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藤原竜也とは?

ふじわら たつや
藤原 竜也
インデペンデンス・デイ: リサージェンス』ジャパン・プレミアに出席する藤原竜也(2016年)

【本名】
藤原 竜也
【生年月日】
(1982-05-15) 1982年5月15日(36歳)
【出身地】
日本埼玉県秩父市
【身長】
178 cm
【血液型】
A型
【職業】
俳優
【ジャンル】
舞台映画テレビドラマナレーション
【活動期間】
1997年 -
【配偶者】
既婚
【著名な家族】
父、母、兄、姉の5人家族
【事務所】
ホリプロ
【公式サイト】
藤原竜也オフィシャルファンクラブ “DRAGON aRROWS”
【主な作品】


受賞
日本アカデミー賞

第24回 新人俳優賞 (2000年)
バトル・ロワイアル
第24回 優秀主演男優賞 (2000年)
バトル・ロワイアル
第28回 優秀主演男優賞 (2004年)
バトル・ロワイアルII 鎮魂歌
第41回 優秀主演男優賞 (2017年)
22年目の告白 -私が殺人犯です-

ブルーリボン賞

第43回 新人俳優賞 (2000年)
バトル・ロワイアル
【その他の賞】

受賞歴を参照


藤原 竜也(ふじわら たつや、1982年5月15日 - )は、日本俳優

埼玉県秩父市出身。ホリプロ所属。秩父市立秩父第二中学校卒業。堀越高等学校中退。

目次

  • 1 略歴
  • 2 人物
    • 2.1 趣味・嗜好
    • 2.2 エピソード
  • 3 出演
    • 3.1 舞台
    • 3.2 映画
    • 3.3 テレビドラマ
    • 3.4 バラエティ
    • 3.5 ドキュメンタリー
    • 3.6 ラジオ
    • 3.7 声優
      • 3.7.1 洋画吹き替え
      • 3.7.2 海外ドラマ吹き替え
      • 3.7.3 劇場アニメ
      • 3.7.4 テレビアニメ
      • 3.7.5 OVA
      • 3.7.6 ゲーム
      • 3.7.7 人形劇
    • 3.8 CM・観光大使
  • 4 DVD
  • 5 書籍
    • 5.1 写真集
    • 5.2 著書
    • 5.3 連載
  • 6 受賞歴
  • 7 脚注
  • 8 外部リンク

略歴

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年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2016年9月)

1997年蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』主役オーディションでグランプリを獲得し、俳優デビューする。バービカン・センター(ロンドン)での公演にて、「15歳で初舞台とは思えぬ存在感で天才新人現る」と絶賛され、翌年の凱旋公演も行われた。

2000年、映画『バトル・ロワイアル』の主演に抜擢された。

2001年新・星の金貨で連続ドラマで初主演を務める。(星野真里とのW主演)

2003年、日本演劇史上最年少21歳でタイトル・ロールを演じた舞台『ハムレット』で、主な演劇賞を総嘗めにした。

2004年、『新選組!』の沖田総司役でNHK大河ドラマ初出演。

2005年リンカーン・センター(ニューヨーク)にて舞台『近代能楽集〜弱法師〜』の俊徳役を演じ、「NYタイムズ」でも評価を受けた。

2007年2月から6月まで仕事を一時休業し、ロンドンに留学した。帰国後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのグレゴリー・ドーラン演出の舞台『ヴェニスの商人』に出演。

2008年ジョン・F・ケネディ・センターに於ける『身毒丸ワシントンD.C.公演にて、2002年のファイナル公演以来6年ぶりに身毒丸役を演じ、「ワシントン・ポスト」などの地元各紙で高い評価を受けた。

2009年井上ひさし作、蜷川幸雄演出による舞台『ムサシ』で宮本武蔵役。

2010年、舞台『ANJIN イングリッシュ・サムライ』で台詞の7割が英語の宣教師役。バービカン・センター(ロンドン)、リンカーン・センター(ニューヨーク)で舞台『ムサシ』を再演した。9年ぶりに連続ドラマ『おじいちゃんは25歳』の主演を務める。

2011年、ドラマ『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討』で臼井六郎を演じ、第37回放送文化基金賞演技賞を受賞。

2013年5月、一般女性との年内結婚を発表。

2014年、日本テレビ系ドラマ『ST 赤と白の捜査ファイル』で13年ぶりにゴールデン・プライム帯の連続ドラマ主演を務める。

2015年、2003年に自身がタイトルロールを演じ、数々の演劇賞を受賞した舞台『ハムレット』で12年ぶりに再びハムレット役を演じる。

2016年6月、第1子の誕生を報告。

人物

竜也という名前は、祖父の「天に昇る竜の如くすくすくと育つように」との想いから命名された。父親は単身赴任が多く、ほとんど家にいなかった。母親は秩父で飲食店を経営している。顔は母親似。3人兄姉の次男(末っ子)で、兄と姉がいる。11歳の時に姪が生まれ、若くして叔父になった。幼少のころ帰宅した際に父親が小麦粉まみれになっていたというエピソードを番組「藤原竜也の一回道」で語っている。

身長178cm、チェスト82cm、ウエスト75cm、ヒップ:86cm、シューズ27.0cm(公式HPより)。

2013年に、一般女性との結婚を発表。妻との初デート場所は、京都鴨川だった。

パソコンなどのメディア機器等々を上手に使うことが出来ない、いわゆる機械音痴であり、パソコンのキーボード入力ですらままならない。また、スマートフォンが多く普及した今日でも、2014年まで従来型の携帯電話(いわゆるガラケー)を使用していたという。

蜷川幸雄曰く、「集中力があって、真面目で努力家。ストイックで、役の事しか考えられない」。

趣味・嗜好

特技はサッカーで、埼玉県中学校大会ベスト4まで勝ち上がったことがある 。好きな作家村上春樹漫画では『魁男塾』が好き。水が苦手であり、水泳も苦手な金槌である。以前、荒川で水難事故に遭い、何かを悟った。また、高所恐怖症である。幼少時から長渕剛の大ファン。「ていうか、同志」と、本人は言う。 尊敬する俳優は、皆無。近年はキサラに出ている、ものまね芸人流コウキと親交がある。大杉漣に夢中になっていたことがあったが、「生まれ変わったらトンビになりたい。」と答えている。 洋画よりも邦画が好きで、特に黒澤明監督や深作欣二監督など、昔の邦画が好きとのこと。地元が埼玉出身であることから、埼玉西武ライオンズ浦和レッズのファンでもある。

自身も酒飲みであることから酒場詩人である吉田類の大ファンであり、ゲストとして出演したメレンゲの気持ちではサプライズゲストとして吉田類との対面を果たした。 現在は吉田兄弟のファンである。

喫煙者である。

幼少期はが大好物で「タコのたっちゃん(トシちゃん)」というアダ名をつけられていた。

エピソード

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年9月)

中学の同級生には宝塚歌劇団の元星組男役・彩海早矢がいる。

1997年3月、遊びに来ていた池袋の街角で、ホリプロ入社3年目の女性社員「児玉さん」に『身毒丸』主役オーディションのチラシを渡される。その時は名前を聞かれただけで連絡先も聞かれなかったため、オーディションに応募していなかったら現在の藤原竜也は誕生していなかった。実はオーディションでは第1次書類選考の段階で落とされていたが、チラシを渡した女性社員が何度も合格書類に紛れ込ませ、選考を残る。

藤原が池袋でスカウトされた当日の数十分前に、同じホリプロの別の社員によって、のちにグラビアアイドルとして活躍する優香がスカウトされている。

最終審査で蜷川幸雄の面接と演技テストを受け、そのダメ出しの反応のよさと、何の色にも染まっていない演技に選考委員9名の票が集まり、応募総数5537名の中からグランプリに選ばれる。採用後の稽古では、蜷川の指導の厳しさに何度も泣いたことがあり、「辞めたい」と思ったこともあると語っている。

1997年の『身毒丸ロンドン公演千秋楽前日に持病の腰痛が悪化し、急遽千秋楽昼公演は代役を立てて行われた。夜公演もそのまま代役で行う予定だったが、それを知った藤原は蜷川に「どうしても舞台に立ちたい」と懇願し、それに蜷川が折れ、代役を舞台袖に待機させたまま藤原が舞台に立った。動くことすら出来なかった藤原は、それまでの公演を上回る鬼気迫る演技を見せ「あの千秋楽は一生忘れられない、それくらい凄かった」と、蜷川は後に語っている。

2004年の『ロミオとジュリエット』東京公演の際にも、再び腰痛が悪化。特に12月11日の公演直後、全く足が上がらない状態になってしまった。しかし著名な整体師にかかったことで、翌日にはなんとか回復し、2005年2月25日までの約3ヶ月に及ぶ公演を一度も穴をあけることなく、やり遂げる事ができた。

深作欣二監督に才能を認められ、『バトル・ロワイアル』と監督の遺作となった『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』で共に仕事をしている。9・11の影響で制作が中止になった『愛と幻想のファシズム』など他にも何作か映画が制作される予定だったが、実現することはなかった。それについて本人は後に「映画の楽しさを教えてくれた方だった。もっと一緒に仕事をして、色々な事を学びたかった。でもそういう運命だったんだと思う」と語っている。

ハムレット』公演の際には、「絶対に成功しない」「無謀だ」など周囲の雑音が物凄く、非常にプレッシャーを感じていた。そのため、全公演終了後しばらく経ってから、円形脱毛症に悩まされた。

『新選組!』で沖田総司を演じたが、偶然にも彼を見出した蜷川幸雄竜馬がゆくで沖田役を演じている。

2006年に出演した舞台『オレステス』では、役作りのため、デビュー以来初めて髭を伸ばした。

映画『カイジ 人生逆転ゲーム』では、役作りの為に10kgの減量をし、世界観を味わう為に自腹でパチンコ店に通った。

舞台『ANJIN イングリッシュ・サムライ』では役のために2ヶ月間ロンドンやイギリスに語学留学。現役俳優が講師で、“攻撃的な教え方”という指導を受けた。

2009年に演歌歌手の冠二郎、落語家の林家たい平THE ALFEE桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命されている。

過去に酔っぱらった状態で船越英一郎に電話をかけ「英ちゃん」と呼んだことがあり、後に親交のある宇梶剛士から電話で怒られ、後日謝罪した。

2010年に井上ひさしの書き下ろし新作舞台『木の上の軍隊』(藤原、北村有起哉吉田鋼太郎の三人芝居)が上演される予定であったが、井上の病状悪化に伴い、演目が『黙阿彌オペラ』に変更された。その数週間後、井上は死去した。生前の井上は「藤原さんをもっと成長させたければ五郎蔵役はぜひやってほしい」と語っていた。2013年に井上の遺志を引き継ぎ蓬莱竜太脚本で上演。

2014年、第六回沖縄国際映画祭で行われた、映画『サンブンノイチ』の舞台挨拶を欠席した。欠席理由は、韓国の空港で迷子になり、舞台挨拶に間に合わなかったため。これに対して、監督の品川ヒロシは「あの男ね、天然なんです。」「100番ゲートなのに、40番代のゲートにいたみたい。アホなんですよ」と呆れながらも、「今飛行機に乗ったみたいです。謝罪メールもきて、反省しているみたいです」とフォローした。

映画『カイジ 人生逆転ゲーム』や『藁の楯』などで人間のクズのような役を演じていることから、「人間のクズみたいな役多くなったけど何かあったの?」という問いに対して、「クズの役しかこなくなった」と発言している。

映画『るろうに剣心 京都大火編』と『るろうに剣心 伝説の最期編』で志々雄真実役を演じた。撮影の際に、全身に包帯を巻いているという原作での志々雄の容姿を再現するためにスーツを着用。 そのスーツに関して、「志々雄スーツは着ると機嫌が悪くなる(笑)。耳が聞こえないし、ご飯も食べられないし、トイレにも行けなくて大変(笑)」と発言している。

ドラマ『ST 赤と白の捜査ファイル』で共演した芦名星柴本幸は、「竜也さんは(撮影の)前日に台本が上がっても、完璧に(頭に)入れてらっしゃる。『頑張ろう』とかいう言葉があるわけではないんですが、いい緊張感がある。意識の高さ、迫力がある」(芦名)、「竜也さんの集中力がすごい現場だった。それに私たちが『頑張ろう』とついていけた」(柴本)と感服している。

2014年に公演した『ジュリアス・シーザー』では、「初日の幕が開いた後も、旅公演中もずっと、いくら追求してもやるべきこと、自分にとっての課題が果てしなくある戯曲だと思いつづけていました。」と語っており、演出の蜷川には「稽古場では言われ放題でした」と言っている。また、通常の稽古だけでは足りなくなり、共演した吉田や横田栄司に一緒に残って稽古をつけてもらえるようにお願いをしたほどの、藤原にとって多くの苦悩を抱えながらも、たくさんの経験を積んだ作品となった。

蜷川が主宰しているさいたまネクスト・シアターが公演した『ハムレット』を観た際に、「もう一度自分は『ハムレット』の世界に入りたい」と思い、その思いを蜷川に直訴した。そして2015年に、蜷川新演出の『ハムレット』で、2003年以来にハムレットを再び演じた。その初日公演直前には、「蜷川さんとの集大成だと思っている。あらゆることに決着をつける時が来たのかもしれない」と発言している。

出演

※出演作品(時期)(役名)の順に記載。役名が太字なのは主演。

舞台

映画

テレビドラマ

2010Happy Mail