5
(3月) | 116.8
(3月)

自治体

県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は2018年4月1日現在。

1
秋田県の自治体 /
略数字 : 1.八郎潟町
秋田周辺地域(389,565人)
大曲・仙北地域(125,123人)
大館・北秋田地域(105,050人)
本荘・由利地域(101,103人)
横手・平鹿地域(88,420人)
能代・山本地域(78,414人)
湯沢・雄勝地域(61,280人)
鹿角地域(35,519人)

県内の消滅した郡の一覧

都市圏

都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷

1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年
秋田 都市圏
384718人 | 秋田 都市圏
435144人 | 秋田 都市圏
450274人 | 秋田 都市圏
452316人 | 秋田 都市圏
429178人 | 秋田 都市圏
412968人
大館 都市圏
95521人 | 能代 都市圏
102767人 | 横手 都市圏
111887人 | 横手 都市圏
108286人 | 大仙 都市圏
148258人 | 横手 都市圏
168880人
能代 都市圏
90847人 | 大館 都市圏
90069人 | 能代 都市圏
99720人 | 大曲 都市圏
104840人 | 由利本荘 都市圏
118527人 | 大仙 都市圏
139543人
横手 都市圏
72708人 | 横手 都市圏
78822人 | 大館 都市圏
88231人 | 能代 都市圏
95578人 | 横手 都市圏
106832人 | 由利本荘 都市圏
112773人
大曲 都市圏
69993人 | 大曲 都市圏
77328人 | 大曲 都市圏
87986人 | 本荘 都市圏
86256人 | 能代 都市圏
90887人 | 能代 都市圏
90028人
本荘 都市圏
67337人 | 本荘 都市圏
68446人 | 本荘 都市圏
82462人 | 大館 都市圏
86246人 | 大館 都市圏
82504人 | 大館 都市圏
78946人
湯沢 都市圏
49612人 | 湯沢 都市圏
68421人 | 湯沢 都市圏
81476人 | 湯沢 都市圏
77989人 | 湯沢 都市圏
73557人 | -

地域圏(広域都市圏)

秋田県 地域区分図

県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている(この区分では、いわゆる男鹿潟上南秋地区が、県北部の扱い)。

地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。


歴史

現在の秋田県は、令制国での出羽国陸奥国の各一部(明治初年にそれぞれ分割されたうちの羽後国陸中国の各一部)からなる。「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まる。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形から付けられたものだともいわれており、雄物川河口部の古地形のことを示している可能性がある。

その後、天平5年12月26日(734年2月4日)に庄内地方にあったとされる出羽柵が高清水の岡に移し置かれ、後に天平宝字年間頃には、「秋田城」と呼ばれるようになり、「秋田」の表記で定着した。中世後期には日本最古の海洋法規集「廻船式目(廻船大法)」には三津七湊の一つとして「秋田湊」と呼ばれ重要な湊の一つに数えられた。

先史時代

秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠として多くの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器が多数出土している。製作技術からナイフ形石器細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。

遺跡発掘としては、1969年(昭和44年)から5次にわたって発掘された大仙市協和の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている。

今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6年)に確認された。1951年(昭和26年)と翌年の1952年(昭和27年)にも考古学研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。

西日本では、この縄文人に加え弥生時代頃から弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。

古代

8世紀の前半に朝廷により、日本海沿岸北辺の交易・征服などの拠点として出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、天平5年12月26日(734年2月4日)、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田市寺内)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年頃に秋田城に改称される。この頃から「秋田」の表記で定着している。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。この頃になると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀頃には太政官命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。

元慶2年(878年)元慶の乱が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、天慶2年に再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。

前九年の役と後三年の役

中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。

北上川中流以北に勢力を広げていた安部氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(永承6年(1051年) - 康平5年(1062年))である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。

しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽国、沼柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(永保3年(1083年) - 応徳4年/寛治元年(1087年))である。この戦の後に、清衡奥州藤原氏として栄えた。

中世

奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末 - 12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。

隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は文治5年(1189年)、19万の軍勢を率いて奥州合戦を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3か月で討ち取られた。

数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に鎌倉幕府の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏安保氏秋元氏奈良氏、橘氏、浅利氏平賀氏小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。

その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏前田氏本堂氏六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、由利十二頭と呼ばれる勢力になった。

近世

慶長5年(1600年)の ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/08/19 08:48

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