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立命館大学とは?

【大学設置】
1922年
【創立】
1900年
【学校種別】
私立
【設置者】
学校法人立命館
【本部所在地】
京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1
【キャンパス】
朱雀(京都府京都市中京区)
衣笠(京都府京都市北区)
びわこ・くさつ(滋賀県草津市)
大阪いばらき(大阪府茨木市)
【学部】
法学部
文学部
映像学部
産業社会学部
国際関係学部
経営学部
政策科学部
総合心理学部
グローバル教養学部
経済学部
理工学部
情報理工学部
生命科学部
薬学部
スポーツ健康科学部
食マネジメント学部
【研究科】
法学研究科
文学研究科
映像研究科
社会学研究科
国際関係研究科
言語教育情報研究科
先端総合学術研究科
経営学研究科
政策科学研究科
人間科学研究科
テクノロジー・マネジメント研究科
経営管理研究科
経済学研究科
理工学研究科
情報理工学研究科
生命科学研究科
薬学研究科
スポーツ健康科学研究科
法務研究科
教職研究科
【ウェブサイト】
立命館大学公式サイト

立命館大学(りつめいかんだいがく、英語: Ritsumeikan University)は、京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1に本部を置く日本私立大学である。1922年に設置された。大学の略称は立命、立命館、立命大。近畿地方では立大も使用される。

地理院地図 Googleマップ 立命館大学

目次

  • 1 概観
    • 1.1 大学全体
    • 1.2 建学の精神
    • 1.3 学風および特色
    • 1.4 立命館大学全学協議会
  • 2 沿革
    • 2.1 略歴
    • 2.2 西園寺公望との関係
    • 2.3 年表
  • 3 基礎データ
    • 3.1 所在地
    • 3.2 象徴
    • 3.3 校歌
    • 3.4 スローガン・タグライン
  • 4 組織および研究
    • 4.1 組織
      • 4.1.1 学部
        • 4.1.1.1 衣笠キャンパス
        • 4.1.1.2 びわこ・くさつキャンパス
        • 4.1.1.3 大阪いばらきキャンパス
      • 4.1.2 II部(二部・夜間部)
      • 4.1.3 インスティテュート
      • 4.1.4 大学院
        • 4.1.4.1 衣笠キャンパス
        • 4.1.4.2 びわこ・くさつキャンパス
        • 4.1.4.3 大阪いばらきキャンパス
        • 4.1.4.4 朱雀キャンパス
      • 4.1.5 附属機関
      • 4.1.6 附属図書館
      • 4.1.7 博物館
      • 4.1.8 西園寺文庫
    • 4.2 研究
      • 4.2.1 21世紀COEプログラム
      • 4.2.2 グローバルCOEプログラム
    • 4.3 教育
      • 4.3.1 採択されたプログラム
      • 4.3.2 立命館土曜講座
      • 4.3.3 留学
  • 5 学生生活(課外活動・自治活動など)
    • 5.1 立命館大学学友会
    • 5.2 学園祭
      • 5.2.1 学園祭運営体制
    • 5.3 新歓祭典
    • 5.4 スポーツ
    • 5.5 文化系
  • 6 大学関係者と組織
    • 6.1 大学関係者組織
    • 6.2 大学関係者一覧
  • 7 施設
    • 7.1 キャンパス
      • 7.1.1 衣笠キャンパス
        • 7.1.1.1 衣笠キャンパスにある記念館
          • 7.1.1.1.1 末川記念会館
          • 7.1.1.1.2 西園寺記念館
      • 7.1.2 立命館朱雀キャンパス
        • 7.1.2.1 中川会館
          • 7.1.2.1.1 概要
          • 7.1.2.1.2 特徴
          • 7.1.2.1.3 旧中川会館
      • 7.1.3 びわこ・くさつキャンパス
        • 7.1.3.1 セントラルアーク
        • 7.1.3.2 エポック立命21
      • 7.1.4 大阪いばらきキャンパス
      • 7.1.5 かつて存在したキャンパス
        • 7.1.5.1 広小路学舎
    • 7.2 寮
      • 7.2.1 国内寮
      • 7.2.2 海外寮
      • 7.2.3 かつて存在した寮
    • 7.3 立命館プラザ
    • 7.4 サテライトキャンパス・オフィス
  • 8 対外関係
    • 8.1 海外大学・機関との協定
      • 8.1.1 留学協定
        • 8.1.1.1 学部生留学協定
          • 8.1.1.1.1 共同学位プログラム協定
          • 8.1.1.1.2 ブリティッシュ・コロンビア大学との留学協定
          • 8.1.1.1.3 カリフォルニア大学デービス校との留学協定
          • 8.1.1.1.4 アルバータ大学(カナダ)との留学協定
          • 8.1.1.1.5 交換留学協定
        • 8.1.1.2 大学院生留学協定
        • 8.1.1.3 学外機関による留学プログラム
        • 8.1.1.4 留学生受け入れ協定
    • 8.2 国内大学・機関との主な協定
    • 8.3 系列校
    • 8.4 加盟団体
  • 9 附属学校
  • 10 脚注
  • 11 関連文献
  • 12 Wiki関係他プロジェクトリンク
  • 13 外部リンク

概観

大学全体

「立命館」の由来は、『孟子』盡心章句(じんしんしょうく)にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られた。

建学の精神

建学の精神は「自由と清新」である。教学理念は「平和民主主義」である。

学風および特色

末川博記念碑(衣笠キャンパス)
末川博 名誉総長のことば「未来を信じ 未来に生きる」が刻まれる記念碑。末川記念会館前の木立に立つ。

第二次世界大戦前から戦中に掛けて、立命館大学は世相を反映して国家主義的傾向が強まっていった。

一方で滝川事件(立命館大学では「京大事件」と呼称)の際には、同事件に連座して京都帝国大学を退官した教員を受け入れていた。終戦直後、同事件に連座した、京都大学法学部教授の末川博を総長へ招聘した。その末川を中心に大学の改革へ乗り出す。憲法教育基本法を尊重して「平和と民主主義」を守ろうという末川の思想が中心となって、立命館大学は「民主的な学園運営」「自主的学習の尊重」の2本柱によって構成され、以下に記載する取り組みが現在の立命館大学に至るまで実施され続けている。末川が立命館大学に与えた影響は極めて大きく、これらの功績を讃えて、同大学では末川を名誉総長として顕彰している。また、末川が構成した思想を「立命館民主主義」と呼んでいる。

立命館大学全学協議会

立命館大学全学協議会

立命館大学には最高の協議機関である「立命館大学全学協議会」を設置している。

1948年9月25日に名誉総長の末川博によって創設された。

参加者は常任理事会、学友会、院生協議会連合会、教職員組合および生活協同組合(オブザーバー)の各代表となっている。

特に学生や大学院生の代表を大学自治の重要な担い手として位置づけ、正式な構成員としている点が特徴的であり、立命館大学の掲げる「全構成員自治」の要となる民主的制度である。

この全学協議会では、学園の重要な課題である長期計画や教学課題、学生生活課題、学費課題など正課や課外を問わず、大学運営や学園創造に関するすべての重要な事項について協議をし、学園の構想に反映させ教育やキャンパス環境の高度化を図っている。

通年は一般には非公開で「全学協議会代表者会議」が行われているが、4年に一度の学費改定方式の見直し議論の際は、「公開全学協議会」の形で開催される。公開全学協議会には、立命館に在籍する学生および教職員が傍聴することできる。最近では、2015年に開催されたとされている。(諸事情で延期になった可能性も高いとされている)

沿革

「立命館草創の地」記念碑
京都法政学校は、東三本木通にあった料亭「清輝楼」を仮学舎とした。現在跡地には記念碑が建てられている。
立命館大学広小路学舎(1920年代)
「中川小十郎ゆかりの泰山竹」(衣笠キャンパス中央広場)
学園創立者 中川小十郎は竹筆作りが得意で、西園寺公望から「竹筆老兄」と呼ばれるほどの名人だった。西園寺が「坐漁荘」(静岡県)に移り住む1920年頃、台湾銀行頭取として遠く台湾の地にあった中川は、静岡を訪れる際の常宿「一碧楼水口屋」に、台湾から持ち帰った泰山竹を寄贈・移植した。写真の竹は、このときの竹の一部が衣笠に移植されたもの。
中川小十郎の胸像と立命館扁額(西園寺公望揮毫)
学校法人立命館・学祖西園寺公望の石膏像
「立命館」大扁額(明治38年寄贈)
西園寺公望が自ら筆をとって立命館に与えたもの。「立命館」の三文字を大書、以下 七十五文字のゆかりを附記した。1909年(明治42年)の火災で消失してしまったため現存せず、写真が伝わっているのみである。
「立命館」大扁額(大正7年寄贈)
消失した大扁額の代わりとして、西園寺公望が新たに揮毫して学園に贈ったもの。

略歴

1869年西園寺公望私塾立命館を創設。しかし、京都府庁(太政官留守官)の差留命令により1年弱で閉鎖された。西園寺の秘書官であった中川小十郎が西園寺の意志を継ぎ、1900年に向学心を持つ勤労青年のために勉学の機会を与えるとともに、京都帝国大学教員の経済支援を兼ねた夜間学校として京都法政学校を設立。京都市上京区東三本木丸太町にあった料亭清輝楼」(「吉田屋」の近隣にあった)を仮の校舎とした。

他方、1889年に、京都法学校(きょうとほうがっこう)が、京都市下京区寺町通四条下ル大雲院内に設立されている。これは、法律学および経済学を教授することを目的に設立された私立学校で、校主には司法省学校卒業後、京都始審裁判所に勤務した山崎恵純が就任。この他、名誉員に京都府知事大審院評定官、京都始審裁判所所長、同検事、京都府警部長らが就いた。しかし、その後、入学希望者の増加に対応しきれなくなり、京都法政学校に事実上引き継がれた。山崎恵純は引き続き京都法政学校の教授を務めた。

現在の立命館大学では、京都法政学校が設立された1900年創立と、私塾立命館が開設された1869年を立命館の創始としている。

西園寺公望との関係

私塾立命館の閉鎖をたいそう残念に思っていた西園寺公望は、同私塾の復興を誓う。その意志を継いだのが西園寺の秘書官、中川小十郎だった。 自分の意志を継いだ中川に西園寺は協力を惜しまず、自らの政治的人脈を生かし、様々な形での支援を行った。西園寺の庶弟末弘威麿が学園幹事に就任、同じく実弟の住友財閥当主徳大寺隆麿(住友友純)は大口の寄付を行った。また西園寺家家紋である「左三つ巴」の旗を立命館学園が使用することを許可しており実際に使用されていた。また大学昇格に必要な書籍を寄付するなど、ハードウェア的な支援も行っている。また、愛新覚羅溥儀は立命館に巨額の寄付を行っており(衣笠キャンパスは溥儀の寄付により作られた)、これも西園寺の人脈によるものである。

中川が「立命館」の名称を用いる事を西園寺に申し出た際には『立命館』の名称と精神の継承(立命館の再興)を大層喜び、『立命館と由緒』の大扁額を与えた。後に西園寺は「余が建設せる立命館の名称と精神を継承せる貴学」と現在の立命館大学の事を述べており、彼の作った立命館が再興し、受け継がれている事を喜んだ(原文:「明治ノ初メニ於イテ余ガ建設セル立命館ノ名称ト精神ヲ継承セル貴学ガ益々発展シテ国家ノ進運ニ貢献スルコト大ナルベキヲ祈ル」(1935年(昭和10年))。

西園寺は専門学校令によって創立した京都法政大学が、大学令による大学への昇格条件を満たすために多数の書籍を寄付している。これらの書籍は、現在も「西園寺文庫」として保存されている。なお、一回目の寄贈は1925年5月に行われ、英仏書187冊であった。その後、1930年10月16日和漢書約300冊、1938年6月には西園寺家伝来の和綴本739部881冊の寄贈が為された。この和綴書には、宮中儀式、有職故実関係、改元記録、和歌関係などの貴重文書が含まれている。そして1940年5月に行われた最後の寄贈は和漢書6,671冊にもおよび、西園寺が特に愛読していたと思われるものが大量に含まれているのが特徴である。

1932年、83歳になった西園寺は人生最後の京都訪問を行う。その際、立命館大学広小路校地を訪問先に選んだ。9月22日の朝、京都市上京区にある立命館大学広小路学舎を訪れた西園寺は、校舎ホールに飾ってある自筆の『立命館』の扁額に気が付くとしばらく目を留めたといわれている。

西園寺の私塾との間に学校組織としての連続性はないものの、こうした状況から西園寺が没した1940年に財団法人立命館は、西園寺を「学祖」と取り決めた。そのため、西園寺家との関係は、学校法人立命館のみならず、立命館大学とも続いており、大学の行事に西園寺家の人々が出席している。

年表

以上が学校法人立命館に先行する前史

基礎データ

校章

所在地

2010Happy Mail