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自由民主党総裁とは?

この項目は画像改訂依頼に出されており、岸信介の総理大臣・自民党総裁時代の顔写真画像改訂が求められています。(2011年2月)
【自由民主党
総裁】

自由民主党党本部

現職者
安倍晋三

就任日 2012年9月26日

任期
3年(3期まで)
【初代】
鳩山一郎
【創設】
1955年
【ウェブサイト】
自由民主党

自由民主党総裁(じゆうみんしゅとうそうさい、英:President of the Liberal Democratic Party)は、自由民主党党首自由民主党の国会議員および党員党友などによる自由民主党総裁選挙によって選出される。「総裁」の役職名は、前身の立憲政友会立憲民政党から引き継いだもの。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 選出
    • 1.2 任期規定
  • 2 権限
  • 3 歴代自由民主党総裁一覧
  • 4 その他
    • 4.1 総総分離論
    • 4.2 総理総裁の条件
    • 4.3 肖像画
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

概要

自由民主党は、1955年11月の結党以降ほぼ全期間にわたって衆議院で比較第1党を保っているため、歴代の総裁のほとんどが在任中に内閣総理大臣を兼任しており、両者を合わせて総理総裁と呼ばれることもある。マスメディアでの報道においてもほとんどは「首相」の肩書で紹介されており、「総裁」として報道されるのは、党首の資格で出演する国政選挙の関連番組や党首候補者として取り上げられる総裁選関連のニュースなどに限られる。過去に何度か、「総理・総裁分離論」(総裁と総理をそれぞれ別の人物が務める)が案として出たことがあるが、実現した例は一度もない(後述)。

なお、総裁が首相を兼務する場合、党務は幹事長が主に担当する。

選出

総裁は、自由民主党則6条1項が引用する総裁公選規程第1条により「党所属国会議員、党員、自由国民会議会員および国民政治協会会員」による公選が原則だが、党則6条2項により、総裁が任期中に欠けた場合で緊急の事態により正規の総裁選挙が行えない場合には、「党大会に代わる両院議員総会」において、所属する全ての現職国会議員及び都道府県連合の代表者による投票によって新総裁を選出する場合もある。また、党の有識者や幹部等による話し合い調整に基づいて新総裁候補者を1本化し、両院議員総会での承認を受けて新総裁を決定する場合もある。なお、自由民主党総裁に立候補できる者は、総裁公選規程9条により、党所属国会議員に限定される。

任期規定

総裁任期は党則80条1項により、現在3年である。総裁任期はたびたび変更されている。

また、1974年以降には前任者の途中退任による残任期間を除く任期を連続2期までとする規定が追加され、2017年には3期までと変更された。

【期間】
【任期】
再選規定
1955年 - 1972年 | 2年 | 制限なし
1972年 - 1974年 | 3年
1974年 - 1978年 | 連続2期まで(再々任を認めない)
1978年 - 2003年 | 2年
2003年 - 2017年 | 3年
2017年 | 連続3期まで

1974年に連続3選を禁止する規定が導入されて以降、任期満了に伴い退任した総裁の例は、2例ある。

総裁を一旦退任した人物の再任を制限する規定はなく、安倍晋三が唯一の再任例となっている。

権限

党則に規定される権限を示す。

総則
人事

なお、総務会長は総務会の互選で選ばれ、国会対策委員長は総務会の承認を経て幹事長が決定する。党則上は総裁がこれらの人事に関与する規定はない。

執行

歴代自由民主党総裁一覧

自由民主党総裁代行委員(1955年 - 1956年)
【代】
【総裁代行委員】
【就任日
退任日】
【旧所属政党】
衆院選
参院選
統一地方選
-  | 鳩山一郎
 | 1955年11月15日
1956年4月5日 | 旧民主党 |  |  | 
 | 緒方竹虎 | 旧自由党
 | 三木武吉 | 旧民主党
 | 大野伴睦 | 旧自由党
自由民主党総裁(1956年 - )
代 【総裁
【就任日
退任日】
派閥
【衆院選】
【参院選】
統一地方選
1  | 鳩山一郎
 | 1956年4月5日
1956年12月14日 | 鳩山派 |  | 第4回 | 
2  | 石橋湛山
 | 1956年12月14日
1957年3月21日 | 石橋派 |  |  | 
3  | 岸信介
 | 1957年3月21日
1960年7月14日 | 岸派 | 第28回 | 第5回 | 第4回
4  | 池田勇人
 | 1960年7月14日
1964年12月1日 | 池田派 | 第29回
第30回 | 第6回 | 第5回
5  | 佐藤栄作
 | 1964年12月1日
1972年7月5日 | 佐藤派 | 第31回
第32回 | 第7回
第8回
第9回 | 第6回
第7回
6  | 田中角栄
 | 1972年7月5日
1974年12月4日 | 田中派 | 第33回 | 第10回 | 
7  | 三木武夫
 | 1974年12月4日
1976年12月23日 | 三木派 | 第34回 |  | 第8回
8  | 福田赳夫
 | 1976年12月23日
1978年12月1日 | 福田派 |  | 第11回 | 
9  | 大平正芳
 | 1978年12月1日
1980年6月12日 | 大平派 | 第35回
第36回 | 第12回 | 第9回
10  | 鈴木善幸
 | 1980年7月15日
1982年11月25日 | 鈴木派 |  |  | 
11  | 中曽根康弘
 | 1982年11月25日
1987年10月31日 | 中曽根派 | 第37回
第38回 | 第13回
第14回 | 第10回
第11回
12  | 竹下登
 | 1987年10月31日
1989年6月2日 | 竹下派 |  |  | 
13  | 宇野宗佑
 | 1989年6月2日
1989年8月8日 | 中曽根派 |  | 第15回 | 
14  | 海部俊樹
 | 1989年8月8日
1991年10月30日 | 河本派 | 第39回 |  | 第12回
15  | 宮澤喜一
 | 1991年10月31日
1993年7月30日 | 宮沢派 | 第40回 | 第16回 | 
16  | 河野洋平
 | 1993年7月30日
1995年9月30日 | 宮沢派 |  | 第17回 | 第13回
17  | 橋本龍太郎
 | 1995年10月1日
1998年7月24日 | 小渕派 | 第41回 | 第18回 | 
18  | 小渕恵三
 | 1998年7月24日
2000年4月5日 | 小渕派 |  |  | 第14回
19  | 森喜朗
 | 2000年4月5日
2001年4月24日 | 森派 | 第42回 |  | 
20  | 小泉純一郎
 | 2001年4月24日
2006年9月20日 | 森派
→無派閥 | 第43回
第44回 | 第19回
第20回 | 第15回
21  | 安倍晋三
 | 2006年9月20日
2007年9月23日 | 森派 |  | 第21回 | 第16回
22  | 福田康夫
 | 2007年9月23日
2008年9月22日 | 町村派 |  |  | 
23  | 麻生太郎
 | 2008年9月22日
2009年9月16日 | 麻生派 | 第45回 |  | 
24  | 谷垣禎一 | 2009年9月28日
2012年9月26日 | 古賀派 |  | 第22回 | 第17回
25  | 安倍晋三
 | 2012年9月26日
任期中 | 町村派
→細田派
 | 第46回
第47回
第48回 | 第23回
第24回 | 第18回

その他

総総分離論

総裁以外の自民党国会議員が内閣総理大臣に就任することについて、自民党議員から首相を選出する場合、過去の特殊な例外を除き総裁を首相に選出しているが、権力の分散、責任の分担、党内融和の観点から、しばしば総理と総裁の分離案が浮上している。しかし、過去に何度か分離案が浮上しても調整段階で失敗している。著名な例としては大福戦争時の「大平総理・福田総裁」案があるが、これは大平が「福田総裁代行」とすることを要求し、いずれも成案とならずハプニング解散に至る。鈴木善幸退陣後の党内調整では「中曽根総理・福田総裁」案がまとまりかけたが、これも中曽根と田中角栄の拒否により流れ総裁公選となる。

総裁以外の自民党議員が首相に選出された例は、1957年2月25日の石橋湛山の総裁時代における岸信介の首相選出や、1964年11月9日の池田勇人の総裁時代における佐藤栄作の首相選出がある。また、麻生太郎の総裁時代である2009年9月16日には、首相に選出はされなかったものの両院議員総会長の若林正俊が自民党の首相候補となった。

しかし、これらは総理総裁であった石橋、池田が病気のために首相はおろか自民党総裁など政治家としての公務が難しい状況であったこと、3、4ヶ月前の総裁選で岸、佐藤が現総裁に次ぐ2位であったこと、岸、佐藤両者とも総裁から後継総裁に指名され次期総裁就任が目されていたこと、岸、佐藤両者とも首相就任から1ヶ月して自民党総裁に正式に就任していることから、また麻生の総裁時代に若林が首相候補となったのは、衆議院総選挙大敗によって自民党議員が首相になれないことが確実視されていたこと、衆議院総選挙大敗の責任を取る形で麻生執行部の退任がすでに決定している中で後継総裁はまだ選出されていなかったという事情によるもので、総総分離体制が持続されていた、もしくはそれを視野に入れた選出とはみなされていない。

なお、総裁を退くと首相も辞任することと、首相を辞任したら総裁も退くことが慣例化しているため、自民党において総総分離体制が持続されたことはない。

総理総裁の条件

党則上、国会議員の党員全員に総裁の資格はあるが、現実問題として実績がない者が総裁選挙に出馬したところで選出される役職ではなく、田中角栄は総理総裁の条件として、「党三役のうち幹事長を含む二役(つまり、他に総務会長政調会長のいずれか)、内閣で外務大蔵通産のうち二閣僚」(の経験者であること)を挙げていた。それらの要職を歴任しさえすれば必ず総理総裁になれるというわけではないが、総理総裁候補の実力者なら経験しているのは当然と考えていたと思われる。野田聖子も、2009年に自民党が下野した際に総裁選に出ようとして、後見役の古賀誠から同様に「資格は小選挙区出で三役経験者だ」と言われ止められたという(この時は谷垣禎一が候補に名乗りを上げ当選した)。三角大福(三木武夫、田中、大平正芳、福田赳夫)の時代はこの条件を一応充足していた。

しかし、鈴木善幸以降は条件に該当しない総理総裁が多く、田中が挙げた条件全てを満たした自民党の議員は、安倍晋太郎三塚博桜内義雄、橋本龍太郎、麻生太郎の5人、条件に該当した状態で総理総裁に就任したのは橋本だけである。麻生については、総理総裁を退任した後に財務大臣に就任したことによって、条件全てを満たした。逆に海部俊樹、小泉純一郎、福田康夫は条件として挙げられた役職を一つも経験しない状態で総理総裁となった。

自民党歴代総裁の在職日数上位5名(池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三)の内、田中の条件に該当している者はいない(ただし自民党の前身の自由党時代を含めると池田勇人と佐藤栄作は充足している)。田中はロッキード事件で無罪を勝ち取った後の復帰を念頭に、三角大福世代からの世代交代の動きに釘を刺すことに執心しており、その一環としての条件主張でもあった。田中自身より年上の鈴木善幸(条件ポストの経験は総務会長のみ)や、田中と同年齢の中曽根(外相および蔵相を未経験)については、総裁に擁立する立場に回っている。

条件からは除外されている内閣官房長官は、当時から内閣の要職であったが、田中が田中派内の世代交代を抑えようとする上で念頭にあった竹下登が官房長官経験者であるのに対して、田中自身は未経験であった。2000年以降は、特に副総理扱いの閣僚がなければ、官房長官を内閣総理大臣臨時代理第1位事前指定者とする慣行がある。また、中央省庁再編で新設された、官邸機能の一部も引き受ける巨大省庁の総務省を管轄する総務大臣は、田中時代には存在しなかったポストである。

ちなみに現職の自民党総裁で重複立候補した者は2000年の衆院選石川2区で圧勝した森だけである(現職の総理大臣が重複立候補した例は森と野田佳彦のみ。森は小選挙区比例代表並立制導入以降、自身が比例候補定年73歳未満だった1996・2000・2003・2005・2009年と5回連続で重複立候補し全て小選挙区勝利している)。小泉の総裁時代に行われた2005年の衆院選では、自民党神奈川県連会長の河野太郎が小泉に比例南関東ブロック神奈川第11区へ重複立候補することを要請していた。理由は「比例での自民票上積み」とされる。しかし、重複すると、小泉の顔を使った自民党のポスターが同ブロックの神奈川、千葉、山梨3県で貼れなくなるという公職選挙法の問題があったため、重複立候補は取り止めとなった。

肖像画

自民党本部の8階ホールには、歴代総裁肖像画が展示されている。ただし、1994年6月に自民党執行部が村山を首班指名し、海部がそれに反対する形で自らの首班指名に意欲を示して離党した時には、総裁としての海部の肖像画が外された。その後、2003年11月に海部が自民党に復党した際、海部の肖像画が再び展示されるようになった。

この肖像画は自分で好きな画家を指名することが可能で、1枚数百万円ともいわれる。8階ホールでは26人目まで飾る部分が確保されている(前職の谷垣で24人目)。

脚注

  1. ^ 1956年1月28日に死去後、後任に松野鶴平(旧自由党)が1956年2月10日から就任。
  2. ^ 在任中に逝去、副総裁西村英一が総裁代行に就任。
  3. ^ 総裁就任後、森派を離脱。
  4. ^ 同日、特別国会で行われた首相指名選挙では、自民党は党総裁が空席のため、党両院議員総会長(当時)の若林正俊に投票した。
  5. ^ 所属派閥の清和政策研究会は、町村信孝衆議院議長就任により細田博之が後任会長に就任したため、通称が細田派となる。
  6. ^ 朝日新聞2013年11月10日『政々流転―野田聖子・自民党総務会長 体験から語る女性政策』

関連項目

外部リンク

自由民主党
前身: 自由党日本民主党
歴史
1950年代:
55年体制の成立と
社会保障制度の導入 | 
55年 - 鳩山一郎 | 
日ソ国交回復国連加盟 - 保守合同

56年 - 石橋湛山 | 
初の総裁公選による選出

57年 - 岸信介 | 
満州人脈 - 警察官職務執行法改正案 - 60年安保 - 国民皆保険


1960年代:
高度経済成長
吉田学校の系譜 | 
60年 - 池田勇人 | 
所得倍増計画 - 農業基本法公布 - OECD加盟 - 東京オリンピック - 岸派分裂 - 財界四天王

64年 - 佐藤栄作 | 
日韓基本条約 - 非核三原則(日米核持ち込み問題) - 公害国会 - 日本万国博覧会 - 沖縄返還(西山事件) - 佐藤派五奉行 - 黒い霧事件 - 日通事件


1970年代:
三角大福中
闇将軍 | 
72年 - 田中角栄 | 
日中国交回復 - 日本列島改造論 - 第1次オイルショック - 第一次角福戦争 - 青嵐会結成 - 椎名裁定

74年 - 三木武夫 | 
ロッキード事件 - 三木おろし

76年 - 福田赳夫 | 
日中平和友好条約調印 - 福田ドクトリン - 大福密約 - 第二次角福戦争

78年 - 大平正芳 | 
田園都市構想 - 総合安全保障構想 - 第2次オイルショック - ダグラス・グラマン事件 - 四十日抗争 - 第三次角福戦争 - ハプニング解散


1980年代:
和の政治と
戦後政治の総決算 | 
80年 - 鈴木善幸 | 
増税なき財政再建

82年 - 中曽根康弘 | 
新保守主義 - 国鉄分割民営化 - 二階堂擁立構想 - 死んだふり解散 - 創政会結成と田中派分裂 - 皇民党事件 - ニューリーダー(
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/08/17 21:44

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