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藤原忠平とは?

凡例
藤原忠平
藤原忠平(菊池容斎前賢故実』)

【時代】
平安時代前期 - 中期
【生誕】
元慶4年(880年)
【死没】
天暦3年8月14日(949年9月9日)
【別名】
小一条太政大臣
【諡号】
貞信公(漢風諡号)、信濃公(国号)
【官位】
従一位関白太政大臣正一位
【主君】
宇多天皇醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
【氏族】
藤原北家
【父母】
父:藤原基経、母:人康親王の娘
【兄弟】
佳珠子、時平温子仲平兼平忠平、良平、穏子、頼子、佳美子、貞元親王妃、源能有
【妻】
源順子(宇多天皇の皇女)
源昭子(源能有の娘)
【子】
実頼貴子寛子師輔師保師氏師尹、藤原諸房室
養子:忠君
貞信公(百人一首より)
貞信公夜宮中に怪(もののけ)を懼(あや)しむの図(月岡芳年新形三十六怪撰』)

藤原 忠平(ふじわら の ただひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿藤原基経の四男。

兄・時平の早世後に朝政を司り、延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。朱雀天皇の時に摂政、次いで関白に任じられる。以後、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。兄・時平と対立した菅原道真とは親交を持っていたとされる。平将門は忠平の家人として仕えていた時期もあった。

目次

  • 1 生涯
  • 2 人物・逸話
  • 3 官歴
  • 4 系譜
  • 5 脚注
  • 6 関連項目

生涯

寛平年間(889年-898年)に正五位下に叙し、侍従に任じられ、備後権守を兼ねる。昌泰3年(900年)参議に任じられるが奏請して、叔父/ 清経と代わり、自らは右大弁となる。延喜8年に参議に還任(右大弁は元の如し)の後、春宮大夫左兵衛督を兼ね、検非違使別当に補され、次いで従三位に叙し、権中納言に任じられ、蔵人別当に補され、右近衛大将を兼ねる。

宇多天皇の時代は寛平の治と呼ばれ、摂関を置かずに天皇が親政をし、長兄・時平と学者・菅原道真らが政治を主導した。寛平9年(897年)に宇多天皇が譲位して醍醐天皇が即位すると、時平は左大臣、道真は右大臣に並んで朝政を執ったが、やがて政争が起き道真は失脚する(昌泰の変)。時平が政権を握り、諸改革に着手するが、延喜9年(909年)、時平は39歳で早世した。次兄・仲平を差し置いて、忠平が藤氏長者として嫡家を継ぐ。以後、醍醐天皇の許で出世を重ね、大納言に転じ、左近衛大将を兼ねる。延喜14年(914年)右大臣を拝した。延長2年(924年)正二位に叙し、左大臣となる。延長5年(927年)、時平の遺業を継いで『延喜格式』を完成させた。農政等に関する忠平の政策は、兄・時平の行った国政改革と合わせ「延喜の治」と呼ばれる。

延長8年(930年)9月22日に醍醐天皇は病が篤いため、朱雀天皇に譲位した。同時に、基経の没後は長く摂政関白が置かれなかったが新帝が幼少であるため摂政に任じられた。9月26日、朱雀天皇が醍醐上皇のいる麗景殿を訪ねた際、上皇は天皇を几帳の中に呼び入れ、五つの事を遺言した。その中で、「左大臣藤原忠平の訓を聞くこと」と話した(延喜御遺誡)。

承平2年(932年)従一位に叙せられる。承平6年(936年)太政大臣に昇り、天慶2年(939年)准三后となる。天慶4年(941年)朱雀天皇が元服したため摂政を辞すが、詔して引き続き万機を委ねられ、関白に任じられた。記録上、摂政が退いた後に引き続き関白に任命された事が確認できる最初の例である。この間かつての家人、平将門と遠戚である藤原純友による承平天慶の乱が起きたが、いずれも最終的には鎮圧された。

天慶9年(946年)村上天皇が即位すると引き続き関白として朝政を執った。この頃には老齢して病がちになり、しばしば致仕(引退)を願うが、その都度慰留されている。天暦3年(949年)、病がいよいよ重くなり、死去した。享年70。正一位が追贈され、貞信公された。

室・源順子は宇多天皇の皇女で「菅原の君」と称されており、宇多天皇女御であった菅原道真女・菅原衍子所生とも推定されている(実父母について異説あり)。このために、宇多天皇や道真と対立していた長兄・時平からは疎んじられていたという説がある。逆に兄・時平や共に道真を陥れた源光が亡くなり、醍醐天皇が病気がちとなり、天皇の父である宇多法皇が再び国政に関与するようになると、忠平は法皇の相談役として急速な出世を遂げたと言う。実際に時平や源光の死により、早くも35歳にして臣下最高位となり、死去するまで35年間その地位を維持した事で忠平とその子孫は時平に代わって嫡流となり、摂関職を江戸時代まで継承する事となった。そして、道真の名誉回復が早い時期に実現したのも「道真怨霊説」だけでなく、亡き時平と忠平との確執が背景にあったと言われている。

人物・逸話

幼くして聡明で知られ、父・基経が極楽寺を建てたとき、忠平は「仏閣を建てるならばこの地しかありません」と一所を指さした。そこの地相はまさに絶勝の地だった。基経はこの時のことを心にとどめたという(『大鏡』)。

また、醍醐天皇の頃、相工(人相占い師)が宮中に召された。寛明太子(後の朱雀天皇)を見て「容貌美に過ぎたり」と判じた。時平を見て「知恵が多すぎる」と判じた。菅原道真を見て「才能が高すぎる」と判じ、皆全幅の者はなかった。ところが、下座にあった忠平を見て、相工はこれを指さして「神識才貌、全てが良い。長く朝廷に仕えて、栄貴を保つのはこの人であろう」と絶賛し、宇多法皇はかねてから忠平を好んでいたが、この話を聞いて、ますます重んじ、皇女(源順子)を降嫁せしめたという(『古事談』)。

忠平はまた、寛大で慈愛が深かったので、その死を惜しまぬものはなかったという(『栄花物語』)。朝儀、有職故実について記した日記『貞信公記』がある。

官歴

※特に指示の無い限り『公卿補任』の記載による。日付は旧暦にてあらわす。

年紀 年齢 事歴
寛平 7 年・895年 | 16歳 | 8 月21日 元服。正五位下(『日本紀略本朝文粋』)。
9 月15日 雑袍を聴す。昇殿
寛平 8 年・896年 | 17歳 | 1 月26日 侍従。
寛平 9 年・897年 | 18歳 | 2 月14日 備後権守を兼ぬ。
寛平10年・898年 | 19歳 | 1 月29日 備後権守を兼ぬ(復任か)。
昌泰元年・898年 | 19歳 | 11月22日 従四位下。
昌泰 3 年・900年 | 21歳 | 1 月28日 参議。侍従元の如し。
2 月20日 宇多天皇の命により参議を辞退する(『貞信公記大鏡裏書』)。侍従元の如し。
4 月23日 昇殿元の如し。
5 月15日 右大弁を兼ぬ。
延喜 3 年・903年 | 24歳 | 1 月 7 日 従四位上。
延喜 5 年・905年 | 26歳 | 1 月11日 備後権守を兼ぬ。
延喜 8 年・908年 | 29歳 | 1 月12日 参議に還任。右大弁・備後権守元の如し。
2 月24日 春宮大夫を兼ぬ。
3 月 9 日 昇殿元の如し(『貞信公記』)。
8 月26日 左兵衛督を兼ぬ。右大弁を去る。
9 月 1 日 検非違使別当に補す。
延喜 9 年・909年 | 30歳 | 4 月 9 日 従三位。権中納言。氏長者。春宮大夫・検非違使別当・左兵衛督元の如し。
5 月11日 蔵人所別当に補任。昇殿故の如し(『貞信公記』)。
9 月27日 右近衛大将を兼ぬ。左兵衛督を去る。
10月22日 検非違使別当元の如し(左右衛門督や左右兵衛督を兼ねず、近衛大将で兼ねる例)。
延喜10年・910年 | 31歳 | 1 月13日 中納言。
延喜11年・911年 | 32歳 | 1 月13日 大納言。
3 月 検非違使別当元の如し(大納言の後別当を去らずの例)。
12月28日 検非違使別当を止む。
延喜13年・913年 | 34歳 | 1 月 7 日 正三位。
4 月15日 左近衛大将を兼ぬ。
延喜14年・914年 | 35歳 | 8 月25日 右大臣。
延喜16年・916年 | 37歳 | 2 月28日 従二位。
延長 2 年・924年 | 45歳 | 1 月 7 日 正二位。
1 月22日 左大臣。
延長 3 年・925年 | 46歳 | 10月21日 東宮傅を兼ぬ。
延長 7 年・929年 | 50歳 | 12月18日 これ以前に延暦寺検校(『西宮記』)
延長 8 年・930年 | 51歳 | 9 月22日 摂政(東宮傅を止む)。
12月17日 左近衛大将を止む。
承平 2 年・932年 | 53歳 | 3 月29日 従一位。
承平 6 年・936年 | 57歳 | 8 月19日 太政大臣。
天慶 2 年・939年 | 60歳 | 2 月28日 准三宮(年官・年爵を賜うこと三宮に准ず)。
天慶 4 年・941年 | 62歳 | 11月 8 日 関白(摂政を止む)。
天慶 9 年・946年 | 67歳 | 5 月20日 関白元の如し。
天暦 3 年・949年 | 70歳 | 8 月14日 小一条第にて薨去(『日本紀略』)。
8 月18日 贈正一位。信濃国に封じ、貞信公と謚す。

系譜

脚注

  1. ^ 公卿補任』には藤原基経があたかも摂政に引き続いて関白に任命されたように記されているが、同時代に国家が編纂した正史である『日本三代実録』には全く触れられておらず、事実とは認められないとされている。

関連項目

公職
先代:
藤原時平 | 左大臣
924 - 936 | 次代:
藤原仲平
先代:
源光 | 右大臣
914 - 924 | 次代:
藤原定方
軍職
先代:
源光 | 左近衛大将
913 - 931 | 次代:
藤原定方
先代:
平惟範 | 右近衛大将
909 - 913 | 次代:
藤原道明
先代:
平惟範 | 左兵衛督
908 - 909 | 次代:
藤原仲平
藤氏長者
飛鳥時代 | 

奈良時代 | 
  • 藤原不比等 698-720
  • 藤原房前 720-737
  • 藤原武智麻呂 737
  • 藤原豊成 737-757
  • 藤原仲麻呂 757-764
  • 藤原豊成 764-766
  • 藤原永手 766-771
  • 藤原良継 771-777
  • 藤原魚名 778-782
  • 藤原田麻呂 782-783
  • 藤原是公 783-789

  • 平安時代 | 
  • 藤原継縄 789-796
  • 藤原内麻呂 796-812
  • 藤原園人 812-818
  • 藤原冬嗣 818-826
  • 藤原緒嗣 826-843
  • 藤原良房 843-872
  • 藤原基経 872-891
  • 藤原良世 891-897
  • 藤原時平 897-909
  • 藤原忠平 909-949
  • 藤原実頼 949-970
  • 藤原伊尹 970-972
  • 藤原頼忠 972-974
  • 藤原兼通 974-977
  • 藤原頼忠 977-986
  • 藤原兼家 986-990
  • 藤原道隆 990-995
  • 藤原道兼 995
  • 藤原道長 995-1017
  • 藤原頼通 1017-1064
  • 藤原教通 1064-1075
  • 藤原師実 1075-1094
  • 藤原師通 1094-1098
  • 藤原忠実 1098-1121
  • 藤原忠通 1121-1150
  • 藤原頼長 1150-1156
  • 藤原忠通 1156-1158
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  • 近衛基通 1179-1183
  • 松殿師家 1183-1184
  • 近衛基通 1184-1186

  • 鎌倉時代 | 
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  • 近衛家実 1221-1228
  • 九条道家 1228-1231
  • 九条教実 1231-1235
  • 九条道家 1235-1237
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  • 近衛兼経 1247-1252
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  • 二条良実 1261-1265
  • 一条実経 1265-1267
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  • 南北朝時代 | 
  • 二条道平 1333-1334
  • 近衛経忠 1334-1337
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  • 九条道教 1342
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  • 九条経教 1358-1361
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  • 二条師良 1369-1375
  • 九条忠基 1375-1379
  • 二条師嗣 1379-1382
  • 二条良基 1382-1387
  • 近衛兼嗣 1387-1388
  • 二条良基 1388
  • 二条師嗣 1388-1394

  • 室町時代 | 
  • 一条経嗣 1394-1398
  • 二条師嗣 1398-1399
  • 一条経嗣 1399-1408
  • 近衛忠嗣 1408-1409
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  • 一条経嗣 1410-1418
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  • 一条兼良 1432
  • 二条持基 1432-1445
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  • 二条持通 1463-1467
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  • 九条政忠 1487-1488
  • 一条冬良 1488-1493
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  • 戦国時代 | 
  • 二条尚基 1497
  • 一条冬良 1497-1501
  • 九条尚経 1501-1513
  • 近衛尚通 1513-1514
  • 鷹司兼輔 1514-1518
  • 二条尹房 1518-1525
  • 近衛稙家 1525-1533
  • 九条稙通 1533-1534
  • 二条尹房 1534-1536
  • 近衛稙家 1536-1542
  • 鷹司忠冬 1542-1545
  • 一条房通 1545-1548
  • 二条晴良 1548-1553
  • 一条兼冬 1553-1554
  • 近衛前久 1554-1568

  • 安土桃山時代 | 
  • 二条晴良 1568-1578
  • 九条兼孝 1578-1581
  • 一条内基 1581-1584
  • 二条昭実 1584-1585

  • 江戸時代 | 
  • 九条兼孝 1600-1604
  • 近衛信尹 1605-1606
  • 鷹司信房 1606-1608
  • 九条忠栄 1608-1612
  • 鷹司信尚 1612-1615
  • 二条昭実 1615-1619
  • 九条忠栄 1619-1623
  • 近衛信尋 1623-1629
  • 一条兼遐 1629-1635
  • 二条康道 1635-1647
  • 九条道房 1647
  • 一条昭良 1647-1651
  • 近衛尚嗣 1651-1653
  • 二条光平 1653-1664
  • 鷹司房輔 1664-1682
  • 一条冬経 1682-1690
  • 近衛基熙 1690-1703
  • 鷹司兼熙 1703-1707
  • 近衛家熙 1707-1711
  • 九条輔実 1711-1722
  • 二条綱平 1722-1726
  • 近衛家久 1726-1736
  • 二条吉忠 1736-1737
  • 一条兼香 1737-1746
  • 一条道香 1746-1757
  • 近衛内前 1757-1778
  • 九条尚実 1778-1787
  • 鷹司輔平 1787-1791
  • 一条輝良 1791-1795
  • 鷹司政煕 1795-1814
  • 一条忠良 1814-1823
  • 鷹司政通 1823-1856
  • 九条尚忠 1856-1862
  • 近衛忠煕 1862-1863
  • 鷹司輔煕 1863
  • 二条斉敬 1864-1867
  • 九条道孝 1868-1871


  • 摂政
    皇親摂政 | 
    飛鳥時代 | 

    白鳳時代 | 
  • (中大兄皇子655-661)
  • (草壁皇子681-686)

  • 大正時代 | 
  • 裕仁親王1921-1926


  • 人臣摂政 | 
    平安時代 | 

    鎌倉時代 | 
  • 九条兼実1186-1191
  • 近衛基通1193-1203
  • 九条良経1203-1206
  • 近衛家実1206-1207
  • 九条道家1221
  • 近衛家実1221-1224
  • 九条教実1232-1235
  • 九条道家1235-1237
  • 近衛兼経1237-1242
  • 一条実経1246-1247
  • 近衛兼経1247-1252
  • 鷹司兼平1252-1256
  • 九条忠家1274
  • 一条家経1274-1275
  • 鷹司兼平1275-1278
  • 鷹司兼忠1298-1299
  • 二条兼基1299-1301
  • 九条師教1308
  • 鷹司冬平1308-1311

  • 室町時代 | 
  • 二条良基1382-1387
  • 近衛兼嗣1387-1388
  • 二条良基1388
  • 二条持基1428-1432
  • 一条兼良1432
  • 二条持基1432-1433

  • 江戸時代 | 
  • 一条昭良1629-1635
  • 二条康道1635-1647
  • 九条道房1647
  • 一条昭良1647
  • 二条光平1663-1664
  • 鷹司房輔1664-1668
  • 一条冬経1687-1689
  • 近衛家熙1709-1712
  • 九条輔実1712-1716
  • 一条道香1747-1755
  • 近衛内前1762-1772
  • 九条尚実1779-1785
  • 二条斉敬1867
  • 明治維新によって廃止。のち、皇室典範によって皇親摂政として再置。


  • 中大兄皇子を摂政とみなすのは、『藤氏家伝』上巻に「〔斉明天皇〕悉以庶務、委皇太子。皇太子毎事諮決、然後施行」とあることによる。
    草壁皇子を摂政とみなすのは、『日本書紀』天武天皇10年2月25日条に「立草壁皇子尊、為皇太子。因以令摂万機」とあることによる。


    関白
    平安時代 | 

    鎌倉時代 | 
  • 九条兼実 1192-1196
  • 近衛基通 1196-1198
  • 近衛家実 1207-1221
  • 近衛家実 1224-1229
  • 九条道家 1229-1231
  • 九条教実 1231-1232
  • 近衛兼経 1242
  • 二条良実 1242-1246
  • 一条実経 1246
  • 鷹司兼平 1252-1255
  • 二条良実 1261-1265
  • 一条実経 1265-1267
  • 近衛基平 1267-1268
  • 鷹司基忠 1269-1273
  • 九条忠家 1273-1274
  • 鷹司兼平 1279-1287
  • 二条師忠 1287-1289
  • ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  • 出典:wikipedia
    2019/06/27 03:06

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