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第四インターナショナルとは?

第四インターナショナル
第四インターナショナルのシンボル・マーク

【略称】
FI
【設立】
1938年
【設立者】
レフ・トロツキー
【種類】
共産主義政党国際組織
【目的】
共産主義
トロツキズム
【特記事項】
1940~50年代より分裂状態
共産主義


概念
共有制 - 平等主義
無階級社会 - 階級闘争
プロレタリア独裁
暴力革命 - 平和革命
国際主義 - 世界革命論
一国社会主義論 反帝国主義
社会ファシズム論 - 人民戦線
マルクス哲学
マルクス経済学
贈与経済
プロレタリア国際主義
唯物史観
唯物弁証法
階級意識
共産主義社会

側面
共産主義国
共産党
共産主義革命
共産主義のシンボル
マルクス主義と宗教
共産主義の歴史
共産主義社会

潮流
マルクス主義
無政府共産主義
レーニン主義
マルクス・レーニン主義
ルクセンブルク主義
左翼共産主義
スターリン主義
トロツキー主義
毛沢東主義
主体思想
ホー・チ・ミン思想
評議会共産主義
チトー主義
カストロ主義
ゲバラ主義
ホッジャ主義
宗教的共産主義
キリスト教共産主義
ユーロコミュニズム
世界共産主義
無国家共産主義
民族共産主義
反修正主義
国際共産主義潮流

国際組織
共産主義者同盟 (1847年)
第一インターナショナル
第二インターナショナル
コミンテルン
(第三インターナショナル)
第四インターナショナル
第五インターナショナル
コミンフォルム
共産党・労働者党国際会議(IMCWP)

人物
グラキュース・バブーフ
ロバート・オウエン
シャルル・フーリエ
ルイ・オーギュスト・ブランキ
エティエンヌ・カベ
ヴィルヘルム・ヴァイトリング
カール・マルクス
フリードリヒ・エンゲルス
ピョートル・クロポトキン
ローザ・ルクセンブルク
ウラジーミル・レーニン
レフ・トロツキー
ヘルマン・ホルテル
ヨシフ・スターリン
アントニオ・グラムシ
パルミーロ・トリアッティ
毛沢東
金日成
徳田球一
ホー・チ・ミン
チェ・ゲバラ
フィデル・カストロ
ヨシップ・ブロズ・チトー

関連項目
社会主義 · 科学的社会主義
社会主義経済 · 科学的共産主義
アナキズム · 反資本主義
民主集中制
ソビエト連邦 · 第二世界
反共主義 · マッカーシズム
冷戦 · 左翼 · 新左翼
共産趣味
共産主義政権下の大量虐殺
パリ・コミューン
共産主義の批判
新階級 · ポスト共産主義
原始共産制
赤旗 · 赤い星 · 鎌と槌


トロツキズム


起源
マルクス主義
レーニン主義
ロシア革命

概念
世界革命論
永続革命論
歪められた労働者国家(en)
堕落した労働者国家
統一戦線
政治革命
社会革命(en)
en:Transitional demand
加入戦術

トロツキスト
レフ・トロツキー

ジェームズ・P・キャノン
トニー・クリフ
ピエール・フランク
テッド・グラント
ジョゼフ・ハンセン
ゲリー・ヒーリー
C・L・R・ジェームズ
ピエール・ランベール
リヴィオ・マイタン
エルネスト・マンデル
ナウエル・モレノ
マックス・シャハトマン

国際組織
第四インターナショナル
FI Centre of Reconstruction
Fourth International
FI International Committee
International Workers' League
労働者インターナショナルのための委員会
国際マルクス主義潮流
第四インターナショナルのための共産主義組織
第五インターナショナル

分派
正統派トロツキズム(en)
第三キャンプ

関連項目
正統派マルクス主義
マルクス・レーニン主義
スターリン主義
新左翼
左翼共産主義


レフ・トロツキー (1879-1940)

第四インターナショナル(だいよんインターナショナル、英語: fourth InternationalFI)は、ヨシフ・スターリンが指導していた第三インターナショナル(コミンテルン)に対抗して、レフ・トロツキーの呼びかけによって1938年に結成された国際共産主義組織。

資本主義スターリン主義に反対して世界社会主義革命を志向し、各国に組織があるが、1940年代以降は多くの潮流に分裂している。

コミンテルンの最初の4回の大会の決議と、第四インターナショナル創立大会で採択された「資本主義の死の苦悶と第四インターナショナルの任務――過渡的綱領」を基礎理論とする。

結成の経緯

レーニンとともにロシア革命を指導したトロツキーは、1924年のレーニンの死後、ソビエト連邦共産党書記長となったスターリンが打ち出した「一国社会主義建設」(それまでのレーニンらの主張する「革命がロシアからヨーロッパ、そして世界に波及しないかぎり革命ロシアは生き残れない」という方針に対してスターリンは「革命が波及しなくてもロシア一国で社会主義は建設できる」と主張した)論に対して「世界革命路線の堅持」と永続革命論を対置し「左翼反対派」を結成して激しく反対した。この「左翼反対派」が第四インターナショナルの源流とされる。

スターリンは書記長という権力を利用して党内で多数派を形成し、トロツキーを政府・党の閑職に追いやり、1927年には「ロシア大革命十周年記念式典」に際しての「左翼反対派」の「スターリン打倒」を掲げたデモ行進を「反党活動」であるとしてトロツキーを共産党から除名し、1929年にはソビエト連邦国外に追放する。この間スターリンのイギリス労働運動への指導や中国革命の方針などをめぐって、スターリン派とトロツキーら「左翼反対派」のあいだで激しい論争が繰り広げられていた。トロツキーは、スターリンの指導を「日和見主義と冒険主義のジグザグ」などと批判したが、国外追放された時点においても「共産党を割って出るのではなく、内部に留まって改革するべき」と主張していた。

当時ドイツでは、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が急速に勢力を伸ばしていた。トロツキーは、ドイツの事態に対して「ドイツ社会民主党ドイツ共産党統一戦線の形成によってナチスに対抗するべき」と主張したが、スターリンとドイツ共産党指導部は「社会民主党もファシズムの一種でありナチスの双生児」といういわゆる「社会ファシズム論」によってトロツキーの主張を一顧だにしなかった。そして、1933年のナチスによる権力掌握によって、ドイツ共産党がほとんど抵抗できないまま暴力的に弾圧され急速に解体されるという事態に際して、トロツキーは「コミンテルンは死んだ。もはや誰にも生き返らせることは出来ない」として、はじめて「新しいインターナショナルの創設」を提起する。

1936年に「大粛清」を開始したスターリンは、自らに反対する者、あるいは抹殺してしまいたい者に対して「トロツキスト」というレッテルを多用した。ここで言う「トロツキスト」とは「ソビエト連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」と定義されたが、実際は粛清された多くの者はトロツキーあるいは「左翼反対派」の組織とは無関係であった。このレッテルとしての「トロツキスト」という用語は、「スパイ挑発者」あるいは「左翼を装った反革命」を意味するものとして、世界各国の共産党によって第二次世界大戦後も長らく使用されることになる。

1938年にフランスベルギーアメリカ合衆国オランダなど、各国のスターリニズム化した共産党内から派生した「左翼反対派」を源流とするトロツキスト・グループが参加した「第四インターナショナル創設国際会議」によって、第四インターナショナルは結成を宣言し「スターリニズムの党に代わって世界革命を目指す新しい共産党の建設」を訴える「過渡的綱領」を採択した。トロツキーは「戦争が第四インターナショナルを急速に押し上げる」と考えたが、既成の各国共産党の「トロツキスト=裏切り者」キャンペーンと各国政府の弾圧、とりわけナチス占領下の各国における過酷な弾圧のなかで、小グループに留まり続けることになった。アジアでもいくつかの支部が日本の占領下で弾圧を受け、ヨーロッパとアジアの多くのメンバーが第四インターから脱落した。しかし、第二次世界大戦のさなかにおいて第四インターナショナルの組織は、フランス、ベルギー、オランダなどではナチス占領下でレジスタンス運動の一翼を担い、アメリカ海軍に徴兵された船員によってマルセイユ経由でニューヨークの本部とヨーロッパのメンバーとの間で接触が保たれた。後の第四インターナショナルの指導者の一人となるベルギー人エルネスト・マンデル(1923-1995)は15歳で第四インター系の反ナチ・レジスタンス組織に参加、ナチスの捕虜となるも強制収容所から脱出するという経験を持つ。一方で、ナチス占領下のギリシャではトロツキスト派のレジスタンス戦士が共産党系の民族解放戦線(EAM)のメンバーに殺害される事件も発生している。

第四インターナショナル内部の論争と分裂

第四インターナショナルの政治的特徴として「プロレタリア革命による帝国主義の打倒」とともに「ソ連邦は、官僚を追放する政治革命は必要ではあるが、依然としてブルジョワジーによる生産手段の所有を廃した労働者国家であることから帝国主義の包囲・攻撃からは世界の労働者階級はソ連邦を防衛しなければならない」(「官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論)という原則が挙げられる。第四インターナショナルは、様々な局面でこの「原則」をめぐって、あるいは各国に存在する社会民主主義政党や共産党などの大組織に組織的・目的意識的に加入して大組織構成員を自陣営に獲得する「加入戦術」の是非などをめぐって、分裂を繰り返すことになる。

1939年に、スターリンによる独ソ不可侵条約締結とバルト三国への侵攻をめぐって、アメリカ支部である社会主義労働者党(SWP)内部で、トロツキーが定式化した「ソ連=官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論を否定する部分が発生する。「ソ連=官僚主義集産国家」論を唱えたマックス・シャハトマンやジェームズ・バーナムらは1940年にSWPから分裂してアメリカ労働者党(WP)を結成する。WPは直後に「シャーマン派」という分派と再分裂する。ちなみに「ネオコンのルーツはトロツキズム」として例に挙げられるネオコンの総帥でイデオローグと言われるアーヴィング・クリストルが一時期所属したのは、この「シャーマン派」である。

1953~54年にかけて、主にスターリン死去とそれに伴うニキータ・フルシチョフによる「非スターリン化」の評価をめぐって、アメリカSWPやアルゼンチンペルースイス中華人民共和国等の組織が多数派から分裂。独自の国際組織「第四インターナショナル国際委員会」を形成する(アメリカSWPは1963年にマンデル派と再統一して統一書記局派を形成する)。

1952年にフランス支部:国際主義共産党(ICP)内において、主流派によって提起された「加入戦術」に反対するランベール派が脱退。国際組織として「国際共産主義組織-OCI」を形成する。後にフランスの首相となるリオネル・ジョスパンが一時期所属したのはこのランベール派で、現在のフランス労働党である。

1983年、アメリカSWP内部でジャック・バーンズキューバ共産党およびサンディニスタ民族解放戦線を強く支持するグループが主導権を掌握し、SWPは統一書記局派を離脱した。統一書記局派は1959年キューバ革命以来一貫してキューバを支持しつつ、ソ連への接近やプラハの春に対するソ連の介入への支持には反対していた。現在、SWPを離党した党員が結成した社会主義行動(SA)や第四インターナショナル執行委員会が統一書記局のアメリカにおけるシンパ組織として活動している。

現在の各国における主な第四インターナショナル(トロツキスト)組織

第四インターナショナル統一書記局

United Secretariat of the Fourth International (USFI) (ウェブサイト)

いわゆる「マンデル派」。かつては「唯一の世界革命前衛」を自認していたが、現在は「小さくとも不可欠な世界革命潮流の一つ」と自己規定している。現在、反グローバル化運動への参画に力を入れ、各国における「反資本主義左翼統一戦線」の形成を当面の方針にしている。また、社会主義革命運動におけるエコロジー運動やレズビアン・ゲイなどの性的少数者解放運動の意識化と実践を訴えている。

出典:wikipedia
2020/06/04 02:04

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