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羽生結弦とは?

獲得メダル
日本
フィギュアスケート: 男子シングル
主要な国際競技会
大会 1位 2位 3位
オリンピック 2 | 0 | 0
世界選手権 2 | 3 | 1
四大陸選手権 0 | 3 | 0
グランプリファイナル 4 | 1 | 0
世界国別対抗戦 1 | 0 | 1
世界ジュニア選手権 1 | 0 | 0
ジュニアグランプリファイナル 1 | 0 | 0
合計 11 | 6 | 2

オリンピック

 | 2014 ソチ | 男子シングル
 | 2018 平昌 | 男子シングル
ISU 国際大会

世界選手権
 | 2012 ニース | 男子シングル
 | 2014 さいたま | 男子シングル
 | 2015 上海 | 男子シングル
 | 2016 ボストン | 男子シングル
 | 2017 ヘルシンキ | 男子シングル
 | 2019 さいたま | 男子シングル
四大陸選手権
 | 2011 台北 | 男子シングル
 | 2013 大阪 | 男子シングル
 | 2017 江陵 | 男子シングル
グランプリファイナル
 | 2012 ソチ | 男子シングル
 | 2013 福岡 | 男子シングル
 | 2014 バルセロナ | 男子シングル
 | 2015 バルセロナ | 男子シングル
 | 2016 マルセイユ | 男子シングル
世界国別対抗戦
 | 2015 東京 | 団体
 | 2017 東京 | 団体
世界ジュニア選手権
 | 2010 ハーグ | 男子シングル
ジュニアグランプリファイナル
 | 2009 東京 | 男子シングル

羽生 結弦(はにゅう ゆづる、1994年(平成6年)12月7日 - )は、宮城県仙台市泉区出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)

全日本空輸 (ANA) 所属。早稲田大学人間科学部(通信教育課程 eスクール)在学中

主要な戦績として、2014年ソチオリンピック2018年平昌オリンピック2大会連続優勝(男子シングル種目で66年ぶりの2連覇)。2014年世界選手権2017年世界選手権2回優勝。グランプリファイナル4連覇(2013年 - 2016年)、全日本選手権4連覇(2012年 - 2015年)。世界ランキングは、2013年10月から2018年4月の(4年6ヵ月) 1位を保持し続けた。2018年12月現在3位。

「4回転」ループジャンプ 世界初成功者「2016年オータムクラシック」 公式試合ショートプログラムにおいて史上初の「 クリーン」な「4回転」ループジャンプ 世界初成功者として国際スケート連盟より公式認定(2016年9月)ISU公式「バイオグラフィー」。

ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手である。世界記録は2012年から2018年の間に15回更新しており『レコードブレーカー』とも称される。+3 / -3 GOEシステム時代におけるショートプログラム(112.72点)、フリースケーティング(223.20点)、トータルスコア(330.43点)の世界歴代最高得点の歴史的記録(HR)保持者である この世界歴代最高得点は、歴史的記録の1位として、国際スケート連盟永久に残され保存されている。

目次

  • 1 人物
  • 2 スケート技術と特徴
    • 2.1 4回転ジャンプ
  • 3 コーチと振付師
  • 4 経歴
    • 4.1 ジュニア以前
    • 4.2 2007-2008シーズン
    • 4.3 2008-2009シーズン
    • 4.4 2009-2010シーズン
    • 4.5 2010-2011シーズン
      • 4.5.1 東日本大震災
    • 4.6 2011-2012シーズン
    • 4.7 2012-2013シーズン
    • 4.8 2013-2014シーズン
      • 4.8.1 ソチオリンピック金メダル(アジア人男子初の金メダル)
      • 4.8.2 世界選手権初優勝
    • 4.9 2014-2015シーズン
      • 4.9.1 グランプリファイナル2連覇
      • 4.9.2 世界選手権銀メダル
    • 4.10 2015-2016シーズン
      • 4.10.1 世界記録更新とGPファイナル3連覇
      • 4.10.2 世界選手権銀メダル
    • 4.11 2016-2017シーズン
      • 4.11.1 世界初の4回転ループ成功とGPファイナル4連覇
      • 4.11.2 世界選手権2度目の優勝
    • 4.12 2017-2018シーズン
      • 4.12.1 4回転ルッツ成功と右足関節外側靱帯損傷
      • 4.12.2 平昌オリンピック金メダル(66年ぶりの五輪連覇)
      • 4.12.3 国民栄誉賞 (個人史上最年少受賞)
    • 4.13 2018-2019シーズン
  • 5 主な戦績
    • 5.1 詳細
  • 6 プログラム使用曲
  • 7 世界歴代最高得点(歴史的記録)の更新記録
  • 8 受賞・栄誉等
    • 8.1 世界記録
  • 9 メディア出演
    • 9.1 CM・広告・アンバサダー等
    • 9.2 テレビ番組
    • 9.3 映画
  • 10 サポート・アドバイザリー契約
  • 11 出版物
  • 12 趣味・好物
  • 13 関連楽曲
  • 14 その他
  • 15 脚注
    • 15.1 注釈
    • 15.2 出典
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク

人物

名前は「を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名した。血液型B型

演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった。

2歳の頃から喘息(ぜんそく)の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった。15歳の時に、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになった清水宏保に会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある。

肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代の頃は体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療、吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された。しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え、現在(2017年時点)も発作を起こすと明かしている。

影響を受けた選手として、エフゲニー・プルシェンコジョニー・ウィアーステファン・ランビエールハビエル・フェルナンデスディック・バトンを挙げている。

特に2002年ソルトレイクシティ五輪でのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある。彼の得意技であったビールマンスピンをプログラムに取り入れリスペクトを示してきたが、2018-2019シーズンには『ニジンスキーに捧ぐ』へのトリビュートとなるプログラム『Origin』に自ら挑んでいる。。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている。2015年のNHK杯で3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている。

スケート技術と特徴

初優勝した「2013年GPファイナル」のビールマンスピン

ジャンプスピンステップの全方位に秀でたオールラウンダーである。

ジャンプは、準備動作が少なくても直ちに跳ぶことができるのが特徴で、踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、GOE(出来栄え点)加点を得るための8つの評価要素を全て満たしている質の高さが特長。このためクリーンに跳ぶとGOE満点となる3点(現在は5点)、または満点に近い高い加点を獲得する。試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループサルコウループルッツ)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点の付くトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である。 質の高さに加え、踏み切り直前に「カウンター」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたスプレッドイーグルから踏み切り、着氷後に即イーグルに戻るなど、ジャンプへの入り方や出方の難度の高さなどからも常に2〜3点のGOEがつき、トリプルアクセルだけで確実に11点以上を稼ぐ。特に基礎点が1.1倍となる演技後半に組み込んだトリプルアクセルからの連続ジャンプは、めったにミスをしないことからも4回転以上の強力な得点源となっている。

このように、基礎点の高い高難度のジャンプ構成を成立させたうえで、各要素を確実に高い質で決めることから、高いGOE評価を獲得する。この完成度の高さが羽生の強さである。例として世界記録を塗り替えた2015年グランプリファイナルでは20.18点の加点(当時の4回転トウループの基礎点は10.3点。つまり加点だけで4回転ジャンプ2本分の基礎点に匹敵する)を獲得している。

フリップは踏み切りがアウトサイドになる癖がありエッジエラーの判定を受けることがある。2011-2012シーズンよりエラー判定eは無くなり克服に成功している。

スピンの技術も高く、完璧にレベルを満たせば、こちらも高い加点を獲得する。元々のスピンの速さとポジションの美しさに加え、回転しながら指先や腕などを動かすことでオリジナリティーを出し、プログラムの構成難易度を上げる工夫を行っている。特に、柔軟性の高さを生かしたビールマンスピン やドーナツスピンなどを、積極的に演技に取り入れている。レイバックイナバウアーハイドロブレーディングも得意で、多くのプログラムに入れている。シットスピンは2017年のオータム・クラシックにおいて史上初となる満点の加点を獲得している。

4回転ジャンプ

ISUによる略称:
ジャンプ
【T】
トウループ
【S】
サルコウ
【Lo】
ループ
【F】
フリップ
【Lz】
ルッツ
【A】
アクセル

試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループサルコウループルッツ)をプログラムに組み込んでいる。

4回転ループは、アイスショーエキシビションのフィナーレなど(4回転ループ-3回転アクセルを着氷している)で跳んでいたが、2016-2017シーズンより競技に取り入れている。 2016年9月30日にモントリオールで開催された「オータムクラシック」のショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会において史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、ローザンヌにて公式に認定)。

4回転ルッツは公式練習でも着氷していたが「2017年のロステレコム杯」のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。公式練習では4回転フリップにも挑戦している が、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。4回転アクセルについては、幼い頃に従事していた都築章一郎コーチからも「アクセルは王様のジャンプ」と教わった経験や、自身がアクセルジャンプを得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と常に語っている。平昌五輪後の挑戦を示唆していたが、2018-2019シーズンより実戦への投入を目標に練習中である。

4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、「2017年国別対抗戦」のフリーでは「4回転トウループ - 1回転ループ - 3回転サルコー」の3連続ジャンプを初めて成功させた。 2018年フィンランド杯のフリーでは、こちらも史上初となる「4回転トウループ - トリプルアクセル」のコンビネーションを成功させている。

コーチと振付師

ブライアン・オーサーと(2015年)

阿部奈々美の指導を離れた2012年よりブライアン・オーサーに師事。トロントの「クリケット・クラブ」(Toronto Cricket Skating and Curling Club)に所属し、オーサーをチームリーダーとする"チーム・ブライアン"による指導を受けている。

協同リーダーはトレイシー・ウィルソン、ジスラン・ブリアン。スピン専門コーチはペイジ・アイストロップ。ショート振付師はジェフリー・バトル、フリー振付師はシェイ=リーン・ボーンである。(※2018-2019シーズン時点)エキシビション振付師はデヴィッド・ウィルソンの他、宮本賢二など。またNHKの「花は咲く~羽生結弦Ver.~」など、日本国内のTVプログラムやショーの振り付けを阿部が担当することもある。

スケート靴の調整は、中学生の頃から仙台市(現在はアイスリンク仙台隣接地)に工房を構える阿部年伸(阿部奈々美の夫)が担当している。カナダに練習拠点を移して以降も、小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している。

経歴

ジュニア以前

1998年の長野オリンピックにおけるフィギュアスケート競技日本代表のうち、7人中4人(田村岳斗本田武史荒川静香荒井万里絵)が仙台市東北高等学校に在学中の高校生選手であり、かつ4人とも長久保裕の教え子であった。これを発端に仙台でフィギュアスケートブームが起こる。長久保や4選手が所属するコナミスポーツクラブ泉のリンク(現・アイスリンク仙台地図)で1999年に佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により 羽生も4歳でスケートを始めた。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していた都築章一郎が仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる。都築に個人指導を受けるようになったのは小学3年からだが、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、この時はスケートが嫌になり野球をやりたいとも言い出した。しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝。9歳で初めて金メダルを獲得した。

優勝した直後の2004年12月にホームリンク(七北田小から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖したため、勝山スケーティングクラブ(仙台市、地図)に練習拠点を移した。勝山は七北田小から道なりに約6km(渋滞が無い早朝なら車で約15分だが夕方ラッシュ時は30分程度)離れており、貸切時間もあまり取れず練習時間は一気に減った。リンクメイトの少年たちも何人も辞めていき、この時期に伸び悩むこととなる。都築は旧・東神奈川スケートリンク(横浜市)へ移籍となり羽生とは離ればなれになった。2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。

2007-2008シーズン

2007-2008シーズン、まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初。

2008-2009シーズン

2008-2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る。世界ジュニア選手権でも大会最年少ながら12位となった。

2009-2010シーズン

2009-2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル-3回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。日本人男子としては初の中学生で、高橋大輔(2002年)、織田信成(2005年)、小塚崇彦(2006年)に続く、4人目の世界ジュニアチャンピオンになった。2010年4月、東北高校に進学。

2010-2011シーズン

2010-2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入った。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショート、フリー共に自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。

東日本大震災

3月11日東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。地震発生時は仙台市のアイスリンク仙台で、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難した。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した。羽生の練習場所を心配し、すぐに濱田美栄田村岳斗が阿部コーチに連絡してきたが、かつて師事した都築コーチがいる旧・東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)で、地震から10日後に練習を再開した。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した。震災を経て、Twitterですぐにメッセージを送ったジョニー・ウィアーらや、ファンからの手紙、羽生の現状を伝えるメディアなど、様々な支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。そのために精一杯、やれることは全部やっていこう」と決心。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた。7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。

2011-2012シーズン

初出場で銅メダルを獲得した2012年世界選手権

2011-2012シーズン、9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める(2018年のロステレコム杯まで6シーズンに渡ってNHK杯以外の大会での優勝はなかった)。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初となる世界選手権代表に選出された。

世界選手権のショートでは7位発進と出遅れる。しかしフリーでは中盤繋ぎの部分で突然転倒するアクシデントを起こしながらも、エレメンツはパーフェクトにまとめ巻き返し2位まで追い上げる。この結果総合で3位に入り、初出場で銅メダルを獲得。特に技術要素点ではパトリック・チャン・高橋大輔らを上回る同大会最高の点数をマークした。17歳3ヶ月でワールドメダリストとなったが、これは日本男子史上における最年少記録となっている。

2012-2013シーズン

2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。夏からはオーサーの指導拠点となる「クリケット・クラブ」(Toronto Cricket Skating and Curling Club、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/05/16 19:41

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