このキーワード
友達に教える
URLをコピー

舛添要一とは?

移動先: 案内検索
 | この存命人物の記事には検証可能な出典が求められています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2013年1月)
日本政治家
舛添 要一
ますぞえ よういち

2014年10月

【生年月日】
(1948-11-29) 1948年11月29日(69歳)
【出生地】
日本 福岡県八幡市
(現:北九州市)
【出身校】
東京大学法学部第3類卒業
【前職】
国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員教授
【所属政党】
(自由民主党→)
(改革クラブ→)
(新党改革→)
無所属
【称号】
法学士(東京大学・1971年)
【配偶者】
フランス人女性(1978年 - 1981年)
片山さつき(1986年 - 1989年)
日本人女性(1996年 - )
【公式サイト】
ますぞえ要一 公式サイト
第19代 東京都知事

【当選回数】
1回
【在任期間】
2014年2月11日 - 2016年6月21日
第8-10代 厚生労働大臣

【内閣】
第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
福田康夫改造内閣
麻生内閣
【在任期間】
2007年8月27日 - 2009年9月16日
参議院議員

【選挙区】
比例区
【当選回数】
2回
【在任期間】
2001年7月29日 - 2013年7月28日

舛添 要一(ますぞえ よういち、1948年昭和23年〉11月29日 ‐ )は、日本国際政治学者政治家である。株式会社舛添政治経済研究所所長、一般社団法人地域経済総合研究所評議員。

参議院議員(2期)、参議院自由民主党政策審議会長厚生労働大臣(第8910代)、新党改革代表(第2代)、東京都知事(第19代)などを歴任した。

目次

  • 1 略歴
  • 2 来歴
    • 2.1 生い立ち
    • 2.2 政治学者
    • 2.3 参議院議員
    • 2.4 東京都知事
      • 2.4.1 立候補・当選
      • 2.4.2 東京ブランド
    • 2.5 都市外交
      • 2.5.1 中国
      • 2.5.2 韓国
    • 2.6 公私混同報道と都知事辞職
      • 2.6.1 事案
  • 3 選挙歴
  • 4 政治活動
    • 4.1 自民党議員として
    • 4.2 厚生労働大臣として
      • 4.2.1 年金問題
      • 4.2.2 医師不足問題への取り組み
      • 4.2.3 薬害肝炎
      • 4.2.4 労働問題
      • 4.2.5 医薬品ネット販売規制
    • 4.3 政策・主張
      • 4.3.1 外国人参政権・帰化要件
      • 4.3.2 エネルギー政策
      • 4.3.3 TPP交渉参加
      • 4.3.4 ヘイトスピーチへの対応
  • 5 人物・エピソード
    • 5.1 馬主として
  • 6 著書
    • 6.1 単著
    • 6.2 共著
    • 6.3 訳書
    • 6.4 論文
  • 7 作詞提供
  • 8 テレビ出演
  • 9 ビデオゲーム
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 参考文献
  • 12 関連項目
  • 13 外部リンク

略歴

来歴

生い立ち

福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。公式サイトによれば、舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系である。

父は1930年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選)。

若松で石炭商(現在のガソリンスタンドのような存在)を営んでいた父は、行き詰まって八幡東区で八百屋に転じたものの商いは厳しく、要一が小学2年の時に近くの材木店の火災で類焼して以降は酒に溺れ、一家は長女らの働きで糊口を凌いだ。

八幡市立祝町小学校(現:北九州市立祝町小学校)、同大蔵中学校を経て福岡県立八幡高等学校では陸上部の短距離選手としてインターハイにも出場した。東京大学へ進学し、教養課程では佐藤誠三郎のゼミに所属。法学部では第3類(政治コース)に進学し、1971年6月に卒業した。

政治学者

1971年7月、東京大学法学部助手に採用されヨーロッパ政治史を専攻した。東大では篠原一岡義達らの指導を受けたが、間もなく渡仏。蔵書資料や指導教官など東大の研究環境の悪さに辟易しての決断だったが、当時、助手の身分での留学は異例で始末書まで書かされた。日仏学院、グルノーブル大学にてフランス語研修を受けた後、パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員、ジュネーブ国際研究大学院(HEI)研究員としてフランス外交史の研究を行った(主に戦間期フランスの安全保障政策の研究)。1979年に東京大学教養学部助教授に就任(政治学)。フランスを初めとする欧州の政治・外交安全保障に関する研究を専門とし、国際関係論などを講じていた。

1980年代末から『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』『ビートたけしのTVタックル』などの討論番組に頻繁に出演した。1989年6月に東京大学の体質を批判して退官、舛添政治経済研究所を設立し独立する。独立後はバラエティ番組などにも活動の場を広げた。

1999年の東京都知事選挙に無所属で出馬。当初、出馬表明していた野末陳平は出馬を断念し、舛添を支援した。3位で落選したが84万票を獲得した。

参議院議員

2001年7月、第19回参議院議員通常選挙比例区から自民党候補として立候補し、158万8862票を獲得してトップ当選。2006年10月、安倍内閣発足に伴い当選1回ながら参院自民党の政策責任者である政策審議会長に就任した。

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、再選を目指し自民党公認で比例区より立候補、与党への逆風の中で票を減らしたが、467,735票を獲得して自民党トップで当選した。選挙前後を通じて、党参院執行部の1人でありながら安倍内閣の政権運営を厳しく批判してきたが、同年8月27日の第1次安倍改造内閣厚生労働大臣として入閣し、安倍晋三が首相を辞任した後の同年9月26日に発足した福田康夫内閣、さらに2008年9月24日に発足した麻生内閣においても続投した。

2009年第45回衆議院総選挙で自民党が歴史的な大惨敗を喫し、麻生内閣が総辞職したため、舛添は厚生労働大臣を退任した。その後、辞任した麻生に代わり谷垣禎一が新総裁に就任したが、舛添は総裁選の直後から執行部への批判を口にするようになり、たびたび離党・新党結成が取り沙汰された。舛添の動きは、自民党内で批判の的となり、2010年4月には、舛添を党から排除すべきとの意見も出た。

2010年4月22日、自民党に離党届を提出。矢野哲朗と共に改革クラブへの合流を表明し、入党する。同年4月23日、改革クラブの党名を新党改革に変更し、同党の代表に就任した。自民党党紀委員会は、政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員(矢野哲朗小池正勝)に対して新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として、賛成9票・反対3票で舛添に対して除名処分を下した。

2013年6月7日、同年7月の第23回参議院議員通常選挙に立候補せず、議員の任期満了とともに党代表も辞任する意向を表明した。同年7月22日、新党改革代表を辞任。

東京都知事

2014年東京都知事選挙#立候補関連」も参照

立候補・当選

自由民主党東京都支部連合会・公明党東京都本部推薦新党改革支援により東京都知事選挙に当選後、自由民主党総裁安倍晋三(右)に挨拶する舛添(左)
選挙ポスター

2014年1月8日2014年東京都知事選挙に無所属で出馬することを表明する。同年1月10日には自民党東京都連が支援することを発表し、同月15日には自民党本部で自民党幹事長石破茂と会談した。自民党東京都連が舛添の推薦を決めたことを踏まえて、石破は「本部としてもしっかり支援していく」と述べた。しかし、同年1月15日小泉進次郎が「一番苦しい時に『自民党の歴史的使命は終わった』と言って出て行った人だ。応援する大義はない」と述べたほか、舛添の前妻である片山さつきも「舛添氏は障害を持つ婚外子に対する慰謝料扶養が不十分だ。解決されていない」と主張するなど、一部の党所属議員からは支援に対して反発の声が上がった。

その後、連合東京公明党東京都本部、新党改革も支持を決める。一時、公明党幹事長の井上義久は「都本部から支援の要請があれば党本部としても支援したい」と政党を挙げての支援を示唆していた。民主党も当初は支援を検討していたが、細川護煕の支援に転じた。

東京新聞(中日新聞)が同年1月10日から12日にかけて実施し、13日に発表した世論調査によると、次期都知事にふさわしい候補予定者として舛添を挙げる意見が最も多かった。

同年1月14日東京都庁舎で記者会見を開き、立候補を正式に表明。「私も(福島第一原子力発電所事故以来)脱原発を言い続けている」と述べ、細川護熙宇都宮健児鈴木達夫らと同様に脱原発を主張した。政策の3本柱として、「2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功」「首都直下地震などに向けた災害対策」「社会保障対策」を訴えた。同年1月31日の記者会見では、「現在6%の再生エネルギーを20%にする」「東京を『特別経済特区』と位置付ける」「8000人の待機児童を4年間でゼロにする」と宣言した。街頭演説では、「都政の課題はエネルギー政策だけでなく、待機児童、多摩の格差是正、教育、高齢者福祉など、やらなきゃならないことがたくさんある」「『原発なしでも電気はある』と言うが、廃炉予定だった火力発電所を慌てて稼働してなんとか凌いでいる。燃料の98%は輸入で、昨年は3.6兆円もかかった。1日100億円かけて国民の暮らしをなんとか守ってきたが、これでは続かない。依存度を下げていくことは政治家であればみんな考えているが、それは都政ではなく、国政で腰を据えてやることだ」と話したほか、若者への雇用対策、東京を国家戦略特区とする構想などを訴えた。

同年2月9日に選挙が執行された結果、211万2979票を獲得し東京都知事に当選。同年2月11日に当選証書授与式が行われ、翌12日には東京都庁舎へ初登庁して第19代東京都知事としての職務を開始した。

2020年の東京オリンピックの施設整備費高騰問題については、バドミントンとバスケットボールの会場予定だった新設の「夢の島ユース・プラザ・アリーナA」「同B」の2会場をそれぞれ既存施設の「武蔵野の森総合スポーツ施設」(東京都調布市)と「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市)に変更し、セーリングについても新設の「若洲オリンピックマリーナ」を中止し、既存施設の「若洲海浜公園ヨット訓練所」(江東区)を改修・拡張して活用し、施設整備費を約2000億円圧縮した。

建て替え予定の新国立競技場(新宿区)について2015年7月、自身が一員でもあった有識者会議のあり方に疑問を呈した。また、都民の便益となるよう、一例として防災拠点としての活用も提案した。同9月には自身が企画した「東京防災」(防災ハンドブック)を電通が作成した(都内の全世帯に配布された)。

また、新銀行東京東京TYフィナンシャルグループの経営統合にあたり、舛添は東京都が出資した400億円を守ることを表明した。

東京ブランド

就任1か月後の2014年3月、東京都は都道の歩道上のオープンカフェなどの営業開設手続きの簡略化を施行するにあたり、舛添の「パリのシャンゼリゼのような通りを造りたい」との表明をくみ、「東京シャンゼリゼプロジェクト」と命名した。

舛添は東京をブランドとして海外に発信するプロジェクトとして「東京ブランド推進キャンペーン」を提唱。永井一史に依頼し、ロゴ・キャッチコピー「&TOKYO」を採用した。また、東京都観光ボランティアのユニフォームを公募し、藤江珠希のデザインを採用したが、都民からは不評で、舛添の後任である小池百合子東京都知事はし「躊躇なく変えていきたい」と述べ、2016年11月にデザイナーのコシノヒロコらが参加し開催された「東京ブランドのあり方検討会」で見直しされることが決定した。

都市外交

東京を訪問したウィリアム王子を案内する舛添(2015年)

姉妹都市である北京とソウルの訪問に関して「姉妹、兄弟がいて、お隣に住んでいて、18年間会っていませんということは異常」であるとし、積極的な外遊を行った。しかしながら、海外首脳と独断で約束を結んだことや慣例を逸脱した海外出張費、熊本地震などの災害中に訪問先で行ったパフォーマンスなどが派手であるとされ、また、東京都の経済成長・産業発展に結びつくことが全くないとされて、批判も受けた。

中国

同年4月24日に都知事就任後の初外遊として中華人民共和国北京を訪問して王安順市長から評価を受けた。

韓国

同年7月23日、訪問先の韓国ソウル市長朴元淳と会談し、東京とソウルの協力促進などを盛り込んだ合意書を締結した。25日には、大統領朴槿恵に招かれてソウルの韓国大統領府で会談。この会談で舛添と朴は韓国人へのヘイトスピーチは許されないとの認識で一致した。また、翌26日ソウル大学での講演でも、在日韓国人らに対するヘイトスピーチに厳しく対応する考えを強調し、その際に「90%以上の東京都民は韓国が好き」とも発言した。

訪韓の成果について、舛添は「外交や安全保障は政府の専管事項だが、結果的に外交を補完、補強することができると感じた。一定の成果が挙がった」と都市外交の意義を強調し、朴から託された「歴史認識をしっかりすることが親善の第一歩」とのメッセージを内閣官房長官菅義偉に報告すると述べたが、「(朴のメッセージは)従来と同じ発言」と関心を示すことはなかった。

また都条例の規定では、知事が出張の際の宿泊料はソウルで2万6900円が上限となっているが、この時に舛添が利用したロッテホテルの宿泊費が67万7600ウォン≒約7万1000円)とされており、規定を大幅に超過している。さらに同年11月にオーストラリアブリスベンで開催されたG20へ参加した安倍内閣総理大臣の宿泊費(200豪ドル≒約2万円)の3倍以上だったこともあり、金額判明後に批判され、この訪韓をめぐっては、インターネット上で抗議のリコール運動なども発生した。

朴に要請されて舛添が快諾した韓国学校の増設については、東京都は保育所や介護施設など福祉目的施設に優先的に用地を振り向ける方針であるため「いきなり『韓国のためだけに』と便宜を図るのは難しい」と難色を示しており、聯合ニュースによる10月24日のインタビューに対し、舛添は「どういう土地が空いているかなど、今検討している」と説明している。

公私混同報道と都知事辞職

東京都は2016年3月、舛添の2015年度における海外出張費が、総額5700万円と発表した。同年5月に週刊文春などのメディアによって、公用車問題や政治資金家族旅行問題を報道。政治資金家族旅行問題を筆頭に舛添問題が注目され、批判が続くことになった。

2016年6月1日から東京都議会が開かれた際にも、舛添知事は都議会議員から批判され始める。共産党は偽証に刑事罰を規定した百条委員会の設置を求めたが、東京都総務局長は「地方自治法の第百条に照らし合わせてみても、参院議員時代の問題は地方公共団体の事務に直接的にかかわることではないから、百条委員会にはなじみにくいものと認識しています」と答弁し、都知事就任前の舛添の政治資金問題に関する百条委員会の法的問題が浮上した。

6月7日に一連の問題について第三者と称して弁護士2人による調査が発表され、一部支出については不適切としたが、そうした不適切支出についても「違法とは言えない」と説明した。舛添は政治資金の返金等の対応姿勢を示しつつ知事職に居続けようとしたが、批判は続いた。

6月13日の都議会総務委員会での集中審議での説明はなく、6月14日に都議会で都知事不信任決議案が提出された。舛添は最後には「不信任案が可決されたら辞職か解散しかない。リオ五輪・パラリンピックを前に選挙を行うことは公益にそぐわない。進退については9月に開かれる次の都議会定例会まで少しの猶予をいただきたい。全ての給与をご辞退し、全身全霊、都民のために働きたい」と述べた。しかし、舛添が詳細な説明を拒否し続けたことや舛添を擁護し続けると翌7月に実施される第24回参議院議員通常選挙に影響が出ることも懸念されたため、野党だけでなく知事与党の公明党・自民党も賛成に回ることになった。都知事不信任案可決が確実視された段階を受けて、都議会最終日の6月15日に都知事辞職を提出。知事辞職願は都議会で受理され、6月21日付けで都知事を辞職した。

事案

  • 2016年5月に週刊文春で、舛添の資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」(解散)が、千葉県内のホテルに「会議費」名目で支出した約37万円が、「家族旅行だった疑いがある」と報道された。これについて、家族宿泊はあったが、「事務所関係者等」が部屋に来て会議をしており「政治活動」であるという説明がなされたが、部屋を訪ねた人物や人数は「政治の機微に触れる。差し控えたい」と述べていた。部屋を訪ねた人物について、都の集中審議で「作り話ではないのか」などと追及されたが名前は明かさず、6月6日公表の弁護士の調査報告書で「元新聞記者の出版会社社長」との面会だったことが判明した。2016年5月に政治資金問題で告訴され、2017年3月3日に東京地検にホテルの会議費用について政治活動とはいえないと判断して、虚偽記入を認定されたが、少額な点などが考慮されて起訴猶予となった。2017年6月21日に東京第4検察審査会は「不起訴処分の裁定を不相当と判断できる事情が発見できなかった」として不起訴相当を議決した。
  • 2015年5月から2016年4月までほぼ毎週末の48回、神奈川県湯河原町の別荘へ公用車を利用していることが報道され、記者会見で「ルールに従ってやっている。全く問題はない」と説明し、都も「問題ない」という見解であったが、都議会から「公私混同ではないか」という批判はやまず、のちに「行き先や、仕事の中身が明確にできない場合は公用車を一切使わない」と表明した。5月13日には別荘へ公用車を利用したことについて、約371万円の損害賠償を請求する住民監査請求が提出されたが、7月8日に東京都監査委員は「世田谷区にある自宅と同じく活動の一つの拠点。私的な日常活動の拠点に不適当といえず、都庁から移動距離として長すぎるものとはいえない」として棄却した。
  • 2015年12月23日にNHKホールで都が主催したNHK交響楽団の演奏会の際に、夫婦で公用車を利用したことについては「都知事として家族同伴で来てくださいというご招待」があったと説明した。8月18日と29日に、東京ドーム(文京区)を知事専用の公用車で訪れた際に家族同伴であったことについて、野球が2020年東京五輪の追加種目に加わる可能性があるとし「都としての文化政策、スポーツ政策に大きく寄与していると思っている」と説明していたが、東京都監査事務局から私的活動の疑いによる経費の返還の勧告を受け、6万5029円を納付した。
  • 舛添が依頼した元検事の弁護士2人による調査結果では、ヤフオク!を利用し3年間106点の浮世絵等の美術品にで約315万円の支出があったことは、違法ではないが「点数があまりに多く、趣味的色彩が強い」ため適切ではないとされ、「海外で買った民芸品やマンガ本などの一部」も適切ではないとされた。公明党都議による「資産隠しではないか」などという質問に対し、「政治資金で購入した美術品を、自分で私物化するという気は全くございません。」、「政治資金で購入した美術品を転売することは一切しておりません。これは明言したいと思います。私は何点か渡したが、基本的には外国の方にどうぞという形で渡したことは何度かあると思います」と回答している。
  • 産経新聞の報道によれば、日本共産党都議団は舛添の海外出張を調査し、1回あたり金額が過去に批判された石原慎太郎都知事よりも高額であり、随員が多く(石原は7人であるが舛添は11人)、空港の「貴賓室」の借り上げは石原・猪瀬は行っていないなどと批判した。

選挙歴

【当落】
【選挙】
【施行日】
【年齢】
【選挙区】
【政党】
【得票数】
【得票率】
【定数】
得票順位
/候補者数
当 | 第19回参議院議員通常選挙 | 2001年7月29日 | 52 | 比例区 | 自由民主党 | 1,588,262 | 党内1位 | 48 | /
当 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年7月29日 | 58 | 比例区 | 自由民主党 | 470,571 | 党内1位 | 48 | /
当 | 東京都知事選 | 2014年2月9日 | 65 | ―― | 無所属 | 2,112,979 | 43.40% | 1 | 1/16

政治活動

自民党議員として

  • 郵政造反組復党問題においては、無所属議員の復党を強く支持したが、落選していた衛藤晟一の復党・参院選出馬が持ち上がった際は参院選の責任者の立場から「百害あって一利なし」などと発言している。衛藤の復党に反対した理由として、舛添は「公明党との選挙協力に支障が出るため」と述べている。
  • 自身は憲法改正に前向きな姿勢を示しているが、自民党改憲案の取り纏めでは民主党や国民に受け入れられることを重視し、保守色を薄めるべく調整にあたった。また、元首相中曽根康弘が中心となって作成した自民党憲法草案の原案から、「日本の国柄」を明記した箇所を当時の自民党総裁小泉純一郎の了承を得て削除させたと主張している。

厚生労働大臣として

年金問題

社会保険庁#不祥事」および「年金横領問題」も参照

2007年8月下旬に社会保険庁社会保険事務所職員による年金保険料着服問題が発覚した際、「盗人には牢屋に入ってもらう」と述べ、刑事告発を約束した。また、社会保険庁職員よりも市区町村職員(以前は徴収業務が国から地方自治体に委任されていた)のほうが着服件数・着服総額が多かったこと(社保庁職員による保険料着服:52件、約1億6939万円、市区町村職員着服:101件、約2億4383万円)に鑑み、「銀行員が(保険料を)ポケットに入れるはずがない。銀行は信用できるが、社保庁は信用ならない。市町村は社会保険庁よりもっと信用ならない」と発言した。これに対し、年金保険料の横領が確認されていない自治体市長から抗議を受けたが、舛添は「小人(しょうじん)のざれ言に付き合っている暇はない」と発言した。この発言は各地の市長から反発を招き、舛添は2007年10月16日の参院予算委員会において、これらの発言について「非常に不適切な言葉であった」と述べ、撤回した。

2007年、ユーキャン新語・流行語大賞に「消えた年金」が選出される。授賞式では、年金問題の当事者であり行政の責任者である厚生労働大臣として授賞式に出席し、賞を受け取った。

2007年12月11日、上述の「消えた年金」に関係し、宙に浮いた年金記録約5000万件中、945万件の特定が困難との社会保険庁の調査結果を受け記者会見し、「他の方が大臣になっても結果は同じ。ないものはないんだから」、「(参院選で)年金は最大のテーマ。『できないかもしれないけどやってみます』なんて言いませんよ」と発言し、開き直りではないかと報道された。

社会保険庁の台帳保全、情報管理の不備が明らかになる中で、年金記録問題の解決に向けてスピードアップを図る必要性を感じた舛添は、2008年1月22日に大臣直属の「年金記録問題作業員会」を発足。委員会のメンバーには函館大学客員教授の磯村元史、ジャーナリストの岩瀬達哉ら政府批判派を積極的に起用した。以後、舛添は同様の人材起用で諮問機関の開催を進めた。

なお、2008年11月5日全国社会保険職員労働組合などのヤミ専従をしていた者と責任者の20名ほどを刑事告発する方針を明らかにした。大臣直属の「服務違反調査委員会」は告発については慎重な判断を求めていたが、給与をもらいながら組合活動をしていた行為は、公的年金制度の信頼を損ねるものだと述べ、厳しい対応を取った。

医師不足問題への取り組み

詳細は「<
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/01/14 05:42

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「舛添要一」の意味を投稿しよう
「舛添要一」のコンテンツはまだ投稿されていません。

舛添要一スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「舛添要一」のスレッドを作成する
舛添要一の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail