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筑後川とは?

【筑後川】

久留米市域内一角から下流方

【水系】
一級水系 筑後川
【種別】
一級河川
【延長】
143 km
【平均の流量】
94.09 m³/s
(瀬の下観測所(久留米市))
【流域面積】
2,860 km²
【水源】
瀬の本高原(熊本県)
【水源の標高】
-- m
【河口・合流先】
有明海
【流域】
日本
熊本県大分県福岡県佐賀県

筑後川(ちくごがわ)は、阿蘇山を水源として九州地方北部を東から西に流れ有明海に注ぐである。河川法に基づき国土交通省政令によって1965年(昭和40年)に指定された一級水系・筑後川水系本流で、一級河川に指定されている。

流路延長143.0キロメートル流域面積約2,860平方キロメートルの河川で規模としては九州地方最大の河川である。利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大暴れ川のひとつと言われ、筑紫次(二)郎(つくしじろう)の別名で呼ばれることもある。また、上流部では田の原川杖立川大山川三隈川とも呼ばれる(詳細は後述)。

目次

  • 1 地理
    • 1.1 分水界
    • 1.2 交通
  • 2 名称の変遷
    • 2.1 時代による変遷
    • 2.2 地域による変遷
  • 3 流域
    • 3.1 本流と流域自治体
    • 3.2 支流・分流と流域自治体
  • 4 筑後川開発史
    • 4.1 開拓と藩政下の治水
    • 4.2 筑後川四堰
    • 4.3 近代の筑後川開発
    • 4.4 筑後川水系治水基本計画
    • 4.5 筑後川水系水資源開発基本計画
    • 4.6 河川行政への警鐘~蜂の巣城紛争~
  • 5 日本住血吸虫症の撲滅
  • 6 筑後川水系の河川施設
  • 7 水運と橋梁
    • 7.1 筑後川本流の主な橋梁
      • 7.1.1 道路橋
      • 7.1.2 鉄道橋
  • 8 漁業
  • 9 生態系
  • 10 景勝地・観光
  • 11 筑後川に関連する人物
  • 12 脚注
  • 13 参考文献
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

地理

久大本線夜明駅構内から見る筑後川(左奥)。ここより夜明渓谷を形成し夜明ダムへと至る。
久大本線から(福岡県うきは市/大分県日田市)

熊本県阿蘇郡南小国町阿蘇山外輪山瀬の本高原に源を発する。大分県に入り、日田市玖珠川を併せ西流。福岡県に入り筑紫平野を貫流する。久留米市西部あたりからは福岡県と佐賀県をまたぐように南西方向に流れるが、流路変更の影響で筑後川の北西側であっても福岡県であったり、逆に南東側であっても佐賀県であったりすることも多い。

筑後川における上流中流下流の区分については国土交通省河川局が作成した「筑後川水系河川整備基本方針」および「筑後川水系河川整備計画」で明記されている。すなわち、

と区分される。上流部は新第三紀以降繰り返された阿蘇山噴火によって流出した阿蘇熔岩などの溶岩安山岩などを主体とする地質となっており、火山礫火山灰の堆積によって地層が複雑に形成されている。九酔渓や杖立渓谷など急峻(きゅうしゅん)な渓谷を形成する一方で日田盆地玖珠盆地などの盆地も形成される。大分県と福岡県の境界を成す夜明渓谷を過ぎると中流部になるが、上流より筑後川が運搬した土砂によって沖積平野を形成。広大な筑紫平野の基を築いた。下流部も基本的には沖積平野であるが、佐賀平野および柳川市周辺における流域では大化の改新以降連綿と続いた有明海の干拓による人工的な陸地形成も進められて、現在の形となっている。

分水界

筑後川の分水界は、上流部では阿蘇外輪山の北麓を主体としており、瀬の本高原より筑後川本流が、九重山より玖珠川が源を発している。阿蘇外輪山北麓に降った雨は概ね筑後川あるいは玖珠川に合流する。一方英彦山から朝倉山塊の南麓に掛けて降った雨は花月川などの支流となって筑後川に注ぐ。日田市で玖珠川を合わせ、夜明渓谷を過ぎると北の朝倉山塊と南の耳納山地に挟まれるように流れるが、この間朝倉山塊南麓と耳納山地北麓に降った雨は最終的に筑後川へと注がれる。

筑紫平野は特に久留米市や八女市において筑後川上流から運搬された土砂などが堆積、沖積平野を形成して成立したが、矢部川上流から運搬された土砂も筑紫平野の形成に寄与している。このため筑後川と矢部川が運搬した土砂は相互に堆積しながら筑紫平野の一部である八女平野・柳川平野の広大なデルタ地帯を形成し、その中間に存在する八女市付近は緩やかな丘陵となって、筑後川水系と矢部川水系の分水嶺となっている。八女市北部を流れる広川や花宗川は筑後川に合流するが、八女市南部の小河川は矢部川に合流する。

一方佐賀県方面より筑後川に合流する支流の多くは概ね背振山地南西麓を水源とし、筑後川あるいは分流である早津江川へ最終的には合流する。なお、人工的に分水界を越えて水路が形成された主な例としては朝倉山塊と背振山地の中間部における分水嶺を越える福岡導水、筑後川水系・嘉瀬川水系間を連結する佐賀導水、および筑後川支流の津江川と菊池川支流の迫間川を連結する津江分水がある。

交通

九州自動車道鳥栖ジャンクション
縦に九州道が走り東へ大分道、西へ長崎道が分岐する。ジャンクションは宝満川支流である秋光川(右)・山下川(左)の間に挟まれる。画像は北が上となる。

筑後川は明治以前筑前国筑後国肥前国豊後国の境界をなしており、軍事上の要衝として活用されていた。このため江戸時代はを架けることが厳禁とされ、代用交通として水運が発達(後述)し昭和後期まで利用されていた。モータリゼーションが高度に発達した現在、流域は九州地方を縦貫・横断する道路鉄道が交差する地域となっており、今もなお交通の要衝になっている。

流域を縦断するものとして道路では国道3号を筆頭に国道208号国道211号国道212号国道322号国道385号などの国道および県道九州自動車道があり、横断するものとしては国道34号国道210号国道264号国道386号などの国道および県道と大分自動車道長崎自動車道がある。鉄道ではJR鹿児島本線西鉄天神大牟田線が縦断し、JR久大本線長崎本線西鉄甘木線甘木鉄道が横断している。九州地方における流通の大動脈が筑後川流域に集中しており、こうした交通網を利用した工業団地流通団地が多く立地しているほか、福岡都市圏などへの通勤・通学客が多く利用する交通集中地帯でもある。

特に筑後川の支流である宝満川流域に位置する佐賀県鳥栖市と、筑後川南岸に位置する福岡県久留米市はこれら縦断・横断する道路と鉄道が交差する交通上の要衝になっている。鳥栖市の場合、道路では九州自動車道・鳥栖ジャンクションを基点に大分自動車道と長崎自動車道が東西に分岐。国道も鳥栖市内で国道3号から国道34号が佐賀市長崎市方面へ、国道500号が福岡県朝倉市方面へと延びている。鉄道ではJR鳥栖駅から長崎駅佐世保駅方面へ長崎本線が鹿児島本線より分岐する。久留米市の場合では、国道3号より大分県日田市方面へ向かう国道210号、福岡県嘉麻市方面へ向かう国道322号が東へ、佐賀市へ向かう国道264号が西へと延びる。また鉄道ではJR久留米駅より久大本線が鹿児島本線より、西鉄天神大牟田線は筑後川北岸の宮の陣駅で西鉄甘木線と分岐する。

鳥栖市と久留米市は筑後川を挟み直線距離にして10キロメートル足らずではあるが、九州地方の主要な国道・高速道路・鉄道が縦横に交差している。さらに2011年(平成23年)には九州新幹線が開通している。しかしこの地域は筑後川が上流より土砂を運搬して形成した沖積平野洪水に弱い土地となっており(後述)、1953年(昭和28年)6月昭和28年西日本水害では筑後川の洪水で主要な交通機関がことごとく寸断されて福岡市と鹿児島市の間の陸路が完全に途絶した。このため経済・物流の面からも筑後川の治水安全度の確保が重要視されている。

名称の変遷

筑後川という名称は、現在水系及び水系本流の名称として使用されているが、以前は時期によって様々な河川名称で呼ばれていた。また現在でも上流の大分県熊本県流域において一般には通称で呼ばれている。

時代による変遷

筑後川は時代によっては千歳川・千年川(ちとせがわ)、一夜川(いちやがわ)、筑間川(ちくまがわ)とも呼ばれていた。筑後川という名称が最終的に本流の名称として統一されたのは1636年(寛永13年)のことである。

最も古い文献に見られる千歳川・千年川であるが、鎌倉時代に編纂された夫木和歌抄の第24に収載された和歌にその名称が記され、江戸時代には『歌枕名寄』や『米藩(久留米藩)詩文選』にも詩歌に記されていた。文明天保年間に青柳種麿が著した『筑前続風土記拾遺』には「千年川は古名也」と記されており、筑後川が正式名称と決定した後も地元住民の間では別名として定着していたとされている。一夜川については室町時代にその名称が初見されるが、この名称については後述する筑後川開発史にもあるように「洪水によって一夜にして豊穣な土地が荒地に変化する」という古くからの伝承によるものとされている。筑間川については江戸時代初期に筑前国筑後国の中間を流れていたのが由来とされている。

筑後川という名称が正式名称となった経緯であるが、これには久留米藩の資料である『米府年表』と『石原家記』にその内容が記されている。すなわち1636年に江戸幕府の命によって河川の名称を筑後川に統一せよという幕命が老中を通じて下った。ところが島原の乱が発生し久留米藩のみならず関係する福岡藩佐賀藩柳河藩も出陣命令が下ったので一旦保留となった。乱の鎮圧後1638年(寛永15年)に改めて老中の命を受けた上使、松平若狭守と安藤但馬守が久留米藩重臣である有馬主水に「筑後川」の名称を使うよう通達したと記されている。なお、この間に経緯について伝承がある。それは福岡藩家老と久留米藩家老が老中の列席する中で河川名の評定をしていた時、老中が「この川の名前はどのようにするか」と福岡藩家老に尋ねた所、件の家老は突然尋ねられたことから「筑前川」と答える所を口を滑らせて「あの筑後川は…」と答えてしまい、老中が「では筑後川に決める」と決定したというような内容である。

以上の経緯から、江戸幕府の命により1636年に筑後川に名称を統一する沙汰が下り、島原の乱終結後正式に決定したのである。しかしこの名称は筑前・筑後・肥前三国の国境を流れる河川に付けられた名称であり、上流である豊後国内では呼ばれなかった。

地域による変遷

筑後川本流及び最終的に筑後川へと合流する河川を全て包括した水系である筑後川水系は、1964年(昭和39年)の河川法改訂に伴い一級水系に指定された。水系の本流である筑後川は名称こそ1636年には中流・下流において統一されていたが、上流部では様々な河川名で呼ばれていた。そこで流域面積が最も広い大山川流域が筑後川本流とされ、長さで大山川を上回っていた玖珠川支流とされた。現在、河川法の上で一級河川として指定されている筑後川の本流は、

上流端:熊本県阿蘇郡南小国町大字満願寺字中園台8894番地(田の原橋)
下流端:有明海河口

までとされている。従って、法令や河川管理標識及び大分県内に存在する筑後川本流の河川工作物(松原ダム、大山川ダム、島内可動堰など)の諸元などはこの区間内については「一級河川筑後川水系筑後川」と正式には表示される。だが実際は地域によって様々な呼称がなされており、一般的には現在も使用されている。

まず水源である阿蘇山外輪山から熊本県阿蘇郡小国町中心部の志賀瀬川合流点までは「田の原川」と通称される。志賀瀬川合流後は「杖立川」(つえだてがわ)と通称され、松原ダム湖である梅林湖において津江川と合流した後に「大山川」と名前を再度変える。さらに日田市内で玖珠川を合流すると今度は「三隈川」(みくまがわ)と名を変え、日田市内を流下する。そして花月川を合流すると筑後川になり、有明海に注ぐ。従って筑後川は水源から河口までの間、実に五回も河川名を変えることになる。国土地理院や出版社が発行する地図、及び河川標識では地元においてその河川名が定着している現状、通称が使われるケースが多い。

筑後川は上流において大山川、三隈川などの名称が使用されるが、本記事では特記しない限り河川法上の名称である「筑後川」で表記を統一する。また河川名の筑後川と水系名である筑後川水系は厳密には別個の存在であるが、両者は密接な関係にあるので本記事では併せて説明する。なお河川等級・水系名については可読性の観点から省略する。

流域

筑後川水系の流域と主な支流・分流、ダム・堰

本流と流域自治体

筑後川本流は先に述べた通り、上流より田の原川・杖立川・大山川三隈川と名を変え、大分県日田市の花月川合流点より筑後川の名称になるが、河川法上では田の原川源流の瀬の本高原から流れる河川が筑後川である。本流が流れる自治体は熊本県大分県福岡県佐賀県の四県、93にまたがる。

通称 主要支流
・分流 流域県 流域市郡
田の原川 | 満願寺川(志津川)
志賀瀬川
小田川
馬場川 | 熊本県 | 阿蘇郡
杖立川 | 中原川
北里川
津江川 | 熊本県 | 阿蘇郡
大分県 | 日田市
大山川 | 赤石川
玖珠川 | 大分県 | 日田市
三隈川 | 花月川
高瀬川
庄手川 | 大分県 | 日田市
筑後川 | 大肥川
隈上川
佐田川
小石原川
巨瀬川
広川
宝満川
田手川
佐賀江川
花宗川
早津江川 | 大分県 | 日田市
福岡県 | うきは市朝倉市久留米市
大川市柳川市三井郡
佐賀県 | 鳥栖市神埼市佐賀市
三養基郡

支流・分流と流域自治体

筑後川水系最大の支流玖珠川
分流・早津江川下流では両岸に河川干潟が広がる。

筑後川水系において、最終的に筑後川に合流する支流の数は239河川に上り、九州地方の河川では第二位の大淀川水系をおよそ100河川も上回り群を抜いている。支流の中で最大の河川は玖珠川(くすがわ)で、流路延長56.0キロメートル流域面積530.5平方キロメートルとなっている。合流点より上流を見た場合筑後川本流(大山川流域)より流路延長は長いが、流域面積では下回っているため支流となっている。なお、これら支流のうち一級河川に指定されている支流は140河川に上る。

また分流も多く、河口付近で分流する早津江川(はやつえがわ)の他、中流部の日田市では隈川庄手川に一旦分流して再度合流する。さらに大石分水路・原鶴分水路・千年分水路や諸富川など、筑後川治水事業の過程で建設された人工の分水路や旧流路も多い。なお、筑後川水系に存在する湖沼のほとんどは人造湖またはため池である。

河川 流路延長
(km) 流域面積
(km) 主要支流 主要湖沼 流域県 流域市郡
津江川 |  |  | 鯛生川
上野田川 | 蜂の巣湖 | 熊本県 | 阿蘇郡
大分県 | 日田市
玖珠川 | 56.0 | 530.5 | 町田川
野上川
松木川 | 地蔵原貯水池
松木ダム湖 | 大分県 | 日田市・玖珠郡
花月川 |  | 125.9 | 小野川
有田川 |  | 大分県 | 日田市
大肥川 |  | 76.8 | 宝珠山川
鶴河内川 |  | 福岡県 | 朝倉郡
大分県 | 日田市
隈上川 |  | 70.1 | 小塩川 | 合所ダム湖 | 福岡県 | うきは市
佐田川 | 25.5 | 73.0 | 疣目川 | 美奈宜湖 | 福岡県 | 朝倉市・三井郡
小石原川 |  | 84.4 | 山見川
二又川 | 上秋月湖 | 福岡県 | 朝倉市・朝倉郡・三井郡
巨瀬川 | 27.0 | 84.7 | 持木川
南新川
 | 藤波ダム | 福岡県 | うきは市・久留米市
宝満川 |  | 172.3 | 山口川
山家川
草場川
大木川
安良川
秋光川
新宝満川 | 天拝湖
山神ダム湖
大木ダム湖 | 福岡県 | 筑紫野市・朝倉市・小郡市
久留米市・朝倉郡・三井郡
佐賀県 | 鳥栖市・三養基郡
広川 |  | 74.6 | 長延川 | 広川ダム湖 | 福岡県 | 久留米市・八女市八女郡
田手川 | 21.0 | 56.4 |  |  | 佐賀県 | 神埼市・神埼郡
佐賀江川 | 13.0 | 157.0 | 城原川 |  | 佐賀県 | 佐賀市・神埼市
福岡県 | 久留米市
花宗川 |  | 39.4 |  |  | 福岡県 | 八女市・筑後市・大川市
三潴郡
早津江川 | 6.0 |  |  |  | 佐賀県 | 佐賀市
福岡県 | 大川市

筑後川開発史

筑後川は先述の通り1636年に河川名が現在の「筑後川」となるまでは「千歳川」や「筑間川」等と呼ばれていたが、「一夜川」とも呼ばれていた。その意味は洪水により一夜にして流域が荒廃してしまうとの意味であり、筑後国が1年免除されたと記録される806年の洪水から近代河川整備が本格的に行われるようになった1889年(明治22年)の洪水までの間には、実に183回もの大水害が発生している。これは本流・支流の水源地の地質が安山岩等の透水性の低い火山岩地質であること、上流部が急勾配である反面下流は緩勾配で下流部は溢水し易い地形が災いしている。だが、流域は肥沃な穀倉地帯でもあり、流域の治水・利水は古くから間断なく行われている。

開拓と藩政下の治水

筑後川流域における歴史の第一歩を踏み出した吉野ヶ里遺跡(佐賀県)。

筑後川流域に人の営みが培われるようになったのは縄文時代末期の紀元前400年頃と推定される。当時筑紫平野の大部分は海であり、筑後川河口も当時は背振山地南部に偏っていたとされている。この地に大規模な環濠集落である吉野ヶ里遺跡が誕生し、以後弥生時代中期の3世紀まで約700年もの間栄えた。その後海退期を迎えて海岸線が徐々に南西へ移り、筑後川本流・支流の土砂運搬も相まって次第に沖積平野である筑紫平野が形成された。大化の改新班田制が施行されると有明海干拓が開始され、現在の柳川市から佐賀平野に掛けての筑後川下流では条里制による整然としたクリークが引かれるようになったが、墾田永年私財法により土地私有が認められ班田制が崩壊し荘園が形成されると、それらクリークも雑然と整備されるようになった。鎌倉時代以降室町時代末期まで筑後川流域は少弐氏大友氏大内氏龍造寺氏島津氏が相次いで支配し、筑後川の戦いを始めとして戦乱が多く繰り返されたが、筑後川の開発については見るべきものがなかった。

筑後川の開発が積極的に行われるようになったのは豊臣秀吉が全国統一を果たした安土桃山時代末期、筑後川の中州開拓からである。1592年(天正20年)緒方将監は道海島を開拓するために入部し、肥前国住民からの妨害にも負けず1610年(慶長15年)に18年の歳月を掛けて開墾に成功した。1605年(慶長10年)からは肥後国菊池氏の末裔である菊池十左衛門が浮島を、1610年からは筑後国三潴郡(みずまぐん)住人三郎左衛門が大野島の開拓を行い新田を開墾した。これらの島は筑後国領域と認定され、現在でも福岡県の一部となっている。1622年(元和8年)には柳河藩貨幣方だった三潴郡の豪商・紅粉屋七郎左衛門が干拓によって80町歩を開拓している。この頃干拓地は『』(からみ)、または『』(ひらき)と呼ばれていた。『搦』については干拓堤防の中心となる杭に竹などの枝を絡み付ける技法から、『開』は開拓・開墾・開発から語源が来ていると考えられている。

治水事業は江戸時代初期より主導で開始されている。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて筑後では久留米城主の小早川秀包柳河城主の立花宗茂が西軍に加担したため改易され、代わりに石田三成を捕縛する大功を立てたことにより田中吉政が筑後一国・柳河32万石の国主として1601年(慶長6年)に入部したが、吉政は早くも筑後川の改修に取り組んだ。1606年(慶長11年)から13年の歳月を掛けて瀬の下地区(久留米市)の蛇行を解消するべく筑後川の流路をショートカットする瀬の下捷水路(しょうすいろ)を開削し、筑後川の流路を変更した。田中忠政が無嗣により改易された後久留米21万石の藩主となった有馬豊氏は引き続き河川整備を行い、寛永年間(1624年1643年)に安武堤防を築堤した。

一方肥前佐賀藩執政・鍋島直茂の重臣で中世土木史にその名を刻む成富茂安(なりどみ・しげやす)は蛤岳から那珂川の支流である大野川へ流下する水を、水路により山地の周囲を回らせて田手川へ導水する「蛤水道」を1626年(寛永3年)に完成させ、神埼郡灌漑を図った。しかしこれにより逆に福岡藩側の水の便が悪くなり大野川が枯れた。これに抗議すべく福岡藩側の「お万」と言う女性が築堤を壊そうとし、母子ともに滝に身を投げたと言う逸話も伝わる。その後茂安は水路の溢水対策として「野越し」と言うオーバーフローを設け、増水時には大野川にも配水するようにした。また、茂安は三根郡養父郡(やぶぐん)・基肄郡(きいぐん)を水害から守るため1643年(寛永20年)に筑後川右岸に12キロメートルの二重堤防を築堤した。これは「千栗(ちりく)堤防」と呼ばれ現在は河川改修により残っていないが、築堤以来300年近くにわたり堤防決壊などが起こらず、地域住民を水害から守った。このため茂安の名は同郡では大変な尊敬をもって迎えられ、かつて同郡内には茂安の名にちなんだ北茂安村・南茂安村が存在したほどであった。

また、水制として水刎(みずはね)・荒籠(あらかご)などが各所に設置されたが、荒籠は水流に対して直角に設置して水流を弱めるため対岸の護岸を削る副作用があり、これが原因で上流部では福岡藩と久留米藩が、下流部では佐賀藩と柳河藩が対立。各藩が勝手に水制を設置したことにより却って洪水被害が増幅する皮肉な結果を導いた。

筑後川四堰

古賀百工により大改築が行われた山田堰。手前より堀川用水が取水される。
山田堰より取水される水を田畑へ供給する朝倉三連水車(朝倉市)。

17世紀後半から18世紀に掛けて、流域各藩では新田開発を積極的に実施し年貢収穫を高めようとした。筑後川ではこの時期「筑後川四堰」と呼ばれる固定堰が相次いで建設された。完成した順番から山田堰大石堰袋野堰恵利堰(床島堰)の四つの堰を指す。

最初に手がけられたのは山田堰である。契機となったのは1662年(寛文2年)から翌1663年(寛文3年)に掛けての大旱魃であり、対策として山田堰とそこを取水元とする堀川用水1664年(寛文4年)に開削されたが度重なる水害は堀川用水の取水口を堆砂(たいさ)で埋め、用水の便が悪くなってしまった。そこで1722年(享保7年)取水口を改良して水量によって自動開閉する水門への改造とトンネル掘削によって用水供給の安定化を図った。これにより堀川用水供給対象の農地は新田開発が進んだが、その恩恵を受けない朝倉郡下大庭村などでは旱魃の被害が続いていた。そこで下大庭村庄屋であった古賀百工はこれらの地域にも水を供給するため新堀川用水の開削を福岡藩庁に申請。福岡藩第六代藩主・黒田継高の命により福岡藩直轄事業として1759年(宝暦9年)に山田堰大改修に着手、高さを1メートル嵩上げし水門幅を倍に拡張することで取水量を増加させ、従来用水の恩恵を受けなかった地域にも水が供給された。この新堀川用水は1764年(宝暦14年)に5年の歳月を掛けて完成し150ヘクタールに水が供給された。さらに百工は第二次山田堰大改修計画を立てたが、これには下流の朝倉郡長田の農民達が反対した。長田地域は湿地帯であり、用水を引けば浸水被害が拡大するというのが理由であったが百工は長田の住民を説得し、同地域の湿地帯を乾燥化させる「湿抜工事」を行うことで同意させ藩庁の許可を得る。そして1790年(寛政2年)に山田堰を大改修し、さらにその2年後には約束事項であった「長田湿抜工事」も着手されこちらは23年の歳月を掛けて1825年(文政8年)に完成させた。なお、堀川用水には水田に水を供給するための水車が各所に設けられたが、そ

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出典:wikipedia
2018/11/28 04:41

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