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菅野智之とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
神奈川県相模原市南区
【生年月日】
(1989-10-11) 1989年10月11日(30歳)
【身長
体重】
186 cm
92 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
2012年 ドラフト1位
【初出場】
2013年3月30日
【年俸】
6億5,000万円(2020年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
WBC
2017年
プレミア12
2015年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


獲得メダル
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
 | 2017 | 野球
WBSCプレミア12
 | 2015 | 野球

菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。

平成最後の沢村栄治賞を受賞、ポストシーズン史上初(平成最後)のノーヒットノーランを達成している。巨人ではリーグ優勝3回、日本代表ではWBCのベスト4、プレミア12の3位に貢献している。

母方の祖父は、元東海大相模高等学校野球部監督原貢。母方の伯父は、読売ジャイアンツ監督原辰徳

経歴

プロ入り前

小学校に上がる直前の1995年10月8日に伯父原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで、本格的に野球を始める。

小学校時代は軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から投手を務めた。

新町中学校時代はエースとしてチームを県大会優勝に導いた。

東海大相模高校への進学後には、2年秋から主戦として活躍。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、甲子園出場は一度も果たせなかった。3年夏の神奈川大会準決勝の横浜高校戦では打者として珍しい「振り逃げ3ラン」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で桐光学園に8-10で敗退した。高校時代の野球部の同期に田中広輔が、1学年後輩に大田泰示がいる。田中とは大学でも同期であった。

大学は東海大学へ進学し、硬式野球部へ入部。1年秋から主戦を任され、2年春から4季連続で首都大学リーグの優秀投手を受賞。2年時には第37回日米大学野球選手権大会日本代表第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にも出場。3年春の第59回全日本大学野球選手権大会では準々決勝の同志社大学戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成し、準決勝の慶應大学戦では最速155km/hを記録し、4安打17奪三振の好投で完封勝利を挙げたが、決勝で藤岡貴裕擁する東洋大に完封されて敗退。夏の第5回世界大学野球選手権大会では、予選リーグのキューバ戦のアルフレド・デスパイネに対しての打席で自己最速となる157km/hを記録。4年秋にはリーグ新記録の通算14完封を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。最高殊勲選手と最優秀投手、ベストナイン、特別功労賞を受賞した。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。大学時代の野球部の1学年先輩に伊志嶺翔大が、同期に前述の田中広輔が、1学年後輩に坂口真規伏見寅威がいる。特に捕手である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。

ドラフト会議を巡る経緯

2011年のドラフト会議では野村祐輔(明大)、藤岡貴裕(東洋大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ、注目を集めた。伯父の原辰徳が監督を務める読売ジャイアンツの単独指名が濃厚と噂されていたが、北海道日本ハムファイターズの予想を反しての1位指名により、抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得した。ドラフト後には、祖父原貢が日本ハムの事前挨拶なしでの指名を「人権蹂躙」などと非難する発言を行った。

11月7日には日本ハムの指名挨拶に同席し、進路については「目先のことだけではなく、その先の野球人生を考えた上で判断したい」とコメントしたが、21日には日本ハム入団を拒否する意向を表明。社会人野球や国内独立リーグ、海外のプロリーグ等に進んだ場合は2年間指名されることができないため、プロ・アマのいずれの球団にも属さず、浪人することを選択。東海大の卒業延期制度を利用し大学に残り、大学の練習施設を使用して自主練習をしながら翌年以降のドラフト指名を待つことになった。入団拒否の理由としては「日本ハムさんからいろいろなお話を聞いて光栄に思いました。しかし、それ以上に、自分が小さいころからの夢、そういうものがそれ以上に強かったということです」と述べ、決め手になったという『小さいころからの夢』については「(言葉にするのは)難しいところですが、どうですかね……。分かってください」と語った。

これに対し日本ハムは「この程度で諦めるなら最初から指名しなかった。交渉期限のギリギリまで説得を続けたい」としたが、交渉期限最終日の2012年3月31日に菅野の獲得断念を発表。その後、一時は2012年のドラフトでの再指名の可能性を公言したが、後にその方針を変え、日本ハムGM山田正雄が「うちとしては(1位は)その年の一番力がある選手。1年間のブランクがあることを考えたら(菅野が)一番力のある投手じゃないと思います」との理由で指名を回避するとコメントし、実際に大谷翔平を1位指名した。同時にこの年のドラフトで意中の球団以外が交渉権を獲得した場合について、東海大監督の横井人輝が「アメリカに行くであろうと思う。野球留学も含めて、本人もいろいろ興味があるみたい」と発言し、本人も「また去年と同じことが起こるのだとしたら……。何というんですかね……日本で野球をやりたくないかもしれませんね」と発言したことや横浜DeNAベイスターズの調査書の受け取りを拒否したこともあり、横浜DeNAベイスターズGMの高田繁や監督の中畑清東北楽天ゴールデンイーグルス監督の星野仙一から批判された。

東海大の卒業延期制度を利用して引き続き在学しての野球浪人であったが、浪人中は大学野球の規定により対外試合に出場できなかったため、東海大野球部を練習拠点とし、投げ込みやチームメイト相手の紅白戦やシート打撃に登板して実戦感覚から遠ざかることを防いだ。ただし、紅白戦やシート打撃での登板は、緊張感や重圧という点では実戦とは異なるため、ブランクが懸念された。菅野自身は、大学野球だけでなく、高校野球や日本プロ野球やメジャーリーグなどを積極的に観戦をし、野球選手としてプラスになったと語っている。2012年の1月末から1ヶ月半の間アリゾナ州で過ごし、MLBプレイヤーをはじめ様々な競技のアスリートが集まる施設で陳偉殷王建民を紹介してもらったりアドバイスを貰ったりした。

2012年10月25日に開催されたドラフト会議では、当初はDeNAや楽天も指名の可能性を公言していたものの、巨人の単独1位指名となり、かねてより熱望していた巨人との交渉権を獲得した。ドラフト会議後には伯父であり巨人の監督である原辰徳が東海大を訪れ、背番号19」とネームの入った巨人のユニフォームに袖を通した。11月21日に契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円で仮契約を締結。23日に開催されたファン感謝デーで入団発表された。

巨人時代

2013年

2013年、3月30日の対広島東洋カープ戦(東京ドーム)でプロ入り初登板・初先発し、7回1失点、9奪三振の好投する。試合は12回1対1の引き分けに終わった。4月6日の対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で8回4失点7奪三振でプロ入り初勝利を挙げた 。5月4日の対広島戦(東京ドーム)で、自身のプロ初安打、初打点を記録した。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)で、9回1失点11奪三振でプロ初完投勝利した。オールスターゲームには監督推薦で初出場した。リーグ優勝がかかった9月22日の対広島戦(東京ドーム)では、8回1失点7奪三振の好投で、勝利投手になり、自身初となるチームのリーグ優勝を決めた。10月8日のシーズン最終戦の対東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)で5回裏からプロ入り初のリリーフ登板し4回無失点6奪三振だった。 ヤクルトの小川泰弘阪神藤浪晋太郎との新人王を争い、この年はチームトップタイの13勝を挙げ、リーグ優勝に貢献した(勝率もチームトップタイ、防御率、奪三振、投球回数はチームトップの成績だった。)。新人王は逃すが(16勝した小川が受賞)、藤浪と共に新人特別賞を受賞した。広島とのクライマックスシリーズファイナルステージ(東京ドーム)では第2戦に先発登板し、前田健太と投げ合い、9回11奪三振の内容で、セ・リーグのCSでは史上初の完投、完封勝利を挙げ、クライマックスシリーズMVPを受賞した。またこれがレギュラーシーズン及びポストシーズンも含めた自身初の完封勝利だった。チームもアドバンテージを含めた4勝0敗で日本シリーズに進出する。東北楽天ゴールデンイーグルスとの日本シリーズでは、第2戦と第6戦に先発登板し、いずれも今季シーズン公式戦から無敗の田中将大と投げ合い、第2戦(Kスタ宮城)では5回1/3を投げ1失点6奪三振で敗戦投手となり楽天に球団シリーズ史上初勝利を献上したが、第6戦(Kスタ宮城)では7回2失点(自責点1)3奪三振で勝利投手となり、田中にこの年シーズン公式戦とポストシーズンを通じて唯一の黒星をつけた。しかし、チームは第7戦で負け、3勝4敗で、日本一は逃してしまった。11月の「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズタイペイ」(台北)の日本代表には選ばれず、プロ入り後初の代表入りとはならなかった。契約更改で5500万円増の年俸7000万円でサインした。

2014年、3月28日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)で自身初の開幕投手を務め、7回4失点(自責点0)3奪三振ながらも打線援護に助けられ、シーズン初勝利を挙げた。入団2年目までの投手が開幕戦で勝利を挙げたのは巨人では1960年伊藤芳明以来54年振りである。さらに4月29日の対ヤクルト戦(東京ドーム)に先発し、9回4失点6奪三振で完投勝利を挙げ、球団史上4人目となる「4月中でのリーグ全球団勝利」を達成した。ドラフト制度以降では球団史上初で、またこの完投が自身初の無四球試合だった。この活躍が評価され、自身初の3・4月の月間MVPを受賞した。オールスターには、自身初の選手間投票1位で出場した。8月4日に右手中指のの炎症で、プロ入り初めて出場選手登録抹消し、8月23日にも腰の違和感がありブルペン回避した。9月に復帰し最終的には12勝5敗、防御率2.33で最優秀防御率を獲得し、自身2度目となるチームのリーグ優勝に貢献したが、10月2日の対ヤクルト戦(神宮)で右肘靭帯損傷し、ポストシーズン(ファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム))の登板は叶わなかった。その結果、自身の不在は大きく響き、チームはCS史上初の4連敗をし、アドバンテージを含めた1勝4敗で敗退した。それでもリーグ優勝に貢献したことが評価され、最優秀選手ベストナイン、さらに阿部慎之助と共に最優秀バッテリー賞も受賞した。その後怪我の影響もあり11月の日米野球の代表にも選ばれなかった。契約更改で4000万円増の年俸1億1000万円でサインした。

2015年、3月28日の対横浜DeNAベイスターズ戦(東京ドーム)で前年に続いての開幕投手を務め、7回1失点5奪三振でシーズン初勝利を挙げた。5月19日の対阪神戦(甲子園)で入団3年目にしてレギュラーシーズンでの自身初完封勝利(3奪三振)を記録した。5月31日に首痛のため登録抹消したが6月10日復帰した。オールスターには、監督推薦で出場した。シーズンは最終的に10勝11敗、防御率1.91で入団から3年連続二桁勝利をマークしたが、好投しても打線の援護に恵まれなかったことや、勝ち投手の権利を持って降板後にリリーフ陣が追いつかれることが多く、プロ入り後初めて負け越しとなった(防御率はセリーグ及び両リーグの規定到達投手の中でも2位の成績だった。)。チームもリーグ2位で優勝を逃した。CSファーストステージの対阪神戦(東京ドーム)では第2戦に登板し、ランディ・メッセンジャーと投げ合うも、4回4失点(自責点3)5奪三振で敗戦投手に。チームは2勝1敗で、ファーストステージを勝ち上がるが、続くファイナルステージの対ヤクルト戦(神宮)では第3戦に登板し、館山昌平と投げ合い、6回2失点3奪三振の好投するも、打線の援護が無く、またしても敗戦投手になった。チームは、ヤクルトのアドバンテージを含んだ1勝4敗でファイナルステージを敗退した。10月9日には第1回WBSCプレミア12の最終ロースター28名に選出されプロ入り後初の日本代表メンバーに入った。11月21日のメキシコ戦(東京ドーム)との3位決定戦において、2番手でリリーフ登板し、プロ入り後自身最速となる155km/hを計測した。チームはこの試合に勝利し、日本代表はプレミア12を3位で終えた。プレミア12での個人成績は1勝0敗、7回3失点、防御率3.86、6奪三振だった。契約更改で2000万円増の年俸1億3000万円でサインした。

2016年、「圧倒」をテーマに掲げ、自主トレでワンシームを習得しシーズンに臨む。3月の「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出され、初戦(ナゴヤドーム)に先発登板し王溢正と投げ合い3回無失点4奪三振の好投で勝利投手になった。 3月25日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で3年連続開幕投手を務め、7回無失点4奪三振の好投で1993年から1996年にかけての斎藤雅樹以来となる3年連続開幕先発勝利投手となった。4月6日の対阪神戦(東京ドーム)では自身初となる無四球での完封勝利(8奪三振)を挙げた。またこれがレギュラーシーズンでの自身初の東京ドームでの完封だった。4月13日の対ヤクルト戦(神宮)で2試合連続完封勝利(7奪三振)を挙げるとともに、これまで1度も勝てなかった神宮球場での初勝利を記録した。4月は4試合33回を1失点(自責点0)で月間防御率0.00をマーク。月間防御率0.00は中井悦雄村山実石井一久に続いて史上4人目の記録となり3・4月の月間MVPに選出された。5月13日ヤクルト戦で33イニングぶりに四球を出すものの球団史上4人目となる3試合連続2桁奪三振を記録。オールスターも初めてファン投票1位に選ばれ、4年連続で出場する。8月5日に左足親指の爪と皮膚の間にできた血豆がつぶれ、翌日登録抹消したが8月16日に復帰した。その後もシーズンを通して防御率1点台後半をキープしていたが、最終登板の対中日戦(東京ドーム)で5回2失点5奪三振で降板した段階で防御率が2点台に。それでも最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得し、ゴールデングラブも受賞。ただ、前年に引き続き味方の援護が少なく勝利数は9勝に留まり、入団後初めて2ケタ勝利に届かなかった。チームはリーグ2位で終え、ポストシーズンに進むも、CSファーストステージの対横浜DeNA戦(東京ドーム)は体調不良で登板回避し、チームも1勝2敗で敗退した。オフの10月18日には「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」(東京ドーム)の日本代表に選出されたが、コンディション不良により出場登録を抹消された。試合に出られないと知りながらもチームに帯同し、代表への熱い忠誠心を見せた。契約更改で1億円増の年俸2億3000万円でサインした。

2017年武田翔太からアドバイスを貰い自主トレでチェンジアップを習得。第4回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、監督の小久保裕紀からエースと指名された。特に準決勝の対アメリカ戦(ドジャー・スタジアム)ではタナー・ロアークと投げ合い、小雨が降りコンディションが悪い中、4番ノーラン・アレナドを3三振に打ち取るなど6回1失点(自責点0)6奪三振と好投。しかし後続の味方投手が1失点し、1対2でチームは敗退。ベスト4で終えるも、アメリカ代表のジム・リーランド監督は、「彼はメジャーリーグのピッチャーに相当する」と賛辞を送った。また、アメリカ代表のクリスチャン・イエリッチは、この日登板した菅野と千賀滉大に対して、「チーム内で話題になるくらいすごかった。今すぐでもメジャーでいける」と称賛した 。 WBCでの個人成績は、0勝0敗、14回1/3を投げ、6失点(自責点5)、防御率3.14、16奪三振だった。シーズンではこれまで3年連続で開幕投手を務めていたが、首脳陣が菅野のWBC出場での疲労を考慮し、3月31日の開幕投手はマイルズ・マイコラスが務めた。4月4日の対横浜DeNA戦(横浜スタジアム)で7回1失点7奪三振でシーズン初勝利した。 4月18日の対ヤクルト戦から5月2日の対横浜DeNA戦まで3試合連続完封勝利を達成。リーグでは1989年に斎藤雅樹が達成して以来、28年ぶりの記録であった。オールスターも、2年連続でファン投票1位に選ばれ、5年連続で出場を果たした。月間MVPは5月、7月、9・10月と3回受賞した。最終的にチームは4位で終え、ポストシーズンに進めなかったが、17勝、勝率.773、防御率1.59、WHIP0.85とキャリアハイの成績を残す。17勝以上で防御率1.60未満は、セ・リーグでは村山実以来51年ぶりとなった。タイトルも、最多勝利と最優秀防御率の2冠を達成し、ベストナインとゴールデングラブも受賞。小林誠司と共に最優秀バッテリー賞も受賞した。さらに平成生まれ初の沢村栄治賞に選出された。巨人の投手の沢村賞受賞は2002年の上原浩治以来15年ぶりのことだった。シーズンオフのインタビューにて将来的なMLB挑戦の可能性について、「僕はまだ彼(大谷翔平)ほどの絶対的な力は持っていない。しっかり絶対的な実力をつけて、文句なしで行けるように。」と将来的な可能性を述べた。また、2020年の東京オリンピックについても「生きているうちに1度あるかないか。絶対に出たいし、そこまで最前線でいたい」と意欲を示している。契約更改でほぼ倍増の年俸4億5000万円でサインした。

2018年、春季キャンプでは新たにシンカーを習得。3月30日、阪神との開幕戦(東京ドーム)で2年ぶり4度目の開幕投手を務めたが、制球に苦しみ7回5失点6奪三振で敗戦投手となった。二度目の登板だった4月6日の対ヤクルト戦(神宮)でも6回5失点(自責点4)5奪三振で自身初の開幕2連敗を喫する。この結果を受け、新球シンカーを封印して臨んだ4月13日の対広島戦(東京ドーム)では8回1失点10奪三振の好投でシーズン初勝利を挙げる。自身の連敗とチームの6連敗をストップさせた。5月11日の対中日戦(東京ドーム)では自身最多タイの13奪三振で完封勝利をあげた。5月18日の対横浜DeNA戦(東京ドーム)では、筒香嘉智本塁打を打たれ、連続イニング無失点が29回2/3でストップしたが、打撃面では石田健大からプロ入り320打席目にして初の本塁打を放った。6月15日の対千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)で完封勝利(9奪三振)を挙げ、所属している巨人以外の全11球団勝利を達成した。オールスターには、選手間投票1位に選ばれ、6年連続で出場した 。7月28日の中日戦(東京ドーム)で、プロ通算1000投球回に到達した。 シーズン終盤の9月以降は3試合連続完封勝利など、CS進出争いを繰り広げるチームに大きく貢献した。CS進出がかかったシーズン最終戦の10月9日の阪神戦(甲子園)で、リードした展開で、9回裏にプロ入り初のクローザーとして登板し、1回を無安打無失点で抑え、試合に勝利し、チームは3位でCSに進出した。これらの活躍により9・10月の月間MVPも受賞した。タイトルも最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振を獲得し、記録面では自身初となる三冠王(史上19人目)に加え、200投球回と200奪三振を達成した(同球団では1981年の江川卓以来37年ぶり)。また、3年連続最優秀防御率は1958年の稲尾和久以来史上2人目(4回目の最優秀防御率は史上3人目)、シーズン8度の完封勝利は1978年の鈴木啓示以来40年ぶり(同球団では1963年の伊藤芳明以来55年ぶり)の快挙となった。さらに、10月14日のクライマックスシリーズファーストステージ第2戦の対東京ヤクルト戦(神宮)で、原樹理と投げ合い、自身初のノーヒットノーラン(7奪三振)を達成し、チームのファイナルステージ進出に貢献した(なお、ノーヒットノーランはクライマックスシリーズ及び日本シリーズも含めたポストシーズン史上初)。この試合で出塁を許したのは山田哲人への四球1つのみだった。チームは2勝0敗でファーストステージを勝ち上がるが、続くファイナルステージの対広島戦で3連敗し、広島のアドバンテージを含めた0勝4敗で敗退。結果、自身のファイナルステージでの登板は無かった。その後、前年に引き続きベストナインとゴールデングラブも受賞。さらに2008年の藤川球児以来、10年ぶりとなる最優秀バッテリー賞特別賞も受賞した。10月29日、史上5人目となる2年連続の「沢村栄治賞」が決まり、平成最後の沢村賞を受賞した(沢村賞の複数回受賞は史上14人目)。また、28登板、10完投、15勝、勝率.652、202回、200奪三振、防御率2.14の内容で沢村賞の選考基準全項目をクリアしての受賞だった。日米野球の日本代表に選ばれていたが、扁桃腺の手術の為、辞退した。契約更改で年俸が6億5000万円に上昇し、佐々木主浩と並ぶ日本人選手トップタイの年俸となった。

2019年から脱力投法を取り入れた。背番号も18に変更し、3月29日、広島との開幕戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で2年連続5度目の開幕投手を務めたが、7回を投げ、安部友裕のソロ本塁打による1失点、3奪三振に抑えたものの、打線が広島の開幕投手・大瀬良大地に抑えられ、前年に続いての開幕戦敗戦投手となった。4月5日の対横浜DeNA戦(横浜スタジアム)では9回137球でネフタリ・ソト、筒香のソロ本塁打による2失点、8奪三振で完投。シーズン初勝利を挙げた。5月1日の対中日戦(東京ドーム)では9回を10奪三振、1失点で完投勝利を挙げ、新元号・令和第1号の勝利投手に加え、プロ通算1000奪三振を記録した。5月8日の対横浜DeNA戦(新潟)で、6回5失点(自責点4)4奪三振の内容だったが味方の打線からの援護があり、勝ち投手になる。また、菅野が5失点以上してでの勝ち星はプロ入り後初めての事だった。5月21日に腰の違和感で登録が抹消されたが、セ・パ交流戦の6月9日の対ロッテ戦(東京ドーム)で復帰し、6回2失点7奪三振の好投で勝利投手になった。6月16日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)でも、7回3失点5奪三振の好投で、勝利投手になるが、交流戦の優勝がかかった6月23日の対福岡ソフトバンク戦(東京ドーム)では初回に、福田秀平に先頭打者本塁打を打たれるなどし、2回先頭の和田毅に四球を与えた所で降板し、1回0/3、4失点(自責点2)1奪三振の内容で敗戦投手になった。これにより、チームは5年ぶりの交流戦優勝を逃してしまった。また、1回0/3での降板は自身のプロ最短であった。7月2日の対中日戦(東京ドーム)で、無四球でのシーズン初完封勝利をした。オールスターには監督推薦で選ばれ、第2戦目に先発して、7年連続で出場した。2回を無失点で抑え、打線の援護もあり、オールスターでの自身初の勝利投手になった。8月21日の対中日戦(ナゴヤドーム)で7回1失点5奪三振でシーズン10勝目を挙げ、3年連続6度目となる二桁勝利を達成。しかし、9月4日の対中日戦(前橋)で腰痛が再発し、2回4失点2奪三振で降板。翌日に登録抹消された。9月15日の対阪神戦(東京ドーム)で再度復帰するも腰痛が再発し4回4失点4奪三振で降板。その後試合はチームメイトのアレックス・ゲレーロの逆転ホームランなどもあり自身の黒星は消え、チームは勝利し優勝マジックも減ったが、翌日登録抹消した。この試合がレギュラーシーズン最後のマウンドとなった。最終的に11勝を挙げ、自身3度目となるチームのリーグ優勝に貢献するも防御率は自己ワーストの3.89で入団から6年連続で満たしていた規定投球回も逃した。クライマックスシリーズファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム)では腰痛の影響で登板を回避するもチームはアドバンテージを含んだ4勝1敗で日本シリーズに進出した。0勝3敗で迎えた10月23日の日本シリーズ第4戦の対福岡ソフトバンク戦(東京ドーム)に先発し、和田毅と投げ合った。4回にジュリスベル・グラシアルに3ランホームランを打たれるがその後も好投を続けるも、7回には味方の2失策により失点をし、6回1/3を投げ4失点(自責点3)8奪三振で降板。チームも3対4で試合に敗れ、自身も敗戦投手になり、チームは0勝4敗で日本一を逃した。国内FA権を取得したが巨人に残留を表明した。 11月のプレミア12は腰痛の影響を考慮され日本代表メンバーから外れた。契約更改は前年と同じく年俸6億5000万円で現状維持となった。

2020年から投球フォームを変更した。オープン戦では17回を投げ3失点、防御率1.59、10奪三振と安定したピッチングを続けていたが、新型コロナウイルスの影響でシーズンの開幕が6月に延期された。また自身も代表入りを目指していた2020年7月開催の東京オリンピックも2021年7月に延期、さらにセ・パ交流戦、オールスター、セ・リーグクライマックスシリーズの中止も決まった。6月19日の対阪神戦(東京ドーム)で3年連続自身6度目の開幕投手を務め、7回2失点8奪三振の内容でシーズン初勝利を挙げた。またこの勝利が球団通算6000勝の記録になった。7月3日の対中日戦(東京ドーム)で9回無失点11奪三振の内容でシーズン初完封勝利した。7月14日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で5回無失点5奪三振の内容で勝利投手になり、6回を投げずに勝ち星を手にしたのは自身プロ入り後初となった。7月の成績が4戦4勝、30回を投げて2失点(自責点1)、防御率0.30で、2リーグ制後に月間防御率0.30以下を2度記録したのは金田正一、村山実、田中将大に次いで史上4人目の記録となった。

選手としての特徴

2014年
2018年の投球データ
【球種】
配分
% 平均球速
km/h
フォーシーム 33 | 148
スライダー 24 | 133
カットボール 14 | 139
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/08/11 22:12

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