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竹内まりやとは?

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竹内 まりや

【出生名】
竹内 まりや
【生誕】
(1955-03-20) 1955年3月20日(64歳)
【出身地】
日本島根県簸川郡大社町
(現出雲市)
【学歴】
慶應義塾大学文学部英文科中退
【ジャンル】
J-POP
ニューミュージック
【職業】
シンガーソングライター
ミュージシャン
音楽プロデューサー
作詞家
作曲家
【担当楽器】
ボーカル
ピアノ
ギター
【活動期間】
1978年 -
【レーベル】
RCA ⁄ RVC(1978年 - 1981年)
MOON ⁄ ALFA MOONWARNER MUSIC JAPAN(1984年 - 1990年)
MOON ⁄ MMGWARNER MUSIC JAPAN(1990年 - 1993年)
MOON ⁄ EAST WEST JAPANWARNER MUSIC JAPAN(1993年 - 2002年)
MOONWARNER MUSIC JAPAN(2003年 - )
【事務所】
スマイルカンパニー
テンダベリー&ハーヴェスト
【共同作業者】
山下達郎
【公式サイト】
竹内まりや Official Web Site
ザ・ピーナッツ伊東ゆかりザ・バンドリバプールサウンドなど

竹内 まりや(たけうち まりや、1955年3月20日 - )は、日本シンガーソングライターミュージシャン。通称「シンガーソング専業主婦」。本名:山下 まりや(旧姓:竹内)。所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。所属事務所はスマイルカンパニー

島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身で、実家は1877年創業の老舗旅館、竹野屋旅館。父親は実業家・元大社町長である竹内繁蔵。6人兄弟の三女。夫はシンガーソングライター・ミュージシャンの山下達郎。山下との間に一女がいる。血液型はA型。

目次

  • 1 略歴
    • 1.1 年少時代 - デビュー直後
    • 1.2 結婚 - 1990年代
    • 1.3 2000年代
    • 1.4 2010年代
  • 2 コンサート
    • 2.1 コンサート
  • 3 人物
  • 4 エピソード
  • 5 ディスコグラフィー
    • 5.1 シングル
    • 5.2 アルバム
    • 5.3 その他のアルバム
    • 5.4 参加作品
  • 6 タイアップ
  • 7 受賞歴
  • 8 楽曲提供
  • 9 メディア出演
    • 9.1 ラジオ
    • 9.2 テレビ
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 関連項目
  • 12 外部リンク

略歴

実家である旅館・竹野屋。

年少時代 - デビュー直後

島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身。生家は出雲大社正門前に位置する老舗旅館『竹野屋旅館』。4女2男の6人兄弟の三女。世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられる。

高等学校在学中に、AFS交換留学制度によりアメリカイリノイ州のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学。

高校卒業後は慶應義塾大学文学部の英文学科へ進学。在学中に音楽サークル「リアル・マッコイズ」に所属。リーダーは杉真理だった。このサークルで竹内は鈴木慶一の従妹らとともにバックコーラスを担当。杉の作ったバンド「ピープル」でキーボードとコーラスを担当し、第8回ポプコン関東・甲信越大会(1974年9月7日中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で参加しているが、同大会には別グループとして佐野元春(バックレイン元春セクション)、庄野真代、桐ヶ谷仁(フェードイン、後に松任谷正隆の経営する音楽学校講師を務める)も参加していた。

1978年ビクターより発売された『ロフト・セッションズ(1)』に參加。「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」の2曲を録音する。この「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」はプロモ・オンリーの7インチシングル盤でシングル・カットされた。

1978年11月25日にRCA/RVCよりシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまってアイドル歌手のような役割を担った。大学では英文科に進んだが、厳しいことで有名な唐須教光のゼミと音楽活動の両立ができなくなり留年。のち、1979年のシングル「SEPTEMBER」で第21回日本レコード大賞新人賞を獲得、1980年のシングルで資生堂化粧品CMソングとなった「不思議なピーチパイ」などがヒットする。当初は安井かずみ加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていたが、これに飽き足らず自らも作詞・作曲を手がけるようになった。

この頃にアレンジャーとして竹内の前に現れたのが、後に公私にわたるパートナーとなる山下達郎である。もっとも、デビュー以前からシュガー・ベイブや山下のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た山下のライブには大きなインパクトを受けたという。当初、山下は竹内のレコーディングにアレンジャーとして起用されたが、同じRVC所属のシンガーのレコーディングに際しては、双方がコーラスに起用されるなど、その関わりは密になっていった。こうして次第に懇意になり、1980年頃から山下のマンションで同棲生活を始めた。

竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦細野晴臣告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子林哲司伊藤銀次杉真理安部恭弘浜田金吾といった作家が提供している。

結婚 - 1990年代

1981年、過酷なスケジュールの中で喉を痛めたことや、アイドル的な活動へのオファーと自身の希望する活動とのギャップに悩み、音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言。1982年4月に山下と結婚。これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などヒットを放つ。しかし1982年、山下の担当ディレクター小杉理宇造RVCから独立しアルファ・ムーンを設立。山下も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍。「記念に一枚」のつもりで、1984年にシングル「もう一度」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース。このアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に竹内が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下が驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。最終的には30万枚以上のヒットになった。同年、長女が誕生する。

その後は家庭生活を優先したためにライブ活動からも遠のくが、アレンジャー・プロデューサーを務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動を続けた。3年間のロングセールスを記録したアルバム『REQUEST』(1987年)や、シングル曲として「AFTER YEARS/」(1987年)、「シングル・アゲイン」(1989年)、「告白」(1990年)、「マンハッタン・キス」(1992年)など続けてヒット、特に1994年発売の「純愛ラプソディ」は、自身現時点で最大のヒット曲となった。さらに、1992年にはアルバム『Quiet Life』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、1994年のベスト・アルバム『Impressions』は売り上げ300万枚を超えるヒットを記録した。

作詞・作曲家としても薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984年)、岡田有希子の「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」(1984年)、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」(1986年)、広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」(1997年)など、多くのヒット作を生んだ。

1990年代初め、中国系の歌手・林羽萍(Lín Yŭpíng, 英語名 Jessica)がアルバム『久別重逢』の中で「元気を出して」を「清醒之後」としてカバーしている。中国詞は「王中言」で、作曲者は本来「竹内まりや」とすべきところが「熊天龍」という全く違う名前になっている。

1995年11月のシングルで、ケンタッキー・フライドチキンのクリスマス・キャンペーン・ソングとして使用された「今夜はHearty Party」では、当時たまたま観ていたフジテレビ系ドラマ『あすなろ白書』に触発され、歌詞に「キムタク」のフレーズを入れたことから、ダメもとを覚悟でSMAP木村拓哉の起用をジャニーズ事務所へ打診したところ、快諾を得てコーラスと冒頭、間奏の台詞に木村が参加している。

2000年代

2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京(11日、12日)・大阪(31日)で行う(ライブ・アルバム『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』収録)。その後もアルバム『Bon Appetit!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリース。いずれもオリコンチャート1位を獲得。2004年には山下のシングル「忘れないで」の作詞を担当など、着実に活動を続けていた。そして、子育てが一段落したことで2006年からは再び積極的に新譜リリースを行うようになり、2007年には6年ぶりにオリジナルアルバムDenim』を発表。『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たし、人気を証明した。

楽曲は、OLの何気ない日常に焦点を当てた歌などが多いが、道ならぬ恋を題材にした曲も多い。竹内の作品で男女の道ならぬ恋を題材にし始めたのは、中森明菜1986年のアルバム『CRIMSON』のテーマに沿う形で提供した楽曲群からであったが、提供した5曲中2曲をアルバム『REQUEST』で竹内がセルフカバーした(さらにもう1曲のセルフカバーが『Denim』の初回特典CDに収録されている)。これらが高評価を得たことによって、彼女の音楽世界のパブリックイメージのひとつとして定着した。

2007年8月のシングル「チャンスの前髪」にはサザンオールスターズ原由子がゲストボーカルとして参加している。続く2008年5月のシングル「幸せのものさし」では 、この曲が主題歌となったTBS系ドラマ『Around40〜注文の多いオンナたち〜』の主演女優、天海祐希が竹内たっての希望でコーラスに参加、ミュージック・ビデオにも出演している。

2008年、デビュー30年を迎えるこの年、9月には竹内の曲のみで構成されたジュークボックス・ミュージカル本気でオンリーユー』が松浦亜弥主演で初演された。9月29日から放送が開始された、竹内の故郷である島根県を舞台としたNHK連続テレビ小説だんだん』では主題歌「縁の糸」とナレーションを担当、また劇中歌「いのちの歌」をヒロインを務めた茉奈 佳奈へ楽曲提供している。10月1日に、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『Expressions』が発売された。このベストアルバムの選曲にあたり、公式サイトで楽曲のファン投票を行い、NHK『SONGS』1周年記念特別番組にて発表した。10月23日には、東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家林哲司の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場し、林が手がけた「September」「象牙海岸」の2曲を生披露した。12月28日大阪フェスティバルホールで開かれた山下達郎のフェスティバルホール最後の公演に、「私も、フェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演。「人生の扉」「September」を披露。またダブルアンコールで「LET IT BE ME」(山下とのデュエット)も披露した。

2009年4月17日、山下のコンサートツアー東京最終公演(追加公演を除く)にあたる中野サンプラザホールの公演にも、アンコールのサプライズゲストとして出演。「September」を披露し、残り2曲のコーラス隊にも参加した。

2010年代

2010年8月14日に北海道で行われた野外フェス『RINSING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO』に山下が出演した際、バックコーラスの一人として全曲に参加。同年12月4日、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』の初日にピアノ弾き語りで「いのちの歌」を披露した。この曲はドラマ『だんだん』で主題的な意味を持つ重要な曲であり作詞家はMiyabiとされていたが、自身がペンネームを用いて作詞したことを明かした。

2012年4月6日、結婚30周年(真珠婚)を迎えた。同年9月2日、『SWEET LOVE SHOWER 2012』に山下が出演した際、スペシャルゲストとして登場し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「元気を出して」を披露した。

2013年には出身地の出雲市からの依頼を受け、出雲大社の60年に一度の大遷宮のこの年に、故郷への想いを歌った「愛しきわが出雲」を書き下ろして楽曲提供。出雲の市民コーラス隊と共に、地元でレコーディングした4日には、デビュー35周年の記念企画としてアン・ルイス「リンダ」、河合奈保子けんかをやめて」、中森明菜」など他アーティストへの提供楽曲を集めた2枚組コンピレーション・アルバムMariya's Songbook』を発売。自ら監修・選曲を手がけ、楽曲解説も自ら執筆。初回限定盤には自身が歌った提供楽曲のデモバージョンなどのレア音源も収録された。

2014年、7月デビュー35周年アニバーサリイヤーを飾るシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。竹内自身の発案で桑田佳祐、原由子をコーラスに迎え、山下達郎も加えた4人での楽曲制作が「蒼氓」以来26年ぶりに実現した。

同年9月、7年ぶりのアルバム「TRAD」をリリース。オリコンチャート2週連続で1位獲得。第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。また、同年11月から12月にかけて1981年以来33年ぶりに6都市9公演の全国ツアーも行う。

同年11月19日、ムーン移籍後最初のアルバムである『VARIETY』の30周年記念盤をリリース。

2015年3月、出雲市から特別功労者として表彰を受ける。出雲市に楽曲「愛しきわが出雲」を提供し、地域への愛着醸成に貢献した功績による受賞であった。

同年5月、第6回岩谷時子賞を受賞。

2016年2月、嵐のニューシングル「復活LOVE」の作詞を手掛ける。作曲・編曲は山下達郎。 同年4月、テレビ東京系列経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」のエンディングテーマを書き下ろす。2017年3月までの1年間放送。

2017年3月から実家である島根県出雲市にある竹野屋旅館(創業140年)の事実上のオーナーとなっている。

同年11月22日、『REQUEST』の30周年記念盤をリリース。

2018年、デビュー40周年を迎える。それを記念して10月17日にはシングル「小さな願い/今を生きよう」をリリース、11月18日には初のファンミーティングを開催した。11月21日からはデビューアルバム『BEGINNING』の40周年記念リマスター盤が発売されたことを皮切りに、RCA/RVC時代のカタログが最新リマスターとボーナストラック付きで順次発売された。

2019年3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。

コンサート

2000年に『TOKYO-FM&fm-osaka開局30周年記念イベント』が、日本武道館(7月11日・12日)と大阪城ホール(7月31日)にて開催され、cannaSing Like Talkingとともに竹内本人も出演し、約18年ぶりに本格的なコンサートを開催した。公演は3番目のトリとして出演。約1時間半の公演時間で、14曲を歌唱した。山下達郎もバックメンバーとして参加し、最後には二人のデュエット曲「LET IT BE ME」も披露している。この模様は『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』としてアルバム化された。

これ以降も、2007年10月13日に開催された、コブクロなどが出演した野外ライブ『風に吹かれて』で、シークレットゲストとしてサプライズ登場し、「元気を出して」を、松たか子などの出演者とともに披露し、また、長年の音楽仲間であるセンチメンタル・シティ・ロマンスのコンサートのサプライズゲストで持ち歌を披露するなど、必ずしもライブに否定的ではなく、またまりや本人も2009年以降のライブ活動に対して意欲を見せていた(2008年11月27日のNHK『ラジオ深夜便』でのインタビューにて)。また2008年12月5日に厚木市民文化会館で行われた、夫・山下達郎のコンサートで、「まりやのコンサートもこのメンバーでやる」との発言があり、ライブへの本格復帰が期待されていたが、2010年8月29日にゲスト出演した『山下達郎のサンデー・ソングブック』と公式サイトにおいて、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』を12月3日・4日に日本武道館で、12月21・22日に大阪城ホールで開催することを発表した。その後、このコンサートのライブ音源の一部は2011年2月27日の同番組内で「夫婦放談番外編」として放送された。2014年には11月22日から12月21日にかけて、33年ぶりとなる全国ツアー『souvenir 2014』を全国6都市、9公演開催した。

2018年には、デビュー40周年を記念して過去3度に渡って開催されたコンサートの模様を期間限定で『souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live~』と題し、映画館での上映が決定した。

コンサート

年 形態 タイトル 公演規模 公演日程・会場 備考
1979年 | 単独 | ファースト・コンサート "WE WANT MARIYA" | 1ヶ所、1公演 | 6月9日 日本青年館 | 
単独 | 竹内まりやコンサート | 2ヶ所、2公演 | 10月5日 大阪厚生年金会館
10月12日 目黒公会堂 | 
単独 | ファースト・アニバーサリー・コンサート | 1ヶ所、1公演 | 12月14日 芝郵便貯金会館 | ゲスト:山下達郎、アン・ルイス
1980年 | ジョイントライブ | 竹内まりや VS ダニー飯田&パラダイスキング | 1ヶ所、1公演 | 3月1日 サンシャイン劇場 | 
単独 | Love you Picnic tour |  |  | 
1981年 | 単独 | ”Miss M”Concert |  |  | 
単独 | MARIYA POPPING TOUR |  | 1981年8月25日 中野サンプラザ 等 | 40周年記念リマスター盤に収録:夏の恋人 / グッドバイ・サマーブリーズ / すてきなヒットソング / J-Boy / 想い出のサマーデイズ / SEPTEMBER / 象牙海岸 / 恋の終わりに / 二人のバカンス / Secret Love / Sweetest Music / Farewell Call
単独 | Portrait Concert |  |  | 
単独 | SO LONG LIVE |  | 1981年12月22日 厚生年金ホール | 40周年記念リマスター盤に収録:ブルー・ホライズン / 待っているわ / 五線紙
2000年 | ジョイントライブ | TOKYO FM/fm osaka 開局30周年記念コンサート | 2ヶ所、3公演 | 7月11日 日本武道館
7月12日 日本武道館
7月31日 大阪城ホール | 共演:cannaSing Like Talking
2007年 | フェスティバル | 朝日新聞21 LIVE in EXPO'70 『風に吹かれて2007』」 | 1ヶ所、1公演 | 10月13日 万博公園もみじ川芝生広場 | コブクロ主催の音楽フェスに、シークレット・スペシャル・ゲストとして参加。みんなひとり(共演:松たか子)、元気を出して(共演:松たか子、コブクロ、TAKE佐藤竹善)を披露した。
2008年 | ゲスト出演 | 作曲家35周年記念 林哲司スペシャルサンクスコンサート ~Hit Song File | 1ヶ所、1公演 | 10月23日 東京国際フォーラム ホールA | 林哲司の記念コンサートに、シークレットゲストとして出演。林が作曲したSEPTEMBER象牙海岸を披露した。
2008年-2009年 | ゲスト出演 | 山下達郎 PERFORMANCE 2008-2009 | 2ヶ所、2公演 | 2008年12月28日 フェスティバルホール
2009年5月11日 中野サンプラザ | 山下達郎のフェスティバルホール解体前の最終公演に「私も、フェスティバルホールに、さよならを言わせて欲しい」との意向で、アンコールにゲスト出演。人生の扉SEPTEMBER、ダブルアンコールでは、山下と共にレット・イット・ビー・ミーを披露した。またツアー最終公演となる中野公演では、アンコールにSEPTEMBERを披露した。
2010年 | ジョイントライブ | WARNER MUSIC JAPAN 40th.Anniversary 〜100年 MUSIC FESTIVAL〜 | 1ヶ所、2公演 | 10月30日31日 日本武道館 | 10月31日に出演することが発表され、「元気を出して」、「人生の扉」を披露。30日は山下達郎とサプライズ出演し、「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。
単独 | ケンタッキーフライドチキン Presents TOKYO-FM/FM OSAKA 開局40周年記念スペシャル
『souvenir again』 竹内まりや LIVE 2010 | 2ヶ所、4公演 | 12月3日 日本武道館
12月4日 日本武道館
12月21日 大阪城ホール
12月22日 大阪城ホール | オープニングアクト:BOX(12月3日・22日)、センチメンタル・シティ・ロマンス(12月4日・21日)
2012年 | ゲスト出演 | SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2012 | 1ヶ所、1公演 | 8月30日 山中湖交流プラザきらら | 山下達郎が出演した夏フェス「SWEET LOVE SHOWER 2012」に、サプライズ出演し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」、「元気を出して」」を披露した。
2013年 | ゲスト出演 | 山下達郎 PERFORMANCE 2013 | 1ヶ所、1公演 | 12月24日 中野サンプラザ | 山下達郎のライブアンコールに、サプライズ出演。山下と共に「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。
2014年 | ゲスト出演 | SPACE SHOWER TV 25TH ANNIVERSARY SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2014 | 1ヶ所、1公演 | 8月30日 山中湖交流プラザきらら | 山下達郎が出演した夏フェス「SWEET LOVE SHOWER 2014」に、サプライズ出演し、「プラスティック・ラブ」を披露した。
単独 | ケンタッキーフライドチキン Presents 『souvenir 2014』 竹内まりや LIVE
supported by JAPAN FM NETWORK | 6ヶ所、9公演 | 11月22日 広島グリーンアリーナ
11月23日 広島グリーンアリーナ
11月29日 ゼビオアリーナ仙台
12月4日 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
12月9日 マリンメッセ福岡
12月13日 大阪城ホール
12月14日 大阪城ホール
12月20日 日本武道館
12月21日 日本武道館 | 福岡、大阪、東京公演は、「TOKYO-FM/FM OSAKA/FM FUKUOKA 開局45周年記念」公演。
2018年 | ファンミーティング | MARIYA TAKEUCHI ファンミーティング(プレミアム・ミニライブ&トーク) | 2ヶ所、3公演 | 11月16日 NHK大阪ホール
11月18日 品川ステラボール | 竹内まりやデビュー40周年を記念し、シングル「小さな願い」と、シアターライブ「souvenir the movie 〜 MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜」のムビチケカードの両方を購入した応募者の中から、抽選で2,500人を招待した初のファンミーティング。

人物

エピソード

アイドル時代に『TVジョッキー』(日本テレビ系)に出演して、大口コンテストで一般人の口の中に大量のところてんを押し出す役をさせられたとき、「私はいったい何をやっているんだろう?」と悩み、以後テレビの出演を結婚までに段階的に縮小した。

達郎とのなれそめについては、元々、達郎の音楽のファンであったが、同じレコード会社の先輩後輩という関係となり、「芸能人運動会みたいな番組に出て悩んで行き詰まったときに、いろいろと相談に乗ってくれたのが、結婚に至ったきっかけ」と話している。結婚に際して、山下からのプロポーズの言葉はなく「結婚しようか」くらいだったという。ちなみに山下が一番好きな曲は「純愛ラプソディ」。

基本的に竹内がライブをやらない理由は、「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下から制限を受けたり、遠慮・気遣いではない、と明言している。以前インタビューで、「達郎が『ライブは、やるな』と言っているとか、『達郎に遠慮している』とか言われているけど、私がライブをやりたくなったら、達郎がなんと言おうと、私はやるって! 本当にやりたくないから、今はやらないだけ」と答えている。2013年のインタビューでは、ステージで歌うのはわりと苦手であり、スタジオで緻密に音楽作りをするほうが好きだと述べている。

通称である「シンガーソング専業主婦」は山下が命名したものであり、竹内自身は「専業」ではなく「兼業」であると突っ込みを入れている。

前述の実家の老舗旅館が経営難に陥った際、両親や兄弟への感謝の思いもあり、廃業や売却から救う為に改装費用を含めたリニューアルの資金を出して事実上のオーナーとなった。

ディスコグラフィー

シングル

発売日 タイトル 規格品番 順位 登場週数 収録アルバム
1 1978年11月25日 | 戻っておいで・私の時間 | RVS-541 | 84位 | 9週 | BEGINNING
2 1979年2月25日 | ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜 | RVS-545 | 30位 | 24週 | UNIVERSITY STREET
3 1979年8月21日 | SEPTEMBER | RVS-553 | 39位 | 23週 | LO
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出典:wikipedia
2019/10/15 06:03

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