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荒木雅博とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
熊本県菊池郡菊陽町
【生年月日】
(1977-09-13) 1977年9月13日(40歳)
身長
体重 180 cm
74 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
二塁手遊撃手外野手
【プロ入り】
1995年 ドラフト1位
【初出場】
1997年5月31日
【年俸】
7,000万円(2018年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴

  • 中日ドラゴンズ (2018)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
五輪
2008年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


荒木 雅博(あらき まさひろ、1977年9月13日 - )は、熊本県菊池郡菊陽町出身のプロ野球選手(内野手外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。2008年から中日選手会長、2009年には日本プロ野球選手会副会長に就任。井端弘和との二遊間コンビは「アライバ」の愛称で親しまれた。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 守備・走塁
    • 2.2 打撃
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別守備成績
    • 4.3 タイトル
    • 4.4 表彰
    • 4.5 記録
    • 4.6 背番号
    • 4.7 登場曲
    • 4.8 出演
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

プロ入り前

熊本工業時代は2度春のセンバツに出場。3年生時の夏は県大会準決勝で敗退した。

1995年のドラフト会議では、当初中日ドラゴンズ福留孝介を1位指名し、荒木はドラフト4位で指名する方針だった。しかし、福留に続き外れ1位の原俊介までも抽選で外してしまい、監督の星野仙一は「もう勝手にせえ」と憤慨し、外れ外れ1位で荒木が指名され、入団するに至った。。

プロ入り後

1年目の1996年4月2日、ウエスタン・リーグ開幕2戦目のダイエー戦で代走として初出場し、二塁から浅い右飛でタッチアップし、トレーニングコーチの三木安司は暴走と感じたものの、セーフとなった。三木は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」と評価しており、2年目の1997年には脚力を生かして外野の守備固め代走で一軍63試合に出場したが、定着とはならなかった。

3年目の1998年、二軍監督に就任した仁村徹は未来のレギュラー候補として、内野手で荒木を1から鍛え直すと決めた。仁村は第一歩として、当時最大の武器だった機動力の強化に集中し、出塁すれば必ず盗塁のサインを出し、失敗を重ねつつもセーフになるタイミングを覚えさせた。俊足を生かすべく、同年から2000年にはスイッチヒッターに挑戦していた。1999年5月30日、ウエスタン・リーグのダイエー戦(福岡市雁の巣レクリエーションセンター野球場)で10回2死、二塁走者の荒木は単打で本塁を狙って走塁するが、前進守備の外野からの返球でアウトとなった。仁村は「ここでセーフになれなかったらお前の存在意義がない」と叱責し、その場で二塁から本塁までの走塁練習を50本課した。

2001年は課題だった打撃が急成長し、夏場からは1番打者に定着。規定打席には届かなかったものの、3割を大きく超える打率を残して一躍期待の若手として注目される。

2002年からは一年間を通してレギュラーとして出場し続け、2年続けて規定打席に到達した。

2004年落合博満監督就任の下、リードオフマンとして39盗塁、日本プロ野球記録となる9度の1試合4安打以上を記録し、守備でも井端弘和との二遊間コンビ「アライバコンビ」が落合監督から「井端との二遊間コンビは12球団一、二塁手単独ならメジャーの超トップクラス」と高く評され、自身初のタイトルとなるベストナインゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せた。

2005年もリードオフマンとして活躍し、自己最多となる42盗塁を記録した。

2006年は怪我の影響もあり出場試合数は減ったものの、初となる打率3割を記録した。

2007年は不振で二軍落ちも経験した。さらに得意の守備でも一時期イップスに陥るなど苦しんだ。球団としては21年ぶりの盗塁王を獲得したものの打撃不振が響き、減俸となった。

2008年はさらに打撃が低迷、出塁率も3割に届かないなど不振が続いた。同年6月21日の試合で、史上250人目となる1000本安打(1075試合目)を達成。この間毎年ゴールデングラブ賞を受賞し続けており、守備面は変わらず安定していた。2008年には選手会長に就任した。

2009年シーズンより、井端の二塁手コンバートにあわせて荒木は遊撃手を務める予定であったが、井端の調整が目の不調により遅れたことに加え、荒木自身も開幕直前に足を痛めたことで見送られた。 シーズン前半は1番打者とされていたが打撃の調子が上がらず、すぐに2番に変えられた。2番に起用されてからは徐々に復調し持ち前の粘り強いバッティングが戻ってきた。打率.270に対して、得点圏打率は.343と、チャンスの場面での勝負強さを見せ付けた。福地寿樹と盗塁王を争っていたが、左手首を痛めて試合を欠場したこともあり、タイトル獲得はならなかった。同年限りで選手会長を退任し、森野将彦に譲った。

2010年は、再び井端と共にコンバートに挑戦。開幕前に左前脚を負傷し、1999年以来11年ぶりに開幕一軍から外れた。4月5日に復帰し、遊撃手へのコンバートが実現した。シーズンは復帰後の全試合で1番打者としてスタメン出場した。打撃はフォーム変更が効いたのか夏場から調子を上げ、打率.294でシーズンを終えた。守備では20失策を記録し、盗塁数も20にとどまり、7年連続のゴールデングラブ賞の受賞と30盗塁の達成はできなかった。

2011年はシーズン中盤に欠場する試合があったものの一年通して1番打者として活躍。打率.263はチーム内の規定打席到達者では最高だった。300盗塁を達成したものの、全体では盗塁数は18と前年をさらに下回った。

2012年、二塁手に再コンバートされた。これに伴い井端もショートに戻った。シーズン途中から1番を大島洋平に譲り、2番に固定された。7月10日の阪神戦で左太もも裏を痛めて途中交代、検査の結果肉離れが判明し登録を抹消された。オールスターゲームに監督選抜で選ばれた。

2013年はシーズンを通して不調に終わり、スタメンから外される試合も多くレギュラー獲得以来では最低の成績に終わる。また、12年ぶりに規定打席に到達しなかった。

2014年は交流戦で死球による骨折で約1ヶ月半の戦線離脱があったものの、主に2番打者として出場し2年ぶりに規定打席に到達した。9月16日には史上17人目、球団では高木守道に次いで史上2人目となる通算350盗塁を達成した。

2015年はソフトバンクから移籍してきた亀澤恭平と併用される形になり、出場機会が減少。15年ぶりに100試合出場と二桁盗塁に到達しなかった。

2016年、8月6日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で盗塁を成功し、高木守道が記録していた369盗塁を抜く球団新記録の370盗塁を達成した。

2017年、6月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ナゴヤドーム)で史上48人目の2000本安打を達成した。その際、入団当時の監督であった星野仙一楽天球団副会長兼シニアアドバイザーと、1学年下で共に選手会長の経験がある森野将彦から花束を受け取った。中日生え抜きの選手の達成は高木守道谷沢健一立浪和義に次いで史上4人目。なお、22年目での達成は中村紀洋に並び、25年目に達成した谷繁元信に次いで遅い。通算33本塁打は2000本安打達成者で最少になる。また、中日の選手では移籍してきた選手を含めても初めてホームゲームで2000本安打を達成したことになる。

2018年シーズンからは内野守備・走塁コーチ兼任となったものの、セ・リーグのアグリーメント上ベンチ入りできるコーチ人数に限りがあることから、ペナント開始前である3月17日にコーチ職を解かれた。コーチ職は解かれたもののチーム内での役割は変わらない模様。

選手としての特徴

守備・走塁

アライバコンビ」も参照

井端弘和と守備で二遊間、打順では1・2番を組んでいたことから、井端と共に「アライバコンビ」と呼ばれた。井端と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞した二塁守備の評価が高く、遊撃手から再コンバートされた2012年はトンネルやファンブルといった失策も目立ったが、この年はそれでも守備イニング1000以上の二塁手で両リーグ3位のUZR6.8を記録。上述のように落合博満からも高く評された鉄壁の守備でセンターラインを固め、右翼方向へのゴロ打球の守備に不安が残る一塁手のカバー役も担う。一方で肩を痛めた影響もあり、スローイングには若干不安定な面もある。 プロ入り当初は外野手として起用されることが多く、近年でも時折(主に他の選手との守備位置の兼ね合いから)外野で出場している。

走塁面では一塁到達まで速くても4.0秒と盗塁王経験者としてはずば抜けて速いわけではないが、牽制さえなければ盗塁をほぼ成功することができる優れた盗塁技術を持ち、初めて30盗塁を達成した2004年から2009年まで6年連続30盗塁を記録している。走塁技術にも長け、足でプレッシャーをかける存在としてはリーグ屈指と評される。なお牽制球に対してヘッドスライディングで帰塁することが多く、それが肩を痛めた原因であるという指摘がある。

打撃

プロ入り当初は右打者だったが、入団3年目の1998年からは両打ちに挑戦した。2001年に再び右打ちに戻したが、2003年までは両打ちとして登録していた。 典型的な短距離打者であり、シーズン本塁打のキャリアハイは2001年と2008年に記録した4本で、2000安打達成者では達成時点でシーズン2桁本塁打を一度も記録していない初めてかつ唯一の選手でもある。また、シーズンで50打点に達したこともなく(最高は2004年の44打点)、これも2000安打達成者で初めてかつ唯一である。

人物

 | 
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2011年9月)

踊る大捜査線』のファンで、DVDを全て所有している。また『踊る』シリーズに出演している柳葉敏郎との親交が深く(2008年1月に横浜スタジアムにて行われた野球イベントの控え室で、かねてより柳葉のファンであった荒木の方からグラブを贈ったのがきっかけとのこと)、2010年7月3日の試合で柳葉が始球式を務めた際にビジターの1番打者だった荒木が打席に立った。

2012年の開幕戦より、柳葉が1980年代に所属していたユニット「一世風靡セピア」の『前略、道の上より』に打席登場曲を変更した。

シーズンオフも講演会やトークショーにも頻繁に参加しファンサービスにも努めている。

2011年まで監督であった落合博満を尊敬しており、「監督に無理だと言われれば、いつでもユニフォームを脱ぐつもりだった」と発言している。その落合は「(荒木は)繊細でキレやすい。ボールの球をストライクと言われると、その日はもう全部打てない」と評している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S

1997 | 中日 | 63 | 74 | 67 | 9 | 12 | 2 | 0 | 0 | 14 | 2 | 12 | 4 | 5 | 0 | 1 | 1 | 1 | 16 | 1 | .179 | .203 | .209 | .412
1998 | 7 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000
1999 | 16 | 4 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500
2000 | 40 | 12 | 10 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .200 | .167 | .200 | .367
2001 | 111 | 304 | 272 | 53 | 92 | 12 | 1 | 4 | 118 | 23 | 13 | 9 | 10 | 1 | 20 | 0 | 1 | 48 | 3 | .338 | .384 | .434 | .818
2002 | 131 | 445 | 406 | 43 | 105 | 7 | 1 | 2 | 120 | 18 | 16 | 4 | 25 | 2 | 9 | 0 | 3 | 59 | 8 | .259 | .279 | .296 | .574
2003 | 133 | 472 | 417 | 42 | 99 | 13 | 5 | 3 | 131 | 41 | 16 | 8 | 24 | 3 | 25 | 6 | 3 | 68 | 6 | .237 | .283 | .314 | .598
2004 | 138 | 640 | 602 | 93 | 176 | 23 | 1 | 3 | 210 | 44 | 39 | 9 | 7 | 3 | 26 | 0 | 2 | 87 | 7 | .292 | .322 | .349 | .671
2005 | 145 | 674 | 623 | 88 | 181 | 22 | 3 | 2 | 215 | 41 | 42 | 11 | 6 | 4 | 36 | 0 | 5 | 74 | 13 | .291 | .332 | .345 | .677
2006 | 112 | 506 | 464 | 69 | 139 | 19 | 1 | 2 | 166 | 31 | 30 | 7 | 15 | 0 | 26 | 1 | 1 | 49 | 8 | .300 | .338 | .358 | .696
2007 | 113 | 510 | 457 | 66 | 120 | 15 | 0 | 1 | 138 | 25 | 31 | 6 | 30 | 1 | 22 | 0 | 0 | 55 | 8 | .263 | .296 | .302 | .598
2008 | 130 | 591 | 538 | 64 | 131 | 15 | 2 | 4 | 162 | 28 | 32 | 7 | 15 | 1 | 35 | 0 | 2 | 81 | 8 | .243 | .292 | .301 | .593
2009 | 140 | 631 | 582 | 80 | 157 | 21 | 1 | 2 | 186 | 38 | 37 | 14 | 19 | 1 | 25 | 0 | 4 | 70 | 14 | .270 | .304 | .320 | .624
2010 | 136 | 625 | 579 | 65 | 170 | 29 | 5 | 3 | 218 | 39 | 20 | 8 | 5 | 1 | 38 | 1 | 2 | 73 | 8 | .294 | .339 | .377 | .716
2011 | 135 | 593 | 543 | 58 | 143 | 20 | 2 | 2 | 173 | 24 | 18 | 9 | 10 | 1 | 36 | 0 | 3 | 73 | 4 | .263 | .312 | .319 | .631
2012 | 129 | 569 | 510 | 50 | 128 | 21 | 1 | 3 | 160 | 31 | 12 | 4 | 36 | 2 | 19 | 0 | 2 | 65 | 4 | .251 | .280 | .314 | .593
2013 | 105 | 384 | 338 | 35 | 75 | 9 | 0 | 0 | 84 | 19 | 12 | 6 | 18 | 2 | 25 | 1 | 1 | 33 | 10 | .222 | .276 | .249 | .524
2014 | 109 | 471 | 395 | 46 | 106 | 17 | 2 | 1 | 130 | 21 | 17 | 1 | 33 | 1 | 39 | 1 | 3 | 63 | 7 | .268 | .338 | .329 | .667
2015 | 97 | 238 | 211 | 23 | 53 | 10 | 0 | 0 | 63 | 13 | 9 | 1 | 6 | 1 | 20 | 0 | 0 | 31 | 1 | .251 | .315 | .299 | .613
2016 | 93 | 321 | 289 | 25 | 71 | 8 | 1 | 1 | 84 | 16 | 13 | 0 | 14 | 0 | 15 | 0 | 3 | 39 | 9 | .246 | .290 | .291 | .581
2017 | 85 | 267 | 249 | 17 | 62 | 6 | 1 | 0 | 70 | 8 | 5 | 0 | 5 | 0 | 13 | 0 | 0 | 41 | 8 | .249 | .286 | .281 | .567
NPB:21年 2168 | 8332 | 7557 | 943 | 2023 | 269 | 27 | 33 | 2445 | 465 | 378 | 112 | 283 | 26 | 430 | 11 | 36 | 1030 | 127 | .268 | .309 | .324 | .633

年度別守備成績


度 【一塁
二塁
三塁
遊撃
外野















合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守

率 試

合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守

率 試

合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守

率 試

合 刺

殺 補

殺 失

策 併

殺 守


1997 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | 16 | 12 | 16 | 1 | 2 | .966 | 44 | 37 | 0 | 0 | 0 | 1.000
1998 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000
1999 | - | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | 12 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2000 | - | - | - | - | 34 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1.000
2001 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 50 | 104 | 120 | 5 | 14 | .978 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 59 | 71 | 1 | 2 | 0 | .973
2002 | - | 114 | 201 | 268 | 7 | 38 | .985 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 28 | 36 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2003 | - | 129 | 255 | 341 | 6 | 54 | .990 | - | 9 | 7 | 13 | 0 | 1 | 1.000 | -
2004 | - | 138 | 320 | 402 | 6 | 91 | .992 | - | - | -
2005 | - | 145 | 410 | 496 | 7 | 114 | .992 | - | - | -
2006 | - | 103 | 256 | 293 | 12 | 47 | .979 | - | - | 8 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2007 | - | 113 | 284 | 345 | 9 | 69 | .986 | - | - | -
2008 | - | 130 | 329 | 415 | 11 | 74 | .985 | - | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | -
2009 | - | 140 | 358 | 450 | 11 | 80 | .987 | - | - | -
2010 | - | 3 | 5 | 12 | 0 | 1 | 1.000 | - | 134 | 226 | 383 | 20 | 69 | .968 | -
2011 | - | 26 | 33 | 30 | 0 | 8 | 1.000 | - | 127 | 200 | 387 | 17 | 67 | .972 | -
2012 | - | 129 | 389 | 401 | 15 | 85 | .981 | - | - | -
2013 | - | 99 | 242 | 274 | 7 | 57 | .987 | - | - | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000
2014 | - | 108 | 279 | 284 | 6 | 77 | .989 | - | - | -
2015 | - | 76 | 141 | 142 | 4 | 27 | .986 | - | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000
2016 | - | 83 | 185 | 200 | 3 | 43 | .992 | - | - | -
2017 | - | 71 | 147 | 178 | 2 | 41 | .994 | - | - | -
【通算】
2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1660 | 3939 | 4652 | 111 | 920 | .998 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 289 | 447 | 800 | 38 | 139 | .987 | 192 | 177 | 3 | 2 | 0 | .989

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

登場曲

出演

CM
その他

脚注

  1. ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2017年11月17日閲覧。
  2. ^ 2 荒木 雅博(あらき・まさひろ)スポーツニッポン 2016年5月13日閲覧
  3. ^ 中日新聞』2017年6月5日朝刊スポーツ面19面「荒木2000本安打 トラの巻(上)『走塁技術 大成の原点』」
  4. ^ 二宮清純レポート 中日ドラゴンズ 荒木雅博 内野手34歳 「名手の誇り、職人の意地」現代ビジネス 2016年5月13日閲覧
  5. ^ 荒木、スイッチ打者への再挑戦 立浪兼任コーチ、軌道にホレた!中日スポーツ 2009年2月8日
  6. ^ それまでの記録は1996年オリックス・ブルーウェーブイチロー(現マイアミ・マーリンズ)の8試合
  7. ^ ドラゴンズHOTスタジオ2009年2月7日放送分より。
  8. ^ スポニチ 2009年4月1日 中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け(2009年4月8日閲覧)
  9. ^ スポニチ 2014年9月16日 荒木 350盗塁に到達!史上17人目、現役選手最多(2015年5月30日閲覧)
  10. ^ 翌年1月4日に死去。
  11. ^ 中日・荒木が2000安打達成 史上48人目 恩師星野氏の祝福に感極まる スポーツニッポン 2017年6月3日
  12. ^ 谷繁元信和田一浩も中日で達成したが、前者は横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ、後者は西武ライオンズに在籍していたことから対象外とした。
  13. ^ “中日が来季スタッフ発表…荒木、岩瀬がコーチ兼任”. サンケイスポーツ. (2017年10月31日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20171031/dra17103119470002-n1.html 2018年3月17日閲覧。
  14. ^ “【中日】岩瀬と荒木、コーチ職解かれる…NPB登録のみ「ベンチ8人枠」影響”. スポーツ報知. (2018年3月16日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180316-OHT1T50216.html 2018年3月17日閲覧。
  15. ^ 落合監督「アライバ」に喝!日刊スポーツ 2008年10月12日 (2008年10月12日閲覧)
  16. ^ 『野球太郎 No.004 プロ野球12球団選手名鑑』 廣済堂出版、2013年、40頁。ISBN 978-4-331-80228-1。
  17. ^ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/06/14 01:11

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