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第三次ソロモン海戦とは?

【第三次ソロモン海戦】

太平洋戦争

1942年11月12日ガダルカナル島近海で撃墜され、黒煙を上げる日本機。
【時】
1942年11月12日1942年11月15日
【場所】
ガダルカナル島近海, ソロモン諸島
【結果】
連合軍の勝利

【衝突した勢力】

大日本帝国 |  アメリカ合衆国
オーストラリア
【指揮官】

阿部弘毅
近藤信竹 |  ダニエル・J・キャラハン
ウィリス・A・リー
【戦力】

空母1
戦艦2
巡洋艦8
駆逐艦16 | 空母1
戦艦2
巡洋艦5
駆逐艦12
【被害者数】

戦艦2沈没
巡洋艦1沈没
駆逐艦3沈没
輸送船11沈没
航空機64
戦死1,900 | 巡洋艦2沈没
駆逐艦7沈没
航空機36
戦死1,732

第三次ソロモン海戦(だいさんじソロモンかいせん)は、1942年11月12日 - 15日にソロモン海で行われた日本海軍アメリカ海軍オーストラリア海軍との間で行われた海戦。連合国軍の勝利により日本軍増援部隊は阻止され、ガダルカナル島の戦いは連合国軍優勢となっていくきっかけとなった。

経緯

ガダルカナル島の戦い」も参照

1942年8月、アメリカ軍はウォッチタワー作戦を発動し、ガダルカナル島フロリダ諸島を占領した。日本軍はガダルカナル島の戦力を増強して米海兵隊から占領地を奪還しようと試みたが、その意図は同島のヘンダーソン飛行場から発進したアメリカ軍機によって輸送船団が撃退されて阻止される(第二次ソロモン海戦)。日本軍は、アメリカ軍機に襲撃されると大きな損害を出す輸送船による兵力増強を諦めた。代替手段として、日本海軍は駆逐艦を輸送船のかわりに用いる鼠輸送(連合軍側名称「トーキョーエクスプレス」)で補給を続けたが、敵主力艦を撃沈するために建造された艦隊型駆逐艦にとって不向きの任務だったことは否めない。また駆逐艦の輸送力は輸送船に比べてあまりにも小さく、その補給効果は限定的だった。さらにアメリカ海軍の迎撃やアメリカ軍魚雷艇の活動によって駆逐艦の損害も増えた。

日本海軍は制空権掌握の障害となるヘンダーソン飛行場に対し4回の艦砲射撃をおこなっていた。特に1942年10月13日深夜から翌14日にかけて金剛型戦艦2隻(金剛榛名)が砲撃を行い、一時的に飛行場を使用不能とした(ヘンダーソン基地艦砲射撃)。それでも飛行場の機能を完全に奪うには至らず、日に日に機能の修繕及び防衛の増強が行なわれていた。海上からの砲撃と並行して、ニューブリテン島のラバウル基地から日本軍ラバウル航空隊(第十一航空艦隊第二五一海軍航空隊等)、ニューギニア島のブナ基地から第二〇四航空隊や空母隼鷹、飛鷹の航空隊がガダルカナル島上空に出撃して飛行場爆撃やアメリカ軍戦闘機駆逐を試みたが失敗し、アメリカ軍の航空戦力は健在だった。戦争初期、空中格闘戦能力の高さで連合軍機を圧倒した零式艦上戦闘機(以下、零戦)も、制空戦闘では「往路2時間、ガダルカナル上空での空中戦(滞在時間約30分以下)、帰路2時間」、零戦より速度のでない一式陸上攻撃機爆撃隊を掩護する任務では「片道4時間、直掩戦闘、帰路4時間、合計8時間」という長時間の任務となり、損害を増やした。

日本軍が航空戦に苦戦する一方、アメリカ軍はエスピリトゥサント島を基地とするB-17大型爆撃機(通称、フライングフォートレス=空飛ぶ要塞)の活動とアメリカ軍潜水艦の遊弋(ゆうよく)によって、日本軍の行動力を著しく妨げていた。ガダルカナル島の日本陸軍に補給物資を届けることがますます難しくなり、日本軍にとってガダルカナル島の戦局は悪化の一途をたどっていった。そこで日本海軍(連合艦隊)は、大口径砲を装備した戦艦による艦砲射撃をふたたび実施して飛行場を破壊、同時に陸軍第三十八師団と大量の補給物資をガダルカナル島に強行輸送し、同島のアメリカ軍を圧倒するという決断を下す。第十一戦隊の金剛型戦艦2隻(比叡霧島)を中核として「第五次挺身隊」を編成し、彼らに第三十八師団上陸の前にヘンダーソン基地の砲撃を命じた。比叡、霧島とも就役してから30年が経過していたが、改装によって速力30ノットを発揮する高速戦艦となり、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦で空母機動部隊の護衛艦をつとめるなど、第一線級の能力を持っていた。特に比叡は大和型戦艦のテスト艦として装備が改良されていた。

吉田俊雄(海軍少佐、軍令部勤務)は「本来海軍が担当すべきガダルカナル島で陸軍が苦労している。せめて海軍は艦砲射撃で掩護しなければならない」という、陸軍に対する日本海軍の引け目が作戦の背景にあったと指摘している。比叡、霧島を擁する第十一戦隊や各艦将校は「柳の下のドジョウ掬いで2回目は危ないのではないか」と懸念を示していたが、山本五十六連合艦隊司令長官がみずから陣頭指揮をとることを示唆すると、作戦を了承したという。それでも、日本海軍はアメリカ軍の空母機動部隊が10月26日の南太平洋海戦で壊滅したとみて、アメリカ軍による妨害を排除可能と判断。第三十八師団は最大速力15ノット以下の輸送船11隻に分乗し、11月13日を上陸予定日としてショートランド泊地を出港。南東に針路をとりガダルカナル島へ向かった。11月9日、第四戦隊、第三戦隊、第十一戦隊、第八戦隊、第十戦隊(軽巡長良、第十六駆逐隊)、第三水雷戦隊(軽巡川内、第六駆逐隊、第十五駆逐隊、第十一駆逐隊)、第二航空戦隊・空母隼鷹がトラック泊地を出撃した。

アメリカ海軍は日本軍の動きを察知すると、機先を制するように動き出した。ニューカレドニアヌーメアにいたウィリアム・ハルゼー提督がガダルカナル島にいるアメリカ海兵隊のバンデクリフト少将との約束を守るべく行動を開始し、ハルゼー提督はリッチモンド・K・ターナー少将に陸軍第182歩兵連隊、第4海兵隊補充大隊、第1海兵隊航空技術者大隊をガダルカナルに投入するよう命じ、また南太平洋海戦で受けた損傷を修理中の空母エンタープライズを中核に、新世代のノースカロライナ級戦艦ワシントンサウスダコタ級戦艦サウスダコタ、巡洋艦ノーザンプトン、サンディエゴ、駆逐艦8隻をもって、第16任務部隊を編成した。ダニエル・キャラハン少将に対しては、指揮下の巡洋艦サンフランシスコ、ペンサコラ、ポートランド、ヘレナ、ジュノー、駆逐艦10隻の第67任務部隊4群をもってターナー輸送船団の護衛を命じた。海兵隊航空地上要員部隊は、輸送艦ゼイリン(USS Zeilin, APA-3)、リブラ (USS Libra, AK-53)、ベテルギウス(USS Betelgeuse, AK-28)に乗艦し、ノーマン・スコット少将が率いる第62任務部隊第4群(巡洋艦アトランタ、駆逐艦4隻)に護衛され、ガダルカナル島へ向かった。

11月11日、第16任務部隊はダンベア湾を出港した。日本艦隊も米艦隊の出撃を第十一航空艦隊の偵察により察知した。当初は「戦艦3、巡洋艦1、駆逐艦4」という規模の艦隊と「重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦11隻」に守られた10隻程度の輸送船団がガダルカナル島に接近しているという情報だったが、12日に「戦艦は防空巡洋艦の誤り」という訂正電報が入った。また第八五一航空隊の偵察機は「敵大機動部隊発見」を報告し、日本軍は米空母の出現を知った。その一方で、日本軍はガダルカナル島のアメリカ軍航空戦力を戦闘機20、艦上爆撃機20程度と推測し、11日には第十一航空艦隊がアメリカ軍戦闘機11機を撃墜、第二〇四空が24機撃墜を報じた。空母飛鷹の航空隊(陸上基地発進。零戦12、艦上爆撃機9)に至っては、ガダルカナル島周辺のアメリカ軍巡洋艦1隻、駆逐艦5隻、輸送船3隻を攻撃して「米軍機撃墜25、駆逐艦1隻、輸送船1隻撃沈(零戦3、艦爆4喪失)」を報告している。宇垣纏連合艦隊参謀長は、航空隊の戦果報告と、ガ島日本軍陸上部隊からの戦果報告が全く一致しないことに「全然別個の一群存在するや否や総合判断に苦しむ」と困惑していた。このような状況下、日米両軍は期せずして、船の墓場と両軍がよぶ「アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)」(サボ島とガダルカナル島周辺海域)に引き寄せられていった。

11月12日、日本艦隊は戦艦比叡を旗艦とするガダルカナル島砲撃艦隊(挺身艦隊)と、第三戦隊(金剛型戦艦金剛榛名)と空母隼鷹を含む支援艦隊の二手にわかれた。日本軍より一足はやくガダルカナル島に到着したアメリカ軍は、島で待つアメリカ軍海兵隊に増強兵力、補給物資の揚陸を開始した。9:30(アメリカ軍時刻)、ブナ基地から発進した空母飛鷹航空隊の九九式艦上爆撃機9機が攻撃したが、戦果なく撃退された。11:00、ラバウルから飛来した第十一航空艦隊の一式陸上攻撃機27機がエスペランス岬方面からガダルカナル島上空に出現したが、アメリカ軍輸送船団を識別できずヘンダーソン飛行場を爆撃して去った。午後12時30分、第二〇四空の攻撃隊がガダルカナル島に向かったが、天候不良のため引き返した。14:10(日本時間午後12時・12時30分)、第二五三海軍航空隊第五八二海軍航空隊の零戦18機に護衛された29機の一式陸攻が出現。29機の所属は、9機が第七〇三空(8機喪失)、7機は第七〇五空(5機喪失)、4機は第七〇七空(3機喪失)である(残9機所属不明)。攻撃隊はフロリダ諸島上空で二手に分かれると、8メートルから16メートルの超低空から攻撃を仕掛けた。アメリカ軍戦闘機の迎撃と、防空巡洋艦アトランタ、ジュノーをふくめたアメリカ軍艦艇の対空砲火により一式陸上攻撃機は戦果なく撃退されたが、1機の一式陸攻がサンフランシスコに体当たりし火災を発生させた。日本挺身艦隊もアメリカ軍輸送船団の揚陸作業と護衛巡洋艦について情報を得ていたが、航空攻撃に対する戦果は実際のアメリカ軍被害にくらべてかなり大げさだった。攻撃隊は「重巡洋艦1、軽巡洋艦1撃沈、輸送船3炎上」と報告、日本軍第十一航空艦隊は「米重巡洋艦1隻撃沈、重巡洋艦4隻炎上中」と各部隊に通知した。第十八戦隊は「米軍輸送船1隻撃沈、米軍重巡洋艦1隻、輸送船1隻大火災、重巡洋艦1隻黒煙噴出、駆逐艦2隻白煙、米軍戦闘機19機撃墜」と受信している。

こうして日本軍の航空攻撃は失敗し、アメリカ軍はガダルカナル島に増援兵力を輸送することに成功した。12日午後、アメリカ軍はB-17爆撃機による航空偵察をおこない、ガダルカナル島に接近する日本軍艦隊を発見する。そこでターナーは自身の護衛艦隊から巡洋艦3隻(アトランタ、ジュノー、ヘレナ)、駆逐艦2隻を分離させ、キャラハン少将の艦隊に加えた。一方、12日午後3時30分、田中少将率いる輸送船団と護衛艦隊はショートランド泊地を出港した。

戦力

第一夜戦 参加兵力

日本海軍艦艇

挺身艦隊指揮官:阿部弘毅中将(第十一戦隊司令官)

アメリカ海軍艦艇

司令官:ダニエル・J・キャラハン少将

外南洋部隊 参加兵力

日本海軍艦艇

指揮官:三川軍一中将

支援部隊司令官:西村祥治少将

東方支援隊司令官:原忠一少将

母艦支援隊

輸送部隊指揮官:田中頼三少将

アメリカ海軍艦隊

指揮官:トーマス・C・キンケイド少将

第二夜戦 参加兵力

 |  | 
近藤信竹中将とウィリス・A・リー少将

日本海軍艦隊

司令官:近藤信竹中将

アメリカ海軍艦隊

司令官:ウィリス・A・リー少将

海戦の経過

11月13日第1夜戦

日本軍挺身艦隊は、本隊(第十一戦隊)比叡、霧島、直衛隊(長良、雪風、天津風、暁、雷、電、照月)、警戒隊(朝雲、村雨、五月雨、夕立、春雨)、ガダルカナル島・ラッセル岬警戒隊(時雨、白露、夕暮)から編成されていた。第十一戦隊と第四水雷戦隊は事前の打ち合わせや合同訓練を行ったことがなく、指揮官達は不安を感じていた。挺身艦隊は、戦艦の艦載水上偵察機を事前にイサベル島レカタ基地に派遣している。

日本艦隊は26ノットで南進していたが、猛烈なスコールにおそわれ、速力を落とした。砲撃困難と判断した日本軍挺身艦隊はいったん北方に変針したが、天候が回復し、レカタ基地から発進した水上観測機も到達見込みとの報告が入る。午後10時40分、挺身艦隊はふたたび反転し、予定より約40分遅れてガダルカナル島海域に突入した。月齢3.4、月没午後8時のため、ガダルカナル島周辺は闇夜であった。事前の反転2回により、第2駆逐隊第2小隊(夕立、春雨)は僚艦を見失い、第十一戦隊の前方10km地点で警戒するはずの第四水雷戦隊(朝雲、村雨、五月雨)は比叡と並走するように航行する。そのため、日本軍戦艦2隻は事前の計画とは裏腹に、艦隊のほぼ先頭を進んでいた。その事に気付かなかった阿部司令官は比叡と霧島に飛行場砲撃のための弾種「三式弾」を36センチ主砲に装填するよう命じた。

11月13日金曜日01:00、第67任務部隊第4群はガダルカナル島ルンガ岬の海兵隊陣地前を通過した。キャラハン少将は最新式SGレーダーを装備した軽巡洋艦ヘレナではなく、やや古く周波数が低いSCレーダーを装備した重巡洋艦サンフランシスコを旗艦としていた。米艦隊の隊列は前衛に駆逐艦カッシング、ラフィー、ステレット、オバノン、中央に巡洋艦アトランタ、サンフランシスコ、ポートランド、ヘレナ、ジュノー、後衛に駆逐艦アーロン・ワード、バートン、モンセン、フレッチャーというものだった。

01:24、ヘレナは2万7000ヤード(約25km)に日本軍挺身艦隊を発見し、サンフランシスコに連絡した。米艦隊は丁字戦法を実施すべく運動を開始したが、前衛の駆逐艦が「艦隊を左へ」という命令を「艦を左へ」と読み違え、混乱が生じた。またサンフランシスコはレーダーで日本艦隊を発見できなかったためすぐに砲命令を出さず、日本艦隊の方位・距離・位置をしきりにヘレナに求めていたため各艦は電話通信に割り込んでキャラガン少将に対して攻撃を促した。

01:30-40、第2駆逐隊第2小隊(夕立、春雨)が米艦隊先頭を航走するカッシングに距離2700mまで迫り、カッシングは慌てて左に転舵した。先導艦の予期せぬ変針は米艦隊に大混乱を招いた。一方日本軍挺身艦隊では日本時間午後11時44分、夕立が米艦隊発見を報告。続いて比叡、春雨がアメリカ軍艦隊を確認した。飛行場に戦艦の主砲を向けて発射直前だった日本艦隊は驚愕した。比叡と霧島の2戦艦は既に艦艇の砲撃にはむいていない弱装弾薬・対地攻撃用三式弾を装填していたが、徹甲弾に切り替える余裕なしと判断し、阿部中将は射撃を命じる。日本軍時間11月12日午後11時51分(アメリカ軍時間11月13日01:50)、比叡は探照灯(サーチライト)を点灯して闇夜の戦場を照らすと同時に、36cm主砲砲撃を開始した。比叡艦橋から見た米艦隊は左に駆逐艦4隻、中央に巡洋艦部隊、右に駆逐艦4隻が並んで横陣となり、日本軍戦艦を包囲するような運動をしていた。

一方のアメリカ軍側は、キャラハンが「奇数番艦は右砲戦、偶数番艦は左砲戦」という命令を出したが、陣形が混乱していることを考慮していなかったため、米艦隊はますます混乱した。その後、海戦は駆逐艦暁(第6駆逐隊司令山田勇助大佐)が探照灯を照射し、これをきっかけに軽巡アトランタが砲撃しあうことで始まったとアメリカ軍側は記録している。五月雨によれば、8個ほどの吊光投弾が輝き、よくわからないうちに戦闘が始まったという。最初の犠牲艦は“ラッキーA”のニックネームをもつアトランタであった。アトランタは旗艦サンフランシスコから誤射され、艦橋にサンフランシスコが使用する緑色の着色弾の痕跡が残った。続いて戦艦比叡、軽巡長良の砲撃によってノーマン・スコット少将以下幹部が全滅、日本艦隊が発射した魚雷2本が左舷に命中して戦闘不能となった。今度はサンフランシスコ、カッシング、ラフィー、ステレット、オバノンが探照灯を照らして戦場を進む日本艦隊旗艦比叡を目標とした。主砲から機銃まであらゆる砲が発射され、比叡の艦上部構造物に命中していった。炎上した比叡は通信装置、操舵装置が故障し、主砲は2-3斉射したところで電路切断により統一射撃ができなくなり、阿部司令官や西田艦長も負傷した。混乱の中で比叡はスクリューによる操艦で戦場を離脱した。オバノンはアトランタと共に駆逐艦暁を撃沈し、ステレットと共に比叡に魚雷を発射して2本を命中させたが、これは不発だった。ステレットは比叡もしくは霧島の砲撃を受けて火災が発生、戦場を離脱した。

照月はカッシングを主砲長10cm連装高角砲で破壊し、巡洋艦を含む7隻に160発を発射した。照月艦橋では、前方に現れた艦影を観察し、シルエットから敵味方を判断して撃っていたという。五月雨も比叡に向けて機銃を誤射し、射撃中止命令が混乱の中で伝わらないうちに比叡から高射砲か副砲の反撃を受けている。駆逐艦ラフィーは比叡への攻撃後、日本艦隊の駆逐艦の砲火を掻い潜って戦艦霧島へ接近したものの主砲弾を被弾、発射艦不明の魚雷もしくは長良の砲撃が命中して沈没した。霧島と電、雷、照月の3駆逐艦は砲雷撃でサンフランシスコを撃破し、キャラハン司令官、ヤング艦長を戦死させた。駆逐艦夕立は単艦で米艦隊に突入、午後11時54分に魚雷8本を発射した。1分後に巡洋艦ポートランドの右舷後尾に魚雷を命中させ(夕立は轟沈と誤認)、米巡洋艦は翌朝まで戦場の中心で右旋回運動を続けた。さらに夕立は米艦隊の中央を突破して巡洋艦1隻、駆逐艦1隻に命中弾を記録。午前0時13-26分、駆逐艦ステレットもしくはフレッチャーが砲撃を行い、被弾した夕立は航行不能となった。中村悌次夕立水雷長は、味方の軽巡長良に誤射されたと推測している。駆逐艦バートンは味方艦との衝突を避けるため急停止、機関を再始動させようとした時に魚雷2本が命中して轟沈した。駆逐艦モンセンは比叡を砲撃していたが、あらゆる艦から集中砲撃を受けて戦闘不能となる。巡洋艦ジュノーは夕立を砲撃していたところ、天津風が発射した魚雷が命中して大破した。その天津風は軽巡ヘレナが発射した6インチ砲2発が命中して舵を故障、射撃装置も破壊されて戦闘不能になった。

第三次ソロモン海戦第1夜戦は、日米双方の索敵が遅れ、旗艦の戦闘不能や偶発的出来事によって「混乱の激しさは、海戦史上にその例を見ないもの」とチェスター・ニミッツアメリカ太平洋艦隊司令長官が評する夜間水上戦闘になった。日本軍駆逐艦は多数の魚雷を発射し、判明しているだけで朝雲8本、村雨7本、夕立8本、春雨2本、雷6本で、五月雨は発射していない。13日午前1時25分、日本軍挺身艦隊に北方への退避命令が出る。各戦隊は味方と合流できないまま、単艦、あるいは少数艦のグループで戦場を離脱した。日本軍輸送船団に対しては、有力なる米艦隊遭遇の急報により、反転退避命令が下る。連合艦隊司令長官山本五十六大将はラバウルの第十一航空艦隊に対し、ガダルカナル島へ制空隊を派遣するよう命じた。

11月13日の訪れとともに、アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)は新たな犠牲艦を飲み込んだ。日本軍は駆逐艦暁が沈没、夕立が大破航行不能となった。戦艦比叡が舵故障を起こしてサボ島北を微速前進し、駆逐艦天津風が中破、雷が死傷者80名近くを出して大破、春雨が缶室に被弾してそれぞれ退避した。戦艦霧島と軽巡長良は損傷を受けず、それぞれ単艦で北方へ離脱。第四水雷戦隊各艦と照月は午前1時30分から午前2時ごろ霧島を発見して合流し、後続した。五月雨は霧島に後続していたが、命令により引き返して夕立の救援作業を行った。五月雨は午前3時ごろ魚雷2-3本を発射して夕立を処分しようとしたが魚雷命中の水柱が確認できず、砲撃処分中に米重巡洋艦と駆逐艦の砲撃を受けて退避した。五月雨はSBDドーントレスの爆撃を回避しつつ午後3時ごろショートランド基地に到着、放棄された夕立は漂流していたが、米艦隊が砲撃してこれを沈めた。

対するアメリカ軍は指揮官のキャラハン少将と次席指揮官のスコット少将が戦死し、軽巡アトランタは掃海艇ボボリンク曳航(えいこう)されて離脱しようとしたものの13日夜に自沈した。ジュノーは13日午前中に伊-26潜水艦(横田稔艦長)の雷撃により沈没し、駆逐艦カッシング、モンセン、ラフィー、バートンが沈没した。生き残った重巡サンフランシスコ(大破)、ポートランド(大破)、軽巡ヘレナ(小破)、駆逐艦オバノン(小破)、アーロン・ワード(大破)、ステレット(中破)、フレッチャーは西方に退避した。日本軍挺身艦隊はアメリカ軍に対する戦果を「重巡洋艦5隻撃沈、重巡洋艦2隻大破(1隻座礁)、防空巡洋艦2隻撃沈、駆逐艦3隻撃沈、駆逐艦6隻大破・中破(遁走(とんそう)せる1隻をのぞきいずれも沈没の算大なり)、魚雷艇1隻大破、以上所在敵全勢力を殲滅(せんめつ)せるものと認む」と報告している。

比叡沈没

詳細は「比叡 (戦艦)」を参照
比叡を掩護した空母隼鷹
比叡。艦橋の形状が姉妹艦と異なる。
空襲を受ける戦艦比叡
空母エンタープライズと爆撃機SBD ドーントレス

日本軍挺身艦隊の旗艦/戦艦比叡は鎮火には成功したものの、サボ島北の海域を離脱できずにいた。舵が固定しないため直進できず、僚艦霧島が北方へ退避したために、単艦で旋回運動を繰り返していた。午前4時ごろ、重巡ポートランドに主砲を発射し実際には命中しなかったが、ポートランドを撃沈したと信じた。阿部司令官は、霧島や駆逐艦に対して「日没後に比叡を曳航せよ」と命じる。駆逐艦雪風が最初に到着すると、阿部司令官は比叡から雪風に移乗した。やがて駆逐艦4隻(照月時雨白露夕暮)相次いで到着。護衛を行いつつ、比叡を曳航しようと試みた。

周囲が明るくなると、アメリカ軍は比叡にとどめをさすため次々に航空部隊を送り込んだ。阿部司令官達が夜明け前に上空掩護を要請すると、午前3時20分に空母隼鷹から零戦6機、九九艦爆2機(誘導機)が発進し、比叡の上空に急行した。この日、隼鷹は延べ23機の零戦、艦爆3機、艦攻5機を直掩任務におくりだし、5機の零戦を失っている。零戦隊に加え、水上機母艦讃岐丸から飛来した水上機数機も比叡の警戒にあたった。一方で、ブナ基地から第二〇四空の零戦6機が出撃していたが、天候不良を理由にラモス島上空で引き返している。千歳隊の水上偵察機6機も、天候不良のため基地に戻った。第七〇五空の一式陸攻も零戦隊を誘導しているが、その後の戦果は不明。

日本軍航空戦力の足並みが揃わない中、F4Fワイルドキャット戦闘機SBD ドーントレス急降下爆撃機雷撃機B-17による空襲がはじまった。比叡は機関部に異常なく全力発揮が可能だったが、舵故障では回避行動もままならない。直掩の隼鷹零戦隊も、10機未満のためにF4F隊との空戦が手一杯で、アメリカ軍機を排除できない。爆弾命中弾による被害と同時に、回避行動や対空戦闘のたびに応急修理が中断され、比叡の操艦能力は回復しなかった。最終手段として指揮官達は比叡をガダルカナル島に座礁させることも検討したが、操艦不能のためそれも不可能だった。

偶然もアメリカ軍に味方した。「ヘンダーソン飛行場に進出せよ」という命令を受け、魚雷を抱いたまま空母エンタープライズを発進した第10雷撃隊(F4F6機、TBFアベンジャー9機)は、サボ島16km北にいた比叡と駆逐艦4隻を発見した。雷撃隊は二手にわかれると、比叡を挟み撃ちにした。同隊は比叡の左舷に魚雷1本、右舷に1本、艦尾に1本が命中する光景を目撃した。日本側は、比叡の右舷中部・後部に魚雷計2本が命中したと記録している。エンタープライズ隊によれば、8機の零戦が比叡上空にいたが雷撃を妨害しようとせず、F4F隊は全く交戦しなかったという。エンタープライズ隊はヘンダーソン基地に着陸すると、3時間後にTBF6機が再出撃した。今度は米海兵隊のF4F6機、SBD8機が同行する。混成攻撃隊は比叡の右舷に魚雷1本、艦尾に1本、左舷3本(不発2本)の命中を記録している。比叡は黒煙をあげ、完全に停止したとされる。一方で「比叡戦闘詳報」によれば、沈没寸前まで機関部は健在だったと記録している。

阿部中将が司令部を移した駆逐艦の雪風には戦艦用の大きな中将旗がマストに掲げられた為、敵機の目標となった。雪風は至近弾によって汽缶に亀裂が入り発電機も故障して最大速力発揮不可能となった他、爆弾の破片を頭部に受けた白戸水雷長が重体となった。時雨以下各艦も損害が累加していった。午後3時、ブイン基地を発進した空母飛鷹航空隊(零戦9機)が到着したが、手遅れだった。午後4時、阿部司令官は比叡の処分を指示したが、40分後に山本長官より比叡処分待ての命令(午後2時40分発、午後4時38分着)が届いた。この時、雪風は比叡に魚雷を発射し

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出典:wikipedia
2020/07/12 02:13

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